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新撰組(近藤勇の墓、板橋駅前)

2013年06月03日 | 歴史

本当に梅雨入りなのでしょうか。あんまり雨も降りません。今年も6月に入りましたが、いままで地元前橋も30度を超えた日がありません。

例年だと、5月~6月で数日はありますが。。。

暑がりの私にとってはありがたいですが、暑いときは暑くないといろんな生態系に影響が出ますね。

そんな中、先日東京都内をぶらりと散歩してきました。

以前、日野市の本陣など新撰組関連の記事をご紹介しましたが、今回は、幕末に新撰組の指導者として名を馳せた板橋駅前の近藤勇の墓に行ってきました。

近藤勇は、幕末の鳥羽伏見の戦いの後、自ら偽名で新政府軍に投降しましたが、身分が発覚し、この板橋の地で処刑されました。

この地に亡骸が埋葬されているわけではありませんが、後日、この墓を建立したのは、新撰組の同士だった永倉新八です。

近藤や副長の土方歳三とは長い間修羅場を共にした同士でしたが、意見が合わず新撰組を離れましたが、二人の死を悼み、明治期になってこの地に墓を建立しました。

新撰組をよく知る永倉の残した日記はその実態を知る上で貴重な資料になっています。

江戸幕府の治世が大きく揺らぐ中、旗本や御家人ではない身分の近藤らが一時とはいえ、幕府の延命に貢献し、歴史に名を残したのは確かです。

大きな時代のうねりの中でその行動が明治維新を遅らせたという批判もありますが、自分のやれる限りのことをやり、散っていった新撰組が未だに愛されるのは、その純真な思いに多くの日本人が惹かれるからだと思います。

大きな四角柱の墓石には、近藤勇と共に土方歳三の名前が刻まれてます。亡くなった場所は板橋と函館と別れていますが、永倉は2人を一緒に弔うことで自分の人生にも区切りをつけたかったのだと思います。

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板橋駅前の近藤勇の墓。

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近藤と土方の墓。亡骸はありませんが、永倉が明治になって建立しました。

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裏には近藤と土方の没年月が刻まれています。

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