2012年09月26日(水)記
自民党総裁が安倍氏に決まりましたね。優秀な人材はマスコミと検察によって弾圧され、国民より某国を向いている政治屋が生きながらえ、再登場する。ため息が出てきます。
さて、気分を変えて話題を変えて。
前回は「新米」についてでした。
ここ信州の山里でも稲刈りはほとんど終わり、刈り取られた田んぼではイネが稲架の上で天日干しされてただいま熟成の眠り真っ最中です。
このあたりは特A米指定地域。そりゃそうでしょう、冷たい清らかな水(何度も書きますが、泉から湧き出ている水、または谷川の水。いってみればペットボトルの水で育てているようなものです)、昼の高温夜間の低温、粘土質の土。ピリッとしたうまい空気。これで美味くないはずがない。
そうそう、もしよければ一度試しに食べてみませんか。コメント欄で連絡してください。
前段は置いといて、今日のお便りは「日本人にとってのコメとインディアンにとってのバッファロー」についてです。
1890年12月、北米インディアンは移民白人によってほぼ制圧された。わずか120年前のことでした。
日本の元号に直すと明治23年。私が今住んでいる家が建てられたころとなんとほぼ同時期!
自然とともに平和に暮らしてきた民族が滅ぼされたのは、ほんのつい最近のことなのだ。
そしてそれ以降インディアンは苦難の道を歩み続け現在に至っている。
インディアンが征服された手段はさまざま挙げられている。
一つは故意にばらまかれた疫病(特に天然痘。細菌兵器!)。そのほか部族間抗争の利用。「契約」という名の騙し。もちろんおんな子どもを含めた無差別虐殺。そしてバッファローの政府による計画的な絶滅化。
私は、インディアンを征服するためにバッファローを積極的に殺戮していった、という手段に注目する。
インディアンにとってバッファローは単なる食糧、衣料の材料というものではなく特別な存在だった。
それは彼らの文化の源の一つであり、信仰の対象でもあり、したがって狩猟はするものの感謝を込めて「神様から戴き」、決して乱獲などあり得なかった。
食糧でありながら、文化の源でもあり、信仰に大きくかかわっている……。日本におけるコメと同じような位置づけであると気が付く。
征服者は被征服者を征服するのに、食糧を支配し、文化を破壊し、信仰を捨てさせる(あるいは禁止する)。
これは歴史的定理なのです。今までに滅亡した国家を検証してみたまえ。必ずこの事実に行き当たる。
白人はバッファローを皮革資源としてならまだしも、インディアンの目の前で狩猟というレジャーの対象として殺戮の限りを尽くした。これはインディアンにとって食糧を奪われるだけでなく、文化の破壊、信仰の冒涜以外何物でもなかった。そして彼らは抵抗した。だが結局負けた。
そしてひるがえって現代日本。
「TPPを締結して安いコメが入ればいい。食糧が安く手に入ればいい」という人がいる。本当にそれでいいのか?
コメは食べ物ではあるけれどもそれだけでは決してない。
稲作に伴う文化のみならず私たちの信仰にも深く深くかかわっているのはご承知の通り。
コメを他国に任せることはすなわち、食べ物を任せることだけでなく、私たちの2,000年以上の文化を捨てること、私たちの信仰を差し出すこと、つまるところ他国に支配・征服されること以外に何物でもない。
120年前のインデアン抹殺のような、そんな野蛮なことはもう行われていない、とあなたは思うか。
インディアンは負けたが抵抗した。だが私たち現代の日本人は抵抗もせず、「安くなるから」という理由だけで、それも劇的に安くなるのでなく、300円足らずの牛丼がわずか20円程度安くなるのと引き換えに、そして食糧不足が目の前まで迫っているのにかかわらず、日本のこの世界に誇るべき文化やあらゆるものに神性・仏性を見出す信仰を差し出して支配されるのを是とするのか。それも自ら進んで「TPPに加入させてください」と言って。
かつて「郵政を民営化すれば、税収が大幅に増える、景気が良くなる。年金も心配なくなる」と言って騙したが、今「TPPに加入すれば、ものが安くなる、景気が良くなる」と言って騙している。
過ちを再び繰り返すのか?
ましてやいったん入ると抜け出すことのできないラチェットのドロ沼に入るのを、傍観していていいのだろうか?