信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

「御柱祭」に向かって…

2010年03月06日 18時12分08秒 | Weblog
                                 3月6日(土)記

今日は休みなのに朝から雨。リンゴたちが剪定を待っているというのに、残念です。

午前中は取りためていたビデオを見、それから諏訪の『原田泰治美術館』や温泉にでも、と思っていたのですが不覚にも昼寝をしてしまいました。
そうそう、ビデオといえば今夜だったかな(明日かな)『阿弥陀堂だより』が放映されます。この映画が好きで、舞台になった北信濃飯山に残されたセットの阿弥陀堂に行ったことがありますが、このことについては後日に。

さて今回の話題は「御柱祭」について。写真もないし、読みにくいかもしれませんが、どうかよろしく。

2月26日の農業新聞の地域欄に
御柱祭に向け 巨木切り出し 長野県小川村
という見出しで、写真入記事が掲載されました。

小川村は「西山」地方の一つの村で、信州新町の北、戸隠や鬼無里の南に位置し、平成の大合併という荒波の中でも、村民が長野市との合併を拒否しました。
私たちも大阪からIターンする際に有力な候補になった村で、その時に売主が「蔵」も売っていたら、たぶん今時分は小川村民となっていたでしょう。おやき以外何もない、典型的な「静かな山村」ですが、私の大好きな場所の一つです。

さて、その記事によると

2月21日、5月の小川神社御柱祭に向けた「山出し」が行われた。…
切り出した「一の柱」は樹齢120年、高さ36m、幹回り204cm…。
切り出された御柱は、音頭取りが歌う「木遣(きやり)歌」や「よいしょ」の掛け声とともに、地元住民らが力を合わせて1.7Km先の注連掛場(しめかけば)まで引っ張った…。
御柱となる木を選ぶ「見立て」、木を切り出す「山出し」、御柱を引き村を練り歩く「里引き」、柱を納める「建御柱」と日を追って行われ、…5月3日に御柱大祭が行われる。

とありました。
長々と書いたのは、我が里の近辺に「御柱祭」があちこちで執行されているんだ、という驚きと、我が区(ムラ)の鎮守「○○神社」の「御柱祭」に向けての準備はどう進んでいるのかな、という興味からです。

この記事と前後して、先日、区民(ムラ)全世帯に「平成22年度 御柱祭氏子役割」というペーパーが配られました。こちらに移住して初めての「御柱祭」ですので、見るのは初めてです。

ちょっと煩雑かもしれませんが、役割を書いてみますと
「先導」「総世話役」「神楽」「拍子木」「御幣」「長持」「梃子」「接待」「来賓接待」「本部接待」「網方世話役」「網方」「踊り世話役」「建方」「救護」「斧頭」「記録写真」「交通整理」「花火担当」
19もあります。

ざっと眺めてみると、重複して役を割り当てられる人もいますし、94か5歳のお向かいのおばあちゃんにも「網方」の役目。さて私は、と探してみると「梃子」。何をするのか全くわかりません。

「斧頭」は前回のYさんからSさんにバトンタッチ。炭焼きやウルシを採ったり、山仕事を主にしていたYさんも「網方」へ。つくづく7年という歳月が実感されます。

さてさて肝心なこと。
このペーパーを配りにきた組長(組合長とも。ムラの下部の部落長といったところ)に
「ところで祭の日はいつ?」
と聞いたところ、うんっ、とちょっと間をおいて
「4月の第2日曜」
との返事。

ムラの行事に当たり前に参画し守ってきた人と、全く違う場所から入ってきた私。
このギャップの象徴的な瞬間でした。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。