信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

ご無沙汰です。実は…。

2012年09月21日 23時34分31秒 | Weblog
2012年09月21日(金)記

半月ぶり、かな? 久しぶりです。
9月に入ると急に過ごしやすくなってきました。
昼間の気温は30℃は超えるのですが、肌に当たる風はさわやかで、影に入るとヒヤッとします。
夜は、もう寒い。

弟の件が落ち着いて、遅れたとはいえ秋・冬野菜を播種し(私のやり方は、イネ用育苗ポット8穴×16穴で計128穴を使って育苗する方法をとっています。これをやり始めてから全く失敗なし。種代も節約。ただし根菜と根が弱いといわれるハクサイは直播します)、加えて溜りにたまった他の農作業の合間を縫って9月9日の日曜日、地域の防災訓練をオカンに任せてカヌー講習会に参加し、家の前を流れる犀川での川下りを楽しみました。写真はその時のひとこま。
   

思っていた以上に面白く、ボートや和船よりなお一層水に浮かんでいるという感じが強く、さらに、ゆったりと川の流れに身を任かせて漂う心地よさ、川面から見る陸の景色は私にとって新しい世界でした。
これは病み付きになるだけでなく、これから私の家に来る人たちにもどんどん勧めようと思っています。
なに、2時間ばかりわんど(流れのないところ)でカヌーと戯れていれば、パドル(櫂。かい)の扱い方なんぞすぐに慣れますよ。なにしろ小2の子どもにだってできているんだから。

さて、このカヌーについて、ルンルンなお便りを出そうとした矢先の9月11日の早朝、母親の容態急変の電話が入ってその1時間半後には死去の連絡が入り、その日から18日まで大阪にいました。
弟が亡くなって1ヶ月経たないうちに母親も亡くなった、という訳です。享年97才。老衰でした。

母親が死んだため大阪に行くとき、長野に連れて帰っていた弟の遺骨も連れて行き、長野に帰るときは2人の遺骨を助手席に乗せて…ということになりました。

この18日夜から19日朝にかけてはまれにみる荒れた天気で、名神高速も米原JCから養老JCまで雨による通行止め。で、迷いつつ地道でやっと大垣ICにたどり着き(この間雨なんぞ全く降らなかった!)中央道へ。
ところが中央道に入って内津峠あたりから時速50Kmでも前は全く見えないほどの豪雨と雷です。にもかかわらず可動式の標識は「80」のまま。特に大型トラックと並走するとその飛沫(しぶき)で[全く見えず]の二乗といった感じで身の危険を覚え、早く帰りたかったのですがやむを得ず虎渓山PAで雨宿りをしました。
このゲリラ豪雨、本当に気を付けなくてはいけませんね。

(今回は何をお便りしようとしているのか、今の私の頭の中は疲れているのかバラバラです。)

で、20日と21日の今日は、かろうじて生き延びてくれていた苗を大車輪で植えつけました。
でも秋の遅植えは回復しないと言われているので、ダメかな~。

(今日のお便りは不統一、まとまりなし、バラバラでごめんね。また明日。)

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