信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

新米

2012年09月25日 22時41分47秒 | Weblog
2012年09月25日(火)記

突然ですが新米はうまいですね。

まず電気釜(近々これをやめようと考えています)からお茶碗によそったごはんをじっと見ます。
まず目が吸い寄せられるのがツヤ。これがいい。それも一粒ずつから発している。
加えてご飯の匂い。妊婦さんでツワリのきつい人には大変でしょうが、この匂いが食欲を掻き立てる(申し訳ないね、さおりちゃん。ほんの少し我慢してください)。
そしてもちろん歯ごたえと噛んだ後の舌に広がる甘味。これぞジャポニカ米の真骨頂というところでしょう、インディカでは絶対出てこない味です。ほとんどの日本人が「日本に生まれてよかった」「おかず、いらない。ご飯だけでもいける」という声を発するのがこの瞬間だ。

見過ごされやすいところでは、立ちあがる湯気。これもおいしいおコメの条件の一つです。
それにお仏飯を仏さまに供えたとき、この湯気が仏壇の中を漂う景色が子ども心にもなんとなく豊かにしてくれる。幼い時から子どもにお仏飯をお供えさせることは、必要じゃないかな。

さてこのおコメに関して、もう10日以上前になるかもっと前かな、NHKで夜中の1時2時の深夜、カリフォルニアでコシヒカリを作っていたある日本人が、メキシコの南、コスタリカかエクアドルだったかに移り住んで新たにコシヒカリ作りを始めた、という番組をしていました。
日本のおいしいコメを世界に広げたいという目標を持って頑張っているのですが、その中で主人公(と言っていいのか?)が気になっていることも紹介していました。

それは、この方が日本に帰ってきた時、必ず飲食店で使われているコメを調べるそうです。
で、いつものように調べるとある牛丼店で使っているコメの品質が非常に悪く、生産農家ではくず米という割れたコメが多く使われていた、ということでした。

くず米は加工用に回されるのが普通であり一般的なんですが、この牛丼店ではこれを使っていた。理由は簡単。コスト削減、利益率の向上のため。なるほど200何円で大きな利益を上げる商売が成り立っているわけだ。
もちろんクズ米が健康に影響を与えるというものではないけれど、実は食した人の味覚に大きな影響を与える結果となる。そしてその結果が招くことを危惧していたのでした。

今世界中に広がっている日本食は、ブームからトレンド、そして定着という段階になりつつある中、その日本食の中心がコメであって、そのコメがおいしいコメでありつづけているのが、私たち一般的日本人のコメの味覚である、という。つまり、私たち庶民のコメの味に対する要求水準が高いために、うまいコメが生産されている。そして、このうまいコメが世界から評価されている日本食を支えている。
なるほど、その通りですね。たしかにコメに対してはこだわりがある。

ところが最近、特に牛丼店などがコスト重視、利益重視のために品質の悪いコメを使うようになって、若者のコメに対する味覚が変化してきた、という。確かにあの濃い味付けの牛丼ではコメの味がわからない。こうしていると数年か十数年か先には日本人のコメに対する味覚が鈍化して、その結果、日本食そのものが壊れてしまう恐れがある、という危惧でした。この方は非常に心配されていた。

このTV番組を見ていて、私にも常々思い当たることがあります。
無洗米です。

いまレストラン、食堂の類はほとんど無洗米を使っています(高級店ではないことは確かです。私の行くところですから)。
皿に盛られたライス、おいしいですか? 私にはうまいと思ったことは一度もない。
最近は「ライスですかパンにされますか」と聞かれると、私のような狂信的ごはん党でもパンにしてしまう。つまり敵の軍門に下っているのではなく、ニセの味方には我慢ならない、ということ。
返す返すも残念なのは、おコメの味がこんなものだと若い人や子どもたちに思われることなのです。

で、わが息子たちの家庭。
やはり無洗米を使っているようなんですね、まことに残念ながら。
確かに手間はかからないのだけれど、(一時、コメの研ぎ汁が水質汚染公害の元凶と悪宣伝があったけれどどうも嘘らしいですよ)、やっぱりコメ本来の持つあのうまさを味わってほしい、と口では言えず願うばかり(「オトン、そら好き好きやねんから」と言われ、それで終わりだから)。

そしてコメの味を低下させるもう一つの大きな原因は若者の貧困化。
20代30代では生活が苦しいとまず食費を削る、という。まあそうでしょう、食費は減らしてもケータイ代は絶対減らさない。この食費削減が命の源である食べ物(ゆめゆめ食品と言ってはならぬ)の質の低下を招いている。もちろんコメも。
こういうことで、非正規や派遣の若者が多くなればなるほど、つまり所得が低くなるにつれて味より量、つまり、粒のそろったコメよりもクズ米、高い国産米より安い輸入米でいいじゃないか、になってしまう。


今日はこのあたりでやめておきますが、それにしても小泉・竹中は若者の労働(=未来、希望)を破壊したが、それが日本のコメ(=日本の社会・文化)にまで影響がでてきていると、本人たちも考え及ばなかったのではないか。
ま、二人にはそんな深慮遠謀できるわけでなく、背後の大きな力の言うままに動いたんだろうけれど、その大きな力が最初から考えていたならたいしたもの。戦後「ご飯を食べると頭が悪くなるからパン食にしましょう」というキャンペーンを張って、数十年かけて日本人の味覚を変えてきたのだから、奴らならやりかねん。