信州山里だより

大阪弁しか話せないの信州人10年目。限界集落から発信している「山里からのたより」です。

わが「ふるさと」は大阪

2012年09月23日 22時26分18秒 | Weblog
2012年09月23日(日)記

今朝5時半に起きると外は雨。なんとなく嬉しくなって二度寝して起きたら9時過ぎ。こんな日もいいものです。

さていつだったか日にちは忘れましたが、どちらにしろ先週大阪にいた時のある朝のことです。
『モーニングバード』をながら視聴していました。ゲストはあの小泉純一郎の秘書だった飯島勲でした。皆さん、この方を覚えていますか。

放送内容は自民党総裁選についてで、安倍晋三候補の話になった時の飯島氏が言ったことに私の耳は「マギー審司」になってしまいました。
それは「安倍さんの総理辞任はまずかった。本当に体の調子が悪かったら、私なら会見中のTVの前でわざとぶっ倒れさせる。これで国民は同情し、より支持が大きくなる」という意味のものでした。なるほどそうか。小泉劇場というのはこういう意図で作られていたのだ。そこには政治家の政策理念も使命感も品格もプライドも何もない、ただ単に国民の「情」に訴えるだけの姑息な方法論のみ。それもペテンを使って。

この言葉は飯島秘書官そのものを端的に表したもので、小泉と竹中平蔵の三人四脚で国民を騙しあざむくテクニックを露呈したのだと思いました。加えてマスコミがこれらの数々を増幅報道し、それを国民が真(ま)に受けて熱狂支持してしまった結果、私たち一般庶民の生活の苦しさが始まってしまいました。

国民は、その政治家の政策や理念を見聞きし判断して選ぼうとはしないのでしょうか。

なぜこんなことを言うかというと、実は大阪での『維新の会』報道に小泉時代と同じような印象を受けたからでした。正直なところ、大阪を軽蔑する気持ちと怖さを感じました。

橋下知事・市長は一体何をやったのだろう、その実績は?そして府民・市民を引っ張っていこうとするその先は? 府民・市民はこれらを理解した上で支持しているのでしょうか。
こんなことを言っては失礼かもしれませんが、府民・市民の多くは政策や実績よりもそのパフォーマンスを、支持不支持の判断基準にしているように見えます。本当にそれでいいのでしょうか。
「水道の民営化」「地下鉄の民営化」「徴兵制」「小泉新自由主義の継承」「消費税増税賛成」「原発賛成」「TPP参加」「教員試験合格者の大量辞退による教員不足」等々これらすべて、確実に子どもたちにとって明らかにマイナス要因となる重要施策を、「大阪のノリ」で支持してよいのでしょうか。

特に教員試験合格者の大量辞退について、地元放送局の記者がその理由を尾木ママにインタビューした時の答え「だって、あなたその理由、わかるでしょ。うふふ」。
将来を担う子どもたちを育てる教員やその志望者が逃げてしまう大阪になってしまっているのです。つまり橋下市長は「教育」、つまり子どもたちの未来を破壊しつつあると、私に目には映りました。大人の私たちがたとえ貧しくとも、子どもたちには十分な教育を受けさせる──江戸時代から続く日本人の考えでしたが、大阪は捨ててしまったのでしょうか。



もう一つ。
9月17日(月)の敬老の日。
母親の諸届をする役所が休みなので夕方、数年ぶりにミナミへ行きました。ミナミにでても大阪在住のころから続くほぼ定番のコースしか回りませんが。

見たい映画が無かったのでまず大型電気店を覗いた後、夕食はいつもの『(みんみん)』ではなく10数年ぶりの『カレーの自由軒』。それから必ず立ち寄る古書店。学術書が意外に安いのに驚きました。本を読まなくなったのでしょうか。ここでは店外に陳列されていた藤原正彦さんの本を購入。
昔はミナミにも古本屋はそこそこあったのですが、特によく行った大阪球場の古書店街が無くなってさびしくなりました。今、まとまった古書店街は阪急梅田のかっぱ横丁のみ?

それからブックオフに行って水上勉さんの『京都遍歴』の美本を見つけて小躍りし、もう1冊『ファーストフードは世界を食いつくす』の計2冊を購入。そしていつもの『丸福珈琲店』へ。
ここでコーヒーをすすりながら買った本をパラパラと拾い読みするのが、ミナミ歩きの何よりの楽しみです。この日ももちろんそうしました。こうしてこの店の80年近い歴史のその半分以上の45年間、半世紀近くも私は通い続けて、昔の若い時も年を重ねた今も全く同じことをしている。

「10年どころか20年一日のごとく」ミナミでの私のワンパターンな行動ですが、街は微妙に変わっていました。
敷島をはじめとする映画館三館がすべてパチンコ屋になっていました。そこには「これでもか」というほどの照明が煌々と照らされています。大飯原発がふと頭をよぎります。後ろめたく見ていた「日活ロマンポルノ」でしたが、ロマンポルノの見方を一変させ、セックスに対する私の考えも変えさせた『赫い髪の女』を見た映画館もなくなっていました。

腕に刺青(タトゥーというそうな)を入れているホリの深い外国人青年が徒党を組んで歩く姿も目につきました。歩きながら大声で話している中国人観光客。かなりの多人数です。西欧系外国人の家族らしき人たちが、ごくごく自然にラーメン屋ののれんをくぐっていきます。
ここはどこ?と思うほど外国人が闊歩する繁華街になりました。


家に帰るために乗る南海電鉄高野線。
6両だったか8両だったか、1編成すべての車両にはパチンコ屋PRのラッピング電車。
この広告料でいくらの収入になるのかは知らないけれど、韓国では「賭博」だとして禁止されているパチンコのPR電車が大都会の中を、そして老人から子どもまでの間を走り抜けていく。
南海電車と言えば日本最古の私鉄。この鉄道会社も矜持を失いました。

私にとって「ふるさと」は大阪。
青春の一部を間違いなく作ったミナミだけれど、今、信州の草深い中山間地に戻るとホッとします。畑に立つと気が優しく柔らかくなっていくのがわかります。

おふくろも死んで誰も住まなくなる大阪の家。売ろうかな。