波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

岡田益吉著『危ない昭和史 ―事件臨場記者の遺言』 上・下巻 昭和56(1981)年

2005-07-31 04:35:33 | 読書感想
 図書館で石原莞爾関係の本を探していた時に同本が目に入り,「海南島」の占領をどの様に扱っているか何気なく捲ってみたところ,従来の戦前史とは異なる史観が披瀝されていたので思わず借りてしまった.著者岡田益吉は,副題にあるように,大学関係の研究者ではなく,東日(現在の毎日新聞)の一記者だった.岡田は,戦前日本の転落の始まりを大正時代まで遡り,第一大戦後の大正10-11(1921-22)年に開催された華盛頓(Washington)会議での日英同盟破棄を英米との開戦に向かう転落の第一歩と見做し,更に,昭和5(1930)年倫敦(London)で締結された海軍軍縮条約をめぐる日本海軍内の混乱が,昭和7(1932)年の海軍関係者等による5.15事件を誘引して戦前の政党政治に止めを刺しただけでなく,その後日米衝突に至る日本海軍の「南進論」の発端になったと解釈している.また,従来の史観が昭和の動乱の発端を陸軍に求めすぎて,海軍が起爆剤的な役割を演じたことを無視していると批判的だ.
 これまで大正時代(1912-1926)の政局・国際関係については短期間であるため余り注意を払っていなかったが,同書により,百年前の日露戦争が戦前日本外交の頂点であり,その後,特に第一次世界大戦(1914-1918)後は日米衝突に向けて転落する一方だったことがわかった.支那における日本の勢力拡張を封じるため,支那と米国が提携して華盛頓(Washington)会議によって日英同盟を破棄に追い込んだ際,日本は東亜細亜において同盟国なしの孤立状態に追い込まれただけでなく,同盟国なしの自由度が日本の陸軍に満州その他で野放図的に展開することを許してしまい,また,日米の海軍衝突を防止する役割を果たしていた英国を失ったことから,日本の海軍は糸が切れた凧的状態で独自の南進策に傾斜し,結局英米双方に対して衝突することになった,と言えるかもしれない.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:07/31/2005/ EST]

超境主義と地元第一主義 その二 論議の前提:「大きいことはいいことだ」の是非

2005-07-30 01:38:01 | 雑感
 昭和40年代初頭というか1960年代末に,故山本直純主演の森永製菓のTVCMで,「♪大きいことはいいことだ,...,森永エールチョコレート」とものがあった.平均的日本人の感覚からすると,自分の住んでいる自治体の人口が増加することについて,激しく嫌悪感を抱くということは余り無いのではなかろうか.特に戦後の高度成長の時代を知る者にとって右肩上がりの現象は余り違和感を感じないに違い無い.ところが,米国の場合は,我が「まち」の人口が増加することについては賛否両論が当たり前で,大都市以外の場合は,大抵,反対者の割合が多いと思われる.ましてや,戦後日本において強力に推進されてきた市町村合併による自治体規模の増大などは,特定の地域を除き,絶対反対というのが常識的な米国住民の反応と言える.
 なぜ自分の住んでいる自治体の人口規模が増大することを嫌がるのか,そこには自治体の財政制度に由来する経済的要因,都市=堕落の巷というような都市認識という文化的要因が根底にあり,これらの条件からすると,事業所・人口が増える⇒税負担が増す,諸環境が悪化する(道路が更に混雑する,大気汚染や騒音公害,そして風紀が乱れ犯罪が増える)という構図がそれなりの説得力を持つのだ.また,人口の増加により,政治過程がより複雑になり,政治上の既得権益の分け前が減少する,という要素も加わる.米国の場合,日本とは違い,土地利用や用途の規制が厳しく施行されて,新開地の場合,住宅地内に商店があったり事業所があったりするこは先ずありえない.日本の場合,居住可能な空間の僅少さにより,一戸建て住宅の金銭的価値がその周辺の住環境によって天と地の差異が生じることは余りないないが,米国の場合,その周辺住環境によって金銭的価値が決まる部分が非常に高く,新開地の場合,様々な契約上の細かい規制(庭先に植えて良い物,窓の装飾等)が掛けられて,開発地区内の住環境にばらつきが生じないような仕組みになっている.即ち,米国の郊外の新開地住民は,江戸時代の五人組制度ではないが,隣組からの厳しい縛りを受けていることになる.
 また,日本の県都と言えば県内人口最大都市という認識があるが,米国ではこの等式は一般的に成立しない.州内の都市部の政治的影響力を田舎が掣肘するという構図が一般的で,州都は政事を司るだけの弱小都市になっている州が殆どだ.例えば,日本人が"New York"と聞くと頭に浮かぶのが市の部分と思われるが,New York州自体にとってNY市は州の東南端に辛うじて付着している(面積的には)猫の額的部分であり,同州内の政治地図では,NY市とそれ以外が何かにつけて厳しく対立する形になっている(因みに州都は内陸に入ったAlbany).勿論,州同士の競争・対立では,このような都市対田舎の争いは一先ず休戦で大同一致団結することは言うまでもない.
 此処で話がややこしくなるのが,一昔以上前の東京の杉並塵戦争(同区住民が同区内での塵処理場建設に反対)と同じく,自分の地元が人口が増えて混雑するのは絶対反対だが,自分の直接利害空間外なら,工場誘致,新住宅地の開発,公共施設の建設,何でも御勝手に,というNIMBY(Not My Back Yard)症候である.よって,自分さえ「ばば」を引かなければ結構,自分の居住する自治体の中での工場誘致は反対だが,同州内の他の地域なら州の財政が潤うならそれはそれで良いという考え方だ.結局自分の持ち家の資産価値を守る,或は高める変化以外は絶対お断り,また,税負担の増加を強いる変化も駄目ということになる.この背景には,日本の自治体の規模がそれなりに大きい=服務供給の規模が大きく(広く),また財源の税種が多様で,更に県・国による自治体間財源均霑(きんてん)化の仕組みによって,服務提供水準において天と地的な格差が生じていないのに対して,米国の場合,自治体間の財源均霑(きんてん)化の仕組みが弱く,市町村の基本財源は住環境因子によって左右される資産税に大きく依存している為,服務水準に関して自治体間に天と地の格差が生じていて,それが常態と認識されていることだ.即ち,中金持ち以上が主に住んでいる郊外は,自腹を切ってまで過疎のど田舎や所多瑪(Sodom)的様相を呈している金欠堕落都市を救済する気は殆ど無く,芥川龍之介の『蜘蛛の糸』的NIMBY状況を強化する悪循環が出来していることになる.
 (以下,その三に続く)
 
註:
森永エールチョコレートのCMについては以下の網頁参照:
http://www31.ocn.ne.jp/~goodold60net/yell.htm
http://jellyjam.hp.infoseek.co.jp/yell.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/山本直純
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:07/30/2005/ EST]

超境主義と地元第一主義 その一

2005-07-29 02:21:24 | 雑感
 過日ある網誌の見出しに惹かれて中を覘いてみると,或る米政治家の「とんでも」発言が批判されていた.米国の場合,一般的に,各議会の議員は小選挙区から選出されるので,広い見識云々よりも狭い選挙区に焦点を絞った地元密着利益誘導型の溝板政治家が選ばれやすい構造になっている.よって,選挙区の民度如何によっては「とんでも」系の香ばしいキャラを持った議員が選出され,中には日本の地元密着利益誘導型溝板政治家の一例とされる鈴木宗男元衆議院議員(http://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木宗男)あたりでそれなりに免疫を付けている筈の日本人でも瞠目してしまう者もいる.
 このような選挙区限定の視野しか持たない議員やその支持者については,比較的最近まで,田舎者という認識で全く歯牙にも掛けていなかったのだが,日本の「戦後民主主義」系文化人の発想をあれこれ批判している内に,もう少し真剣に論議の対象にすべきではないか,と思うようになった.そのような再考の糸口の一つになったのが,柴田純氏の『江戸武士の日常生活』(講談社メチエ196 2000年刊)だった.以下,今の平均的日本人が知らず知らずのうちに受容していると思われる或る二分論(超境主義[善],地元第一主義[悪])について最近考えたことをまとめてみたい.
(以下 その二に続く)
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:07/29/2005/ EST]

NY Times掲載竹島反日広告,共産主義革命エヴァンゲリオン杉井奈美子による転び沖鮎要の折伏・帰服

2005-07-28 00:33:11 | 雑感
 昨日27日(水),NY Times(New England Final版)を捲っていると,国内欄の下の余り目立たない一角に半島系団体(www.koreandokdo.com)の意見広告"DOKDO IS KOREAN TERRITORY"が掲載されていた(同網站に同広告のgif版が掲載).一面の十分の一程度の面積で,しかも両脇を同じ広さの商業広告に挟まれていたので,口を出す割には財布の紐が硬いという中途半端な調略結果に終わっている.昨今の熱烈的反日振りからすると,政府の機密費や民族資本の肩入れで,NY Times, Washington Post, Wall Street Journalの三主要米紙上で一面広告を同日揃い踏みで沙烏地荒火屋的金満広告を打つ,という対米調略も十分考えられるが,当該広告を打った団体は多分俄仕立てのものに違いない.同じ面積で勝負なら,OP-ED(open-editorial)頁の一角を買う方がまだ効果的に読者の注目を浴びる筈だが,予算不足であのような結果になったのであろう.
 保守系網誌上では,ここ数日漫画『嫌韓流』が色々注目を集めているようだ.小林よしのりの『戦争論』にしても今回の『嫌韓流』にしても,文字だけの硬派の情報伝達では駄目で,画像に頼っているところが何と無く気にかかる.映像・画像や図解でしか伝えられない「百聞は一見に如かず」のものも此の世には沢山あるが,今の人間社会の根本を仕切っている約束事(憲法,法律,契約等)は原則的に文字で表現されて,画像や図解は補助的に使われているに過ぎない.厳しい国際環境で日本を守るのも最終的には条約等に書かれた文字であることを考えると,音に聞く日本の学校教科書での漫画の多用というのも,文章の読解・言葉選びの訓練を疎かにして,将来における平均的日本人の文字による表現力=交渉力の低下をもたらすのではないか.米国の印刷媒体の場合,日本のそれとは比較にならない程,詳細な図解に空間・金をかけているが,「話の筋」又は「伝えるべき情報の『展開』」を一連の画像が主で文字が従という形式の説得・伝達方法は,大人向けの媒体では殆ど御目に掛かることがない.即ち,日本の絵巻物の長い伝統とは異なり,絵巻物形式の情報伝達系が歴史的に余り試みられてこなかったものによるのか,それとも,飲酒・喫煙等に顕著な子供と大人の世界の峻別傾向に基づく二分法「大人=文字,子供=絵」に由来するのかも知れない.
 ところで,『嫌韓流』に関する読者の意見を色々読んでいて,一ヶ月余り前網誌「ヒロさん日記」に「共産主義革命のエヴァンゲリオン:杉井奈美子」(6月13日付)という記入(http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1080426)があったことをふと思い出した.今回の『嫌韓流』の売り上げに危機感を抱いた左巻き系が一矢を報いんと,東京都は杉並区の地元密着系キャラ杉井奈美子を全国区debutさせ,沖鮎要的な「転び」キャラに対して破邪の折伏に挑み,再び左巻き信者として帰服させる,というような漫画を田宮龍一に急遽依頼ということになるのかも,というような白昼夢をつい見てしまったのだった.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:07/28/2005/ EST]

竹山道雄『昭和の精神史』と三田村武夫『戦争と共産主義』

2005-07-27 00:56:04 | 読書感想
 7月16日付の記入で触れた新田均氏の著作の中で,竹山道雄の『昭和の精神史』が数箇所言及されていたので(例えば,96頁),図書館で借りて読んでみた.主権回復後4年程経った昭和31(1956)年に刊行された本で,批判の直接の対象は主に戦前期であるが,その準備段階として,当時学界・論壇を支配していた所謂「進歩主義」系論者による戦前批判の誤謬について2章(「二章 進歩主義の論理」,「三章 上からの演繹―唯物史観」)を割いている.新田氏の言及にあるように(253頁),当該2章及び第四章「事実からの出発」は,当書出版後,半世紀近く経た今日においても十分通用する内容となっている.換言すれば,本書による喚起が50年近く前になされていたにも拘らず,未だに日本人は「事実からの出発」が出来ていない,即ち,「上からの演繹―唯物史観」の呪縛から解脱出来ていない,扶桑社の歴史教科書に対する一読も無しでの条件反射的拒絶反応に凝縮されているように.

註:
本書第八章「国体精神」の第4節にあたる「赤の謀略説」で,三田村武夫の『戦争と共産主義』が検討されていて,国際共産主義の調略の事実をそれなりに認めるが,この要因のみで戦前日本の運命的な選択を全て説明できないであろうという立場をとっている.同書は出版後,占領軍の事後検閲で発行禁止になったとされるが,竹山道雄を含めて当時の知識人が当書の存在を含めて或る程度知っていたことになる.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:07/27/2005/ EST]

めざまし艸 網站篇

2005-07-26 14:45:32 | 近現代史
山村明義の国際政治事件簿

http://www.doblog.com/weblog/myblog/51632

註:不定期刊.ジャーナリスト上杉隆氏の網誌『東京脱力新聞』(http://www.uesugitakashi.com/)において紹介されていた.先月(2005年6月)より始められたばかりだが,外交・国際情報物の網誌にしては珍しく「?」となる記事が全く無い.著者独自の情報収集を基に書かれたものが殆どで(即ち,新聞記事等の焼き直し的読書感想は無い),田中宇氏の網頁を読み,国際・外交情報の「食中り」ならぬ「電波中り」で食傷気味の方に是非御勧めの網誌だ(2005/7/26追加)

[別宮暖朗氏の]第1次大戦,特にWHAT'S NEW?頁

http://ww1.m78.com/honbun-2/topix02.html

註:別宮氏の第一次大戦に関する情報収集の執念は言うまでもないが,それ以外の主題についての情報も充実している.最近の話題で特に目を引いたのは,大東亜戦争終結直前にクーデターを画策した戦争継続派の陸軍若手将校と阿南陸軍大臣との関係についての推理だ[2005/4の「クーデター計画」]

平河総合戦略研究所資料室

http://blog.melma.com/00133212/

註:週刊.最近開設された網站なので未だ重厚な情報蓄積には至っていない.連載物は別として,毎週何らかの有益な情報が含まれている.勿論「?」という記事もあるが.

太田述正の時事コラム

http://www.ohtan.net/column/index.html

註:ほぼ日刊.海外情報の分析が主.本網誌「太田述正氏の時事コラムとの遭遇」を参照

© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:7/26/2005/]

愛媛県の知られざる側面 その三

2005-07-26 02:07:50 | 雑感
 前回述べたように,全国にある四十余県中,日教組対策において愛媛県が突出することになってしまったのは何故なのか.非保守系の県政が長く続いた県は別として,愛媛県のような強力な日教組対策を実行に移して日教組と激突を繰り返すよりも,落とし所を適当に決めて共存を図るという穏便な選択の方が現場にとって楽だったと想像される.そして半世紀経ち,この妥協がもたらした呪縛と国の命運を懸けて今対決せざるを得なくなっている.ここ数年,石原慎太郎知事の東京都では,小中高校での国歌斉唱・国旗掲揚をめぐる新方針について(http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr031023s.htm),日本の報道媒体だけでなくNY Times等の世界の報道媒体からも注目を浴びているが,このような方針は愛媛県あたりでは三十年以上前に実施されていたものでしかない.組合員の待遇・福利厚生向上よりも,政治活動の方を優先する日教組を生み出した環境が,占領軍の超法規的な戦犯指名・公職追放と上からの「民主改革」という国の歴史から隔絶した人工環境=占領であった以上,その克服は穏便な常套的説得手段では無理であったに違いない.況してや,占領下の日本という特殊事情下で誕生・成長を許された組織が,占領終了後も疑似占領状態の維持拡大を担う一主要団体として活動する企図を持っていた以上,非常時における緊急避難的処置として,あのような手段が愛媛県で行使されても致し方なかった,という解釈も可能かもしれない.
 では,小中高校の教師の信念・信条の底が日和見的なものでしかないことを露呈させた所で,果たしてこの話の終わりになるのだろうか.転向の動機が日和見であるならば,将来状況が変化すれば,また,それに応じて日和見を繰り返すだけで,このような底の浅い他律的な動機付けでは根本的な解決にはならないのではないか.山本武利氏の『日本人捕虜は何をしゃべったか』(文春新書214)中に綴られている第二次大戦中の日本軍捕虜の軍機漏洩に見られるように,日本に対する自分自身の思いを基礎に,社会において自分の果たす役割(教職他)の重みを自律的に考慮して判断した結果では無いからだ.昨秋の園遊会で東京都教育委員の米長邦雄氏に対する天皇陛下の御言葉の真意は斯様なものではなかったかと信じたい.
 占領下に開花した幻想への帰依は,戦後60年経てもなお報道界・学界・教育界に未だ根強く蔓延っている.これを克服するためには,当該幻想を別の何かによって置き換えなくてはならない.新たな「止まり木」を用意しない破壊は徒に混迷を招き他国に干渉の余地を与えるだけだろう.丁度百年前の日露戦争で勝利を得た日本は,その6年後,西欧列強との間で幕末に失った関税自主権を回復し,幕末以来の喫緊(きっきん)の国家目標を此処に喪失した.どの様な日本を目指すか,そして,それを実現する日本人は互いに何を最低限共有し,精神的底支えとすべきか,国家目標を自律的に選択・設定する機会を得たのも束の間,露西亜を震源とする世界共産主義革命との対決を余儀なくされ,此処に於いて数々の運命的な選択を行い,本来守るべきものを崩壊に至らせただけでなく,逆に,憲政の原則を捻じ曲げてまで封じ込めたはずのものの呪縛を60年の長きに亙って受けたままになっている.日露戦争後の前世紀初頭から昭和にかけて日本が直面した日本人の内面に関する課題は,百年後の21世紀初頭を生きる今の日本人の今日的課題でもあるのだ.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:07/26/2005/ EST]

愛媛県の知られざる側面 その二

2005-07-25 01:01:21 | 雑感
 前回,扶桑社の歴史教科書採択等で話題になる愛媛県の教育界が,半世紀前,他県同様左傾化していたことを述べた.なぜ他県と全く異なる道を歩むことになったのか,直接の原因は「日教組の壊滅に近い頽勢」にある.民間企業では,「第二(御用)組合」立ち上げによる好戦的な第一組合の弱体化というのは至極当然の労務対策であるが,愛媛県教育界の場合,「第二組合」の役割を果たしたのが「愛媛県教育研究協議会(愛教研)」(http://aikyoken.parfait.ne.jp/)である.第一組合から名目上脱退しているが,実質的には第一組合の同伴者という擬態や組合脱退後の帰属感の喪失から再加入等が発生しないように,旧組合員に生産的な活動の場や帰属感を満たす場を提供する「更生寄せ場」乃至「止まり木」という役割を当該協議会が果たしたと言えよう.
 しかし,第二組合を立ち上げても第一組合から組合員が前者に移らなくては意味が無いわけで,重力により水が高い所から低い所に流れ落ちる様に,何らかの誘因が不可欠となる.この過程は,先の羅馬教皇John PaulⅡ世が,中米の尼加拉瓜(Nicaragua)を訪問した際,説教中に会衆から野次を受けて激怒,中南米等で当時盛んだった「開放の神学」系の聖職者を遠島的人事異動で頽勢に追い込んだ経緯と全く同じである.教師である以上,自分の子への教育についての関心がより高いのは当然,毎年の僻地から僻地への人事異動,昇給その他で横並びではなく明らかな差異を設定した減り張りの効いた人事考課となると,鉄板的な個人的信条・信念ではなく,職場の単なる集団圧力から日和見的意思決定で組合に加入していた者は簡単に脱落,愛媛県の日教組は「丹頂鶴(頭だけ赤い)」状態であったことを見事に露呈したのだった.
 (以下,その三に続く)

註:
頽勢に追い込まれた側(愛媛県日教組)からの恨み節的解釈は歴史教科書問題で時々名前が出てくる松山大学の法学部教授田村譲の網頁(http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kinnmuhyouteitousou.htm)が詳しい
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:07/25/2005/ EST]

愛媛県の知られざる側面 その一

2005-07-24 02:23:06 | 雑感
 過日,網誌『ぼやきくっくり 』の読者書き込み欄を眺めていると,四国は愛媛県の或る高校に関係した人間しか知らないはずの「掛け声」が繰り返し記入されていた.なぜ他県出身者があの「掛け声」を知っているのか,この謎はGoogle検索で直ちに氷解,記憶の糸を手繰り寄せると,数年前に制作された或る映画が最近フジテレビ系列で連続劇化されていたのだった.日本史教科書選択の季節になると何かと登場するのが「愛媛県」と言える.国会議員その他の選出から判断すると保守的な県と見做されるが,松山市など都市部では左巻き系知識人が大学その他での活動拠点を確保している.昔見た或る調査によると,同県は中央での流行に非常に敏感な県となっていたが,一周以上遅れて大都会の左傾化に追いつく心算なのか,地元紙「愛媛新聞」の最近の仕上がりは,隣県香川の「四国新聞」(http://www.shikoku-np.co.jp/)同様,見出し構成と内容で「しんぶん赤旗」に急迫中という趣だ.
 今年は日露戦争戦捷百周年にあたるが,中央に数週遅れての左傾化の一例をJR四国が数年前作成した「えひめ歴史紀行」というの観光客向け小冊子等に見出すことが出来る.司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」に肖(あやか)って他県からの観光客を松山市等に呼び込みたいが,同小説の目玉的存在の秋山好古・真之兄弟は軍人で,日露戦争戦捷への貢献解説だけでは左巻き系からあれこれ批判をかってしまう.結局,刷り上った解説では,両人の写真は非軍服着用のものを使用,解説文は半分が軍功,残り半分を非軍功のもので御口直し的に埋める,という戦後の平均的日本人の事勿れ主義的発想を忠実に具現化したものだった.一方,県庁所在地の松山市は現在(仮称)『坂の上の雲』記念館を建設中だが(http://www.city.matsuyama.ehime.jp/sakakumo/index.html),前出の左傾化が著しい愛媛新聞の網站では,「坂の上の雲記念館 戦争関連抑えた展示に(2005年7月6日収録)」(http://www.ehime-np.co.jp/douga/kisha/0507sakanoue/)という映像情報が掲載されている.松山市としては,地元左巻き系『職業市民』が他県(最近は他国も含まれるようだ)から援軍を募って展示専門委員会に様々な圧力・批判等を繰り出してくるかも知れないので,同委員会の報告を事務局主導で玉虫色的仕上がりで御茶を濁したのであろう.左巻き系の行動様式から想像すると,「侵略戦争賛美」という基本主張で今後も同館の運営についてあれこれ干渉してくるに違いない.
 以前触れた「丹頂鶴」の比喩ではないが,愛媛県は人口移動の観点からすると,同県内農村部から非農業世帯が都市部に転入して都市部が更に赤くなり,農村部は潜在的左巻き系が都市部に転出して一層保守化という構図になっているのであろう.しかし,愛媛県も嘗ては,他県同様,日教組が猖獗(しょうけつ)をきわめた県の一つであった.では,なぜ現在教科書選択等において他県と異なる意思決定が愛媛県では可能になったのか(以下,「その二」に続く).

© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:07/24/2005/ EST]

Eye-contactの作法

2005-07-23 01:15:58 | 米国事情
 大西洋の反対側に位置するためか,英国での連続爆破未遂事件の迸(とばっち)りを見事に受け,波士敦の主要地下鉄駅でも厳つい顔の警官が頻繁に見廻るようになってしまった.このような状況の下で,普通の日本人ならば,西原理恵子が描いた岸和田市のだんじり祭の場面にあった,「ええか,ここのおっちゃんは野生の動物と一緒やからな.目をあわせたらあかんで.ノドボトケ見ながら話しいや」(『できるかな』78頁) ではないが,明後日の方向を見て,警察官と目が合わないようにするに違いない.天皇陛下の天顔を庶民が平視することさえ不敬と見做されたような過去を持つ社会では,演説等は別として,eye-contactは原則的に避けるべきものと思われる.十余年の在米生活からあれこれ判断すると,eye-contactの作法は場所(国)や人種によって明らかに違い,日本の作法では予想外の結果を招きかねない.
 100%とは言えないが,米国では原則的にeye-contactは進んでやり,尚且つ微笑や挨拶(HiやHow're you dong?)を添える,という不文律があると思われる.此方の面接攻略本では,初対面の人間と会って握手をする際は相手と必ずeye-contactをとることが書かれているが,そのような際,相手にeye-contactを避けるような素振が窺われれば,相手にとって自分が余り会いたくない人間であることを悟らなくてはいけない.此方の大型電器店の出口では,個人の万引きや知り合いの店員との連係による万引きを防止するため,万引き自動警備装置だけでなく,係りの店員が買物を済ませた客の袋の中身と領収書を一々確認している処が多い.このような状況の場合,係りの店員とeye-contactを避けたり,目線が彼方此方動いて据わっていないというのは,何かやましい事をしている証拠と見做される可能性が高い.米国の若い女性については,eye-contactの際の微笑が,当人の気立て・育ちの良さの証拠とみなされ,相手に好感度を与えるという不文律があるようだ.問題なのは,男女共学など御法度というような社会から米国に来た男達の中には,米国娘の小さいときから仕込まれた条件反射的社交辞令微笑を当人に対する特別な感情の現れと誤解する初心な輩が居る事だ.また,儒教圏から米国に来たばかりの若い女性にもこのような不文律を理解していない者が多く,自国での教えと思われる,見知らぬ所に行ったら相手(特に若い男)に隙を見せないよう仏頂面(ぶっちょうづら)を保つ,という趣の反応を相手に示して,自分の好感度を態々落としている.一方,男対男の場合,歩道上で偶然に目が合った見知らぬ同士間でも,"What's up"とか"How're you doing?"等と声を掛け合うことが多いが,これも,日本人間の会釈はたまた「山」,「川」という合言葉と似たような役割を果たしている(米社会への新参者か,どうか)とも見做せる.
 万国共通のeye-contactの作法の一つは,酒・薬物等の影響で何か素振がおかしい相手とは絶対目を合わせない,というものだろうか.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:07/23/2005/ EST]