波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

めざまし艸 網站篇

2005-07-26 14:45:32 | 近現代史
山村明義の国際政治事件簿

http://www.doblog.com/weblog/myblog/51632

註:不定期刊.ジャーナリスト上杉隆氏の網誌『東京脱力新聞』(http://www.uesugitakashi.com/)において紹介されていた.先月(2005年6月)より始められたばかりだが,外交・国際情報物の網誌にしては珍しく「?」となる記事が全く無い.著者独自の情報収集を基に書かれたものが殆どで(即ち,新聞記事等の焼き直し的読書感想は無い),田中宇氏の網頁を読み,国際・外交情報の「食中り」ならぬ「電波中り」で食傷気味の方に是非御勧めの網誌だ(2005/7/26追加)

[別宮暖朗氏の]第1次大戦,特にWHAT'S NEW?頁

http://ww1.m78.com/honbun-2/topix02.html

註:別宮氏の第一次大戦に関する情報収集の執念は言うまでもないが,それ以外の主題についての情報も充実している.最近の話題で特に目を引いたのは,大東亜戦争終結直前にクーデターを画策した戦争継続派の陸軍若手将校と阿南陸軍大臣との関係についての推理だ[2005/4の「クーデター計画」]

平河総合戦略研究所資料室

http://blog.melma.com/00133212/

註:週刊.最近開設された網站なので未だ重厚な情報蓄積には至っていない.連載物は別として,毎週何らかの有益な情報が含まれている.勿論「?」という記事もあるが.

太田述正の時事コラム

http://www.ohtan.net/column/index.html

註:ほぼ日刊.海外情報の分析が主.本網誌「太田述正氏の時事コラムとの遭遇」を参照

© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:7/26/2005/]

めざまし艸 圖書篇

2005-07-03 16:42:00 | 近現代史
 近年の極東3国による強請外交攻勢により,日本の若い世代も漸く占領終了後支配的であった日本の外交・安全保障・近代史観に疑問を持つようになった,という印象を受ける.しかし,拉致問題・教科書問題等の話題で従来の左翼メディア・文化人を批判している網站の推薦図書リストをみると,読みやすい「流動食」系のものが多く,咀嚼(読書努力)が要求されるが強靭な思考力の涵養をもたらす「食材」系のものは余り見られない.あれ程「国家」という事柄が話題の根本にありながら,故坂本多加雄氏の「国家」絡みの著作が全く含まれていないということは,思考過程がまだ受動的・反射的で能動的・攻勢的あるいは創造的になっていない証左かもしれない.

Popper, Karl R.
The Open Society and Its Enemies, vols. 1 & 2. 5th ed.

註:それなりの英語読解力だけでなく,西洋史に対する興味が無ければ,とても読み切れる2巻ではない.日本語訳は出版されているようだが,アマゾン辺りの和訳の評価は良くないようだ.しかし,マルクス的呪縛からの解脱用には効果覿面な書物であり,敢えて一読する価値があるだろう.小林秀雄は戦前,科学史関係の著作に関心を持っていたとされる.あの短編『無常といふ事』の中に出てくる有名な部分,「過去から未来に向かって飴の様に延びた時間といふ蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思われるが)」,と当該書で展開されている歴史法則主義批判には共通するものがあり,もしかすると小林秀雄はポパーの著作を戦前読んでいたのかもしれない.

片岡鉄哉
日本永久占領:日米関係,隠された真実

註:本書は,同著者による『さらば吉田茂-虚構なき戦後政治史』の改題,一部訂正版である.戦後政治の主流と見做されてきた吉田茂及びその系列政治家について,安全保障の観点から,厳しい批判を展開している.また,米国における日本研究や政治学における戦後の計量的分析手法の台頭について批判した章も含まれている.片岡鉄哉氏の著作群については別稿で詳しく論じる予定.

坂本多加雄
国家学のすすめ歴史教育を考える:日本人は歴史を取り戻せるか 日本の近代 2 明治国家の建設 1871~1890

註:当網誌2005年5月4日付の「故 坂本多加雄氏の著作」参照

三田村武夫
戰争と共産主義:昭和政治秘史

註:当書は発刊後,占領軍の事後検閲に引っかかり発禁になったとされる.スターリンの国際共産革命の一環として,日米開戦を誘導し,日本の敗戦後に,第一次世界大戦後のドイツおよびロシアと同様に,敗戦革命を誘発させて,赤化した日本をソ連の衛星国にする,という使命に沿って戦前日本・支那大陸で暗躍したのがゾルゲ・尾崎秀実一派であり,それに迂闊にも野合或は利用されてしまったのが軍部・新体制活動家・政治家であるとして批判・警告されている.日本における敗戦革命を,御目出度くというか,確信を持って誘発寸前まで幇助したのがGHQの民政局という予想外の展開もあったが,結局米ソ対立による反共政策と朝鮮戦争による経済発展により,三田村氏が心配していた日本における共産革命は夢と消えた.この夢と消えた共産革命の到来を,キリストの再臨を信じながらも見届けられなかった古代キリスト教徒のように,待ち焦がれつつも厳しい現実(到来は実現不可能)に直面した共産革命の信徒達は,中ソ対立で国際共産革命の夢が霧散した後,新たな本尊を占領憲法と国連中心主義という,国際共産主義の建前同様に,国家超越的視座を有する思想に替えて信仰上の危機を乗り切った.今の日本の大学教員がこのような信徒の末裔で主に構成されている以上,夢と消えた敗戦革命のシナリオ等が学問上の正史に含まれ詳しく論考されることは無いであろう.

佐々木隆
日本の近代 14 メディアと権力日本の歴史 21 明治人の力量

岡崎久彦
陸奥宗光とその時代 及び後続の『-とその時代』 全巻

故徳富蘇峰は『近世日本国民史』を「西南の役」までで筆を置かざるを得なかった.彼の死後同書の全巻が刊行され,30数万部を完売したとされる.『近世日本国民史』のように,広く国民に読まれる日本の近現代通史を目指したのが,岡崎氏の『-とその時代』シリーズと言えるかもしれない.教科書問題等で左巻き系の日本の近現代史観から覚醒するためには,同シリーズで全体像・流れを掴み,その後に,個々の主題についての専門書等に挑戦すれば良いと思う.このシリーズならではの特筆事項については,別稿で論じてみたい.

佐藤卓己
言論統制:情報官鈴木庫三と教育の国防国家

註:同著者は[大日本雄弁会]講談社が戦前発行していた大衆雑誌『キング』について岩波書店から単行書(『キング』の時代―国民大衆雑誌の公共性)を出している.このことから,所謂「岩波臭」が確り滲みこんだ著作を書いている著者のではないかという先入観を持ちそうになるが,実態は複雑だ.『キング』についての本の場合,過去の研究を上手にまとめているという印象が強かったが,本書は未公開の日記という一次資料の分析に基づくものであり,オリジナル性が極めて高い仕上がりになっている.佐藤氏の視座を注意深く追っていると,「左巻き」系特有の語彙や常套句の使用を避けているためか,彼の本籍(彼自身の「斯くあるべき」信条)が何処にあるのか判断するのは難しい.詳しい感想等については,後日他の関連書とまとめて論じてみたい.

MacMurray, John Van Antwerp
How the Peace was Lost :  the 1935 memorandum, Developments affecting American policy in the Far East / prepared for the State Department.

註:最近逝去した米外交官ジョージ・ケナンの思考に影響を与えることになる米外交官マクマレー執筆の米国務省宛覚書が収録されている.日本人には余り馴染みの無い同書の内容については,元防衛庁官僚の太田述正氏が同氏のコラム中で色々紹介している.占領終了の昭和27(1952)年,徳富蘇峰が死の直前に刊行した『勝利者の悲哀』で展開している日米戦の勝利者米国の悲哀は,それより17年前の昭和10(1935)年,マクマレーが彼の覚書の中で予見・憂慮した日米衝突後の極東情勢そのものであった.

家近良樹
孝明天皇と「一会桑」:幕末・維新の新視点

平山洋
福沢諭吉の真実

註:現在我々が図書館等で手に取って読める福沢諭吉全集に,実は福沢諭吉の弟子でもあり,最初の全集編者であった人物が書いた社説が,社説は無署名という死角により,恰も諭吉の著作として多数混入されていることが同書で明らかにされた.このような不肖の弟子に自分の全集を編集されては堪ったものではないが.同様の話が洋の東西を問わず多数存在する.例えば,我々が知る古代ギリシャのソクラテス像は殆ど弟子のプラトンの著作を通じて形成されている.ポパーの前掲書を読むと,プラトンというレンズが如何に我田引水的なものであったかが分かる.正に死人に口無しである.徳川幕府に奉公した経歴をもつ諭吉の旧幕臣特有の醒めた天皇・明治新政府観は,水戸出身で明治育ちの弟子には尊皇が不徹底と映ったようだ.左巻きの学者はこの混入をそれなりに疑っていたかもしれないが,自説への不利益を考慮して,敢えて混入を指摘しなかったのではないか,と平山氏は推理している.行方不明資料の再発見の可能性・新しい研究成果・対象へのより醒めた(時間的距離が置けた)観点等を考えれば,より新しい版の方がより良いとも思われるが,諭吉の場合は,初版の方がまだ増しという一例だった.

稲垣武
「悪魔祓いの」戦後史:進歩的文化人の言論と責任

註:本書は90年代前半に刊行されたので,収録対象の期間は80年代頃までの「迷」言に限られていて,現在20代の人々には直ちに理解できないものも多いと思う.本書の要諦は,戦後の言論界が如何に迷走していかを主な事件毎に辿る事が出来る点にある.批判対象になっている人物の多くが既に鬼籍に入ってしまっているが,学界・言論界の主座からの転落に瀕して現在足掻いている左巻き系の文化人・言論人の多くはこのような師匠の薫陶を受けていたり私淑していたのだ.


相澤 淳
海軍の選択:再考 真珠湾への道

註:中川八洋氏の『近衛文麿とルーズヴェルト 大東亜戦争の真実』(1995年刊.絶版,その後,『大東亜戦争と「開戦責任」-近衛文麿と山本五十六』として改題再版)を捲っていると,後編第8章第2節「帝国海軍」で旧海軍の南進策批判に遭遇した.いわゆる占領史観では,旧陸軍指導の北進策については紙幅をかけて批判を展開するが,日米開戦以前の旧海軍の動向については,殆ど触れられることが無い.よって,中川氏の展開する旧海軍批判は新鮮に見えたが,特定の人物に対する批判が強調され過ぎる嫌いがある,と思われた.そのような疑問を事実の積み重ねで解消してくれたのが相澤氏の同書である.相澤氏は防大卒で元陸上自衛隊員であるので,旧海軍の動向に忌憚無く接近できたのではないかと思われる.昨年刊行された増田弘氏の『自衛隊の誕生』を読むと,終戦後,陸軍と違い,海軍は日本再軍備の際の再建に備えるため,極秘の再建計画を策定していて(104-5頁),陸自や空自と比較して,海自は戦前との連続性が断然強い(「海上自衛隊が旧日本海軍関係者主導で誕生した」13頁).よって,元海自関係者が旧海軍の戦前の正統政策である「南進論」を念を入れて批判した著作を著わせる可能性は非常に低いに違いない.
 また,保坂正康氏の『日本解体』を読むと,終戦の年の11月に海軍の主な将官による「口裏合わせ」的会議が密か開かれ(139-40頁),そこで煮詰まった海軍の考え方は,その後GHQの日本人洗脳政策の一環として流された,陸軍=主,海軍=従という開戦責任の構図と類似しているそうだ.このように,旧海軍首脳による占領軍向けの自己防衛策は見事成功したと言えようが,後世の日本人に誤った事実認識を植え込み,戦前の真実に迫ってより正確な戦訓を得ることを阻害したことは否めないであろう.



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Morning Sun(「八九点鐘的太陽」)を見て

2005-06-19 02:53:39 | 近現代史
先日地元の米公共放送局PBSで次のような文化大革命批判ドキュメンタリーを見た.

Morning Sun(支那語題名は「八九点鐘的太陽」)
http://www.morningsun.org/index.html

今後の北米各地のPBSでの放映予定は,以下のリンクで確認可能.
http://www.itvs.org/search/broadcast.htm?showID=340


同番組を見た後,太田述正氏のコラム(#745「厳しく再評価される毛沢東 その2」)を読み,番組中に挿入されていた歌劇と映画によるDadu River渡河英雄譚は実のところ中共共産党の制作の虚構で存在しなかった,という証言が最近出てきたことを知った[橋の名前は,瀘定橋(Luding Bridge)].このドキュメンタリは文革時代を生き延びた中共人へのインタヴューが重要な部分を占めていて,太田氏のコラム中に引用されていたTaipei Timesの書評記事中に登場する毛沢東の元秘書であった李鋭(Li Rui)と彼の娘のものも含まれている.彼等へのインタヴューは,文革中,反革命分子と烙印を押された親の子が,自分の国家への忠誠心を証明するため,親子の情を断ち切って,呵責なく親を糾弾した一例という趣だった.また,走資派の首魁として粛清された国家主席劉少奇の夫人の王光美は何とか文革を生き抜いたようで娘の劉亭と共に証言に応じていた.王光美は戦前ミッション系の大学で学び英語に堪能であったとされるが,インタヴュー時の80過ぎという齢を感じさせない服装のセンスや容姿をみると,文革中に大群集の前で公開吊るし上げに遭ったのは,単に劉少奇の身代わりということだけでなく,このような彼女の「ブルジョア」的センスも仇となって槍玉に挙げられる格好の理由になったのに違いない(「真珠の首飾りをしてインドネシアに外遊したのがけしからん」という批判は噴飯物だったが,「[旦那の]劉少奇の言うことには従っても国家主席の毛沢東の命令には従えないのか」という群集の野次のエグさには絶句).勿論,文革中ブイブイ言わせた連中,例えば「紅衛兵」結成時のメンバー(北京大学の学生?)や紅衛兵として暴れまわった人物のインタヴューも含まれているが,彼等の顔は無照明で隠されていて,現在の中共における彼等の位置付けを暗喩したものになっていた(彼等が中共内でインタヴューされたかどうかは,番組を見た限り不明,顔を隠したのは,当局の指示か,それとも復讐等を恐れる本人達の希望だったのだろうか).

文革については同時代的に基本的なことは知ってはいたが,今まで専門書等を読んだことが無かったため,当番組によって初めて知ったことも色々あった.1958年に始まり悲惨な結果に終わった「大躍進」政策は,当政策に批判的であった劉少奇にしても,既に神格化されていた毛沢東の面子との兼ね合いで,あからさまに毛沢東の失政と断罪できなかったため,「大躍進」の惨禍は中共国民に知らされず現在も隠蔽されたままになっている.ところが皮肉なことに,文革中の下放政策が農村に行った学生に大躍進の惨禍を直に見聞きする機会を与えてしまい,党から垂れ流される御用情報について懐疑心や幻滅を抱くことになったことが証言されていた.また,文革中の下放政策を「走資派等の反党分子の子弟の再教育手段として彼等を強制的に農村に送り込んだ」とい風に理解していたが,当番組によると,丁度日本の大学紛争の頃と同じ感じで,大学内外が混乱して勉学・就職どころではないので,学生が都会で無為徒食の生活を送るのではなく,農村に行き何か生産活動に貢献する,という政治的に腰が入った学生側からの先導もあったことになっている.文革中に学生だった者から其の頃の話を聞くと,大抵「農村で働かされて」云々という受身的な返事が戻ってくるが,当時の学生の中には報国的な熱意・理想を持って農村に自主的に行った者もいたのだ.このような反論できない崇高な建前を主張して止まないマジ学生が周りに一人でもいると,都会でぷらぷら無為徒食でも結構と思っていた者も,反党分子の烙印を押されることを恐れて,心中不本意ながらも農村に行かざるを得なくなり,雪達磨的に学生達が農村に向かったことが想像される.

文革の紅衛兵は,日本の「♪戦争を知らない子供たち♪」に対して,「革命を知らない子供たち」に相当する.文革は,そのような「革命を知らない子供たち」が神話化[洗浄]された支那本土統一過程(革命)の精神を温故的に継承しようという側面もあった.いわゆる紅衛兵ファッションにしても,当局の押し付けではなく,父母ないし祖父母の革命時代の古着を子供や孫が押入れから取り出して再利用したことに由来し.また,革命精神の世代間継承の一環として,延安等の革命の聖地へ巡礼することも流行ったそうだ.中共樹立の裏には共産党員以外の様々な背景を持つ人間の協力があったが,文革はそのような非正統の過去を持つ人物を反革命分子として「革命を知らない子供たち」に摘発・断罪させた.この粛清によって,中共成立の正史は更に洗浄されて,史実からますます掛離れたものになったのに違いない.国共内戦勝利における「旧満州国」の貢献(同地で終戦を迎えた日本の陸軍航空隊関係者が戦後中共空軍創建に関与したなど多岐に渡る)にしても,毛沢東たち革命第一世代は,建前はともかく,内心忸怩たる思いだったかもしれないが,後継世代は正史洗浄によってそのような事実を知る機会もなく,日本を叩くことに何の躊躇もないに違いない.

唐の太宗の「貞観政要」に出てくる創業と守成の話からすると,「大躍進」失敗を真摯に受け止めた劉少奇にとって,創業の時代は既に終わっていて,これからは堅実な守成(経済発展による民心の安定)こそ最重要課題と認識していたのであろう.しかし,毛沢東はそれを「自分」の革命に対する冒涜と見做し,文革を通して,神話化された創業精神の再興を次世代に訴えた.「御上を批判しても良いのではないか」という「大躍進」失敗以来の民心の燻り(民主化の芽生え)を逆手に取って煽り,そのはけ口を当該政策の責任者である自分ではなく,時の指導部に向けて暴発させ,自分の再起と引き換えに中共を大混乱に陥れた.しかし,文革時代の野放図な主張・批判の応酬とそれに伴う混沌は,或る意味で,共産党にその独裁を正当化する口実を与えたのではないか.ブルジョア民主主義的に各自が好き勝手な事を主張しても文革のように国を混乱させるだけであり,共産党の指導に沿って人民が秩序正しく行動すれば,社会の安寧が維持され経済も発展するのだと.

文革の混乱に終止符を打ったのは人民解放軍の武力であって,法と秩序を守ろうとした各個人の意志の結集ではなかった.法規はあっても恣意的な運用が強く遵法の精神も脆弱という今の中共の現状を考えると,遵法精神が社会の底辺まで行き渡らない限り,民主化への動きは文革の再現か暴力的衝突(例えば天安門事件)で終わる可能性が高いのではないか.英国議会の下院議場の床には今でも2筋の赤線が2刀身間隔で引かれている.与党と野党の議論が白熱してサーベルを双方振り回しても刃傷沙汰にならないようにするための配慮の名残だ.しかし,この配慮も,議論中は双方とも当該線を踏み越えない,という議員各自の自律(遵法)の前提の上に成立しているのだ.法による統治と各個人の遵法(自力救済の放棄),民主主義実践のための十分条件ではないが,必要条件の要素と言えよう.

21世紀初頭を生きる日本人からすると,文革時代の中共における既存秩序の破壊と過去の歴史との訣別は確かに大衆の「狂熱的情緒爆発」として奇異に見えるが,日本の近・現代史を振り返ってあれこれ反芻していると,いささか暗澹とした気分にならざるを得ない.例えば,文革中の文化財破壊(特に仏閣・仏像)の記録映像を見ていると,明治初期に猖獗(しょうけつ)をきわめた廃仏毀釈による文化財の遺失(特に海外へのもの)を連想せざるを得なかった.また,先に触れた法による統治と各個人の遵法に関連して,戦後の教科書では,明治時代憲政の実践のために努力した議会の動向よりも,法による統治を否定して自力救済に走った事件(秩父事件や米騒動等)に注目した革命史観的構成が目立つ.藩閥政府の壟断に反対し,五箇条の御誓文の完全実施(民意を汲み上げる機関の設立)を背景に高まった自由民権運動もその本来の意義が忘れらて革命前史の一齣的扱いになっている.護憲云々という主張と,文革的な動乱万歳という趣の法による統治を軽視した史観の信奉は本来両立しないはずだが,当の本人達は革命達成のためには何でも有りという発想なのだろうか.更に,「大躍進」失敗で露呈したように,守成でも指導者としての資質を疑われ,また革命家という創業者としての金看板ですら鍍金が剥げかけようとしている毛沢東の呪縛から解脱できずにいる今日の中共人民と,半世紀経っても占領軍と吉田茂合作の呪縛から解脱するどころか,むしろ米軍依存で安逸を貪っている日本国民に大差があるのだろうか,と.


註:太田述正氏の掲示板へのコメントを推敲・加筆

© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update: 6/19/2005/ EST]

大東亜戦争の解釈 『戦争と共産主義:昭和政治秘史』の系譜

2005-06-13 07:56:05 | 近現代史
 政治学者の片岡鉄哉氏の網站(http://www.tkataoka.com/)を最近訪れた方は既に御存知と思われるが,その網頁に中川八洋氏による『大東亜戦争と「開戦責任」-近衛文麿と山本五十六』(弓立社2000年刊)が取り上げられている[因みに,同書は『近衛文麿とルーズヴェルト 大東亜戦争の真実』(PHP研究所1995年刊)の改題再刊].これは,同書が片岡氏のニューズレター11巻59号(2005年5月19日付)で当該書が取り上げられたことに因るらしい.日本の連線通販アマゾンに掲載されている説明書きによると,同書の前編は謀略学的分析篇,後編は地政学的分析篇という二部構成になっている.たまたま『近衛文麿とルーズヴェルト 大東亜戦争の真実』の方を借りる機会があり,先日斜め読みした.以下は,同書の前編の主題,即ち大東亜戦争の解釈について取り留めない読書感想をまとめたものである.
 中川八洋氏の近衛像は,従来の優柔不断で無責任な首相という趣のものとは全く違い,ソ連のスターリンが望む方向に確信を持って日本を舵取りした共産主義者というものである.確かに彼の説を支持する論拠情報が次々と繰り出しているものの,近衛文麿の主体的な意思表示の結果として或る政策策定がなされたという因果関係を具体的に裏付けしたというよりも,近衛が共産主義者であれば話の筋が通る,という形の論の展開が印象に残った.そこには,政府最高首脳が相互に御手玉的状況に陥り全く予期していなかった決定になった,という政府首脳無能説的なものは考慮されていない.善玉・悪玉の境界を明確に引きすぎる傾向にある,ということになろうか.尾崎秀実等の件について近衛に直接会って話しをしたという三田村武夫は,後述の彼の書の中で,戦争末期の近衛による上奏文と同じような近衛不覚説の立場を取っていた.もし,これは三田村が近衛に巧く騙されていたためと推理するならば,中川氏の主張する通り,近衛は大役者になるが.
 この外,戦後日本人に染み付いた,陸軍=頑迷,海軍=開明という対照的な等式は,戦後における旧海軍関係者の巧い立ち回りという主張は傾聴に値すると思われる.しかし,中川氏が後半の地政学篇で展開している,小村寿太郎の評価と日米満州共同経営否定の愚挙批判は相容れないのではないか(なぜなら,当該共同経営の仮契約を破棄に追い込んだ張本人が小村寿太郎なのだ),また,日本人の対露戦略で松平定信を評価しているが,松平定信の蝦夷認識を誤認していないか(田沼時代に着手した野心的蝦夷地開発計画を頓挫させたのが,田沼政治の否定を掲げて老中に就任した松平定信だったからだ).このような枝葉末節ではなく基本事項で誤認が見出されるとなると,中川氏の近衛文麿共産主義者説に対する吟味は当然厳しくならざるを得ない.

 連線通販アアマゾン辺りに掲載されている読書感想群では言及されていないが,「日米共にソ連のスパイに踊らされて大東亜戦争開戦」という説は,別に中川氏独自の説ではない.中川氏は同書中全く触れていなかったが,このような解釈は,同書が刊行される45年前の1950年,朝鮮戦争勃発直前に刊行された三田村武夫氏の『戰争と共産主義:昭和政治秘史』において既に提示されていた(当該書については,本網誌めざまし艸図書篇での解説参照.本網誌「日本の戦時議会(1937~1945)について」で触れた古川隆久氏の『戦時議会』においても衆議院議員としての三田村氏について,自決に追い込まれた中野正剛代議士との関係で言及されている).この三田村氏の著書は1987年に「大東亜戦争とスターリンの謀略」という標題で再刊された模様だが,1991年に日本教育新聞社から出版された竹内春夫氏による『ゾルゲ謀略団-日本を敗戦に追い込んだソ連謀略団の全貌-』の冒頭に収録されている元サンケイ新聞取締役野地二見氏の「刊行によせて」では,三田村氏の同書刊行に至る背景が述べられている.

[つづく]

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日本の戦時議会(1937~1945)について

2005-05-18 12:34:06 | 近現代史
 戦前日本の憲政史,特に支那事変(1937年)から大東亜戦争終結(1945年)までの8年に亘る戦時議会については,占領軍史観=「閉ざされた言語空間」(江藤淳)の呪縛のため,従来,戦前の政党内閣終焉後の期間で括り「翼賛政治」の見出し語で済ませる見方が支配的だった.しかし,最近になって,当時の国会の内外動向を丁寧に辿り,全く違った評価を下した研究も発表されるようになった.そのような一例が古川隆久氏による以下の著作である.
 
 古川隆久『戦時議会』 吉川弘文館 2001年.

 日本が戦時にもかかわらず,憲政の原則を何とか守って衆議院選挙を継続し,1942年の翼賛選挙では非推薦の候補を約2割弱敢えて選出した等の憲政の実践を振り返れば,1940年代前半の世界における憲政の水準を考慮すると,それなりの評価が与えられて当然ではないか(因みに,同書については,太田述正氏のコラム[#47 先の大戦中の日本の民主主義(2002.7.13)http://www.ohtan.net/column/200207/20020713.html]を通して知った).2003年3月以降現在まで「戦時」である米国連邦議会の動向を見れば分かるように,戦時の議会は少なくとも軍事政策については原則的に挙国一致の方向で進むわけで,このような「戦時」認識の前提が抜けたまま,対外向けに「支那事変」と称しながらも実質的な戦時に突入した1937年以降の日本の憲政を,時空を超越したかのような価値基準から「全体主義」の見出し語で切り捨てるのは余りにも鸚鵡返し的批判としか言いようがない.

 ここにも,「占領政策を正当化するための戦前否定」という,捕虜収容所的洗脳の一大実験が施された戦後日本の無惨な姿を見出さざるを得ない.ソ連や中共の捕虜・戦犯収容所での再教育とは比較にならない規模(日本本土全体)での壮大な心理作戦であったため,60年経ても被験者の多くにその自覚が無く子孫にまで伝承されるという驚異の持続性を発揮することになった,日本人自身による自縄自縛的自己洗脳過程を誘発・維持・伝承させる巧妙なサイクルを編出して刷り込みに成功した占領初期の米軍担当者には改めて脱帽である.但し,占領軍の尻馬に乗って敗戦国革命の機会を窺っていたものの,冷戦勃発で夢破れた国際共産主義崩れの左翼人が,その超国境主義的性向から(国連中心主義から「地球市民」主義まで),初期占領政策遺産の忠義な守護衛士に変態するまでを計算していたとは思えないが.
 ある米州政府の網站には以下の箴言(しんげん)が掲載されている.

"If you can cut the people off from their history, then they can be easily persuaded."  カール・マルクス
(http://www.maine.gov/sos/path/student/quotes.html)

昭和20年8月15日,日本人の武力による戦いは終わったが,それ以外の手段による戦いは,この世に日本国が存在する限り,永遠に続く不断のものではなかったのか.

註:遠藤浩一氏の網誌へのコメントを基に加筆.


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英BBC制作Auschwitz: Inside the Nazi Stateを見て

2005-05-13 14:48:14 | 近現代史
当番組の内容を起こしたものは以下の網站で閲覧可能:

http://www.pbs.org/auschwitz/about/transcripts.html

第1-2話
 BBC制作のAuschwitz: Inside the Nazi Stateを米PBSで見た.今夜は,6回中2回まで放映された.最後まで見ないと,はっきりしたことは言えないが,表面を軽く撫でた程度の読書では知ることが出来ない,ホロコーストに至るまでのナチスの意思決定過程が丁寧に追われていた.また,生きるか死ぬかの土壇場的状態に追い込まれた時に,各人の人品が顕かになり,[自分の信条を取ったものには多分死が,]生きる延びることを選択したものには,代償として信条の放棄が不可欠だったようだ.土壇場に追い込まれたのは,収容所に送り込まれた人間だけでなく,新興国スロベニアも同国在住のユダヤ人をめぐってナチス独逸と取引をしてしまう.更に,連合軍のハンブルグ空襲で焼け出された独逸系ユダヤ人がポーランドのゲットーに送り込まれて共存を強いられたのだが,独逸ナショナリズムの浸透の御蔭で,独逸系ユダヤ人はポーランド系ユダヤ人を見下し,両者間には蟠りがあった模様で,或るユダヤ人の指導者(ナチスとの渉外担当)は其の立場を利用して美人ユダヤ女性を次々と手籠にするなど,「弱者だから倫理的に勝っている」というような暗黙の思い込みを打ち砕く例が続出する.この番組を制作した英国ですら,ナチスの迫害から逃れるためユダヤ人が殺到した際も受け入れを拒否した国の一つであり,独逸を一方的に批判できるような立場には無いはずだ.先日みた杉原千畝氏顕彰番組で触れられていたが,日本からの特使が米国のユダヤ人指導者を訪ねて,欧州ユダヤ人の満州受け入れ案を提示したが,全く取り合わなかったようだ.その理由は,欧州の状況が危機的状況になった場合,英米がユダヤ人を受け入れてくれる,と楽観的見通しを持っていた為だった.ところが,そのような期待は結局裏切られ,慌てて日本側に連絡を取った時には,「遅かりし由良之助」状態だった.

第3-4話
 今夜の回も聞いたことがなかった話が幾つかあった.卑近な話では,Auschwitz収容所群の中には,非ユダヤ系収容者に対して非ユダヤ系女性が慰安する棟があった,というものだ.証言している元収容者(男性)が「収容されてから,3年余り女性とは縁が無くて云々」と述べた辺りでは,年老いた彼の眼が妙に輝いていたような印象を受けた.また,死亡したユダヤ人の遺品を分別・整理していたのはユダヤ系女性だったが,彼女達を監視するドイツ兵の中には彼女達に懸想する連中もいて,或る女性は当初の嫌悪感にも拘らず此れを梃子にガス室で殺される寸前だった自分の妹を救出することに成功したとか.また,当時のドイツ兵は,ソ連との東部戦線等で戦死覚悟で苦労するよりも,Auschwitz等の軍紀が弛緩している収容所(金品等の着服・横領天国)で勤務する方が楽で付帯実益もある,というような印象を持っていたようだ.また,ドイツのユダヤ人国外要求に対する欧州諸国の反応についても,フランス沖合いにある英領の諸島では,元オーストリア系ユダヤ人を敵国人と認定して英本国への入国を拒み,その結果,彼女達は島からフランスに送り込まれて,Auschwitzで命を落とすことになる.占領下・非占領下のフランスが全在仏ユダヤ人ではなく「非仏系=仏に亡命中の他国籍」ユダヤ人の国外追放で手打ちをしたのに対して,デンマークでは,当地に派遣されていたユダヤ人問題担当者(ドイツ人)に国外追放をマジでやる気がなく,また市井のデンマーク人がユダヤ人を守ったり,スウェーデンへの逃亡を手助けしたため,在デンマークのユダヤ人の95%が生き延びることが出来たそうだ.それにしても,挿入されている元収容所勤務の存命SS兵達の証言は何故か日本的な個人的陳謝・懺悔の件が全くなく,当時の常識・生きていくための掟に従ったのみ,と断言する態度には,今日日の日本人は驚くに違いない.このような責任の所在の認識が,第二次大戦後6年経った1951年に,後に米大統領に就任することになる当時はNATO軍最高司令官だったアイゼンハワー将軍から,ドイツ軍自体には非がない,という公式謝罪の言質を一本取っただけのことはある,と納得せざるを得ない.

第5-6話
 第5話は主に1944年ハンガリーから国外追放処分になり,Auschwitzで命を落としたユダヤ系ハンガリー人を中心に話が進んで行き,最終回は1944年末,赤軍の侵攻によりAuschwitzが閉鎖される頃から戦後のナチス残党狩りあたりまでが収録されていた.ドイツがハンガリーにユダヤ人を国外追放することを求めた際に,独軍の戦局悪化を受けて,国外追放猶予と搬送用トラックの交換話を同地のユダヤ人指導者に持ちかけたことから,彼はトルコ・パレスチナでユダヤ人各種団体に働きかけるが,結局連合軍側は当該交換策には乗らなかった.よって,ハンガリーから国外追放が始まるのだが,限られた数の金持ちユダヤ人をノアの箱舟的にスイスへの出国を認め,結局交渉に当たったユダヤ人指導者がしぶしぶ其の名簿作成をすることになったが,ユダヤ人社会から満遍なく選択したのではなく,自分の故郷の一族を中心に選んだことが明らかだった.連合軍のノルマンディー上陸等の戦局悪化でハンガリー側が国外追放政策に協力しなくなった段階で,ドイツは自分達の息のかかった政党にクーデターを決行させて,国外追放策を進めることになった.Auschwitz閉鎖後の話では,同収容所で何とか生き延びた元赤軍捕虜は赤軍から洗脳を受けたスパイ扱いを受け,ロシアの強制収容所に盥回しにされて,或る元捕虜の場合,実際に開放されたのがスターリン死後の1953年だったとか.ユダヤ系収容所生存者(女性)の証言によると,Auschwitzを開放(?)し東欧を占領した西部赤軍は,満州に侵攻した東部赤軍と全く同じ行動類型で,侵攻地・占領地で集団的に強姦を繰り返していた.第二次大戦後,シベリヤに日本兵捕虜が抑留されて強制労働を強要されたが,欧州においても,ドイツ兵捕虜が英国で強制労働させらていた(赤軍側の捕虜になった独兵がソ連内で強制労働させらた事は知っていたが,英国も同等のことをやっていたのは初めて知った).ドイツによる強制収容所への空爆をユダヤ人団体が連合軍に対して求めた際,英国は米国に下駄を預けた趣の回答をし,米国は実現困難と当該要求を拒絶した.ところが,連合軍はAuschwitz収容所群の一角をなしていた化学工場を確り空爆し,同地の精密な航空写真まで撮影していたのだ.連合軍機が収容所を避けて化学工場のみ空爆したことが当時同収容所にいたユダヤ人達を如何に失望させたかが,同収容所での生存者が証言していた.

 1940年代の状況を念頭において考えてみると,同番組の中での証言にあったように,国際ユダヤ陰謀説を信じるナチス・ドイツは,「西側連合国内のユダヤ系国民は同国の政権の意思決定を左右できる」,と思い込んでいたが,実際のところ当時の英米内においてユダヤ人はそのような影響力を持っておらず,ユダヤ人救済が対独戦勝利の第一目的では無かった,ということか.収容所の空爆で救済される収容者数と収容所を無傷のまま接収し,戦後処理を有利に進めるための証拠保全とを天秤にかけて,後者の方を選択したという大義名分的解釈を与えることも可能だろう.別の視角からすれば,ナチス・ドイツを反ユダヤ主義の罪過に徹底的に染めさせた方が,終戦後のドイツ処分において,未来永劫的罪過の焼印をドイツに押しやすい,と考えたのかも知れない.

© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:5/28/2005/ EST]

Shermer & Grobman共著Denying Historyと第三次南京事件

2005-05-12 17:45:01 | 近現代史
 5月6日付の西尾幹二氏の『インターネット日録』で,東中野修道氏の『南京事件「中国側証拠写真」を検証する』が8万部売れたことが触れらていた.同書の出版後に,かつての「暴支-」を彷彿させる日本大使館・領事館に対する狼藉の出来という時宜を得たことも大きいと思われる.同書が,中共に対し御目出度い片思いをしていたり,中共・支那人の真の恐さを知ろうともしなかった日本人に喝を入れ,覚醒の役割を果たしたことは大いに評価できる.しかし,第三次南京事件をめぐる実質的な説得の場は世界であり,同書の英語版の刊行により,世界の世論に対する働きかけがなされることが望まれる.即ち,同書の英語版が英米で出版されて,現在米国の書店のアジア関係の棚で幅を利かしているIris Changあたりの反日プロパガンダ本の隣に並び,解毒剤的な役割を果たしてもらいたい.同書を支那側提出資料の取り扱い上の注意についての実践篇と解釈するならば,東中野修道氏には同書の姉妹版的な理論篇(検証体験から抽出した一般的注意事項をまとめたもの)を著していただき,葵印の印籠の真贋も確かめず土下座してしまうことに違和感を感じない御目出度い日本人に対し注意を喚起してもらいたものだ.此処で,なぜ理論篇かというと,以下に述べるような事情による.

 今月8日は欧州での第二次世界大戦終結日ということで,毎年この時期になると米のTV番組等ではユダヤ人のホロコーストが取り上げられる.2000年英国でホロコースト否定派の歴史家が起こした名誉毀損裁判が話題になったが(http://www.channel4.com/history/microsites/H/holocaust/index.html),このような否定派の挑戦に対抗するため,最近ホロコースト情報提供サイトでは参考資料として以下の文献をよく掲載している.
Shermer, Michael and Alex Grobman.
Denying History: Who Says the Holocaust Never Happened and Why Do They Say It?
Berkeley: Univ. of California Press, 2000.

 本書の第一著者は懐疑的思考法を唱道している協会(http://www.skeptic.com/)の主宰者で,似非科学批判本等で有名だ(邦訳:マイクル・シャーマー著『なぜ人はニセ科学を信じるのか』).問題は,本書の最終(9)章冒頭から7頁を費やして,Iris Changの The Rape of Nankingに情報源をほぼ頼り,ホロコースト否定派といわゆる『南京虐殺』否定派との間の並行性を説いている部分である.著者らの『南京虐殺』否定派に関する記述部分はIris Changの著書の引用・孫引きに依存し,否定派の一次資料を検討した形跡は見られず,懐疑的思考の唱道者とは思えない手抜き仕事(英語文献に頼り,日本語文献を独自に読んだ形跡なし)となっている.其の上,Changの同書を"... an examplar of first-rate historical detective work,..."[p.236]と賛辞を惜しんでいない.

 米国の公共放送局PBSでは,今年のホロコースト関連番組の一つとして,故杉原千畝氏を顕彰するドキュメンタリー番組(http://www.pbs.org/wgbh/sugihara/)を放映した.同番組中における戦前の日本の大陸政策が侵略一辺倒であったというような荒いまとめ方(帝政ロシアの南下等には全く触れていない)には不満が残るが,日本が枢軸国に属しながらユダヤ人の問題に関してはドイツと全く異なる政策をとっていたことは明確に伝えられていた(満州における幻のユダヤ人受け入れ計画について概観されていた).かつての敵対国が,戦前の日本を十把一絡げ的に邪と決め付けず,従来見過ごされていた断面に光を当て,好意的な評価を下していることは,非常に望ましい方向と言える.

 しかし,その一方で,第三次南京事件とホロコーストとの平行性が前掲書の広範な流布を介して常識化すると,杉原氏の件も当該並行性の影に掻き消されてしまうかもしれない.以前覘いた教科書問題系の網站によると,支那系移民の多いカリフォルニア州では,義務教育の歴史において『南京虐殺』を必須項目にする運動が進行中のようだった.加州は米国中最大且つ進取性の高い州であるため,加州でそのような反日教育が始まると燎原の火の様に,他州に飛び火する可能性が高い.更に,この本が泡沫的商業出版社から刊行されたものであればまだしも,有名大学出版局が版元なので読者は其の内容により高い信頼度を持つであろうし,ペーペー・バック版も刊行されているということは,それなりに同書が売れていることを意味し,その将来的影響が気にかかる.

 同書を日本の左巻き系,特に媚中共系がどの様に扱っているか,Googleしてみたところ,本多勝一支持者の交流網站で簡単な紹介がされていたが,『南京虐殺』否定派攻撃の材料として活用を企ている様子は見られなかった.Iris Chang本べったりの批判では破壊力不足と判断したか,それとも単に英語文献が読めない等の単純な理由かもしれない.

 先に触れた東中野に著してもらいたい理論篇とは,報道・学問という営みすら政治闘争の下僕(一手段)と見做し,自由民主主義に基づく社会の暗黙の了解事項(少数意見への留意など)や其の弱点(自由民主主義に基づく社会自体を弱体化・転覆させるかもしれない勢力にも言論の余地を平等に与える)に付込み,更には人間の自然な心理(弱者に対する憐れみ)まで操作対象として,自らの政治目標達成を貫徹しようとする集団から批難を受けた場合,どのように対決・論破すべきか,についてまとめたものである.Shermerらの本では,最終章においてdenial detectionに向けての10項目を挙げているが,これまで第三次南京事件に深くかかわってきた東中野氏の体験からすれば,より中身のある注意事項リストが出来上がるに違いない.

註:西尾氏の網站へのコメントを基に加筆・推敲

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太田述正氏の時事コラムとの遭遇

2005-05-09 15:08:34 | 近現代史
 米政権がイラクのサダム・フセイン政権との武力衝突を密かに策定していた2002年の夏の終わりか秋の初め頃だっただろうか,英紙Gurdianの中東担当記者Brian Whitaker氏が書いた,その後「ネオコン」と略称されることになる米国の一団に関する記事に遭遇した.どのような過程で彼の記事に行き着いたのかすっかり忘却してしまったが,当該記事の日本での関心度を見るため,今日日の習いであるGoogle検索を和文のみに限定してかけてみた.記事見出し翻訳等の付加価値が追加されていないものは別として,国際関係の識者による記事と窺われるものが2件あった.即ち,「フリーの国際情勢解説者」と自ら呼んでいる田中宇(たなか・さかい)氏と元防衛庁官僚の太田述正氏の記事であった.そして,両氏が以前より海外の網站から発信されている情報を基に国際情勢の分析を各々の網站で開陳されていたことを知った.海外特派員経由でなくても,所謂先進国と呼ばれる国の時事情報が網路経由でそれなりに入手可能な時代になっていたが,そのような機会を十分に活用でき且つ自らも情報発信が出来る双方向系の識者が未だ日本には不足していることが痛感された.田中宇氏の網站に掲載の記事を過去に遡って読んでみると,比較的直ぐに彼の分析の程度が把握できた.一方,太田氏の網站は,民主党の参議院選挙候補から在野のコラムニストへの転進の名残を留めるような趣だったが,彼の主張に含まれている「個人の自立」の中の一項が目に留まった.

 通常,元防衛庁官僚で,従来の日本の安全保障政策に非左巻き系で批判な論陣を張る人物とくれば,産経系で顕著な女性問題に関する特別な視座と抱き合わせというのが有りがちな傾向(便宜的に「復古派」と呼んでおく)と言える.例えば,同じ元防衛庁官僚の宝珠山昇氏(http://www.rosenet.ne.jp/~nbrhoshu/)が当該類型に合致する.しかし,太田氏の主張の一つは以下の様になっているのだ:

女性の政策決定への参画、起業援助など、アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)を。[http://www.ohtan.net/opinion/index.html]

 既婚男子の女性観というものは,大抵の場合,配偶者としてどの様な女性を選択しているかで判断出来る.彼のコラム中に配偶者について僅かに言及している部分を手掛かりに或る程度の推測は可能で,それから判断すると,上記の主張も首尾一貫しているように思われた
(少々脱線してしまうが,『正論』や『Voice』等で日米関係の鋭い読みを披瀝してこられた片岡鉄哉氏は,復古派の論客である西尾幹二氏等の「路の会」の会員だが,西尾氏らと違い,いわゆる「ジェンダーフリー」云々の論議を展開した記事・論文を今まで読んだことがない.片岡氏の経歴を見ると,日米の大学等を短期間で行き来する学者の典型であり,昔Googleした際,奥様が日本人ではないことを示唆する情報があった.このような状況を考慮すれば,女性問題で復古派と一線を画しているのも理の当然かもしれない[片岡鉄哉氏については,本網誌『めざまし艸 圖書篇』を参照]).

 太田氏の上記の主張項目は,復古派の視座からすれば,物足らないというか,外交・防衛で所謂鷹派的立場を取っていることは評価するが,内政で所謂「左翼」的,という首尾一貫性に欠けた印象を受けるに違いない.しかし,見方を変えれば,復古派と太田氏との間の断層は,占領軍の遺した聖殿の守護騎士の役を其の反米的主張と裏腹に演じてしまっている左巻き系の空想国際協調主義・国連本位主義が現社民党の党勢程度に見捨てられた後に出現すると予想される2大政党制下での対立軸の一つ,と理解することも可能である.極東3カ国から十把一絡げ的に「右翼・保守派」と呼ばれている扶桑社の歴史教科書賛同者の中にも,この様な将来の対立軸を既に感知している者がいることが,岡崎久彦氏の『-とその時代』シリーズを丁寧に読んでいると感じられる.扶桑者の歴史教科書賛同者は安全保障・外交の軸において占領の呪縛から解脱することが,今の日本にとっての最重要課題という共通認識で一致しているが,内政その他の断面を詳細に観察すると幅広い立場の違いが存在し,左巻き的常套句,「右翼・保守派」と呼称するのは的外れである.敢えて呼称を考えるならば,「国権認識回復派」あたりだろうか.
 
 別個に論じることになると思うが,復古派が御経的に事ある毎に唱えている「ジェンダー・フリーの危険性」云々批判は,実のところ,同派の潜在的本音(男女同権反対)を隠蔽するための隠れ蓑,又は煙幕でしかない.占領軍は巧妙な罠(全てが計算尽くのものではなかったと思うが)を日本に残した上で主権を日本側に移譲した.女性問題もこの様な置き土産の一つであり,昭和20年以前的価値観から当該問題に反射的に反応すると,日本を脆弱・自立心欠如のままで維持することを本旨とした占領軍内反日派の思う壺にまんまと嵌まることになる.反射的に反応しないで,この文化的問題に新境地を展開することで過去の日本との連綿を維持することが,仕掛けられた罠から抜け出す最善の選択と言えよう.
 
 
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:5/16/2005/ EST]


めざまし艸 総説篇 知的営みの足跡記憶としての図書館

2005-05-04 02:23:12 | 近現代史
 私が現在利用している図書館は1990年代になって分類体系を変えたため,旧分類体系によって分類された図書は高い階に,新分類体系によるものは一階に配架されている.旧分類体系の階を徘徊していると,過去利用した日本の普通の図書館では催すことがなかった不思議な感慨が湧き上がってくる.特別な文庫や図書館を除いて,日本の図書館の多くは戦後設置されたもので,当然のことながら収蔵している資料も戦後特に高度成長期以降のものによって占められている.たとえ戦前の資料が有ったとしても別置されていて簡単に利用できなかったり,また戦中・戦後占領期の資料になるとその希少性も相俟って滅多にお目にかかることもない.よって,今の日本において,ある特定の主題について明治以降現在まで出版された和文の書物を書架上に一望にできる機会・場所は非常に限られている.先に触れた図書館は,海外でありながら明治以降1990年代迄の日本人の知的営みを一望する機会を提供している貴重な場所なのだ.

 後日の記入で詳しく触れることになると思うが,過日当該図書館で,占領下の昭和25年,朝鮮戦争勃発直前に刊行され占領軍の事後検閲で発禁になった単行本を発見した.戦後の物不足時代を反映して粗悪な更紙に印刷されていたため,現在は酸化が無惨にも進行していて頁捲りにも注意が必要な状態になっていた.そのような少数限定出版であったと想像される当書をこの図書館は発刊2年後の昭和27(1952)年に受け入れていた.私は,この書との邂逅を通して,当該図書館の収書方針や当時の収書担当者の執念に対するある種の畏敬を感じると共に,今の日本,就中(なかんずく)日本の図書館に欠落しているものが何であるかを悟った.7年間に亘る占領という日本にとって未曾有の体験が日本に刻み込んだ文化的断絶に対して,戦後60年経ちながらも未だ日本人が精神的占領状態から脱却できず,この断絶という傷を放置して,すなわち自分達と過去との連綿・紐帯の回復を果たすことなく,過去との断絶こそ未来を開くというような錯覚に陥り,徒に彷徨を続けている状況が今の日本の図書館に具現されている.占領終了後,日本人がいち早く占領期の洗脳から脱却していたならば,21世紀の日本の図書館においては,昭和20年以前に刊行された書物がそれ以降のものと同じ棚の上に配架されていたに違いなく,今の日本人は過去との紐帯を書架上の図書を通して体感できていたはずだ.しかし,実際の歴史はその様な経路を辿らなかった.過去との紐帯を取り戻すためには,道に迷った時と同様,何らかの地図や道標に頼るしかない.この「めざまし艸」シリーズでは,寸断された過去との接点を再発見し今と過去を繋ぎ戻す試みを色々紹介していきたい.
 
 昨年,米国の北東の角にあるメイン州政府のサイト上で,マルクスによるとされる箴言(しんげん)が引用されている(http://www.maine.gov/sos/path/student/quotes.html)のを発見した.
“If you can cut the people off from their history, then they can be easily persuaded.”

西遊記で,御釈迦様の掌中を飛び回っていただけなのに,天界の果てまで来たと尊大にも思い込んだ孫悟空の迂闊さは占領終了後の日本にも当てはまるのではないか.

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