波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

徳富猪一郎[蘇峰]著 『勝利者の悲哀』 昭和27(1952)年 講談社刊

2006-07-09 22:24:52 | 読書感想
 以前,故坂本多加雄の著作中で言及されていた徳富蘇峰の晩年の著作『勝利者の悲哀』(追放中の昭和25年初頭執筆,軍事占領終了後の追放解除により昭和27年講談社より出版)が漸く手に入った.昭和25年に刊行された故三田村武夫氏の『戦争と共産主義』ほど無残な酸性化は進行していないが,やはり手荒な頁捲りでは破損する段階まで酸性化が進んでいる.蘇峰の大著『近世日本国民史』執筆の裏には,世間で殆ど知られていない古文書の閲覧だけでなく,新刊の英文情報も入手し参考にするという奥の深い情報蒐集活動が研究者によって指摘されている.『勝利者の悲哀』も,そのような情報蒐集の裏打ちを基に書き上げられたことが,随所にちりばめられた引用から分かる.安全保障の観点(食糧・国防問題)から肇国(ちょうこく)以来の日本の歴史を概観した上で,日米開戦を已む無く選択した日本の立場を弁護すると共に,米国の立場も推し量った上で反省し,かつ,米国の東洋政策について忌憚ない批判も提示している.米国が「国際心理学には殆ど無頓着(7頁)」なため,東亜において対日,対蘇,対支政策で誤りを犯し,防共(防蘇)の長城として存在していた日本に戦争を仕掛け,当該長城を破壊する形で日米戦の「勝利者」となりながら,自ら破壊したばかりの長城の身代わりをせざるを得ないという「悲哀」を指摘する.その「悲哀」には,東亜の新同盟国として日本から乗り換えた支那の国民党が,蘇聯の支援を受けた共産党に打ち負かされ,また,その蘇聯を蘇生させたのは米国の軍事援助であったという「悲哀」も含まれる.
 戦後の占領下の情報統制・海外情報入手困難な状態で,蘇峰の慧眼は確り米蘇対決の冷戦激化という世界の動きを掴み,朝鮮戦争が勃発する数ヶ月前の昭和25年一月の段階で,新憲法第九條の危険性,すなわち,占領終了=米軍撤退の際の東亜における軍事的空白[丸腰状態の日本,警察予備隊は執筆当時未だ存在していない]と日本の居候化[米国への軍事的依存]の兆候を憂慮している.前者については,朝鮮戦争が勃発し,日本の再軍備が始まり,日米安全保障条約締結という形で何とか危機を回避できた.後者の憲法第九条の麻薬的な軍事思考停止(「痴人の夢(32頁)」)効果については,蘇峰が昭和25(1950)年の朝鮮戦争勃発以前の段階で危惧した通り,その後蔓延状態となり,半世紀近く経た今日でも,現実よりも言葉から物事を理解しようとする高学歴系の人間に蔓延している.この「痴人の夢」又は米国に対する日本の永遠の「居候」又は「食客」状態こそ,元防衛庁官僚の太田述正氏が日頃批判して止まない「吉田ドクトリン」の墨守に他ならない.
 ところで,先週,日本の草思社が次の翻訳書を出版した:
 
 謝幼田著、坂井臣之助訳『抗日戦争中、中国共産党はなにをしていたか』
 (原著名は『中共壯大之謎─被掩蓋的中國抗日戰爭真相』(英文題名:The Communist in China’s War Against Japan(1931-1945)),2002年刊行)
 
 Amazon.co.jp掲載の同書の「商品の説明」には,「...国民党との内戦勝利・政権奪取を念頭に、日本と正面から戦うことを回避し、敗北後の逃避行を「長征」と言い換え、局地的ゲリラ戦の勝利を誇大宣伝しながら力を温存し、軍の勢力を急速に拡大していったことを明らかにしてゆく。共産党が編み出した「抗日」神話の虚構を突き崩す瞠目の書」と紹介されている.この中共による「逃避行⇒長征」という詭弁に蘇峰は騙されることなく,以下の様に事態を見ていた:
中共軍は、一時はその本據である延安までも失ひ、恰かも無宿者の如く、中國の各地を右往左往に流浪していゐた。然るにそれがその元氣を盛り返した所以は、何であるか。一言にして云へば、ソ聯の手から隈なく満洲を受取つたためである。満洲を受取つた中共軍は、宛かも人を喰つた虎の如く、當る可らざるの勢いを以って、山海關から北支に雪崩れ込んで來た。(『勝利者の悲哀』24-25頁)
 御目出度い米国の対支政策失敗には,此の外にも,米国の取り持った一年余りの休戦・合同交渉が中共軍側の回復・増強に利用されたことがあげられる.
 
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