波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

新名丈夫編 『海軍戦争検討会議記録』(毎日新聞社 1976年刊)

2005-07-07 02:15:59 | 読書感想

 この本を知るきっかけは,当網誌の「めざまし艸 図書篇」の相澤淳氏の『海軍の選択』の処で触れているように,保坂正康氏の『日本解体』だった.保坂氏は同書を昭和40年代に刊行と書かれているが(140頁),奥付で確認したところ昭和51(1976)年発行となっている.第二復員省(旧海軍省)が肝煎りで,将官だけでなく佐官級の高級幕僚を含めた特別座談会が四回開催され,その際書き留められた記録と解説及びその他を含んだ構成になっている.編者の新名丈夫氏は戦前海軍省の番記者(『毎日新聞』所属)であった誼で,当該筆記録の保管を引き受けたことが序文中に書かれている(9頁).
 相澤氏が前掲書で注目していた旧海軍の「海南島占領」についての証言が含まれているかどうか調べてみたが,含まれていないようだ.旧海軍省が主催の座談会であるから,もしかすると,予め禁句事項が定められていて,「海南島占領」もそのような禁句事項だったのかも知れない.また,最初の座談会の記録には「抜粋」と書かれているので,筆記後不都合な部分は削除されている可能性も十分あり得るし,座談会自体が筆記録を伴った表向けの部と,進行中の戦犯逮捕に備えた秘密会の部との二部構成だったことも考えられる.最初の座談会がもたれた12月22日の数週間前には,近衛文麿,平沼騏一郎,広田弘毅等に対して戦犯容疑の逮捕命令が出ている.最後の4回目の座談会が開かれたのは翌年の1月22日だった.座談会参加者の発言と彼等が戦前及び占領終了後に残した回想録や発言とを照らし合わせると,この座談会筆記録の性格が判明するに違いない.
 因みに,編者の新名氏は昭和19(1944)年に「竹槍では間にあわぬ」という航空主兵主義的見地による戦争指導批判記事を書いたため,当時の東條首相の逆鱗に触れ,懲罰召集を受けた『毎日』の記者でもある(佐々木隆『日本の近代 14 メディアと権力』390-1頁).

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