波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

超境主義と地元第一主義 その一

2005-07-29 02:21:24 | 雑感
 過日ある網誌の見出しに惹かれて中を覘いてみると,或る米政治家の「とんでも」発言が批判されていた.米国の場合,一般的に,各議会の議員は小選挙区から選出されるので,広い見識云々よりも狭い選挙区に焦点を絞った地元密着利益誘導型の溝板政治家が選ばれやすい構造になっている.よって,選挙区の民度如何によっては「とんでも」系の香ばしいキャラを持った議員が選出され,中には日本の地元密着利益誘導型溝板政治家の一例とされる鈴木宗男元衆議院議員(http://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木宗男)あたりでそれなりに免疫を付けている筈の日本人でも瞠目してしまう者もいる.
 このような選挙区限定の視野しか持たない議員やその支持者については,比較的最近まで,田舎者という認識で全く歯牙にも掛けていなかったのだが,日本の「戦後民主主義」系文化人の発想をあれこれ批判している内に,もう少し真剣に論議の対象にすべきではないか,と思うようになった.そのような再考の糸口の一つになったのが,柴田純氏の『江戸武士の日常生活』(講談社メチエ196 2000年刊)だった.以下,今の平均的日本人が知らず知らずのうちに受容していると思われる或る二分論(超境主義[善],地元第一主義[悪])について最近考えたことをまとめてみたい.
(以下 その二に続く)
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