波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

米国史における非白人の歴史の位置

2005-07-10 01:42:34 | 雑感
 在米日系人達から聞いた話や当地での歴史番組等から得た情報から判断すると,1970年代末から1980年初頭辺りが移民系非白人の米国人にとって分水嶺的な時期であったらしい.それ以前は白人世界への同化を第一に考えて,子供を日本語学校に行かせたりするなど,民族的出自の世代間継承などは余り重要視されていなかったようだ.北米在住の日系人の場合,第二次大戦以前の閉鎖的な日系社会のあり方が戦中の強制収容所送りに繋がったという考え方が支配的であったため,他の亜細亜系移民など比較して,戦後における同化傾向が強かったとされる.そのような同化努力は日系人の白人等との異人種間結婚の増加となり,数世代後には,布哇(Hawaii)州を除いて,日系人という集団としての政治力その他が消滅するのではないか,と推測されている.更に,戦中の強制収容所送りの際,土地・家屋等の不動産を失っただけでなく,米国への移民一世が日本から持ち込んだり取り寄せていた,日系人であることを証明する各種の形見まで殆ど放棄せざるを得ず,形見の世代間継承による日系人としての確認という機会まで剥奪されたことも,前記の同化傾向を促進する方向に働いたに違いない.
 ところが,1960年代の市民権運動の昂揚により,黒人系米国人が先ず覚醒し,自らを従前の日陰者的あるいは白人に対する「月」的存在として認識するのではなく,それ独自の文化を育んで来た「太陽」的存在として肯定的に認める運動を始めた.このような黒人の自我意識の覚醒は徐々に他の非白人系移民群にも浸透して行き,1980年代には自らの民族的出自を積極的に表に出すことに対する忌避が弱まり,多文化教育の進展など,かつ先祖の移民一世の母国文化等に対する関心が高まりはじめた.多分この頃,海外との物・人・情報の移動が以前と比較して容易になって移動量が格段に上昇したことが背景にあると予想される.21世紀の現在,様々な移民によって形成された都会あたりの宴会では,話題が「自分の先祖」になった時に,自分の先祖が白人であるが何処から来たのかはっきり分からない者は話に混じることが出来ず,肩身の狭い思いをする状況が出来している.
 自らの非白人的先祖を肯定的に認識する傾向が1960年代の公民権運動以降強まったことに呼応して,今でのWASP史観が見落としてきた非WASP達の米国史について関心が高まり,その結果,従来の「WASPの」常識が塗り替えられつつある.その一例を西部劇に見出すことが出来る.昔のHollywood制作の西部劇では,牧童・牧場主の白人とそれに絡まる米先住民族,物によっては大陸横断鉄道の線路工夫を亜細亜系,と相場が決まっていた.史実を辿ると,当時の西部には様々な人種が入り混じり,白人が演じると相場が決まっていた牧童(cowboy)も,実は黒人も活躍していたのだった.この忘却されていた史実が掘り起こされ,1990年代の大衆媒体では「常識」となる.例えば,Clint Eastwood監督の1992年公開映画Unforgiven(邦題:『許されざる者』)では黒人俳優のMorgan Freeman,が準主役で登場している.勿論,非白人の準主役起用で,興行上,より広い観客層を掘り起こすことの方が主であったと想像されるが.
 米国の場合,「WASP」中心の観点が従来支配的であったため,忘れ去られていた事柄が多い.そのような歴史的背景の下では,忘れ去られていた者達が何らかの発声を試みない限り,忘却されたままとなる.このように,米国史は常に未完,即ち将来幾度にも渡って書き直されることが宿命なのだ.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:07/10/2005/ EST]