波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

総ての知的営みが政治闘争の下僕でしかない国との付合い方 故ジョージ・ケナンの支那人観察

2005-05-29 13:40:00 | メディア
 「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」と省略)が最近外国記者クラブで記者会見を行った.会見そのものは無事終了したようだが,今後の課題は,参加記者所属の媒体が実際にどの様な内容の記事を公開するか,である.参加した記者が同会に対して敵意を抱いている場合は論外として,記者が当日の状況を満遍なくまとめた原稿を会社のデスク辺りで,書き直されてしまうこともあるかも知れない.本網誌のめざまし図書篇で触れてある佐々木隆氏の『メディアと権力』を読むと,明治以降,英ロイターのアジア市場独占という状況の下で,日本が世界に向けての情報発信で如何に苦労したかが分かる.このような歴史的経緯を思い起こせば,当時と違い,世界第二の経済国でありながら,何故独自の全世界ニュース発信網を構築しないのか(中共ですら新華社を持っている),疑問でならない.

 また,日本人の弱点の一つとして,道徳的に正しい振る舞いをしていれば,自分の行いを言葉で彼是説明・正当化しなくても,自分の考える通りに他者が理解してくれる,と思いがちなことだ.そのような暗黙の了解は,自分と同じ価値観を共有している相手・集団内にのみ通用するのであって,それ以外では通用しないと覚悟すべきである.自分の過去の行為について,無口を貫徹して彼是言わないというのは,一つの美意識かも知れないが,其れを美意識とは取らず,事実の隠蔽と解釈する価値観もこの広い世界には存在するのだ.即ち,問題解決のためには,ダンマリを決め込むのではなく,むしろ情報を発信することによって事態を収拾する方がより良い選択肢の場合もありうるのだ.

 このトピックについて,前段落まで下書した後,筆を休めていたところ,今日(5月29日)非常に示唆に富む記事に遭遇した.米保守派の言論人で元米大統領候補でもあるパット・ブキャナン氏が主宰している週刊誌American Conservativeの6月6日号に,先日逝去した米元外交官ジョージ・F・ケナンの顕彰記事が掲載されていて,この中に,ケナンの対支観が引用されている.この引用の原典については,残念ながら,言及されていないが,彼の慧眼ぶりが遺憾なく凝縮されたものになっている:

Of the Chinese themselves, Kennan wrote that they were “probably the most intelligent, man for man, of the world’s peoples.” But “admirable as were many of their qualities--their industriousness, their business honesty, their practical astuteness … they seemed to me to be lacking in two attributes of the Western-Christian mentality: the capacity for pity and the sense of sin. I was quite prepared to concede that both of these qualities represented weaknesses rather than sources of strength in the Western character. The Chinese, presumably, were all the more formidable for the lack of them.”

出典:
The Good Strategist: by Scott McConnell
(http://www.amconmag.com/2005_06_06/article.html)

ケナンは,キリスト教を基礎にした西欧の精神構造とは違い,同情心(the capacity for pity)と罪悪感(the sense of sin)の双方の欠如を支那人の二大特徴と把握していたが,明治維新以降,支那にあれこれ浪花節的にかかわって来た日本人(例えば,所謂「大陸浪人」)にとっては耳が痛い指摘に違いない.日本人によく見られる,「歴史を共有するアジアの隣人」というような村社会的発想から無縁の西洋人ならではの醒めた観察と言えよう.一方,現在の対支土下座外交を唱導している日本人もケナンの指摘を真摯に受け止めるべきではないか.即ち,過去の日本の大陸政策を恰もキリスト教における原罪のように見做して,贖罪的支那詣で・巡礼を繰り返して自らの厚意・親善の懐の深さを下手に披瀝することが支那との関係改善に繋がるというような自己陶酔或は片想いから早く解脱すべきだ.政治目標貫徹のためには,利用できるものは何でも利用する,例えば,相手の行動規範の癖(倫理的に何が望ましく,望ましくないか等)を逆手にとって心理作戦を仕掛けたり,学問等の知的営み(例えば,歴史学,報道)も現政治体制維持・発展の下僕としてのみ存在価値がある,というような価値観を持った相手に対して,貴方達は余りにも無邪気ではないか.

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日本の戦時議会(1937~1945)について

2005-05-18 12:34:06 | 近現代史
 戦前日本の憲政史,特に支那事変(1937年)から大東亜戦争終結(1945年)までの8年に亘る戦時議会については,占領軍史観=「閉ざされた言語空間」(江藤淳)の呪縛のため,従来,戦前の政党内閣終焉後の期間で括り「翼賛政治」の見出し語で済ませる見方が支配的だった.しかし,最近になって,当時の国会の内外動向を丁寧に辿り,全く違った評価を下した研究も発表されるようになった.そのような一例が古川隆久氏による以下の著作である.
 
 古川隆久『戦時議会』 吉川弘文館 2001年.

 日本が戦時にもかかわらず,憲政の原則を何とか守って衆議院選挙を継続し,1942年の翼賛選挙では非推薦の候補を約2割弱敢えて選出した等の憲政の実践を振り返れば,1940年代前半の世界における憲政の水準を考慮すると,それなりの評価が与えられて当然ではないか(因みに,同書については,太田述正氏のコラム[#47 先の大戦中の日本の民主主義(2002.7.13)http://www.ohtan.net/column/200207/20020713.html]を通して知った).2003年3月以降現在まで「戦時」である米国連邦議会の動向を見れば分かるように,戦時の議会は少なくとも軍事政策については原則的に挙国一致の方向で進むわけで,このような「戦時」認識の前提が抜けたまま,対外向けに「支那事変」と称しながらも実質的な戦時に突入した1937年以降の日本の憲政を,時空を超越したかのような価値基準から「全体主義」の見出し語で切り捨てるのは余りにも鸚鵡返し的批判としか言いようがない.

 ここにも,「占領政策を正当化するための戦前否定」という,捕虜収容所的洗脳の一大実験が施された戦後日本の無惨な姿を見出さざるを得ない.ソ連や中共の捕虜・戦犯収容所での再教育とは比較にならない規模(日本本土全体)での壮大な心理作戦であったため,60年経ても被験者の多くにその自覚が無く子孫にまで伝承されるという驚異の持続性を発揮することになった,日本人自身による自縄自縛的自己洗脳過程を誘発・維持・伝承させる巧妙なサイクルを編出して刷り込みに成功した占領初期の米軍担当者には改めて脱帽である.但し,占領軍の尻馬に乗って敗戦国革命の機会を窺っていたものの,冷戦勃発で夢破れた国際共産主義崩れの左翼人が,その超国境主義的性向から(国連中心主義から「地球市民」主義まで),初期占領政策遺産の忠義な守護衛士に変態するまでを計算していたとは思えないが.
 ある米州政府の網站には以下の箴言(しんげん)が掲載されている.

"If you can cut the people off from their history, then they can be easily persuaded."  カール・マルクス
(http://www.maine.gov/sos/path/student/quotes.html)

昭和20年8月15日,日本人の武力による戦いは終わったが,それ以外の手段による戦いは,この世に日本国が存在する限り,永遠に続く不断のものではなかったのか.

註:遠藤浩一氏の網誌へのコメントを基に加筆.


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片岡鉄哉氏の著作について

2005-05-16 13:06:42 | 外交
 片岡鉄哉氏の著作との遭遇についての経緯についてはすっかり失念してしまった.何かの検索語でGoogleした際に,片岡氏の論文を引用した記事に当たったのが始まりだったと思う.同氏の経歴を調べてみると,日米間を短期間で行き来する文系学者の典型で,一つの大学に留まり弟子を輩出するという伝統的な学者ではないことが分かった.このような類型の学者は,メディア芸者的な露出度が高い人や資産家で無い限り,老後の設計が大変な筈だが,同氏が有料の『アメリカ通信』(http://www.tkataoka.com/)を刊行しているのも,其の辺りに理由があるのかも知れない.

 米国における大学系日本研究の拠点は幾つかあるが,安全保障の観点からは,東海岸北東部辺りと西海岸(特に加州北部)辺りでは,何か毛色の違いを感じてならない.自民党の領袖で,中曽根氏がスタンフォードで講演云々は聞いたことがあるが,ハーヴァード辺りで記憶に残る演説をしたという事を聞いたことが無い.片岡氏によると,ハーヴァードのジョゼフ・ナイ教授と宮沢喜一氏とは直結している節があると読んでいるが(http://www.megaegg.ne.jp/~nitiroku/kako18.html),宮沢氏のスタンフォードでの講演というのも聞いた例がない.片岡氏はシカゴ大の伝統的な政治学課程で博士号を取得しているので(留学世代的には,計量的分析手法が米社会科学界を席捲する直前か),どちらかと言えば,西海岸の方が親和性が高いと予想されるが,事実,スタンフォードのフーバー研究所の研究員になっている.

 片岡氏によると,日本が「普通の国家」になる選択肢を自ら放棄した・逃した機会が幾つかあり,最初が,占領直後の日本の非武装化政策が画餅になり米政府側(GHQではない)が日本の再軍備を求めてきた際に吉田茂が抵抗して中途半端な再軍備をした時,次に,鳩山・岸政権が吉田系政治家プラス社会党連合に屈して小選挙区制・改憲が当面の政治目標で無くなった時を挙げている.換言すれば,戦後米側が差し出した「日本は極東での米国の揺ぎ無い同盟国になれるか」という踏絵に対して,日本は敗戦国としての自覚不足や方向違いの戦略的打算により自尊心を抑え込むことが出来ず,二の足を踏み,信頼度試験に不合格と見做されてきたことになる.片岡氏の『日本永久占領』は岸内閣崩壊の時点で分析を終えているが,一昨年雑誌『Voice』に投稿された「日本よ,同盟を拒絶するのか」と題された論文(http://www.tkataoka.com/ronbun/voice.html)での分析では,沖縄返還・日中国交回復をめぐる佐藤・田中政権における類似の「踏絵」をめぐる失敗が批判されている.結局,吉田茂系列の政治家には,開祖吉田茂の残した派訓=海外派兵に対する封印を開封する理念も勇気も持ち合わせていなかったと言える.この「踏絵」の観点からすると,小泉氏が言った「自民党をぶっ潰す」とは戦後日本政治をほぼ取り仕切ってきた吉田系政治家に引導を渡す事であり,自衛隊のイラク派兵は吉田茂の残した封印を開封するための一過程と理解できるが,片岡氏はこれらの点について昨年の論文で述べている(http://www11.plala.or.jp/jins/newsletter2004-10.files/benkyokai2004-10.htm).

 なぜ戦後日本の政治家は,このように米国より差し出された「踏絵」を踏むことを逡巡(しゅんじゅん)してしまったのか.戦前の栄光の後光が余りにも強すぎて,徳川家康のように臥薪嘗胆して時宜の到来をじっと待つことが出来なかったのか,それとも米国に賭けた後に裏切られることに余りにも恐れたのか.今となっては後知恵でしかないが,冷戦後の米国の朝令暮改的な路線切り替えを甘受し,再軍備等の要求に直ちに応じていれば,その忠実な要求履行の経過を土台に後日の主権回復交渉で実質的な独立を勝ち取ることが出来ていたかも知れないのだ.親の忠告・意見素直に聞く耳を持たず,わが道を行き受験その他に見事に失敗して人生の道を誤る10代の若者に見られるような,「辛抱の無さ」を共通点として感じるが,戦後政治の世界は,向う見ずの若者と違い,もっと複雑で,多分それは世論と政治家の関係に原因を見出せるのではないだろうか.即ち,占領中の政治家の多くは.国民に対して現実を直視した正直な安全保障論議を呼びかける勇気や指導力が欠如していて,GHQの初期政策で洗脳的に刷り込まれた平和主義的思考から国民を覚醒させて新たな安全保障論議に呼び込むことが出来なかった.そのような国民に苦い薬を飲ませるような主張では,左翼系対立候補に攻撃材料を与えるようなものであって,選挙で負ける,と保守系の国会議員を躊躇させたに違いない.況してや,首相の吉田茂自身が再軍備に抵抗していたわけであり,戦前活躍した各界の指導者の多くが公職追放中で,各種メディアが占領軍に検閲されている環境では,正直な安全保障論議=軍国主義の復活の目論見,というような厳しい批判を受け,日本側からの働きかけは実質的に実現不可能だったと想像される.よって,GHQの勅令で強引に国民を覚醒させる以外手段が無かったことになる.しかし,マッカーサーの大統領選への皮算用,そしてGHQ内のGSとG2の抗争を考慮すると,米政府側の意向に日本政府が従順に従っていたとしても何処まで再軍備等を進められたか,これまた疑問となる.
 
 結局,問題の原点は日米開戦の過程まで遡ることになるのだろうか.必要以上に日本を悪魔化し,ナチス・ドイツと対等視した米側の反日プロパガンダが,日本敗戦後の極東情勢の読み違えと浅薄な日本史・文化理解と相俟って,誤った対日占領政策を布くことになり,冷戦出来後,慌てて方向転換を図るも,既に根付いてしまった初期対日政策の誤りを完全に是正することは出来なかった,という具合である.勿論,日米開戦で日米以外の第三者が漁夫の利を得ることはないか,というような大局的視点に欠け,米政府の開戦挑発に自らを落とし込んで行った日本の大国としての未熟さには全く弁護の余地はないが.


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英BBC制作Auschwitz: Inside the Nazi Stateを見て

2005-05-13 14:48:14 | 近現代史
当番組の内容を起こしたものは以下の網站で閲覧可能:

http://www.pbs.org/auschwitz/about/transcripts.html

第1-2話
 BBC制作のAuschwitz: Inside the Nazi Stateを米PBSで見た.今夜は,6回中2回まで放映された.最後まで見ないと,はっきりしたことは言えないが,表面を軽く撫でた程度の読書では知ることが出来ない,ホロコーストに至るまでのナチスの意思決定過程が丁寧に追われていた.また,生きるか死ぬかの土壇場的状態に追い込まれた時に,各人の人品が顕かになり,[自分の信条を取ったものには多分死が,]生きる延びることを選択したものには,代償として信条の放棄が不可欠だったようだ.土壇場に追い込まれたのは,収容所に送り込まれた人間だけでなく,新興国スロベニアも同国在住のユダヤ人をめぐってナチス独逸と取引をしてしまう.更に,連合軍のハンブルグ空襲で焼け出された独逸系ユダヤ人がポーランドのゲットーに送り込まれて共存を強いられたのだが,独逸ナショナリズムの浸透の御蔭で,独逸系ユダヤ人はポーランド系ユダヤ人を見下し,両者間には蟠りがあった模様で,或るユダヤ人の指導者(ナチスとの渉外担当)は其の立場を利用して美人ユダヤ女性を次々と手籠にするなど,「弱者だから倫理的に勝っている」というような暗黙の思い込みを打ち砕く例が続出する.この番組を制作した英国ですら,ナチスの迫害から逃れるためユダヤ人が殺到した際も受け入れを拒否した国の一つであり,独逸を一方的に批判できるような立場には無いはずだ.先日みた杉原千畝氏顕彰番組で触れられていたが,日本からの特使が米国のユダヤ人指導者を訪ねて,欧州ユダヤ人の満州受け入れ案を提示したが,全く取り合わなかったようだ.その理由は,欧州の状況が危機的状況になった場合,英米がユダヤ人を受け入れてくれる,と楽観的見通しを持っていた為だった.ところが,そのような期待は結局裏切られ,慌てて日本側に連絡を取った時には,「遅かりし由良之助」状態だった.

第3-4話
 今夜の回も聞いたことがなかった話が幾つかあった.卑近な話では,Auschwitz収容所群の中には,非ユダヤ系収容者に対して非ユダヤ系女性が慰安する棟があった,というものだ.証言している元収容者(男性)が「収容されてから,3年余り女性とは縁が無くて云々」と述べた辺りでは,年老いた彼の眼が妙に輝いていたような印象を受けた.また,死亡したユダヤ人の遺品を分別・整理していたのはユダヤ系女性だったが,彼女達を監視するドイツ兵の中には彼女達に懸想する連中もいて,或る女性は当初の嫌悪感にも拘らず此れを梃子にガス室で殺される寸前だった自分の妹を救出することに成功したとか.また,当時のドイツ兵は,ソ連との東部戦線等で戦死覚悟で苦労するよりも,Auschwitz等の軍紀が弛緩している収容所(金品等の着服・横領天国)で勤務する方が楽で付帯実益もある,というような印象を持っていたようだ.また,ドイツのユダヤ人国外要求に対する欧州諸国の反応についても,フランス沖合いにある英領の諸島では,元オーストリア系ユダヤ人を敵国人と認定して英本国への入国を拒み,その結果,彼女達は島からフランスに送り込まれて,Auschwitzで命を落とすことになる.占領下・非占領下のフランスが全在仏ユダヤ人ではなく「非仏系=仏に亡命中の他国籍」ユダヤ人の国外追放で手打ちをしたのに対して,デンマークでは,当地に派遣されていたユダヤ人問題担当者(ドイツ人)に国外追放をマジでやる気がなく,また市井のデンマーク人がユダヤ人を守ったり,スウェーデンへの逃亡を手助けしたため,在デンマークのユダヤ人の95%が生き延びることが出来たそうだ.それにしても,挿入されている元収容所勤務の存命SS兵達の証言は何故か日本的な個人的陳謝・懺悔の件が全くなく,当時の常識・生きていくための掟に従ったのみ,と断言する態度には,今日日の日本人は驚くに違いない.このような責任の所在の認識が,第二次大戦後6年経った1951年に,後に米大統領に就任することになる当時はNATO軍最高司令官だったアイゼンハワー将軍から,ドイツ軍自体には非がない,という公式謝罪の言質を一本取っただけのことはある,と納得せざるを得ない.

第5-6話
 第5話は主に1944年ハンガリーから国外追放処分になり,Auschwitzで命を落としたユダヤ系ハンガリー人を中心に話が進んで行き,最終回は1944年末,赤軍の侵攻によりAuschwitzが閉鎖される頃から戦後のナチス残党狩りあたりまでが収録されていた.ドイツがハンガリーにユダヤ人を国外追放することを求めた際に,独軍の戦局悪化を受けて,国外追放猶予と搬送用トラックの交換話を同地のユダヤ人指導者に持ちかけたことから,彼はトルコ・パレスチナでユダヤ人各種団体に働きかけるが,結局連合軍側は当該交換策には乗らなかった.よって,ハンガリーから国外追放が始まるのだが,限られた数の金持ちユダヤ人をノアの箱舟的にスイスへの出国を認め,結局交渉に当たったユダヤ人指導者がしぶしぶ其の名簿作成をすることになったが,ユダヤ人社会から満遍なく選択したのではなく,自分の故郷の一族を中心に選んだことが明らかだった.連合軍のノルマンディー上陸等の戦局悪化でハンガリー側が国外追放政策に協力しなくなった段階で,ドイツは自分達の息のかかった政党にクーデターを決行させて,国外追放策を進めることになった.Auschwitz閉鎖後の話では,同収容所で何とか生き延びた元赤軍捕虜は赤軍から洗脳を受けたスパイ扱いを受け,ロシアの強制収容所に盥回しにされて,或る元捕虜の場合,実際に開放されたのがスターリン死後の1953年だったとか.ユダヤ系収容所生存者(女性)の証言によると,Auschwitzを開放(?)し東欧を占領した西部赤軍は,満州に侵攻した東部赤軍と全く同じ行動類型で,侵攻地・占領地で集団的に強姦を繰り返していた.第二次大戦後,シベリヤに日本兵捕虜が抑留されて強制労働を強要されたが,欧州においても,ドイツ兵捕虜が英国で強制労働させらていた(赤軍側の捕虜になった独兵がソ連内で強制労働させらた事は知っていたが,英国も同等のことをやっていたのは初めて知った).ドイツによる強制収容所への空爆をユダヤ人団体が連合軍に対して求めた際,英国は米国に下駄を預けた趣の回答をし,米国は実現困難と当該要求を拒絶した.ところが,連合軍はAuschwitz収容所群の一角をなしていた化学工場を確り空爆し,同地の精密な航空写真まで撮影していたのだ.連合軍機が収容所を避けて化学工場のみ空爆したことが当時同収容所にいたユダヤ人達を如何に失望させたかが,同収容所での生存者が証言していた.

 1940年代の状況を念頭において考えてみると,同番組の中での証言にあったように,国際ユダヤ陰謀説を信じるナチス・ドイツは,「西側連合国内のユダヤ系国民は同国の政権の意思決定を左右できる」,と思い込んでいたが,実際のところ当時の英米内においてユダヤ人はそのような影響力を持っておらず,ユダヤ人救済が対独戦勝利の第一目的では無かった,ということか.収容所の空爆で救済される収容者数と収容所を無傷のまま接収し,戦後処理を有利に進めるための証拠保全とを天秤にかけて,後者の方を選択したという大義名分的解釈を与えることも可能だろう.別の視角からすれば,ナチス・ドイツを反ユダヤ主義の罪過に徹底的に染めさせた方が,終戦後のドイツ処分において,未来永劫的罪過の焼印をドイツに押しやすい,と考えたのかも知れない.

© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:5/28/2005/ EST]

Shermer & Grobman共著Denying Historyと第三次南京事件

2005-05-12 17:45:01 | 近現代史
 5月6日付の西尾幹二氏の『インターネット日録』で,東中野修道氏の『南京事件「中国側証拠写真」を検証する』が8万部売れたことが触れらていた.同書の出版後に,かつての「暴支-」を彷彿させる日本大使館・領事館に対する狼藉の出来という時宜を得たことも大きいと思われる.同書が,中共に対し御目出度い片思いをしていたり,中共・支那人の真の恐さを知ろうともしなかった日本人に喝を入れ,覚醒の役割を果たしたことは大いに評価できる.しかし,第三次南京事件をめぐる実質的な説得の場は世界であり,同書の英語版の刊行により,世界の世論に対する働きかけがなされることが望まれる.即ち,同書の英語版が英米で出版されて,現在米国の書店のアジア関係の棚で幅を利かしているIris Changあたりの反日プロパガンダ本の隣に並び,解毒剤的な役割を果たしてもらいたい.同書を支那側提出資料の取り扱い上の注意についての実践篇と解釈するならば,東中野修道氏には同書の姉妹版的な理論篇(検証体験から抽出した一般的注意事項をまとめたもの)を著していただき,葵印の印籠の真贋も確かめず土下座してしまうことに違和感を感じない御目出度い日本人に対し注意を喚起してもらいたものだ.此処で,なぜ理論篇かというと,以下に述べるような事情による.

 今月8日は欧州での第二次世界大戦終結日ということで,毎年この時期になると米のTV番組等ではユダヤ人のホロコーストが取り上げられる.2000年英国でホロコースト否定派の歴史家が起こした名誉毀損裁判が話題になったが(http://www.channel4.com/history/microsites/H/holocaust/index.html),このような否定派の挑戦に対抗するため,最近ホロコースト情報提供サイトでは参考資料として以下の文献をよく掲載している.
Shermer, Michael and Alex Grobman.
Denying History: Who Says the Holocaust Never Happened and Why Do They Say It?
Berkeley: Univ. of California Press, 2000.

 本書の第一著者は懐疑的思考法を唱道している協会(http://www.skeptic.com/)の主宰者で,似非科学批判本等で有名だ(邦訳:マイクル・シャーマー著『なぜ人はニセ科学を信じるのか』).問題は,本書の最終(9)章冒頭から7頁を費やして,Iris Changの The Rape of Nankingに情報源をほぼ頼り,ホロコースト否定派といわゆる『南京虐殺』否定派との間の並行性を説いている部分である.著者らの『南京虐殺』否定派に関する記述部分はIris Changの著書の引用・孫引きに依存し,否定派の一次資料を検討した形跡は見られず,懐疑的思考の唱道者とは思えない手抜き仕事(英語文献に頼り,日本語文献を独自に読んだ形跡なし)となっている.其の上,Changの同書を"... an examplar of first-rate historical detective work,..."[p.236]と賛辞を惜しんでいない.

 米国の公共放送局PBSでは,今年のホロコースト関連番組の一つとして,故杉原千畝氏を顕彰するドキュメンタリー番組(http://www.pbs.org/wgbh/sugihara/)を放映した.同番組中における戦前の日本の大陸政策が侵略一辺倒であったというような荒いまとめ方(帝政ロシアの南下等には全く触れていない)には不満が残るが,日本が枢軸国に属しながらユダヤ人の問題に関してはドイツと全く異なる政策をとっていたことは明確に伝えられていた(満州における幻のユダヤ人受け入れ計画について概観されていた).かつての敵対国が,戦前の日本を十把一絡げ的に邪と決め付けず,従来見過ごされていた断面に光を当て,好意的な評価を下していることは,非常に望ましい方向と言える.

 しかし,その一方で,第三次南京事件とホロコーストとの平行性が前掲書の広範な流布を介して常識化すると,杉原氏の件も当該並行性の影に掻き消されてしまうかもしれない.以前覘いた教科書問題系の網站によると,支那系移民の多いカリフォルニア州では,義務教育の歴史において『南京虐殺』を必須項目にする運動が進行中のようだった.加州は米国中最大且つ進取性の高い州であるため,加州でそのような反日教育が始まると燎原の火の様に,他州に飛び火する可能性が高い.更に,この本が泡沫的商業出版社から刊行されたものであればまだしも,有名大学出版局が版元なので読者は其の内容により高い信頼度を持つであろうし,ペーペー・バック版も刊行されているということは,それなりに同書が売れていることを意味し,その将来的影響が気にかかる.

 同書を日本の左巻き系,特に媚中共系がどの様に扱っているか,Googleしてみたところ,本多勝一支持者の交流網站で簡単な紹介がされていたが,『南京虐殺』否定派攻撃の材料として活用を企ている様子は見られなかった.Iris Chang本べったりの批判では破壊力不足と判断したか,それとも単に英語文献が読めない等の単純な理由かもしれない.

 先に触れた東中野に著してもらいたい理論篇とは,報道・学問という営みすら政治闘争の下僕(一手段)と見做し,自由民主主義に基づく社会の暗黙の了解事項(少数意見への留意など)や其の弱点(自由民主主義に基づく社会自体を弱体化・転覆させるかもしれない勢力にも言論の余地を平等に与える)に付込み,更には人間の自然な心理(弱者に対する憐れみ)まで操作対象として,自らの政治目標達成を貫徹しようとする集団から批難を受けた場合,どのように対決・論破すべきか,についてまとめたものである.Shermerらの本では,最終章においてdenial detectionに向けての10項目を挙げているが,これまで第三次南京事件に深くかかわってきた東中野氏の体験からすれば,より中身のある注意事項リストが出来上がるに違いない.

註:西尾氏の網站へのコメントを基に加筆・推敲

© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:5/14/2005/ EST]


太田述正氏の時事コラムとの遭遇

2005-05-09 15:08:34 | 近現代史
 米政権がイラクのサダム・フセイン政権との武力衝突を密かに策定していた2002年の夏の終わりか秋の初め頃だっただろうか,英紙Gurdianの中東担当記者Brian Whitaker氏が書いた,その後「ネオコン」と略称されることになる米国の一団に関する記事に遭遇した.どのような過程で彼の記事に行き着いたのかすっかり忘却してしまったが,当該記事の日本での関心度を見るため,今日日の習いであるGoogle検索を和文のみに限定してかけてみた.記事見出し翻訳等の付加価値が追加されていないものは別として,国際関係の識者による記事と窺われるものが2件あった.即ち,「フリーの国際情勢解説者」と自ら呼んでいる田中宇(たなか・さかい)氏と元防衛庁官僚の太田述正氏の記事であった.そして,両氏が以前より海外の網站から発信されている情報を基に国際情勢の分析を各々の網站で開陳されていたことを知った.海外特派員経由でなくても,所謂先進国と呼ばれる国の時事情報が網路経由でそれなりに入手可能な時代になっていたが,そのような機会を十分に活用でき且つ自らも情報発信が出来る双方向系の識者が未だ日本には不足していることが痛感された.田中宇氏の網站に掲載の記事を過去に遡って読んでみると,比較的直ぐに彼の分析の程度が把握できた.一方,太田氏の網站は,民主党の参議院選挙候補から在野のコラムニストへの転進の名残を留めるような趣だったが,彼の主張に含まれている「個人の自立」の中の一項が目に留まった.

 通常,元防衛庁官僚で,従来の日本の安全保障政策に非左巻き系で批判な論陣を張る人物とくれば,産経系で顕著な女性問題に関する特別な視座と抱き合わせというのが有りがちな傾向(便宜的に「復古派」と呼んでおく)と言える.例えば,同じ元防衛庁官僚の宝珠山昇氏(http://www.rosenet.ne.jp/~nbrhoshu/)が当該類型に合致する.しかし,太田氏の主張の一つは以下の様になっているのだ:

女性の政策決定への参画、起業援助など、アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)を。[http://www.ohtan.net/opinion/index.html]

 既婚男子の女性観というものは,大抵の場合,配偶者としてどの様な女性を選択しているかで判断出来る.彼のコラム中に配偶者について僅かに言及している部分を手掛かりに或る程度の推測は可能で,それから判断すると,上記の主張も首尾一貫しているように思われた
(少々脱線してしまうが,『正論』や『Voice』等で日米関係の鋭い読みを披瀝してこられた片岡鉄哉氏は,復古派の論客である西尾幹二氏等の「路の会」の会員だが,西尾氏らと違い,いわゆる「ジェンダーフリー」云々の論議を展開した記事・論文を今まで読んだことがない.片岡氏の経歴を見ると,日米の大学等を短期間で行き来する学者の典型であり,昔Googleした際,奥様が日本人ではないことを示唆する情報があった.このような状況を考慮すれば,女性問題で復古派と一線を画しているのも理の当然かもしれない[片岡鉄哉氏については,本網誌『めざまし艸 圖書篇』を参照]).

 太田氏の上記の主張項目は,復古派の視座からすれば,物足らないというか,外交・防衛で所謂鷹派的立場を取っていることは評価するが,内政で所謂「左翼」的,という首尾一貫性に欠けた印象を受けるに違いない.しかし,見方を変えれば,復古派と太田氏との間の断層は,占領軍の遺した聖殿の守護騎士の役を其の反米的主張と裏腹に演じてしまっている左巻き系の空想国際協調主義・国連本位主義が現社民党の党勢程度に見捨てられた後に出現すると予想される2大政党制下での対立軸の一つ,と理解することも可能である.極東3カ国から十把一絡げ的に「右翼・保守派」と呼ばれている扶桑社の歴史教科書賛同者の中にも,この様な将来の対立軸を既に感知している者がいることが,岡崎久彦氏の『-とその時代』シリーズを丁寧に読んでいると感じられる.扶桑者の歴史教科書賛同者は安全保障・外交の軸において占領の呪縛から解脱することが,今の日本にとっての最重要課題という共通認識で一致しているが,内政その他の断面を詳細に観察すると幅広い立場の違いが存在し,左巻き的常套句,「右翼・保守派」と呼称するのは的外れである.敢えて呼称を考えるならば,「国権認識回復派」あたりだろうか.
 
 別個に論じることになると思うが,復古派が御経的に事ある毎に唱えている「ジェンダー・フリーの危険性」云々批判は,実のところ,同派の潜在的本音(男女同権反対)を隠蔽するための隠れ蓑,又は煙幕でしかない.占領軍は巧妙な罠(全てが計算尽くのものではなかったと思うが)を日本に残した上で主権を日本側に移譲した.女性問題もこの様な置き土産の一つであり,昭和20年以前的価値観から当該問題に反射的に反応すると,日本を脆弱・自立心欠如のままで維持することを本旨とした占領軍内反日派の思う壺にまんまと嵌まることになる.反射的に反応しないで,この文化的問題に新境地を展開することで過去の日本との連綿を維持することが,仕掛けられた罠から抜け出す最善の選択と言えよう.
 
 
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:5/16/2005/ EST]


めざまし艸 総説篇 知的営みの足跡記憶としての図書館

2005-05-04 02:23:12 | 近現代史
 私が現在利用している図書館は1990年代になって分類体系を変えたため,旧分類体系によって分類された図書は高い階に,新分類体系によるものは一階に配架されている.旧分類体系の階を徘徊していると,過去利用した日本の普通の図書館では催すことがなかった不思議な感慨が湧き上がってくる.特別な文庫や図書館を除いて,日本の図書館の多くは戦後設置されたもので,当然のことながら収蔵している資料も戦後特に高度成長期以降のものによって占められている.たとえ戦前の資料が有ったとしても別置されていて簡単に利用できなかったり,また戦中・戦後占領期の資料になるとその希少性も相俟って滅多にお目にかかることもない.よって,今の日本において,ある特定の主題について明治以降現在まで出版された和文の書物を書架上に一望にできる機会・場所は非常に限られている.先に触れた図書館は,海外でありながら明治以降1990年代迄の日本人の知的営みを一望する機会を提供している貴重な場所なのだ.

 後日の記入で詳しく触れることになると思うが,過日当該図書館で,占領下の昭和25年,朝鮮戦争勃発直前に刊行され占領軍の事後検閲で発禁になった単行本を発見した.戦後の物不足時代を反映して粗悪な更紙に印刷されていたため,現在は酸化が無惨にも進行していて頁捲りにも注意が必要な状態になっていた.そのような少数限定出版であったと想像される当書をこの図書館は発刊2年後の昭和27(1952)年に受け入れていた.私は,この書との邂逅を通して,当該図書館の収書方針や当時の収書担当者の執念に対するある種の畏敬を感じると共に,今の日本,就中(なかんずく)日本の図書館に欠落しているものが何であるかを悟った.7年間に亘る占領という日本にとって未曾有の体験が日本に刻み込んだ文化的断絶に対して,戦後60年経ちながらも未だ日本人が精神的占領状態から脱却できず,この断絶という傷を放置して,すなわち自分達と過去との連綿・紐帯の回復を果たすことなく,過去との断絶こそ未来を開くというような錯覚に陥り,徒に彷徨を続けている状況が今の日本の図書館に具現されている.占領終了後,日本人がいち早く占領期の洗脳から脱却していたならば,21世紀の日本の図書館においては,昭和20年以前に刊行された書物がそれ以降のものと同じ棚の上に配架されていたに違いなく,今の日本人は過去との紐帯を書架上の図書を通して体感できていたはずだ.しかし,実際の歴史はその様な経路を辿らなかった.過去との紐帯を取り戻すためには,道に迷った時と同様,何らかの地図や道標に頼るしかない.この「めざまし艸」シリーズでは,寸断された過去との接点を再発見し今と過去を繋ぎ戻す試みを色々紹介していきたい.
 
 昨年,米国の北東の角にあるメイン州政府のサイト上で,マルクスによるとされる箴言(しんげん)が引用されている(http://www.maine.gov/sos/path/student/quotes.html)のを発見した.
“If you can cut the people off from their history, then they can be easily persuaded.”

西遊記で,御釈迦様の掌中を飛び回っていただけなのに,天界の果てまで来たと尊大にも思い込んだ孫悟空の迂闊さは占領終了後の日本にも当てはまるのではないか.

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故 坂本多加雄氏の著作

2005-05-04 01:30:14 | 読書感想
1.歴史教育を考える (PHP新書:042) 1998年
2.国家学のすすめ (ちくま新書:311) 2001年

3.日本の近代 2 明治国家の建設 1871~1890 1999年
4.20世紀の日本 11 知識人 1996年

 坂本氏が残された著作を私が手に取ったのは不覚にも極最近のことで,何か別件でgoogleしていたところ,彼の著作紹介情報に行当たり,既に他界されていることを知った.彼の残した歴史解釈に関する文庫・新書本(上記1,2他)を読むと,ある共通の大筋があり,それを基に各個別の主題,状況・対象に応じて論の肉付け・展開をしていたのではないか,という印象を受けた.此れが上梓予定をこなすための効率化によるものなのか,それとも日本の状況が余りにも悪化していた為,繰り返しの力説が読者の覚醒のために不可避と認識されていたのか,逝去された今となっては永遠に不明である.
 ともあれ,朝日・岩波等系の左翼文化人の識別指標となっている趣の「国家」に対する彼らのアレルギーについて,その問題点・盲点を丹念に指摘・論難されていて,このような批判が1990年代ではなく,数十年早く出版されていれば文化人の生態も随分変わっていたのではないかと思われてならない.また,最近,阿世的ないし機を見るに敏な学者が,曾て帰依していたはずのマルクス主義から破戒した後の止り木的に利用している趣のBenedict Andersonによる「想像の共同体」論についての批判が展開されているのも注目に値する.理詰めで論難されると,まともに反論できないため,論争対象の「国家」というものは所詮「虚構」であり,それような空虚な物を彼是論じることは無意味である,というような禁手に縋るような反論の手口は,マルクス主義の威光が霧散した21世紀において,今後増して行くに違いないが,坂本氏の慧眼はその可能性を確り捉えていたようだ.

 3.については,昨年日本放送協会が「新選組!」を一年に亙り放映して,戊辰戦争に至る経過を新政府側の視点ではなく主に旧幕府側のものから描いたというような脱・官製「明治維新」観的潮流の前兆の一つと言えるかも知れない.標題を素直にとると1871年以降を扱っていると予想されるが,実際は大政奉還の慶応三年まで戻り,戊辰戦争に至る経過を含めて,より広くなされた議論の結果を具現した政体とはどの様なものなのかという問いについての角逐を,大日本帝国憲法発布までの約四半世紀に亙り描いている.義務教育の歴史科目で近代日本史について勉強した者にとって,慶応四年=明治元(1868)年はある種の大分水嶺のように認識しがちだが,明治官製の「明治維新」の神話から解脱すれば,慶応三年から明治22年はあるべき国家像をめぐる長い勝ち残り戦の期間であった,という解釈も可能となる.戊辰戦争誘引で旧幕府系有力者が土俵から弾き出されたのを手始めに,その後,新政府内での争いで排除される者が続出し,戊辰戦争を誘引し勝ち組であったはずの西郷隆盛までが明治十年には負け組みに名を連ねてしまう.また,西郷亡き後,遂に勝ち残り組みの頭目と思われた大久保利通にしても敢え無く兇刃に斃れ憲法発布まで生き存えなかった.世間に根強く残っている官製「明治維新」観では明治初期の政府内での角逐や試行錯誤についてはさらりと流している.しかし,今のような前例踏襲では未来が拓けない時代においては,明治の元勲達が前例無しの状況においてどの様に意思決定し,試行錯誤を重ねた末いかに道を切り開いて行ったのかを温故知新することは非常に有益ではないだろうか.(続く)

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米PBSの第二次大戦戦勝60周年番組: Victory in Pacificと「海ゆかば」

2005-05-02 14:45:09 | 米国事情
 4月上旬にNHKが放映した元寇に関する歴史番組が常軌を逸した媚支那的構成であることが網路上で批判されている.この元寇失敗の裏に何らかの天佑神助を感じたことから,日本人の語彙の中に「神風」という言葉が定着し,更に,此れより数百年の時を経た大東亜戦争末期に「神風特別攻撃隊」として日本人の人口に再登場した際には,日本を越えて世界的に広まることになった.ところで,Googleしてみると分かるのだが,この「神風特別攻撃隊」という語中の「神風」部分についての発音は,旧海軍では,明治初期の不平士族の反乱として有名な「神風連(しんぷうれん)の乱」同様,「しんぷう」と音読みしていたそうだ.しかし,実際のところ,特攻隊の現場やメディアに対しての周知が不徹底だったようで,訓読みの「かみかぜ」の方が世間に定着し,その後世界に広まった模様である.
 今年は第二次世界大戦終結60周年の年にあたり,旧連合国では様々な記念行事等が催されている.先日中共から繰り出された反日攻勢も当該60周年に託けていたし,台湾の国民党主席の中共国家主席との本土での第三次国共合作と呼ばれる会談も此れに託けているのであろう.ましてや,十干十二支が一回りした60年ならば尚更であろう.このような状況において,米公共放送局PBSがVictory in Pacificという番組をヨーロッパ戦終了にあたる5月上旬に放映する.米国の放送界は,6月から8月までの間は夏季休業という教育界と同じく,報道番組以外は新番組の放送は殆どなく昨年9月から5月まで放映した番組の再放送等のみになる.太平洋戦での日本降伏はこの夏季休業期間中の8月なので,時期を繰り上げての放映が決定されたのであろう.日本のメディアが大東亜戦争を扱った番組の放映を年毎に切り詰めているのに対して,戦勝国ということもあろうが,米国では第二次世界大戦を扱った番組は毎週何処かのチャンネルで放映されているくらいの頻度でお目にかかれる.敗戦国として屈辱的な裁判を甘受し,主権回復後も自国の軍事一般について正面から堂々と論じることがタブーになってしまった国としては,戦前の話は全て封印して沈黙を決め,中・韓(+北)が定期的に強請り的外交を仕掛けてくれば反射的に平身低頭の御詫びを繰り返すのが関の山で,昭和の戦前部分について温故知新を積極的にやろうという心構えなど日本の主流メディアには微塵もないようだ.
 これまでの米国の戦史番組を見た限りでは,未だに連合軍=正,日本=邪という従来の二分法的な構図から完全に抜け出したものはない.ただし,今回の放映予定のPBS番組の様に,日本の扱い方が徐々に変化している印象も受ける.往事を知る世代が番組制作の第一線から去り,戦中派世代にとって当たり前の常識だった事柄も後世の人間にとっては不可解で疑問を呈せざるを得ないことも沢山出てきたのに違いない.場合によっては,戦中派世代よりも,より俯瞰的な視座から当時の国際状況を第三者的に把握できるようになった,ということも十分考えられる.また戦後米国における日本製品・大衆文化の受容を通して,米国人の対日観が改善し,戦時プロパガンダによって形成された「亜細亜で暴れ回っている凶暴な反っ歯・眼鏡ゴリラ」とか,「すぐ壊れる玩具の製造国」というような往時の対日イメージが過去の物になったことも挙げられる.
 今回の番組が上記特別攻撃隊について焦点を向けているのは,9.11事件の影響だろうか?当該番組のサイトでは,わざわざ『海ゆかば』を試聴できるようになっている.ただし,サイトに掲載されている歌詞は旧海軍が明治時代に制定した儀仗用のもので(続日本紀によるもの),日支事変,大東亜戦争中に斉唱された昭和版(万葉集によるもの)ではない.しかし,試聴用録音は後者の昭和版になっている.両者の違いは,曲が全く違うことは別として,歌詞の最後で,「長閑(のど)には死なじ」となるのが明治版,「顧みはせじ」と歌うのが昭和版だ.旧海軍の特攻隊員が出撃直前に斉唱したのは,どちらだったのか.海軍である以上やはり明治版だろうか.昔,当時の映像ニュースを見た記憶では,背景音楽として昭和版が演奏されていたような気がする.隊員の斉唱を拾っていても編集で昭和版に上書きされていたかもしれないが.因みに当番組が掲載しているローマ字化した歌詞中に一部間違いがあり,気になり訂正依頼のコメントを送っておいた.

註:

東儀季芳作曲の海軍(明治)版の『海ゆかば』の楽譜は以下の網站で閲覧可能

http://school.nijl.ac.jp/kindai/CKMR/CKMR-00053.html

同曲の実際の歌唱は以下の網站の第4作目のFlashファイルで鑑賞可能

http://kaga226.hp.infoseek.co.jp/


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浦志強:中國的選擇性記憶(China's Selective Memory)

2005-05-02 13:53:37 | 米国事情
 先日『溶解する日本』という網誌を覘いてみると,NYタイムズ掲載の支那人弁護士による日支教科書絡みの投稿記事が取り上げられていた.産経新聞の古森特派員が同紙上で前記NYT記事を紹介していたそうだ.NYTの原文をみると,原文は支那語という脚注があったので,台湾系のGoogleで著者の「浦志強」を検索してみると,ネットニュース系の「多維新聞」に掲載された支那語版(原標題は『中國的選擇性記憶』コラム記事がオリジナルのようだ.内容を掻い摘むと,「日本兵沢山悪いことした.中共もそれと同じくらい悪いことしたけど,黙っている」的な論調であり,産経新聞あたりが本来期待している論調から外れているように思われる.中共政府にフリーパスを与えてきた過去からすると,米国人が中共の教科書に強い疑念を抱くようになることは,望ましい流れかもしれない.しかし,日帝=中共悪党同士という相変わらずの日本悪党説が不動では,第二次大戦後の日本の名誉回復も遥かに遠い先のことになりそうだ.
 この検索の件で気付いたのだが,Google検索の癖というか,正字(繁体)表現の漢字列検索では,英語,日本語による検索ユーザー・インターフェイス(UI)では全くヒットせず,中文(繁體)のものでないとヒットしないことである.エンコーディングの問題もあるのだろうが,同じ漢字でも支那語文字列検索は,日本語用では駄目で,専用検索UIでやって下さい,ということか.