波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

政治と行政の距離のとり方 西村眞悟衆院議員をめぐる一件で思うこと

2005-11-27 02:21:28 | 雑感
 最後の更新が9月末であったから,二ヶ月余り当網誌を留守にしていたことになる.今,米国は感謝祭の残照的週末で,普通の米国の家庭では,割引商品の特売による買物で多忙か,家で米式蹴球等の運動競技を電視観戦しながら寛(くつろ)ぐ,という形が多い.仕事の方は何とか感謝祭前に一息をつくことができたが,「初校が原稿」という仕事ぶりと同じで,具体的な形が可視状態になってから「注文の多い料理店」的にあれこれ破天荒な要求が出てくるのが普通であるから,まだまだ息が抜けない状態が続きそうだ.
 この二ヶ月余り,網誌を書く話題はそれなりにあったのだが,それらの背景にあるものが当網誌でこれまで述べてきたことの反復になるようなものばかりで,遅々として進まず期日破りが続いている仕事の進捗状態と相俟って,気が重くなり日本語を書く気力が失せてしまっていた.最近気懸かりになっている話題が,先の衆議院選挙で小選挙区で落選したものの比例代表で復活当選した西村眞悟代議士の政治生命を狙った弁護士法違反容疑による逮捕という策動だ.現在の自民党総裁が首相になってから,政治的減り張りが効いた行政(司法)の執行が頻繁に見られるようになった.国会において拉致問題や国防問題等で煩い彼を,今回は確り止めを刺すこと(逮捕・有罪判決+議員辞職)を目標に司法当局に対して指揮権を日々行使しているに違いない.「人権擁護」の御経に染まった日本の報道媒体が,や中共絡みの殺人事件を扱うように,裁判で有罪判決がでるまでは腫れ物に触るような感じで,容疑者・被告としての西村氏を扱うことができるかどうか.日本の報道媒体の網站の見出しを見た限りでは「否」という趣だ.
 選挙によって検察の幹部が入れ替わるような米国では,このような政敵に対する選挙後の「御礼参り」的character assassinationは日常茶飯事であり,これといって驚くようなことではない.例えば,過去二ヶ月間に米連邦司法当局の大きな動きが見られたCIA秘密工作員の身元暴露事件も,暴露の発端は現政権の方針に対して非協力的だった元外交官に対する意趣返しだった.また政敵の封じ込めの手段も,司直や報道媒体を活用したcharacter assassinationだけでなく,様々なやり方を持っている.例えば,米国を代表する大使に特命されることは名誉なことであり,国対する立派な御奉公ということで建前的に拒絶し難いものだ.米国史を振り返ると,自党内の強力な競争者を蹴落としたり,対立党の金庫番的顔役の米国内での献金獲得活動を封じたりするため,該当者を重要国の大使に特命したという例が散見される.1960年米大統領になったJFKの実父のJoseph Patrick Kennedyは第二次大戦前,大統領になる野望を持ちながら,FDRに嫌われ,かつ彼の強い人気が警戒されて,体良く駐英大使として英国に飛ばされている.Watergate事件等で自分の再選のためには手段を選ばなかった共和党選出大統領のNixonの場合,念には念を入れる形で,民主党の金庫番的存在の大幹部を大使としてわざわざ任命している.
 生臭い政治に振り回されない専門家による行政というものは,日米双方の歴史を振り返ってみても,昔より目指されてきた理想であるが,政治と行政との間の望ましい均衡点を求めて,それを維持することは容易ではない.日本の場合,「公を取り仕切る価値基準は常に一つ」というような思考から抜けきれず,政権交代に不可欠な「責任ある野党」という議会制民主主義の基本概念が中々根付かず,文・武双方において唯我独尊的な閉鎖的官僚組織の独走・組織防衛を許し,自らの法的存在を規定した大日本帝国自体の崩壊を誘引してしまった.20世紀初頭の米国で一世を風靡した進歩主義は,従来の選挙による猟官主義のもたらす弊害に対処するため,米国の自治体における行政の専門化を促進させた.しかし,行政組織が肥大化した20世紀後半においては,その時代の変化に対する適応力やその存在意義自体が厳しく問われ,「公」の最終的な象徴・聖域と思われてきた国防・警察すらも服務執行上の最終責任の所在が不明確のまま民間への外部委託が浸透する領域となり,今まさに「公」の意味が問いただされている.
 先の選挙で衆議院に戻ってきた辻元清美には,彼女に頼らざるを得ない「死に体」状態の政党が存在した.有罪判決後,刑執行等が終了したのち,西村氏を公認するような政党は果たしてあるだろうか.

 © 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:11/27/2005/ EST]