波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

岡田益吉著『危ない昭和史 ―事件臨場記者の遺言』 上・下巻 昭和56(1981)年

2005-07-31 04:35:33 | 読書感想
 図書館で石原莞爾関係の本を探していた時に同本が目に入り,「海南島」の占領をどの様に扱っているか何気なく捲ってみたところ,従来の戦前史とは異なる史観が披瀝されていたので思わず借りてしまった.著者岡田益吉は,副題にあるように,大学関係の研究者ではなく,東日(現在の毎日新聞)の一記者だった.岡田は,戦前日本の転落の始まりを大正時代まで遡り,第一大戦後の大正10-11(1921-22)年に開催された華盛頓(Washington)会議での日英同盟破棄を英米との開戦に向かう転落の第一歩と見做し,更に,昭和5(1930)年倫敦(London)で締結された海軍軍縮条約をめぐる日本海軍内の混乱が,昭和7(1932)年の海軍関係者等による5.15事件を誘引して戦前の政党政治に止めを刺しただけでなく,その後日米衝突に至る日本海軍の「南進論」の発端になったと解釈している.また,従来の史観が昭和の動乱の発端を陸軍に求めすぎて,海軍が起爆剤的な役割を演じたことを無視していると批判的だ.
 これまで大正時代(1912-1926)の政局・国際関係については短期間であるため余り注意を払っていなかったが,同書により,百年前の日露戦争が戦前日本外交の頂点であり,その後,特に第一次世界大戦(1914-1918)後は日米衝突に向けて転落する一方だったことがわかった.支那における日本の勢力拡張を封じるため,支那と米国が提携して華盛頓(Washington)会議によって日英同盟を破棄に追い込んだ際,日本は東亜細亜において同盟国なしの孤立状態に追い込まれただけでなく,同盟国なしの自由度が日本の陸軍に満州その他で野放図的に展開することを許してしまい,また,日米の海軍衝突を防止する役割を果たしていた英国を失ったことから,日本の海軍は糸が切れた凧的状態で独自の南進策に傾斜し,結局英米双方に対して衝突することになった,と言えるかもしれない.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:07/31/2005/ EST]