波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

愛媛県の知られざる側面 その一

2005-07-24 02:23:06 | 雑感
 過日,網誌『ぼやきくっくり 』の読者書き込み欄を眺めていると,四国は愛媛県の或る高校に関係した人間しか知らないはずの「掛け声」が繰り返し記入されていた.なぜ他県出身者があの「掛け声」を知っているのか,この謎はGoogle検索で直ちに氷解,記憶の糸を手繰り寄せると,数年前に制作された或る映画が最近フジテレビ系列で連続劇化されていたのだった.日本史教科書選択の季節になると何かと登場するのが「愛媛県」と言える.国会議員その他の選出から判断すると保守的な県と見做されるが,松山市など都市部では左巻き系知識人が大学その他での活動拠点を確保している.昔見た或る調査によると,同県は中央での流行に非常に敏感な県となっていたが,一周以上遅れて大都会の左傾化に追いつく心算なのか,地元紙「愛媛新聞」の最近の仕上がりは,隣県香川の「四国新聞」(http://www.shikoku-np.co.jp/)同様,見出し構成と内容で「しんぶん赤旗」に急迫中という趣だ.
 今年は日露戦争戦捷百周年にあたるが,中央に数週遅れての左傾化の一例をJR四国が数年前作成した「えひめ歴史紀行」というの観光客向け小冊子等に見出すことが出来る.司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」に肖(あやか)って他県からの観光客を松山市等に呼び込みたいが,同小説の目玉的存在の秋山好古・真之兄弟は軍人で,日露戦争戦捷への貢献解説だけでは左巻き系からあれこれ批判をかってしまう.結局,刷り上った解説では,両人の写真は非軍服着用のものを使用,解説文は半分が軍功,残り半分を非軍功のもので御口直し的に埋める,という戦後の平均的日本人の事勿れ主義的発想を忠実に具現化したものだった.一方,県庁所在地の松山市は現在(仮称)『坂の上の雲』記念館を建設中だが(http://www.city.matsuyama.ehime.jp/sakakumo/index.html),前出の左傾化が著しい愛媛新聞の網站では,「坂の上の雲記念館 戦争関連抑えた展示に(2005年7月6日収録)」(http://www.ehime-np.co.jp/douga/kisha/0507sakanoue/)という映像情報が掲載されている.松山市としては,地元左巻き系『職業市民』が他県(最近は他国も含まれるようだ)から援軍を募って展示専門委員会に様々な圧力・批判等を繰り出してくるかも知れないので,同委員会の報告を事務局主導で玉虫色的仕上がりで御茶を濁したのであろう.左巻き系の行動様式から想像すると,「侵略戦争賛美」という基本主張で今後も同館の運営についてあれこれ干渉してくるに違いない.
 以前触れた「丹頂鶴」の比喩ではないが,愛媛県は人口移動の観点からすると,同県内農村部から非農業世帯が都市部に転入して都市部が更に赤くなり,農村部は潜在的左巻き系が都市部に転出して一層保守化という構図になっているのであろう.しかし,愛媛県も嘗ては,他県同様,日教組が猖獗(しょうけつ)をきわめた県の一つであった.では,なぜ現在教科書選択等において他県と異なる意思決定が愛媛県では可能になったのか(以下,「その二」に続く).

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