波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

新田 均著『「現人神」「国家神道」という幻想』を捲って

2005-07-16 15:50:03 | 読書感想
 過日,坂本多加雄氏の『日本の近代 2 明治国家の建設 1871~1890』(中央公論新社)を読んでいて,明治初頭の国家と宗教との関係について述べている所で,従来自分が思い込んでいたものと何か違うものを感じ,引用されていた研究書に二,三あたってみた.丁度其の頃だったろうか,平日の日課になっている連線図書通販のbk1の新刊書を眺めていて,前記研究書の著者が以下の一般向けの本を出したことを知った.

新田 均著
『「現人神」「国家神道」という幻想―近代日本を歪めた俗説を糺す。』(PHP研究所)

上記の研究書を捲った段階で,regime change(体制改革)に向けての占領軍による戦前日本に対する仮借なき的外れの糾弾,それに対する日本人側の戦犯・公職追放指定回避のための形振りかまわぬ保身,主権回復後の日本の研究者の怠惰・恣意等の混合による誤解ないし幻想の存在を当該分野にも感じ,直ちに前述新刊本を発注した.昨日同書が届き,今日捲っていると,先に述べた予感を裏切らない内容の濃い本であることが分かった.
 昔読んだ保坂正康氏による『昭和史 七つの謎』(講談社文庫Y571)の第一話に,「日本の<文化大革命>は,なぜ起きたか?」というものがあり,この章末で同氏は,日本が昭和8(1933)年から15(1940)年の8年間文化的な迷路(日本版の文化大革命)に陥っていたとして,昭和8年頃から顕在化した文化運動の起点として5.15事件の法廷,国際連盟脱退への賛辞を挙げていた.その後,坂本多加雄氏の『歴史教育を考える 日本人は歴史を取り戻せるか』を読み,保坂氏が日本版文化大革命と呼んでいた時期に対して,より深い洞察がなされている部分に遭遇した(第7章 「原理主義に対する原理主義的な反応」,193-5頁).坂本氏は,ソ連の世界共産革命路線という原理主義が日本の知識人層に浸透し始め(いわゆる「赤化」),この精神・文化的危機に対する防衛として明治初頭以来地下に潜んでいた[廃仏毀釈等を出来させた]原理主義が再起し,対抗する観念として「国体」が選ばれたと解釈していた.
 新田氏の新刊書は,坂本氏の解釈を,より詳しく歴史的経緯を丁寧に追い,戦後日本人に浸透した「国家神道」という戦前日本を代表する悪の権化・切られ悪役という存在が,実は,戦前政府と相即不離の関係にあった宗教団体(特に浄土真宗)の保身,神社界,左巻き系宗教学者の合作により共同幻想として祭り上げられたものと批判している.
 未だ隅々まで読み終わってはいないが,今まで知らなかった戦前宗教界に関する瞠目の事実が述べられいる.最近網誌「ヒロさん日記」の記入を読んでいて,満州事変を計画した陸軍の石原莞爾が日蓮宗の強い影響を受けていたこと等を知ったが,新田氏もこの点について,田中智学(ちがく)という日蓮主義者についての節で触れている(59-61頁).戦後生まれにとって,「国体擁護」等の用語も神道学者あたりが言い始めたものと思いがちだが,実は田中智学の提唱によるものらしい.また,日本が経験した近代戦争と浄土真宗の係わり合いを示す事実が色々列挙されていて,戦争との関係に限定すれば,国家神道=浄土真宗という関係が存在したことが明らかにされている.更に,戦前幅を利かしていたと思われがちな神主は,実は明治以来の「神社非宗教」という原則による縛りで宗教活動が出来ず,むしろ,戦後になってこの縛りが無くなり,自由な活動ができるようになったらしい.
 先日読んだ相澤淳氏の海軍に関する本と言い,新田氏の当該書と言い,戦中・戦後の混乱によって隠され,忘れ去られた史実が未だ沢山あるに違いない.
  
註:
  坂本氏は,『国家学のすすめ』(ちくま新書311)の第4章「日本の国家をめぐって」の「冷戦とは何であったか」という節で,「冷戦をアメリカに先んじて開始したのはむしろ日本であった」(241頁)と述べ,更に,治安維持法によって生まれた特高警察と日本共産党tの間の闘争を,「政府権力と国内の反体制勢力」ではなく,「ソ連と日本との間でなされた冷戦の一環であった」としている.このような戦前日本防共堡塁(ほうるい)説は,昭和11(1936)年に米国で出版された元米外交官のRalph Townsendによる"Asia Answers"(邦訳標題:『米国極東政策の真相』)において既に言及されていた(p.247).同著者の"Ways That Are Dark"(1933年刊)は昨年日本で『暗黒大陸中国の真実』として翻訳出版されている.
© 2005 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:07/16/2005/ EST]