SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

国花はパンジー

2022-05-21 12:28:00 | 日記
幼い頃に弾かせて頂いた曲で
パデレフスキー作曲の
きれいなメヌエットが
ありました。

パデレフスキーは1860年に
隣国ウクライナの寒村で
生まれ、
父親はポーランドの貴族でした。
ショパンの死後、11年目の事です。

国際的なピアニストとして
大活躍しましたが、
1900年に活動をやめたあとは多くのピアノ曲や
交響曲「ポーランド」を
作曲しました。

ポーランドはロシア、プロイセン、オーストリアの三国が
国土を分割し、統治を行って
いたのですが、
1918年にパデレフスキーが巨額の私財を投げ売って
123年に及ぶ圧政から開放。
独立国家を樹立するのです。

1919年に独立後の初めての
ポーランド首相と外務大臣を
兼務することになるのですが
それは彼が当時のヨーロッパの王侯貴族から学者、知識人を魅了するほどの幅広い教養と格調高い立派な外国語を
話せたことによると
言われています。

1922年に政界を引退。
再び演奏活動に復帰して
最初の演奏会はアメリカの
カーネギー・ホールで行われ
目ざましい成功を遂げます。

ルーズベルト大統領と
古くから親友であったので、彼がニューヨークで
亡くなった時には、
国葬同様の待遇で送り、
アーリントン墓地に埋葬
したのです。

   ✨✨✨✨✨

長年、パデレフスキー版に
親しんできました。



    ✨✨✨✨✨
 
パデレフスキーの演奏。
「メヌエット」