SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

練習

2011-11-29 22:34:19 | 日記
練習後は早昼・・・アツアツの天麩羅蕎麦。




夜は大司教館での練習がありました。

日の落ちるのが早い事。



これはM司教様が子供の頃から使っておられたピアノ・・・だそうです。



象牙の鍵盤はすっかり飴色に変っています。
混声合唱とピアノによる『ヨハネによる福音』の練習が始りました。

名古屋から来てくださった方もあり吃驚。







仙台空港

2011-11-24 10:46:27 | 日記
綺麗になつた空港ビルですが、
遠方に目をやりますと
あの日の光景が脳裏に浮かびます。

胸の痛む辛い旅でしたが、
お一人お一人のお顔や
お姿が心に残っています。

あのきれいな釜石の街が一日も早く戻りますように・・と願いつつ
仙台をあとにしました。


ワインのお店へ

2011-11-23 09:31:47 | 日記
仙台駅近くは何事もなかったように
見えるのですが、
以前御世話になった方のお宅は全壊。
今は仮設住まい・・との事。

無力で何もできませんが、
現地へ伺うことが
私達に出来るせめてものことと痛感いたしました。

仙台最初の夜は息子のフィアンセのY子さんの案内でワインのお店に。

ボージョレ・ヌーボーをはじめボルドー・メドックなど
色々なワインを頂きました。








釜石へ

2011-11-22 21:16:00 | 日記
翌朝は仙台駅からバスで釜石へ。
4時間ほどかかりますが、
着替えの場所はないので
メンバーは演奏用のダークスーツでバスに乗り込みました。



お弁当を中尊寺PAで積み込み、
車中で昼食タイムです。



12時ごろ釜石市に到着。

釜石駅の海側は大津波に全てを持っていかれ
まだ信号もなく警察官の方々が交通整理をしておられる有様です。
そして他府県ナンバーのトラックが走っておりましたが、
復興までに一体どのぐらいの時間がかかるのでしょうか?
8ヶ月経ったとは思えない状況でした。

何度か宿泊させて頂いたホテルも無残な姿。
市民会館のスタインウェイも流されたそうで
大震災を経験したはずの私も
あまりの爪痕の大きさに呆然とするばかりでした。

寶樹寺にお伺いし3曲演奏させて頂いたあとは
徒歩で10分ほどの釜石カトリック教会へ。
そしてそこでお会いしたのは
輝くばかりの笑顔で迎えて下さったエンデレル神父様。
直前までオルガンの演奏台や指揮台、
合唱団の台を手作りして下さった舟山神父様。
凛凛しいお姿に涙があふれそうでしたが、
演奏が始った途端に涙をぬぐいながら聴いて下さる皆様に
男声合唱のメンバーも歌いながら涙しておりました。

釜石のノイホフ合唱団が2曲歌って下さいましたが
その歌声の何と清々しいこと・・心が洗われるよう。
沢山の勇気と励ましを頂いたのは
私達の方だったのです。

その後エンデレル神父様による『王たるキリストの祝日のミサ』

バスまでお見送り下さった寶樹寺の舞津先生からは
74名のメンバー全員に
お手紙と絵が添えられたお土産を頂き大感動。

何と凄い方たちばかりなのでしょうか?