日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

12月31日

2024-01-05 16:04:05 | 日記
二日市教会主日礼拝説教 2023年12月31日(日)
降誕節第1主日
イザヤ61:10~62:3  ガラテヤ4:4~7 ルカ2:22~40
「喜びはむねに」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。

いま一緒に歌った讃美歌『喜びはむねに』は、先週は有志の皆さんが独唱やフルートを交えながら素敵な演奏をしてくださいました。ところでこの曲を作ったのは、フィンランドの大作曲家シベリウスです。シベリウスの讃美歌はもうひとつ『やすかれわがこころよ』がありますが、そちらのほうが超有名だと思います。『喜びはむねに』のほうは最近日本入ってきたばかりで、これから有名になるのかも知れません。
ところで、シベリウスというと、私にはわすれがたい思い出があります。まだ東京にいたときのことですが、あるフィンランド人女性から興味深い話を聞いたからです。彼女の名前はソベリさんで、日本で仕事をしていた独身の宣教師でした。彼女は子どもの時、シベリウスのピアノ曲を弾きました。それ以来ずっと大人になっても弾き続け、今も弾いているというのです。ソベリさんはもうお若い方ではありませんでした。それはともかく、その話を聞くと私はすぐ秋葉原に行き、レコード店でシベリウスのピアノ曲をさがしました。すると見つかったのが、CD5枚一組のシベリウスのピアノ曲集でした。私はそれを買い、家に持って帰って聞き始めました。
ところでCDは1枚ごとにジャケットに収められており、そのジャケットには風景写真が印刷されていました。見ると写真は森と湖のある風景で、間違いなくフィンランドの写真だと思われました。さてその5枚を聞き終えてわかったことは、ピアノ協奏曲のような大作はひとつもなかったことでした。そうではなくて、どれもが短い曲で、しかもわかりやすかったことです。おそらくピアノのレッスンを受けた人ならすぐ弾けそうだとおもいました。だから、ソベリさんが少女時代にこれを弾いたのでした。しかも、大きくなる前にそれを卒業したのではなく、今も弾いているというのです。彼女はその後フィンランドに帰国しましたが、きっと今もご自宅で弾いているのではないでしょうか。
ところで、CDで聞いたピアノ曲は、ジャケットの風景写真とよくマッチしていました。それは、聞く者をフィンランドの自然の中にいざない、森の小径や湖のほとりに案内してくれる気がしました。それに、静かな曲だけでなく、軽やかで変化にとんだ曲もあって、まるで走り回ったり、寝転んだり、鬼ごっこをしたりする子どもの情景を思わせてくれました。
ところで。子どもといえば、いま歌った『喜びはむねに』も、シベリウスによる子どものための歌でした。このクリスマスソング以外にも彼は、子どもたちのための合唱曲を沢山書いています。ではなぜそんなに沢山書いたのかというと、わけがありました。それは小学校の音楽教師から要望があったからでした。でもシベリウスはもう世界的な大作曲家でしたから、そちらが忙しかったはずです。ところが、フィンランドの先生たちは闘う教師でした。なぜなら、教育の現場に権力が色々圧力をかけ続けていたからでした。
というのも、フィンランドは隣国の大国ロシアから政治的な干渉を受けていたからです。そして、ロシアの軍隊がいつ国境を越えて攻め込んでくるかわからないという状況にあり、誰もがそのことを恐れていました。そして、それともうひとつありました。それはロシアと並ぶ大国のスウェーデンが、常にフィンランドの首根っこを押さえつけていたことです。
とはいえ、ナポレオンの登場で、ヨーロッパは大きく変り初めていました。しかし変わるのも大国からなのか、フィンランドのようなちっぽけな国はいつまでも不安定なままでした。しかし、フィンランドにも、民族主義が起き、他国の介入を拒否する抵抗運動が進行していました。その一つが教育の現場で、特にスウェーデンが公用語としてスウェーデン語を押し付けていることに対する反発が、フィンランド語運動という形で行われていました。そして、それは、子どもたちに、歌を母国語のフィンランド語で歌わせるために、それにふさわしい合唱曲を書いてほしいと、シベリウスら音楽家たちに依頼をしたのでした。そして、そういう依頼は、どんな忙しい人でも引き受けたのでした。
ところで『喜びはむねに』は、当時の子どもたちが歌ったのと、今私たちが歌ったのとでは、歌詞がかなり違っています。(※今の歌詞は「喜びはむねに、満ちあふれる。あまりに大きいこの恵みよ……」讃美歌21、271番)。なぜなら、子どもたちが歌った昔の歌詞は、「私は富も名声もいらない」という言葉から始まっていたからです。そしてさらに「この国に必要なのは、平和な家庭。優しき人々の集い、慰めと希望と信仰の集い」が続いていました。ロシア軍の侵攻のうわさは、大人以上に子どもたちはおびえたと思われます。その子どもたちが、「戦争はいやだ」との思いを示す歌が、シベリウスの美しい曲で歌われた時、不安はぬぐいさられたことでしょう。
そのように、歌ったのは勇ましい曲ではありませんでした。むしろ人に慰めを与え、静かに語りかける曲でした。この曲の系譜にはあの『トウネラの白鳥』があるかもしれない。むしろもっと身近な例としては、少女時代のソべリさんが弾いていたピアノ曲があるのかもしれません。
『喜びはむねに』が、どのようなときに、どのような人たちによって歌われたのかを知ることは、決して無駄にはならないと思うのであります。
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次回2024年1月7日 主の洗礼
説教題:光あれ!
説教者:白髭義牧師
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