日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

1月14日

2024-01-21 13:40:10 | 日記
二日市教会主日礼拝説教 2024年1月14日(日)
顕現後第2主日
創世記1:27、2:18~23,Ⅰコリント6:12~20,ヨハネ1:43~51
エバをどう考えるか
☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。

先週は、旧約聖書の創世記1章と2章の天地創造の物語、ことに人間の創造のことを考えました。本日もそのことをもう少し考えたいと思います。
ところで、人がよく戸惑うのは、創世記には人間の創造の話が2つもあることです。それは、一つが1章27節のことです。「神はご自分にかたどって人を創造された」と書かれているからです。ところでこの「かたどって」は「似せて」と言いかえることもできます。つまり神は、自分に似ている人間、自分にそっくりな人間を創造したのでした。

もうひとつは、2章4節から25節までのことです。そこも人間の創造の話なのですが、ここではまず男が造られ、そのあと女が造られています。しかも、女は男のあばら骨から造られたと書かれています。この話を根掘り葉掘りしても仕方がないと思うのですが、この創世記が書かれたずっとのちの時代になると、男が一番に造られた、女は二番目だった。ゆえに女は男より劣るとか、男のあばら骨から造られたのだから、女は一人前ではないと考える人たちが現れました。
しかし、それが本当に聖書をきちんと読んだ結論かというとかなり疑問なのです。ところで、この2章4節からの話でのキーワードは「人が独りでいるのはよくない」という神の言葉です。18節ですが、それは女なしにはやってゆけないという狭い意味ではもちろんありません。そうではなく、たった一人で生きてゆかなければならないことのもろさ、あやうさを覚えた神が、だから「助ける者を造ろう」と決心をしたことがこの話のハイライトなのです。神は人間はいかにあるべきかを考えていたのでした。
ところで、神が「助ける者を造ろう」といった「助ける者」のことも、後世の人々は議論しました。もちろんこの話では女のことですが、人々は、女は男を助けるためにだけ造られたのだと言いました。要するにアシスタントである。これは男の側からの上から目線でした。

しかし、この「助ける者」という言葉は慎重に考える必要があります。なぜなら、私たちでもそうですが、助ける者は助けられる者よりもすぐれてないとつとまりません。従って、助ける者である女が助けられる者の男より劣っていたり、ひ弱だったりでは彼女は支援はできません。つまり、神は女を男を助ける者として考えたのは、女は男よりも長所が多々あることを知っていたからなのです。もちろん、女に男と同等の力量があれば、それでも男を助けられます。要は優劣の問題ではなく、共に生きながらも、女が自分の特質を生かして助け手になるよう神は言っていたのでした。

ところで、話は変わりますがギリシア神話にパンドラの箱という話があります。パンドラというのは女性の名前ですが、ギリシア神話では人類最初の女性となっています。ところで、彼女は生まれつき、偽りと甘き言葉、ふしだらさを身につけていました。しかも、神々から、欠乏と病苦、災いと疫病、死に至る病がぎっしり詰まった箱を贈られていました。ところが、ある日パンドラは好奇心からその箱を開けてしまいました。すると箱の中から無数のいまわしいものが飛び出して、世界中を覆ったのであった。そういう話でした。
ところで、ギリシア神話は古代ギリシア文化から生まれました。そして、古代ギリシア文化の根底には、女性蔑視の考えがありました。女は二流の人間であり、邪悪な存在であると見なされていたのですが、始末の悪いことに、古代ギリシアの文化や思想には大変な影響力があることでした。
なお、この影響力は聖書とも無関係ではなかったのですが、ただこの分厚い聖書という書物は何百年もの歳月をかけながら出来上がっていった書物です。だから、聖書でも古い部分つまり旧約聖書、ことに創世記のように古いのは、ギリシア思想の影響は受けていないのです。だから、ずっとのちの時代になって創世記を読んだ人が、聖書も女は男より劣ると書かれていると言ったのは、すでにギリシア思想の影響を受けている人たちだったのです。

さて創世記の話に戻りますが、人間が造られた話は二つありました。そして二つはどちらも重要なのです。まず第一の話である1章によると、人間は、神にかたどって、神に似せて造られたのですが、それでは神の何に似せて造られたのかというと、神の性質に似せて造られたのでした。それではどんな性質だったかになりますが、そのためには二番目の話をよみなさいだったのです。
さて、二番目の話の2章では、神に似せて造られた男と女は互いを「これこそ私の骨の骨、肉の肉だと言い合いながら一体となったとかかれています。しかしこれは狭い意味での結婚の話とは違います。結婚は別としてもこ人間は基本的に一人ではやってゆけないからです。だからこそ、第一の話にあったように、人間に与えられた神そっくりの性質が発揮されなければならないのでした。それでは、その性質とは? それは「親しさ」という性質のことでした。つまり、男と女だけでなく人間関係はもっと様々で複雑です。それでも、神から受けついだ親しさという性質を最後まで大事にしながら生きるのであれば、それはベストの人生となる。これが、人間の創造の物語がもっているメッセージだったのでした。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週1月21日 顕現後第3主日
説教題:「エバはだまされたのか」
説教者:白髭義牧師
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする