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日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

泣いて笑って恭教さん その3

2025-03-14 17:04:12 | 日記
申命記26:1~11 ローマの信徒への手紙10:8b~13 ルカ4:1~13
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二日市教会主日礼拝説教 2025年3月9日(日)
泣いて笑って恭教(やすのり)さん―その3
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
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  「泣いて笑って恭教さん」の三回目です。恭教さんは熊本市内の(ルーテル教会系)九州学院中学校の英語教師を43年務めました。その在職中に特に力を入れたことは、全国中学校英語弁論大会に生徒たちを出場させることでした。これは英語のスピーチ力を全国の中学生が競い合うもので、地方予選を合格して全国大会出場が決まった生徒に付き添って上京することが度々ありました。その意味では場慣れもしていた全国大会でしたが、第23回大会はその中でも特に意義深いものとなったのでした。

 さて、23回全国大会に出場した中学生の名は田尻美幸(みゆき)くんと言いました。彼は小学校一年の時、練炭こたつで居眠りして一酸化中毒になり、右足に骨まで焼ける火傷を負いました。美幸くんはこの時の体験を英語でスピーチしたのでした。スピーチの題は「マイ・ファザー・ヒット・ミー(お父さんが僕を殴った)」でした。スピーチの原稿は(英語で)こう書かれていました。「注射の連続でわたしの腕は固くなり、針を刺す場所もなかなか見つからなくなりました。すごい痛みが、注射や輸血のたびに待っています。痛さのあまり輸血はいやだと泣き叫ぶわたしをお父さんは涙ながらに殴りつけ言いました。『お前がいやがる輸血はお母さんの血なんだぞ』。
このあとこう書かれていました。「あの時殴られてよかった。殴られなければ生きていなかったかも知れない。生きていてよかったとしみじみ思います」……。全国大会決勝の日の朝のホテルで教師の恭教さんは、美幸くんに語りかけました。「美幸、お前よく決勝まで残れたなあ。やっとこさで東京の晴れの舞台に立てる。それにしてもお前は生きててよかったなあ。足が短くたってもいいではないか。膝がなくったってもいいではないか。お前は歩けるもの。もう賞はいらない。ただ、お父さんお母さん、今日までありがとうと、こころをこめて伝えよう」。そのあと、美幸くんは決勝大会で、心の底から感謝の言葉を述べ、それが聴衆の胸を打ち、優勝となったのでした。

 ところで、美幸くんが身体障害者なら、付き添いの教師、恭教さんも身体障害者でした。3歳の時に小児麻痺にかかり、左手、右足が不自由だったからです。同じ障害者同士で東京に乗り込み、優勝をなしとげたことの喜びがひとしおであったのは言うまでもないことでした。しかし、恭教さんにとって、この33回全国中学校英語弁論大会が生涯忘れえないものとなったのは、優勝の美酒に酔いしれたからではありませんでした。そうではなく、この大会で上京した教師と生徒の、二人の関係が大逆転するという事態が生じたからでした。
 さてそれは、二人がホテルに宿泊した日の夜おきました。夕食のあとお風呂でしたが、風呂は部屋から離れたところにありました。そこで美幸くんは「先に行きます」と言うと、身につけているものを次々と脱ぎ始めました。そしてズボンを脱ごうとして、「先生、ボクの膝を見せてあげましょうか」と言いました。そこで恭教さんは何気なく「ウン」と返事をしてからあっと驚いたのでした。
 なぜなら、美幸くんは巻き付けてあった包帯をクルクルと外していったのですが、そこには膝がなかったからです。つまり皿と呼ばれる丸い骨がなく、見えたのは一直線の細い骨だったからです。恭教さんは言葉を失いました。けれども美幸少年は、片方だけでスッと立つと、ぴょんぴょん跳ねながら、お風呂に行ってしまったのでした。その後ろ姿はまことに自然に見え、恭教さんは打ちのめされる思いがしたのでした。
 なぜなら、恭教さんだって手と足が細い障害者だったからです。けれども恭教さんは、その最も弱い部分を人目にさらす勇気は自分にはないと思いました。ところが、美幸くんは、少しも隠そうとはしなかったのでした。「美幸のほうが、スケールがでかい!」と思った。先生が生徒から人生を学んだ瞬間でした。

彼は書いています。「教師は常に生徒に教えようとする。しかし、教師の方が教わることが多いのである。」また、こうも書いていました。「神さまは、私たちが不安に陥った時、かならず誰かを派遣して、私たちに生き方を示されます。田尻美幸くんは、ない膝を私に見せることで、弱さをさらけ出すことの強さを教えてくれました」。
 なお、恭教さんは本を書くにあたって、かつての中学時代の教え子、田尻美幸氏に、これを本に書いても差し支えないかといううかがいをたてました。なぜなら、障害の程度をくわしく書くことは、本人のプライバシーに触れることなので、特に本人の名前を出すのはよくないかもと思われたからです。ところが、本人の返事は「ボクはかまいませんよ」でした。なぜなら「もう隠すものは何もないので」と言うのでした。それを聞いて恭教さんは「また、一本取られた!」と思ったのでした。
 大人は子どもから学ぶ。強い人は弱い人から学ぶ。それは聖書にも書かれている真理です。だから私たちは、弱さに徹したキリストの十字架から多くを学ぶのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週 3月16日 四旬節第2主日
説教題:アブラハム、アブラハム
説教者:白髭義牧師
 ※白髭牧師の説教は16日で終わり、4月から大和友子牧師の説教です。
 尚、4月からの礼拝は土曜日10時半からとなります。

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