聖霊降臨後第14主日
エレミヤ15:15~21,ロマ12;3~21、マタイ16:21~28
主の祈り/罪について
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わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがた一堂にありますように。
さて、わたしたちは、これまで主の祈りについて考えてきましたが、もう少し続けたいと思います。そこで本日は「我らの罪を赦したまえ」を取り上げます。考えたいことは「罪とは何か」です。それは言うまでもないことかも知れませんが、イエスがどう考えていたかなのです。
ところで、昨6月の17日、ルーテル神学校の鈴木浩先生が亡くなりました。神学者としての先生の業績はよく知られていますが、それとは別に、私には忘れられない話があります。先生は、日本ルーテル神学校を卒業したのち、再度アメリカの神学校に入学しました。その神学校で学んでいた時のことです。アメリカでも卒業論文は書かなければなりません。あるクラスメイトが質問しました。「ミスター・鈴木。あなたの論文のテーマは何ですか」。ミスター・鈴木は答えました。「わたしは罪について書きたいと思います」。それを聞いたクラスの全員が笑いました。「ミスター・鈴木、そのテーマは古い。時代遅れだよ」。
なお、鈴木先生から聞いた話はここまででした。しかし私は興味深い話だと思っていました。なぜなら、鈴木先生がアメリカで学んでいたのも神学校ですから、クラスメイトは神学生で、やがて牧師にという人たちばかりです。しかし、そういう神学生たちが、罪をテーマに書こうとしていた彼のことを笑ったのです。しかしそれは、彼らがちゃらんぽらんな神学生だったからではなく、何か理由があると思ったのでした。
ところで、アメリカには、ウィリアム・ウィリモンという人がいます。牧師であり神学者である彼は『主の祈り』という題の本を書きました。その本で彼は、主の祈りの主語が二人称複数なのに注意をうながしました。たとえば、「われらの日ごとに糧」は「私の日ごとの糧」ではなく「われらの糧」である。「われらの罪」も「私の罪」ではなく「われらの罪」である。そこも大事なポイントだと言うのでした。
またこうも書いています。「わたしたちは罪を、個人の失敗みたいに、自分一人の事柄として理解しがちである。しかし主の祈りは、「私の罪」ではなく「われらの罪」と言う。つまり主の祈りが問題にするのは、共同で犯している罪なのである」。
さらに次のような実例で説明しています。「アメリカは、奴隷制度という実に深い傷を負い続けている国です。人種問題はいまだ未解決です。なぜなら、過去はもう変えることはできないし、その解決として白人たちが選べるのは、それを忘れてしまうことだけだからです。今までの差別があまりにも過ちに満ちていたため、もう正しいほうに向きを変えることが不可能になったほどの事態に直面している。私たちはいったい何ができると言うのでしょうか」。
ウィリモン牧師のこの考えは、罪の問題を決してあいまいにしないという姿勢の表れです。ここが、鈴木先生のクラスメイトとの大きな違いですが、ただ彼らもおそらく、子どもの時から教会で、罪についての教えは学んできたはずで、決して自分は罪びとではないと考えていなかったはずです。あえて考えるなら、ウィリモンほど突き詰めて考えてはいなかった、あるいは自分の罪はそんなに重大ではないと考えていたかな だと思うのです。
話は変わりますが、一昨日、1日は関東大震災が発生した日でした。1914年生まれの私の母は、当時9歳で、大阪の小学校に通っていました。当番だったのでしょう、授業後の教室の黒板をふき取り、その黒板にチョークを一本一本ずつ立てかけていた途中でした。そのチョークがいっせいに倒れてしまったのでした。あとで知ったのは、その日の午前11時58分に東京で起きた大地震の影響でした。
ところで、この地震発生の時に、在日の朝鮮人並びに中国人が虐殺されるという事件が起きました。地震が各地に火事を引き起こしたため、社会主義者か朝鮮人による放火のためというデマが飛びかい、そのため武装した民間人が自警団を結成し、朝鮮人たちを見つけ次第殺害しました。逆された者の数は、官庁の記録でさえ482人、歴史学者たちの調査では6644人と報告されています。
当時日本は朝鮮を日韓併合によって統治下に置いたため、朝鮮の民衆の反抗が激しく、当局は日本にいる朝鮮人にも警戒の目を光らせていました。日本の人たちも、朝鮮人はいつ暴動を起こすか分からないという恐怖心を抱いていました。なお、その中に中国人も含まれていたのです。だから、朝鮮人・中国人への差別意識が根強く、残虐な行為にもかかわらず、メディアは非難の声を上げませんでした。
それから百年。先週の9月1日の前後には、東京の文京区や千代田区で、朝鮮人・中国人大虐殺・キリスト者追悼集会というのがいくつか開かれました。けれども、集会の企画者にしても、参加者にしても、大震災発生の時には誰も生まれていなかったのでした。しかし、当時のキリスト教はその事件にほおかむりをしていました。朝鮮人をかくまったり、殺されそうなところを命がけで守ったキリスト者はいましたが、組織としてのキリスト教は沈黙を守り続けました。だから、百年後のキリスト者たちは、そのことと自分は無関係と思えなかったので、「我らの罪を赦したまえ」を祈る行動に出たのでした。
最後になりますが、主の祈りの原文は、マタイ6章9節以下にあります。同じ主の祈りなのですが、私たちがふだん唱えている主の祈りとは、一点だけ違いがあります。それは私たちが口にする「罪」が、マタイ福音書では「負い目」となっていることです。実はマタイのほうがイエスの教えた祈りの言葉に忠実なのです。
つまりイエスの本来の主の祈りは、「我らの負い目を赦したまえ」だったのでした。ウィリモン牧師によれば白人アメリカ人には黒人に対する多大な「負い目」があるのでした。だから、「我らの負い目を赦したまえ」と祈るべきである。これに近い思いが、大震災後百年のキリスト者にも生まれていたのだと思われるのです。
わたしたちは、「われらの罪を赦したまえ」と祈る時、まず自分個人の罪を思います。しかし、そこで終わらず、「われらの罪」という意味の広がりにも、心を向けたいと思うのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)
※当日、白髭牧師入院中のため昨年の同じ主日のものを代議員さんに代読していただきました。
次週 9月1日 聖霊降臨後第15主日
説教題:種を蒔く人
説教者:白髭義 牧師
エレミヤ15:15~21,ロマ12;3~21、マタイ16:21~28
主の祈り/罪について
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わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがた一堂にありますように。
さて、わたしたちは、これまで主の祈りについて考えてきましたが、もう少し続けたいと思います。そこで本日は「我らの罪を赦したまえ」を取り上げます。考えたいことは「罪とは何か」です。それは言うまでもないことかも知れませんが、イエスがどう考えていたかなのです。
ところで、昨6月の17日、ルーテル神学校の鈴木浩先生が亡くなりました。神学者としての先生の業績はよく知られていますが、それとは別に、私には忘れられない話があります。先生は、日本ルーテル神学校を卒業したのち、再度アメリカの神学校に入学しました。その神学校で学んでいた時のことです。アメリカでも卒業論文は書かなければなりません。あるクラスメイトが質問しました。「ミスター・鈴木。あなたの論文のテーマは何ですか」。ミスター・鈴木は答えました。「わたしは罪について書きたいと思います」。それを聞いたクラスの全員が笑いました。「ミスター・鈴木、そのテーマは古い。時代遅れだよ」。
なお、鈴木先生から聞いた話はここまででした。しかし私は興味深い話だと思っていました。なぜなら、鈴木先生がアメリカで学んでいたのも神学校ですから、クラスメイトは神学生で、やがて牧師にという人たちばかりです。しかし、そういう神学生たちが、罪をテーマに書こうとしていた彼のことを笑ったのです。しかしそれは、彼らがちゃらんぽらんな神学生だったからではなく、何か理由があると思ったのでした。
ところで、アメリカには、ウィリアム・ウィリモンという人がいます。牧師であり神学者である彼は『主の祈り』という題の本を書きました。その本で彼は、主の祈りの主語が二人称複数なのに注意をうながしました。たとえば、「われらの日ごとに糧」は「私の日ごとの糧」ではなく「われらの糧」である。「われらの罪」も「私の罪」ではなく「われらの罪」である。そこも大事なポイントだと言うのでした。
またこうも書いています。「わたしたちは罪を、個人の失敗みたいに、自分一人の事柄として理解しがちである。しかし主の祈りは、「私の罪」ではなく「われらの罪」と言う。つまり主の祈りが問題にするのは、共同で犯している罪なのである」。
さらに次のような実例で説明しています。「アメリカは、奴隷制度という実に深い傷を負い続けている国です。人種問題はいまだ未解決です。なぜなら、過去はもう変えることはできないし、その解決として白人たちが選べるのは、それを忘れてしまうことだけだからです。今までの差別があまりにも過ちに満ちていたため、もう正しいほうに向きを変えることが不可能になったほどの事態に直面している。私たちはいったい何ができると言うのでしょうか」。
ウィリモン牧師のこの考えは、罪の問題を決してあいまいにしないという姿勢の表れです。ここが、鈴木先生のクラスメイトとの大きな違いですが、ただ彼らもおそらく、子どもの時から教会で、罪についての教えは学んできたはずで、決して自分は罪びとではないと考えていなかったはずです。あえて考えるなら、ウィリモンほど突き詰めて考えてはいなかった、あるいは自分の罪はそんなに重大ではないと考えていたかな だと思うのです。
話は変わりますが、一昨日、1日は関東大震災が発生した日でした。1914年生まれの私の母は、当時9歳で、大阪の小学校に通っていました。当番だったのでしょう、授業後の教室の黒板をふき取り、その黒板にチョークを一本一本ずつ立てかけていた途中でした。そのチョークがいっせいに倒れてしまったのでした。あとで知ったのは、その日の午前11時58分に東京で起きた大地震の影響でした。
ところで、この地震発生の時に、在日の朝鮮人並びに中国人が虐殺されるという事件が起きました。地震が各地に火事を引き起こしたため、社会主義者か朝鮮人による放火のためというデマが飛びかい、そのため武装した民間人が自警団を結成し、朝鮮人たちを見つけ次第殺害しました。逆された者の数は、官庁の記録でさえ482人、歴史学者たちの調査では6644人と報告されています。
当時日本は朝鮮を日韓併合によって統治下に置いたため、朝鮮の民衆の反抗が激しく、当局は日本にいる朝鮮人にも警戒の目を光らせていました。日本の人たちも、朝鮮人はいつ暴動を起こすか分からないという恐怖心を抱いていました。なお、その中に中国人も含まれていたのです。だから、朝鮮人・中国人への差別意識が根強く、残虐な行為にもかかわらず、メディアは非難の声を上げませんでした。
それから百年。先週の9月1日の前後には、東京の文京区や千代田区で、朝鮮人・中国人大虐殺・キリスト者追悼集会というのがいくつか開かれました。けれども、集会の企画者にしても、参加者にしても、大震災発生の時には誰も生まれていなかったのでした。しかし、当時のキリスト教はその事件にほおかむりをしていました。朝鮮人をかくまったり、殺されそうなところを命がけで守ったキリスト者はいましたが、組織としてのキリスト教は沈黙を守り続けました。だから、百年後のキリスト者たちは、そのことと自分は無関係と思えなかったので、「我らの罪を赦したまえ」を祈る行動に出たのでした。
最後になりますが、主の祈りの原文は、マタイ6章9節以下にあります。同じ主の祈りなのですが、私たちがふだん唱えている主の祈りとは、一点だけ違いがあります。それは私たちが口にする「罪」が、マタイ福音書では「負い目」となっていることです。実はマタイのほうがイエスの教えた祈りの言葉に忠実なのです。
つまりイエスの本来の主の祈りは、「我らの負い目を赦したまえ」だったのでした。ウィリモン牧師によれば白人アメリカ人には黒人に対する多大な「負い目」があるのでした。だから、「我らの負い目を赦したまえ」と祈るべきである。これに近い思いが、大震災後百年のキリスト者にも生まれていたのだと思われるのです。
わたしたちは、「われらの罪を赦したまえ」と祈る時、まず自分個人の罪を思います。しかし、そこで終わらず、「われらの罪」という意味の広がりにも、心を向けたいと思うのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)
※当日、白髭牧師入院中のため昨年の同じ主日のものを代議員さんに代読していただきました。
次週 9月1日 聖霊降臨後第15主日
説教題:種を蒔く人
説教者:白髭義 牧師