二日市教会主日礼拝説教 2023年7月23日(日)
聖霊降臨後第8主日
イザヤ44:6~8、ロマ8;12~25、マタイ13:24~30,36~43
「主の祈り/③キングダム・オブ・ゴッド」
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現在私たちは、主の祈りのことを考えています。そこで本日は「御国を来たらせたまえ」です。ところで、御国っていったい何でしょうか。
そこで、英語の聖書を見ると、御国の英語はキングダムとなっていました。キングダムなら意味は王国です。なお、御国は「あなたの国」、つまり「御国を来たらせたまえ」は「あなたのキングダムを来させてください」です。
ところで、旧約聖書の中身はキングダムつまり王国の歴史です。ダビデ王が基礎を作り、ソロモンが仕上げをしたのがイスラエル王国ですが、やがて歴代の王が神に背くようになり、ついにキングダムは滅亡してしまいます。
ところで、旧約時代に生きた人たちにはキングダムは現に存在するものでした。しかし王国滅亡で旧約時代が終わると、次は新約時代です。しかし、すでに王国はありません。イエスが生きていたこの時代のユダヤはローマ帝国の植民地になっていたからです。
このローマ帝国は世界最大のキングダムでした。しかしイエスやユダヤ人のためのキングダムではありませんでした。ローマは、自分たちを搾取し踏みにじるためにしか存在しなかったからです。だから、人々の心には、自分たちのためのキングダムが実現するようにという願望が根強くありました。でも、その実現のためには、実現させる人物の登場が必要でした。つまりメシアです。イエスの時代はメシア待望の空気に満ち満ちていました。
けれども、メシアの登場は、ローマとの戦争を意味していました。ところで、これはイエスの後の時代の話ですが、メシアが出現したのでした。その名はバル・コクバ。ちょうどその頃ローマは、エルサレムを自分たち好みの都市に改造しようと、ユダヤ人が怒るようなことを計画していました。それを知ったバル・コクバは同志を糾合して反乱を起こしたのでした。そして、ユダヤの独立を宣言すると、それはたちまち全ユダヤ人の知るところとなりました。
なお、この反乱の計画は非常に綿密に練られていました。それと、当時人民から絶大な人気を集めていたユダヤ教最高指導者ラビ・アキバがその墨付きを与えたために、反乱軍は破竹の勢いで進軍を始めました。そのため、長くローマの支配下にあったユダヤの土地は次々と奪還され、ついにコクバの軍はエルサレムに入城し支配権を確立したのでした。
しかし、最初はバル・コクバ軍に押されっぱなしだったローマ軍も、軍勢を立て直し、反撃を開始しました。そうなると、世界最強の軍隊は、バル・コクバが統治するユダヤの地を次々と奪回され、とうとうエルサレムをも陥落させました。こうして反乱は終結し、バル・コクバとラビ・アキバは処刑されました。この反乱では58万のユダヤ人が命を落としたと言われています。
なお、この反乱は第二次ユダヤ戦争とよばれています。つまり第一次反乱もあったのでした。それは、ペトロが死んでから少したった時期のことでした。歴史の本では、この第一次のほうが大きく取り扱われています。
このように、人の心にあるキングダム待望は、政治と軍事を行使しなければ実現しないものでした。ところで、ローマへの反感がいよいよ高まりを見せていた時期に、「神のキングダムは接近している」と説教をしたのでした。福音書によるとイエスはその説教を各地でしています。だから、聞いた人が「近づいているのなら自分も立ち上がらねば」と思ったとしても不思議はないのでした。つまり、そう思わせかねない教えをしていた、そして主の祈りでも、御国、すなわちキングダムを来たらせたまえという祈りを教えていたのでした。
ところで、そういう言い方ですと、神の国は、近い将来か遠い将来かは分からないが、とにかくまだ来ていないのでした。ところが、これがイエスの教えのややこしさというか、他方で彼は、もう来ているとも教えていたのでした。
こういう彼の言葉があります。「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところにきている」。これはマタイ12章ですが、ルカ11章にもこんなのがあります。「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」。
ところで、両者の共通点は、悪霊を追い出すという言葉です。つまりイエスは、自分が悪霊払いをする時は神の国は来ていると言っていたのでした。ところで、悪霊払いをわかりやすく言うと、それは心を病む者の癒しです。当時は、精神障害はサタンの仕業と考えられていました。ということは、イエスはそのサタンと戦わなければならなかったのでした。ところで荒野の誘惑の話にあるように、サタンには自分のキングダムがあります。一方イエスにもキングダム・オブ・ゴッドがあり、両者の戦いがあるが、イエスの中で神の力が強く働き勝利する。神の力が働いたのは、神の国がもう来ている証拠なのでした。
ところで、イエス自身の説明によると、彼のたとえ話は神の国のたとえでした。たとえば「からし種のたとえ」がそうです。神の国はあまりにも小さな存在である。何とも頼りないたとえでした。
でも、神の国が大空を覆うほどのスケールだったら、人はもう何もできないはずです。ただ指をくわえるしかありません。けれども、イエスの言うとおり、神の国がからし種ほどのサイズなら話は違ってくるはずです。それなら、自分もそれを大切にし育てることが出来ると思えるからです。
しかしながら、人々が待望していたキングダム・オブ・ゴッドはそんな小さなものではありませんでした。このため、多くの人がイエスに失望したと福音書には書かれているのです。
従って、あとは選択の問題になります。主の祈りの「御国を来たらせたまえ」を祈る者にとってのキングダム・オブ・ゴッドは、「狭き門」かも知れないからです。しかしイエスは「そこから入れ」と命じているからです。
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)
次回7月30日 聖霊降臨後第9主日
マタイによる福音書13:31~33,44~52
説教題 主の祈り④神の意思とは
※聖餐式があります。
聖霊降臨後第8主日
イザヤ44:6~8、ロマ8;12~25、マタイ13:24~30,36~43
「主の祈り/③キングダム・オブ・ゴッド」
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現在私たちは、主の祈りのことを考えています。そこで本日は「御国を来たらせたまえ」です。ところで、御国っていったい何でしょうか。
そこで、英語の聖書を見ると、御国の英語はキングダムとなっていました。キングダムなら意味は王国です。なお、御国は「あなたの国」、つまり「御国を来たらせたまえ」は「あなたのキングダムを来させてください」です。
ところで、旧約聖書の中身はキングダムつまり王国の歴史です。ダビデ王が基礎を作り、ソロモンが仕上げをしたのがイスラエル王国ですが、やがて歴代の王が神に背くようになり、ついにキングダムは滅亡してしまいます。
ところで、旧約時代に生きた人たちにはキングダムは現に存在するものでした。しかし王国滅亡で旧約時代が終わると、次は新約時代です。しかし、すでに王国はありません。イエスが生きていたこの時代のユダヤはローマ帝国の植民地になっていたからです。
このローマ帝国は世界最大のキングダムでした。しかしイエスやユダヤ人のためのキングダムではありませんでした。ローマは、自分たちを搾取し踏みにじるためにしか存在しなかったからです。だから、人々の心には、自分たちのためのキングダムが実現するようにという願望が根強くありました。でも、その実現のためには、実現させる人物の登場が必要でした。つまりメシアです。イエスの時代はメシア待望の空気に満ち満ちていました。
けれども、メシアの登場は、ローマとの戦争を意味していました。ところで、これはイエスの後の時代の話ですが、メシアが出現したのでした。その名はバル・コクバ。ちょうどその頃ローマは、エルサレムを自分たち好みの都市に改造しようと、ユダヤ人が怒るようなことを計画していました。それを知ったバル・コクバは同志を糾合して反乱を起こしたのでした。そして、ユダヤの独立を宣言すると、それはたちまち全ユダヤ人の知るところとなりました。
なお、この反乱の計画は非常に綿密に練られていました。それと、当時人民から絶大な人気を集めていたユダヤ教最高指導者ラビ・アキバがその墨付きを与えたために、反乱軍は破竹の勢いで進軍を始めました。そのため、長くローマの支配下にあったユダヤの土地は次々と奪還され、ついにコクバの軍はエルサレムに入城し支配権を確立したのでした。
しかし、最初はバル・コクバ軍に押されっぱなしだったローマ軍も、軍勢を立て直し、反撃を開始しました。そうなると、世界最強の軍隊は、バル・コクバが統治するユダヤの地を次々と奪回され、とうとうエルサレムをも陥落させました。こうして反乱は終結し、バル・コクバとラビ・アキバは処刑されました。この反乱では58万のユダヤ人が命を落としたと言われています。
なお、この反乱は第二次ユダヤ戦争とよばれています。つまり第一次反乱もあったのでした。それは、ペトロが死んでから少したった時期のことでした。歴史の本では、この第一次のほうが大きく取り扱われています。
このように、人の心にあるキングダム待望は、政治と軍事を行使しなければ実現しないものでした。ところで、ローマへの反感がいよいよ高まりを見せていた時期に、「神のキングダムは接近している」と説教をしたのでした。福音書によるとイエスはその説教を各地でしています。だから、聞いた人が「近づいているのなら自分も立ち上がらねば」と思ったとしても不思議はないのでした。つまり、そう思わせかねない教えをしていた、そして主の祈りでも、御国、すなわちキングダムを来たらせたまえという祈りを教えていたのでした。
ところで、そういう言い方ですと、神の国は、近い将来か遠い将来かは分からないが、とにかくまだ来ていないのでした。ところが、これがイエスの教えのややこしさというか、他方で彼は、もう来ているとも教えていたのでした。
こういう彼の言葉があります。「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところにきている」。これはマタイ12章ですが、ルカ11章にもこんなのがあります。「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」。
ところで、両者の共通点は、悪霊を追い出すという言葉です。つまりイエスは、自分が悪霊払いをする時は神の国は来ていると言っていたのでした。ところで、悪霊払いをわかりやすく言うと、それは心を病む者の癒しです。当時は、精神障害はサタンの仕業と考えられていました。ということは、イエスはそのサタンと戦わなければならなかったのでした。ところで荒野の誘惑の話にあるように、サタンには自分のキングダムがあります。一方イエスにもキングダム・オブ・ゴッドがあり、両者の戦いがあるが、イエスの中で神の力が強く働き勝利する。神の力が働いたのは、神の国がもう来ている証拠なのでした。
ところで、イエス自身の説明によると、彼のたとえ話は神の国のたとえでした。たとえば「からし種のたとえ」がそうです。神の国はあまりにも小さな存在である。何とも頼りないたとえでした。
でも、神の国が大空を覆うほどのスケールだったら、人はもう何もできないはずです。ただ指をくわえるしかありません。けれども、イエスの言うとおり、神の国がからし種ほどのサイズなら話は違ってくるはずです。それなら、自分もそれを大切にし育てることが出来ると思えるからです。
しかしながら、人々が待望していたキングダム・オブ・ゴッドはそんな小さなものではありませんでした。このため、多くの人がイエスに失望したと福音書には書かれているのです。
従って、あとは選択の問題になります。主の祈りの「御国を来たらせたまえ」を祈る者にとってのキングダム・オブ・ゴッドは、「狭き門」かも知れないからです。しかしイエスは「そこから入れ」と命じているからです。
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)
次回7月30日 聖霊降臨後第9主日
マタイによる福音書13:31~33,44~52
説教題 主の祈り④神の意思とは
※聖餐式があります。