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日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

9月24日

2023-09-28 12:48:33 | 日記
23年9月24日:聖霊降臨後第17主日
ヨナ書3:10~4:11,フィリピ1;21~30、マタイ20:1~16
「主の祈り⑪『こころみ(誘惑)』について」

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 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがた一堂にありますように。

さて、本日は主の祈りの中の「われらを試みに会わせず、悪より救い出したまえ」について考えます。なお、悪については次回考えますが、この「試み」という言葉は、主の祈りが出ているマタイ福音書6章の主の祈り、13節では「わたしたちを誘惑にあわせず」となっています。つまり「試み」も「誘惑」も同じということでしょうが、人によっては、誘惑は悪い意味もともなうが、試みは試練という言い方もあって苦しいこともあるが神に試されているのだからという前向きに捕えようという人もいるのです。

 それはともかく、本日の私たちは、「われらを試みにあわせず」で考えます。ただ問題なのは、試練にはピンからキリまでがあることです。だから模範的なクリスチャンは「全ては神の理由や目的がある」と説明するかもしれません。しかし、大震災やあまりにも理不尽な事件ごとまでその言葉で括られると納得できない人もいるかも知れないのです。

 そこで私たちはこの問題について、一人の牧師をとおして考えてみたいと思います。その人の名前は内藤新吾で、内藤さんは1961年の生まれです。今は、千葉県松戸市の稔台ルーテル教会の牧師をしていますが、生まれ育ったのは兵庫県でした。三歳で母親を亡くし、八歳で父親を亡くしますが、母の死のあとやって来た継母から虐待を受けました。ところが、彼よりずっと上の兄が、すでに家を出ていたのですが、実家に戻って虐待する継母を厳しく叱ったことで、新吾少年には大きな励ましになりました。
ところで、内藤さんは大きくなって神学校に行き、牧師になると愛知県名古屋の教会に赴任しました。ところがその直後、阪神淡路大震災が勃発しました。自分の生まれ故郷でもありますから、取るものもとりあえず、被災者救援活動のボランティアとして帰りました。そして神戸のがれきのただ中で毎日を過ごし、それからまた名古屋に帰りましたが、この時期、彼の心をとらえ続けていたことは、必ず起きると言われている東海沖地震のことでした。しかも牧師としての彼の活動範囲は静岡県の御前崎市も含まれていて、市には浜岡原発という原子力発電所があるのでなおさらでした。大きな地震が起きた時、この原発は大丈夫か。誰もが抱く不安を彼もいだいたのでした。

さて、内藤先生は牧師として、日雇い労働者の救援活動に参加していました。かつどうの拠点は、名古屋市内で、そこに野宿生活をしながら職を求めていた日雇い労働者が集まる寄せ場でした。そしてその活動の最中でたまたま出会った労働者が彼のその後の人生を左右することになりました。その人は、もう年配者でしたが、ずっと以前から原子力発電所の内部での仕事をしている人でした。すなわち被爆労働者です。内藤氏は親しみをこめてその人を「オジさん」と呼んでいます。そのオジさんがしてくれた話は、実に悲惨なもので、許されていいはずがないと思うようなことばかりでした。労働者は現場に入る際、放射線バッジやアラームを渡されるのですが、みんなはそれをはずして働いていました。なぜならブザーが鳴ったら係員がやってきて「おまえは明日から来なくてよい」と言われるからでした。しかも作業現場は高温多湿で、あまりの蒸し暑さにマスクもはずし、また汗と体温で曇るゴーグルも外してしまうのでした。現場に行かなくなってからも、いつ病気になるかという恐怖につきまとわれ、もしガンになっても放射線との因果関係は証明されず、労災もおりないのでした。この世界ではピンハネが横行し、訴えることもできない構造になっていました。それでもお金がなくて仕方なしに何度も働いてきた。原発被爆労働はまさに使い捨てのぼろ雑巾のようなものだ。それも、下請け、孫請けはまだしも、孫請け、ひ孫請け、さらにその下があるという構造になっている。四次、五次となるほど、命を削る労働がまっているのでした。なおこの話をしたオジさんは、その後内藤先生の教会に来るようになったので、さらに詳しく話が聞けました。それにしても、ある程度は原発の知識があった先生にとっても、あまりにも衝撃的な話でした。

さて、先生がその話を聞いたのは、東日本大震災より20年も前のことでした。先生は、考えを同じくする人たちと原発問題に取り組み始めました。ところが、取り組みがまだ十分はたせないうちに、2011年の3月11日、東日本大震災と福島原発の事故が起きてしまったのでした。「間に合わなかった!」。目の前が真っ暗になりました。しかし、暗澹たる思いを抱えながらも、その活動は続けられ今に至っているのです。

ところで、内藤先生は福島の事故の一年後に、『キリスト者として“原発”をどう考えるか』という本を書きました。題名どおりクリスチャンを読者に想定した本でした。その中に「試練についてどう受け止めるか」という章があります。この試練はイエスの主の祈りにでてくる「こころみ」と同じなのです。

さて、内藤先生はこう書いています。「クリスチャンは大変なことがあると、それは神のみ心」と結論付けたがるが、その同じ言葉を、不慮の悲しい事故や赦しがたい理不尽な事件に巻き込まれた人は口にするだろうか。この世には悲しい出来事がいっぱい起きるが、それは断じて神からではない。神は傷ついている人に寄り添う神だからだ。

そして先生は、自分の子ども時代の体験を紹介しながら書いています。自分がまだ幼い頃に両親を相次いで失くしたことについては、神さまも泣いてくださったと信じたので癒された。また、継母による虐待は、これは絶対神は喜んでいないと受け止めたので、乗り越えられた。それに、兄が来てくれた体験をも含めて、神は、この世で起きる試練で悲しみは悲しみとして当事者と共に噛みしめなさいと、また不正に対しては怒りなさいと求めておられると信じた。自分はそういう信仰の持ち主になったと書いていました。

 ところでクリスチャンは、理解を越えた出来事に直面すると、「全能な神がなぜこのようなことを」と思いがちです。普段は「み心のまま」と言っていた信仰がゆらぐこともあるのです。ところが内藤先生は、神が全能であると思う必要はないと書いています。大事なことは、神が傷つき悲しむ者に寄り添われるということである。その信仰の上にしっかり立つことが一番大事なのだというのでした。

 考えてみれば、私たちの信仰も神の全能に左右されるのではなく、キリストの十字架で示された神の愛が支えとなっています。その愛から抜け落ちることがないようにしてくださいというのが主の祈りで祈られることなのであります。


次回10月1日 聖霊降臨後第18主日
説教題:「 主の祈り⑫ 悪について 」
説教者: 白髭義牧師
※猛暑対策として、しばらくの間、ラウンジで礼拝を守っていましたが、次週より元に戻ります。

9月17日

2023-09-20 12:25:12 | 日記
23年9月17日:聖霊降臨後第16主日
創世記50:15~21,ロマ14;1~12、マタイ18:21~35
「主の祈り⑩究極のゆるし」
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 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがた一堂にありますように。

さて、私たちはイエスが教えた主の祈りのことを考えています。本日はその中の「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」という祈りにおける「ゆるし」というテーマを前回に続いて取り上げたいと思います。
ところで、そのテーマは今読んだマタイの18章21節以下にあるイエスのたとえ話も取り上げていました。そこで今回はそのたとえ話を中心に考えてゆきたいと思います。
さて、多くの人が首をひねるのは、絶対返せるはずがない金額の借金を赦してもらった家来が、頑張れば返せるはずの借金を彼にしていた仲間が赦せなかったことです。ただ、頑張って返すためには時間が必要でした。だから仲間は彼に「どうか待ってくれ。必ず返すから」としきりに頼んだのでした。しかしその声に耳を貸すことなく、その仲間を牢屋にぶちこんだのでした。
 ところで、話のいちばん最初の個所を見ると、家来も王の前で「どうか待ってください。きっと全部お返しします」と懇願しています。さて、このたとえ話で最も興味深い点は、家来にしても仲間にしても、相手に対して「我を憐れみたまえ」とか「わたしを憐れんでください」といったたぐいの台詞は口にしてないことです。口にした言葉は両者とも「待ってください」「待ってくれ」だったからです。なおこれは、時間の猶予を求める言葉であります。それに対して王は家来に借金を帳消しして時間を与えましたが、家来はそういう猶予は全く与えなかったのでした。
 ところで、この絶望的な数字の借金を抱えていたのに、生き延びたい一心から「必ず返しますから」とむなしい口約束を繰り返すのみでした。そのため王は哀れをもようし、「もう返さなくてもよい」と宣言したのでした。真っ暗だった人生の扉がさっと開いた瞬間でした。王が、これからも生きてよいとう時間を与えたからでした。
ところが、しあわせの絶頂だったこの家来はとんでもない誤解をしていたようでした。なぜなら彼は出会った仲間の首を絞めたからです。このことは王をはなはだがっかりさせました。なぜなら彼が家来に与えたすばらしい時間とは、愛が働くための時間だったからです。ここが、イエスのたとえの最大のポイントなのでした。しかし、その愛を踏みにじり、王の顔に泥を塗った家来は、決して許されることがないであろう。そのようなエピローグでもってこの話は終わったのでした。
ところで、しばしば誤解されることは、「キリスト教の神は何でも赦す神だ」というものです。しかし、イエスも聖書も、愛が裏切られることまで赦されるとはひとことも言っていません。そのことはまた、「クリスチャンだから何でも赦す」という誤解に対しても言えることです。不正を見ながら笑って過ごしていても、クリスチャンはクリスチャンなのか。そう考える人もいるかも知れませんが、イエスも聖書もその考えは断固拒否しているからです。

ところでこの問題を考える上で、ネルソン・マンデラはとても参考になるかも知れません。1995年のラグビー・ワールド・カップの南アフリカの会場で姿を現したマンデラ大統領に、世界中の人の目が釘付けになりました。マンデラはクリスチャンですから、主の祈りの「ゆるし」について、色々考えさせてくれるからです。
 そこでまず、教会学校で語られるマンデラ像から見てゆきます。南アフリカという国は長い間、肌の白い人たちが威張っていました。肌の黒い人たちは、強制的に働かされ、抵抗すると殴られたり蹴られたりしました。それは、人間としてしてはならないことですが、その国では当たり前のようにと思われていました。しかし、その中でも、「それはおかしい。間違っている」と声を上る人たちも出てきました。
 ただ、その人たちは逮捕され、ひどい目にあわされました。ところで声をあげた人の中に、ネルソン・マンデラという人がいました。彼も逮捕され牢屋に入れられました。牢屋にいたのは27年間です。入っていた独房という部屋は、2メートル四方しかなく、薄いシーツとトイレ代わりのバケツ、それに小さな机しかありませんでした。南アフリカは冬の寒さは北海道と同じですが、その冬も一枚の毛布しか与えられませんでした。しかも昼間は石を採掘する仕事をさせられ、ハンマーで岩を砕く過酷な労働を強いられました。
 けれども、南アフリカは間違っているという彼の声が世界中に届くようになり、ついに牢屋から出してもらえました。その後国の大統領選挙で当選しましたが、人々は「あれほど長い間ひどい目にあったのだから、大統領として仕返しをするのではないか」と思いましたが、それはありませんでした。むしろ黒人たちに、「二度と人が人を抑圧することがあってはならない。肌の白い人たちを赦し、力をあわせて、共に生きる国を作ろう」と呼びかけたのでした。マンデラは子どもの頃からイエスさまの話を聞いていました。そのイエスさまはマンデラの心に「ゆるしなさい」と語りかけていたのでした。
 以上が、教会学校の生徒たちが耳にするマンデラの話です。しかし、マンデラを立派なクリスチャンと見なしていない人も大勢います。なぜなら彼はガンジーと違って、無抵抗の非暴力主義者ではなかったから。彼の不服従運動はあくまで大勢を味方につける戦術にすぎなかったというのです。しかし、南アフリカの黒人にキリスト教を伝えたのは、西洋の白人宣教師で、彼らは白人に敵愾心を抱く黒人たちに「暴力はいけない」とキリストの名によって教えていました。
 しかしマンデラは相当したたかな黒人キリスト者でした。それが白人の目にクリスチャンらしくないと映ったのでした。ところがマンデラは大統領になっても復讐はしませんでした。むしろ赦しと和解の手を白人に差し伸べたほどです。それがたとえ政治的戦術だったとしても、復讐の連鎖に終止符を打ったことまで非難する人はいませんでした。
 さて、彼はこう考えていたと思われます。もう黒人は、痛みにじっと耐える敗北主義に甘んじる必要はない。うずくまり反撃するチャンスをうかがう必要もない。なぜなら、自分たちは赦しの主導権を握っているからだ。犠牲者であることをやめ、勝利者になろう。

 この考えが、いかにイエスからの影響を受けて成り立ってゆくものかを、私たちは見落とさないようにしたいのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週9月24日 聖霊降臨後第17主日
説教題:主の祈り⑪こころみ(誘惑)について
説教者:白髭義牧師

9月10日

2023-09-13 14:03:13 | 日記
聖霊降臨後第15主日
エゼキエル33:7~11,ロマ13;8~14、マタイ18:15~21
「主の祈り⑨/ゆるしについて」
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 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがた一堂にありますように

わたしたちは現在、主の祈りのことを考えています。先週は「罪について」を考えましたが、本日は「ゆるしについて」という題で考えます。
 ところで、最新号の『るうてる9月号』には、大阪の秋山牧師が「人を赦すこと」という説教を書いています。それによると、人が自分で犯した罪を罪としてなかなか認めようとしないのは、相手に対する優越感を保ちたいからである。だがそのままにしておいたら、その人の人生は怒りや恨みに支配されたままになるであろうということでした。
 ところで、本日は観点を変えて、幼い子どもたちの世界では「ゆるし」はどうなっているのかを考えてみたいと思います。その子たちは、大人から「あやまりなさい」と言われて初めてごめんなさいが言えるようになるのか。この問題を、『キリスト教保育』という雑誌の記事から、さぐってみることにしたいと思います。
そこで最初は、関西学院大学の先生で幼児教育が専門の橋本祐子さんが書いているものを読みます。こんな事例を紹介していました。ある園の4歳児のクラスで起きた出来事です。ある朝の自由時間、泣いているA子とそばで何かを訴えようとしているB子がいました。先生が聞いてみると、A子は積み木で何かを作ろうとしていたが、足りないものがあってそれを取りに行っている隙にB子が来て、その積み木で遊び始めた。戻ってきたA子は、自分のものが壊されたと知って泣いていたのでした。
 担任の先生はこの問題には、介入しないと心に決めました。すると、A子もB子も、床に座ったまま、何も言わずに見つめ合っていました。どちらもそこを動こうとしません。しばらくすると、B子がA子のひざの上に手を置きました。けれどもA子は無言でB子の顔を見つめています。まったく言葉はありませんでした。しかし、このとき2人の間には何かが通い始めているようでした。するとそこにC子が現れ、「何してんの?」という感じで二人をおちょくり始めました。二人はたまらず「ぷーっ」と吹き出した。そのあと3人で仲良く遊び始めたのだった。
 橋本先生は書いています。この子たちの口から「ごめんなさい」はなかった。けれども、子どもたちの世界では、「ごめんなさい」抜きでもめごとが収まるケースはかなり多いのである。ところが大人が「ごめんなさい」を言わせたら、子どもは従うであろう。だが以後子どもは、不誠実な行動を選ぶ人間となってゆくであろう。
 次は、東京の霊南坂教会付属幼稚園のレポートです。長い夏休みも終わって、二学期が始まった9月のこと。年中クラスにけんちゃんという男の子がいました。けんちゃんは年少のときから、自分の失敗をどう受け止めどう向き合うかに関してかなり問題がありました。してはならないことをした時、ぼくはやってないと言い張るのが彼だったからです。
ある日けんちゃんは砂場で遊んでいました。園庭には子どもが上に登れる遊具があり、彼の目はそれに目が行ってしまいます。そこで、シャベルを手にしたまま遊具に登ってしまいました。しかし園の約束事では、登る時は手に何も持たないことになっていました。でも年少の子たちはなかなか守れません。ところが、年中以上になると全員近くが守るようになっていました。ところがけんちゃんは年中なのに守らなかったのでした。
すると、それを見た先生が、「シャベルを持ったまま遊具には登らないのよね。一度それを片づけてらっしゃい」と言いました。ところがその先生が目を離した隙に、けんちゃんシャベルを上から落としたのでした。そして自分も降りたかと思うと、シャベルには見向きもしないでお部屋に入ろうとしました。すると別の先生が見ていて、彼にかなりきつく注意したので、けんちゃんは泣き出し、泣きながらシャベルをもとに戻したあと、お部屋に入ってゆきました。
すると、お部屋では年長のゆうたとえいじが遊んでいました。彼らが見ると、けんちゃんは泣いていました。わけをきくと「先生にしかられた」。そこでえいじが先生のところに行き、叱った理由を聞いた。聞き終わって戻って来ると、それをゆうたにも話した。それから二人はけんちゃんと向かい合い言った。「遊具に登る時は何も持ってたらいけないんだよね。落としたら下にいる子に当たってけがをさせるからね」。ところが、けんちゃんは黙ったままだった。するとゆうたが言う。「間違いは誰にもあるよ。ぼくも間違えるし、先生だって間違えるんだ。でもそんな時は、ごめんなさいって言えば大丈夫になんだよ」。でもけんちゃんは、なおも黙っていた。ゆうたは再び言った。「先生にごめんなさいをしておいでよ」。けれどもけんちゃんはためらっていた。そこで二人はこう言った。「一緒に行ってあげようか」。するとけんちゃんは細い声で「うん」と言った。
そこで3人は歩き出しました。するとゆうたが一足先に先生の所に行き「先生、ちょっと来て」と声をかける。「えっ、どうしたの」「あのね、けんちゃんが謝りたいんだって」。「わかりました」。そこに、えいじに手をつながれたけんちゃんが現れた。こうしてけんちゃんは、ついに謝ることが出来ました。先生が見ると、その時えいじはけんちゃんの手を思い切り強く握りしめていました。その心細さをよく察しているかのごとく。
ところで、聖書の世界では、人々は挨拶する際、シャロームという言葉を交わしました。このシャロームは、子どもたちの世界ではもっと広い意味で用いられていました。たとえば駆けっこで走って転んだ子が起き上がって最後まで走った時は「よくやった」の意味でシャロームの声がかかりました。あるいは、嫌いな野菜をついに食べた子どもには、母親がシャロームと言ってほめました。熱を出していた子どもが治った時は、家族一同でシャローム。そして、子ども同士でもめごとがあって、そのあと仲直りをする時、日本の子どもなら「ごめんね」と言い合うのと同じように、シャローム、シャロームと言い合いました。ゆるす、ゆるされるの関係もシャロームなのでした。
さて最後になりますが、神奈川県の鵠沼ルーテル幼稚園の事例です。年長の子どもたちが、外遊びが終えてお片付けを初めていました。そして、おもちゃなどを洗うためたらいに水が張られました。するとそこに年少の子が現れて、いきなりザブンと飛び込んで、ジャブジャブ水遊び始めました。全員あっけにとられましたが、注意する子も、やかましく言う子もいませんでした。あたかも、自分だってこんなに水が張られていたら飛び込みたいに決まっているという思いでいるかのように、笑いながら見つめていました。するとその子は、見られていることなどおかまいなく、マイペースで楽しむと、さっと立ち上がってたらいから出て、どこかに行ってしまったのでした。この園は、こういうことが日常茶飯事で、こんな感じでもほとんどうまくまわるのでした。

以上見たように、子どもの世界のゆるしは、自然体で行われてゆきます。この世界では、「わたしはあの人がゆるせない」という声は、聞くことが出来ないのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)



次週9月17日(日)聖霊降臨後第16主日
説教題:主の祈り⑩ 究極のゆるし
説教者:白髭 義

9月3日

2023-09-05 13:08:12 | 日記
聖霊降臨後第14主日
エレミヤ15:15~21,ロマ12;3~21、マタイ16:21~28
「主の祈り⑧/罪について」
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 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがた一堂にありますように。
 さて、わたしたちは、これまで主の祈りについて考えてきましたが、もう少し続けたいと思います。そこで本日は「我らの罪を赦したまえ」を取り上げます。考えたいことは「罪とは何か」です。それは言うまでもないことかも知れませんが、イエスがどう考えていたかなのです。
 ところで、昨6月の17日、ルーテル神学校の鈴木浩先生が亡くなりました。神学者としての先生の業績はよく知られていますが、それとは別に、私には忘れられない話があります。先生は、日本ルーテル神学校を卒業したのち、再度アメリカの神学校に入学しました。その神学校で学んでいた時のことです。アメリカでも卒業論文は書かなければなりません。あるクラスメイトが質問しました。「ミスター・鈴木。あなたの論文のテーマは何ですか」。ミスター・鈴木は答えました。「わたしは罪について書きたいと思います」。それを聞いたクラスの全員が笑いました。「ミスター・鈴木、そのテーマは古い。時代遅れだよ」。
 なお、鈴木先生から聞いた話はここまででした。しかし私は興味深い話だと思っていました。なぜなら、鈴木先生がアメリカで学んでいたのも神学校ですから、クラスメイトは神学生で、やがて牧師にという人たちばかりです。しかし、そういう神学生たちが、罪をテーマに書こうとしていた彼のことを笑ったのです。しかしそれは、彼らがちゃらんぽらんな神学生だったからではなく、何か理由があると思ったのでした。
ところで、アメリカには、ウィリアム・ウィリモンという人がいます。牧師であり神学者である彼は『主の祈り』という題の本を書きました。その本で彼は、主の祈りの主語が二人称複数なのに注意をうながしました。たとえば、「われらの日ごとに糧」は「私の日ごとの糧」ではなく「われらの糧」である。「われらの罪」も「私の罪」ではなく「われらの罪」である。そこも大事なポイントだと言うのでした。
またこうも書いています。「わたしたちは罪を、個人の失敗みたいに、自分一人の事柄として理解しがちである。しかし主の祈りは、「私の罪」ではなく「われらの罪」と言う。つまり主の祈りが問題にするのは、共同で犯している罪なのである」。
さらに次のような実例で説明しています。「アメリカは、奴隷制度という実に深い傷を負い続けている国です。人種問題はいまだ未解決です。なぜなら、過去はもう変えることはできないし、その解決として白人たちが選べるのは、それを忘れてしまうことだけだからです。今までの差別があまりにも過ちに満ちていたため、もう正しいほうに向きを変えることが不可能になったほどの事態に直面している。私たちはいったい何ができると言うのでしょうか」。
ウィリモン牧師のこの考えは、罪の問題を決してあいまいにしないという姿勢の表れです。ここが、鈴木先生のクラスメイトとの大きな違いですが、ただ彼らもおそらく、子どもの時から教会で、罪についての教えは学んできたはずで、決して自分は罪びとではないと考えていなかったはずです。あえて考えるなら、ウィリモンほど突き詰めて考えてはいなかった、あるいは自分の罪はそんなに重大ではないと考えていたかなのだと思うのです。
話は変わりますが、一昨日、1日は関東大震災が発生した日でした。1914年生まれの私の母は、当時9歳で、大阪の小学校に通っていました。当番だったのでしょう、授業後の教室の黒板をふき取り、その黒板にチョークを一本一本ずつ立てかけていた途中でした。そのチョークがいっせいに倒れてしまったのでした。あとで知ったのは、その日の午前11時58分に東京で起きた大地震の影響でした。
ところで、この地震発生の時に、在日の朝鮮人並びに中国人が虐殺されるという事件が起きました。地震が各地に火事を引き起こしたため、社会主義者か朝鮮人による放火のためというデマが飛びかい、そのため武装した民間人が自警団を結成し、朝鮮人たちを見つけ次第殺害しました。虐殺された者の数は、官庁の記録でさえ482人、歴史学者たちの調査では6644人と報告されています。
当時日本は朝鮮を日韓併合によって統治下に置いたため、朝鮮の民衆の反抗が激しく、当局は日本にいる朝鮮人にも警戒の目を光らせていました。日本の人たちも、朝鮮人はいつ暴動を起こすか分からないという恐怖心を抱いていました。なお、その中に中国人も含まれていたのです。だから、朝鮮人・中国人への差別意識が根強く、残虐な行為にもかかわらず、メディアは非難の声を上げませんでした。
それから百年。先週の9月1日の前後には、東京の文京区や千代田区で、朝鮮人・中国人大虐殺・キリスト者追悼集会というのがいくつか開かれました。けれども、集会の企画者にしても、参加者にしても、大震災発生の時には誰も生まれていなかったのでした。しかし、当時のキリスト教はその事件にほおかむりをしていました。朝鮮人をかくまったり、殺されそうなところを命がけで守ったキリスト者はいましたが、組織としてのキリスト教は沈黙を守り続けました。だから、百年後のキリスト者たちは、そのことと自分は無関係と思えなかったので、「我らの罪を赦したまえ」を祈る行動に出たのでした。
最後になりますが、主の祈りの原文は、マタイ6章9節以下にあります。同じ主の祈りなのですが、私たちがふだん唱えている主の祈りとは、一点だけ違いがあります。それは私たちが口にする「罪」が、マタイ福音書では「負い目」となっていることです。実はマタイのほうがイエスの教えた祈りの言葉に忠実なのです。
つまりイエスの本来の主の祈りは、「我らの負い目を赦したまえ」だったのでした。ウィリモン牧師によれば白人アメリカ人には黒人に対する多大な「負い目」があるのでした。だから、「我らの負い目を赦したまえ」と祈るべきである。これに近い思いが、大震災後百年のキリスト者にも生まれていたのだと思われるのです。
わたしたちは、「われらの罪を赦したまえ」と祈る時、まず自分個人の罪を思います。しかし、そこで終わらず、「われらの罪」という意味の広がりにも、心を向けたいと思うのであります。
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭 義)


次週9月10日 聖霊降臨後第15主日
説教題:主の祈り⑨ゆるしについて
説教者:白髭 義牧師