23年9月24日:聖霊降臨後第17主日
ヨナ書3:10~4:11,フィリピ1;21~30、マタイ20:1~16
「主の祈り⑪『こころみ(誘惑)』について」
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わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがた一堂にありますように。
さて、本日は主の祈りの中の「われらを試みに会わせず、悪より救い出したまえ」について考えます。なお、悪については次回考えますが、この「試み」という言葉は、主の祈りが出ているマタイ福音書6章の主の祈り、13節では「わたしたちを誘惑にあわせず」となっています。つまり「試み」も「誘惑」も同じということでしょうが、人によっては、誘惑は悪い意味もともなうが、試みは試練という言い方もあって苦しいこともあるが神に試されているのだからという前向きに捕えようという人もいるのです。
それはともかく、本日の私たちは、「われらを試みにあわせず」で考えます。ただ問題なのは、試練にはピンからキリまでがあることです。だから模範的なクリスチャンは「全ては神の理由や目的がある」と説明するかもしれません。しかし、大震災やあまりにも理不尽な事件ごとまでその言葉で括られると納得できない人もいるかも知れないのです。
そこで私たちはこの問題について、一人の牧師をとおして考えてみたいと思います。その人の名前は内藤新吾で、内藤さんは1961年の生まれです。今は、千葉県松戸市の稔台ルーテル教会の牧師をしていますが、生まれ育ったのは兵庫県でした。三歳で母親を亡くし、八歳で父親を亡くしますが、母の死のあとやって来た継母から虐待を受けました。ところが、彼よりずっと上の兄が、すでに家を出ていたのですが、実家に戻って虐待する継母を厳しく叱ったことで、新吾少年には大きな励ましになりました。
ところで、内藤さんは大きくなって神学校に行き、牧師になると愛知県名古屋の教会に赴任しました。ところがその直後、阪神淡路大震災が勃発しました。自分の生まれ故郷でもありますから、取るものもとりあえず、被災者救援活動のボランティアとして帰りました。そして神戸のがれきのただ中で毎日を過ごし、それからまた名古屋に帰りましたが、この時期、彼の心をとらえ続けていたことは、必ず起きると言われている東海沖地震のことでした。しかも牧師としての彼の活動範囲は静岡県の御前崎市も含まれていて、市には浜岡原発という原子力発電所があるのでなおさらでした。大きな地震が起きた時、この原発は大丈夫か。誰もが抱く不安を彼もいだいたのでした。
さて、内藤先生は牧師として、日雇い労働者の救援活動に参加していました。かつどうの拠点は、名古屋市内で、そこに野宿生活をしながら職を求めていた日雇い労働者が集まる寄せ場でした。そしてその活動の最中でたまたま出会った労働者が彼のその後の人生を左右することになりました。その人は、もう年配者でしたが、ずっと以前から原子力発電所の内部での仕事をしている人でした。すなわち被爆労働者です。内藤氏は親しみをこめてその人を「オジさん」と呼んでいます。そのオジさんがしてくれた話は、実に悲惨なもので、許されていいはずがないと思うようなことばかりでした。労働者は現場に入る際、放射線バッジやアラームを渡されるのですが、みんなはそれをはずして働いていました。なぜならブザーが鳴ったら係員がやってきて「おまえは明日から来なくてよい」と言われるからでした。しかも作業現場は高温多湿で、あまりの蒸し暑さにマスクもはずし、また汗と体温で曇るゴーグルも外してしまうのでした。現場に行かなくなってからも、いつ病気になるかという恐怖につきまとわれ、もしガンになっても放射線との因果関係は証明されず、労災もおりないのでした。この世界ではピンハネが横行し、訴えることもできない構造になっていました。それでもお金がなくて仕方なしに何度も働いてきた。原発被爆労働はまさに使い捨てのぼろ雑巾のようなものだ。それも、下請け、孫請けはまだしも、孫請け、ひ孫請け、さらにその下があるという構造になっている。四次、五次となるほど、命を削る労働がまっているのでした。なおこの話をしたオジさんは、その後内藤先生の教会に来るようになったので、さらに詳しく話が聞けました。それにしても、ある程度は原発の知識があった先生にとっても、あまりにも衝撃的な話でした。
さて、先生がその話を聞いたのは、東日本大震災より20年も前のことでした。先生は、考えを同じくする人たちと原発問題に取り組み始めました。ところが、取り組みがまだ十分はたせないうちに、2011年の3月11日、東日本大震災と福島原発の事故が起きてしまったのでした。「間に合わなかった!」。目の前が真っ暗になりました。しかし、暗澹たる思いを抱えながらも、その活動は続けられ今に至っているのです。
ところで、内藤先生は福島の事故の一年後に、『キリスト者として“原発”をどう考えるか』という本を書きました。題名どおりクリスチャンを読者に想定した本でした。その中に「試練についてどう受け止めるか」という章があります。この試練はイエスの主の祈りにでてくる「こころみ」と同じなのです。
さて、内藤先生はこう書いています。「クリスチャンは大変なことがあると、それは神のみ心」と結論付けたがるが、その同じ言葉を、不慮の悲しい事故や赦しがたい理不尽な事件に巻き込まれた人は口にするだろうか。この世には悲しい出来事がいっぱい起きるが、それは断じて神からではない。神は傷ついている人に寄り添う神だからだ。
そして先生は、自分の子ども時代の体験を紹介しながら書いています。自分がまだ幼い頃に両親を相次いで失くしたことについては、神さまも泣いてくださったと信じたので癒された。また、継母による虐待は、これは絶対神は喜んでいないと受け止めたので、乗り越えられた。それに、兄が来てくれた体験をも含めて、神は、この世で起きる試練で悲しみは悲しみとして当事者と共に噛みしめなさいと、また不正に対しては怒りなさいと求めておられると信じた。自分はそういう信仰の持ち主になったと書いていました。
ところでクリスチャンは、理解を越えた出来事に直面すると、「全能な神がなぜこのようなことを」と思いがちです。普段は「み心のまま」と言っていた信仰がゆらぐこともあるのです。ところが内藤先生は、神が全能であると思う必要はないと書いています。大事なことは、神が傷つき悲しむ者に寄り添われるということである。その信仰の上にしっかり立つことが一番大事なのだというのでした。
考えてみれば、私たちの信仰も神の全能に左右されるのではなく、キリストの十字架で示された神の愛が支えとなっています。その愛から抜け落ちることがないようにしてくださいというのが主の祈りで祈られることなのであります。
次回10月1日 聖霊降臨後第18主日
説教題:「 主の祈り⑫ 悪について 」
説教者: 白髭義牧師
※猛暑対策として、しばらくの間、ラウンジで礼拝を守っていましたが、次週より元に戻ります。
ヨナ書3:10~4:11,フィリピ1;21~30、マタイ20:1~16
「主の祈り⑪『こころみ(誘惑)』について」
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わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがた一堂にありますように。
さて、本日は主の祈りの中の「われらを試みに会わせず、悪より救い出したまえ」について考えます。なお、悪については次回考えますが、この「試み」という言葉は、主の祈りが出ているマタイ福音書6章の主の祈り、13節では「わたしたちを誘惑にあわせず」となっています。つまり「試み」も「誘惑」も同じということでしょうが、人によっては、誘惑は悪い意味もともなうが、試みは試練という言い方もあって苦しいこともあるが神に試されているのだからという前向きに捕えようという人もいるのです。
それはともかく、本日の私たちは、「われらを試みにあわせず」で考えます。ただ問題なのは、試練にはピンからキリまでがあることです。だから模範的なクリスチャンは「全ては神の理由や目的がある」と説明するかもしれません。しかし、大震災やあまりにも理不尽な事件ごとまでその言葉で括られると納得できない人もいるかも知れないのです。
そこで私たちはこの問題について、一人の牧師をとおして考えてみたいと思います。その人の名前は内藤新吾で、内藤さんは1961年の生まれです。今は、千葉県松戸市の稔台ルーテル教会の牧師をしていますが、生まれ育ったのは兵庫県でした。三歳で母親を亡くし、八歳で父親を亡くしますが、母の死のあとやって来た継母から虐待を受けました。ところが、彼よりずっと上の兄が、すでに家を出ていたのですが、実家に戻って虐待する継母を厳しく叱ったことで、新吾少年には大きな励ましになりました。
ところで、内藤さんは大きくなって神学校に行き、牧師になると愛知県名古屋の教会に赴任しました。ところがその直後、阪神淡路大震災が勃発しました。自分の生まれ故郷でもありますから、取るものもとりあえず、被災者救援活動のボランティアとして帰りました。そして神戸のがれきのただ中で毎日を過ごし、それからまた名古屋に帰りましたが、この時期、彼の心をとらえ続けていたことは、必ず起きると言われている東海沖地震のことでした。しかも牧師としての彼の活動範囲は静岡県の御前崎市も含まれていて、市には浜岡原発という原子力発電所があるのでなおさらでした。大きな地震が起きた時、この原発は大丈夫か。誰もが抱く不安を彼もいだいたのでした。
さて、内藤先生は牧師として、日雇い労働者の救援活動に参加していました。かつどうの拠点は、名古屋市内で、そこに野宿生活をしながら職を求めていた日雇い労働者が集まる寄せ場でした。そしてその活動の最中でたまたま出会った労働者が彼のその後の人生を左右することになりました。その人は、もう年配者でしたが、ずっと以前から原子力発電所の内部での仕事をしている人でした。すなわち被爆労働者です。内藤氏は親しみをこめてその人を「オジさん」と呼んでいます。そのオジさんがしてくれた話は、実に悲惨なもので、許されていいはずがないと思うようなことばかりでした。労働者は現場に入る際、放射線バッジやアラームを渡されるのですが、みんなはそれをはずして働いていました。なぜならブザーが鳴ったら係員がやってきて「おまえは明日から来なくてよい」と言われるからでした。しかも作業現場は高温多湿で、あまりの蒸し暑さにマスクもはずし、また汗と体温で曇るゴーグルも外してしまうのでした。現場に行かなくなってからも、いつ病気になるかという恐怖につきまとわれ、もしガンになっても放射線との因果関係は証明されず、労災もおりないのでした。この世界ではピンハネが横行し、訴えることもできない構造になっていました。それでもお金がなくて仕方なしに何度も働いてきた。原発被爆労働はまさに使い捨てのぼろ雑巾のようなものだ。それも、下請け、孫請けはまだしも、孫請け、ひ孫請け、さらにその下があるという構造になっている。四次、五次となるほど、命を削る労働がまっているのでした。なおこの話をしたオジさんは、その後内藤先生の教会に来るようになったので、さらに詳しく話が聞けました。それにしても、ある程度は原発の知識があった先生にとっても、あまりにも衝撃的な話でした。
さて、先生がその話を聞いたのは、東日本大震災より20年も前のことでした。先生は、考えを同じくする人たちと原発問題に取り組み始めました。ところが、取り組みがまだ十分はたせないうちに、2011年の3月11日、東日本大震災と福島原発の事故が起きてしまったのでした。「間に合わなかった!」。目の前が真っ暗になりました。しかし、暗澹たる思いを抱えながらも、その活動は続けられ今に至っているのです。
ところで、内藤先生は福島の事故の一年後に、『キリスト者として“原発”をどう考えるか』という本を書きました。題名どおりクリスチャンを読者に想定した本でした。その中に「試練についてどう受け止めるか」という章があります。この試練はイエスの主の祈りにでてくる「こころみ」と同じなのです。
さて、内藤先生はこう書いています。「クリスチャンは大変なことがあると、それは神のみ心」と結論付けたがるが、その同じ言葉を、不慮の悲しい事故や赦しがたい理不尽な事件に巻き込まれた人は口にするだろうか。この世には悲しい出来事がいっぱい起きるが、それは断じて神からではない。神は傷ついている人に寄り添う神だからだ。
そして先生は、自分の子ども時代の体験を紹介しながら書いています。自分がまだ幼い頃に両親を相次いで失くしたことについては、神さまも泣いてくださったと信じたので癒された。また、継母による虐待は、これは絶対神は喜んでいないと受け止めたので、乗り越えられた。それに、兄が来てくれた体験をも含めて、神は、この世で起きる試練で悲しみは悲しみとして当事者と共に噛みしめなさいと、また不正に対しては怒りなさいと求めておられると信じた。自分はそういう信仰の持ち主になったと書いていました。
ところでクリスチャンは、理解を越えた出来事に直面すると、「全能な神がなぜこのようなことを」と思いがちです。普段は「み心のまま」と言っていた信仰がゆらぐこともあるのです。ところが内藤先生は、神が全能であると思う必要はないと書いています。大事なことは、神が傷つき悲しむ者に寄り添われるということである。その信仰の上にしっかり立つことが一番大事なのだというのでした。
考えてみれば、私たちの信仰も神の全能に左右されるのではなく、キリストの十字架で示された神の愛が支えとなっています。その愛から抜け落ちることがないようにしてくださいというのが主の祈りで祈られることなのであります。
次回10月1日 聖霊降臨後第18主日
説教題:「 主の祈り⑫ 悪について 」
説教者: 白髭義牧師
※猛暑対策として、しばらくの間、ラウンジで礼拝を守っていましたが、次週より元に戻ります。