日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

9月22日

2024-09-26 14:39:43 | 日記
エレミヤ11:18~20、ヤコブ3:13~4:3、7~8a、マタイ18:12~14、ルカ15:1~7
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二日市教会主日礼拝説教 2024年9月22日(日)
「 ちいさいひつじが 」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
 イエスのたとえ話。本日は、ルカ福音書15章の「見失った羊のたとえ」を取り上げたいと思います。
 ところで、キリスト教の幼稚園や保育園で子どもたちがよく歌っている歌に「ちいさいひつじが」というのがあります。この歌は今の「見失った羊」を題材としていますが、こんな歌詞です。「小さい羊が家を離れ、ある日遠くへあそびに行き、花さく野はらのおもしろさに、かえる道さえわすれました。けれどもやがて夜になると、あたりは暗くさびしくなり、家がこいしく羊は今、声もかなしく鳴いています」。

 話は変わりますが、夏目漱石の『三四郎』には、ストレイ・シープという言葉が何度も出てきます。ストレイという英語は「迷った」の意味で、ストレイシープは迷える羊ですが、漱石は間違いなく聖書からそれを取っています。小説の舞台は明治の都会・東京ですが、急速に近代化が進む中でついてゆけず、自分を見失いがちな若者たちを漱石はストレイ・シープと呼ぶのでした。
 けれども、漱石のストレイ・シープは今のルカ福音書からとられたものではありません。そうではなく、マタイからとられているからです。新約聖書の35頁、マタイ18章10節以下のことでそこは「迷い出た羊」になっているからです。つまり聖書には、羊の話が二つあるのです。

 そう考えると、子どもたちが歌う「ちいさいひつじが」も迷い出た羊、漱石の羊も迷い出た羊ですから、両方ともマタイからとなるのですが、本日私たちが考えるのはルカの羊のほうです。しかし、その前にマタイをもう少し見ておきます。先ほども考えましたが、マタイの羊は独自に自由行動を取った羊です。その結果「ストレイ」しますが、それは自己責任です。でも最後は救出されるので、結果はルカと同じなのですが、マタイのは罪を犯した人間のたとえと思わせるものがあります。
 その点ルカはというと、羊の行動のことは何も言われていません。書かれていることは、「羊飼いが一匹を見失った」だけだったからです。自己責任が問われると言う意味なら羊飼いのほうで、羊の責任が問われる話にはなっていません。
 そういうことよりも、羊の習性が問われるかも知れません。というのも、どんな動物にも自己防衛本能がありますが、それの本能がどんな事態にもパーフェクトに機能するかというと、それぞれウィークポイントはあるものです。それは羊についても言えることで、羊のウィークポイントは、クルマで言うとバックが下手ということにあります。

 というのも羊が飼われていた聖書の土地は、岩だらけの場所で、岩と岩の間の狭い箇所に体が入ってしまうと、その体をそのままバックさせるのが至難の業で、要するにあとずさりという行動が上手でないのが羊だからです。
 だから羊飼いにとって、見失った羊を発見する際のチェックポイントも、そのような場所に絞って岩に挟まって身動きならない羊を見つけることでした。もしそれを見落とせば、その羊はその場所でついに命を落とすのでした。これは言いかえると、(ルカの)羊は何キロもどんどん先に行くのではなく、羊飼いが大声で呼べば聞こえる範囲内で動けなくなっているのでした。ところで、こどもたちは歌います。「とうとうやさしい羊かいは、まいごの羊をみつけました」
 以上、ルカの羊はマタイと違って思ったほど自由奔放ではなかったということです。マタイの羊は自分の行動の責任が厳しく問われても仕方ないのですが、ルカの羊は、ついうっかり狭い所にはまり込んだと見なしたいのであります。
 ところで、以上はイエスのたとえ話です。その話は表面上はやさしい羊飼いが迷子の羊を見つけて帰ってきた、めでたしめでたしとなっていますが、本当の意味でのめでたしだったかは、考えてみる必要があるかも知れません。
 というのも、羊飼いには羊が百匹いたのですが、その中の一匹が行方不明になり、ついには見つけて連れ帰りました。しかし、連れ帰った所は、仲間の99匹がいる所ではありませんでした。なぜならその羊を自宅に連れ帰ったからです。なぜか? そこは、考える必要があると思われるのです。

 ところでたとえ話は、羊飼いが人々を集めて羊が見つかった祝いのパーティーを開くというところで終わっています。しかし、そう言われている箇所で気になることは、その一匹の羊が「悔い改める一人の罪人(7節)」と言われたことです。これはよく考えてみれば、イエスが本当に言った言葉ではありません。
 なぜなら、この(ルカの)羊は、自分のおかした罪を悔い改めたりはしていないからです。だから、「悔い改めた」というのは、イエスよりずっとのちの人間が、自分の解釈でそう書き加えた言葉なのです。

 なお、あともうひとつ、同じ7節には「悔い改める必要のない99人」という言葉が出てきます。これはどう考えても薄気味悪い言葉で、偽善や独善のにおいがぷんぷんしてたまらないこの言葉も明らかに、イエスの言葉ではありえないのです。
 いずれにしても、ルカの羊が行方不明になったのは偶発的なアクシデントなのに、それを悔い改めるべき罪の行動と見なしているここは、あまりにも強引な言い方と思わざるをえません。それよりも私たちは、羊飼いがこの一匹を元の仲間のいる所に返さなかったことに注目したいのです。なぜなら、百匹の羊たちの間には確執があって、そこに戻されることは、この羊の本意ではなかったと思われるからです。だから、羊が本当の居場所(羊飼いの家)に連れ帰ってもらえたことこそが「めでたしめでたし」であったと思いたいのであります。
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週 9月29日 聖霊降臨後第19主日
説教題: ラザロと富める人
説教者:白髭義 牧師
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9月15日

2024-09-19 11:59:27 | 日記
イザヤ50:4~9a、ヤコブ3:1~12、マルコ4:1~9、26~29
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二日市教会主日礼拝説教 2024年9月15日(日)
イエスのたとえ話「種を蒔く人」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
久しぶりになりますが、イエスのたとえ話を考えたいと思います。そこで本日は「種を蒔く人」という題にしていますが、マルコによる福音書の4章全体を視野に入れながら ということにいたします。
 なお、このマルコ4章には種という言葉がたくさん出てきます。イエスがいかに種をテーマにした話を多くしていたかがわかるのですが、ここで私たち日本人が困るのは、種と言われても 何の種か? がわからないということだと思います。

ところで、教会には『こどもさんびか』という子どもたち向けの歌の本があります。その中に、イエスのたとえ話「種を蒔く人」が歌になったのがあります。その歌詞は、「むぎのたねまきますパラパラパラ」で始まります。つまりこの歌は、種を蒔いている人の種は麦ですと言っているのです。
 つまり、同じ教会の屋根の下にいても、こどもは、種とは麦の種だと知っているのに対して、大人の讃美歌にはこの歌がないので、それを知っている人はいない(もしくはごく少数)ということになるのです。もちろん大人も、それをヒマワリの種だと思っている人はいないはずですが、私たちが使っている聖書もそれは麦の種だと書かれていないので、何となく漠然と麦の種ではないだろうかと思っている人が大多数なのです。

もちろん、イエスが言うのは麦の種で、より正確には小麦の種です。なぜ小麦かというと、小麦を粉にしたものを水で溶いて焼いたパンは、どの家庭でも欠かせない毎日の食糧だったからです。日本でも昔お米は絶対に欠かせない穀物でしたが、それと同じようにイエスの時代の人々にとっては、小麦は最重要な食糧でした。
 さてそれほど重要な穀物だったから、農夫たちが小麦作りには最新の注意を払い続けました。新約聖書が書かれるよりも五百年ほど前に書かれたイザヤ書でもそれは言われています。(旧約の1104頁の)イザヤ28章の「農夫の知恵」のことです。こう書かれています。
すなわちこの「農夫の知恵」には、農夫が穀物栽培する際にはどのような手順でそれを行うかが記されているのですが、農夫はまず土を耕す。次に畝を作る。それから、穀物の種類に応じた育て方をする。そういうことは神が与えたもう知恵であるというのです。これを読むと、預言者イザヤの大昔の農夫でさえ、種を一粒もむだにしない努力をしていたことが分かるのです。ことに、麦作りという農作業の大前提は土を念入りに耕すことだと書かれているのです。

 なおイザヤはイエスよりはるか昔の人です。そんな大昔でさえ、人々は小麦作りに細心の注意を払っていたわけで、それからイエスまでの間、農業もさらに進歩をとげていたはずです。しかしその中で、イザヤの時にはもうそうなっていた麦作りの手順、つまり最初に土を耕し、種を蒔くのはその次という手順は忠実に守られ続けていたのでした。
 ところが、そのように守られていたイエスの時代、イエスのたとえ話「種蒔く人」の農夫はその手順を完全に無視していたのでした。まず耕すのでなく、いきなり種をパラ、パラ蒔いたからです。しかもこの農夫は、種がどこに落ちようが無頓着、道だろうが、石地だろうが、茨だらけの場所(ブッシュ)だろうが、お構いなしだからです。

ところで問題は、このたとえをイエスがしていた時、それを聞いていたのは誰だったかです。というのも、話を聞いていた人たち自身も農夫だったからです。しかも彼らは、話をしているイエスを農業に関するずぶの素人だとは思っていませんでした。というのもイエス自身が純農村地帯の生まれ育ちで、父親はたしかに村の大工でしたが、幼ななじみの友達は全員が農業に関係していたからです。
そんなイエスを知っていた彼らですから、話に出てきた農夫が、種を無駄にするような「非常識」なことをしても平気で聞いていて、きっとこの話には「ウラ」がある、メッセージのようなものがあるに違いないと期待しながら耳を傾けていたのでした。だから、自分たちにとっては超貴重な種が、たとえ話では無駄遣いされてしまうという話の面白さ、無駄を全く気にしない農夫の気前の良さ、太っ腹を知って、農業上のリスクは承知でもそれをつらぬくという強固な意志から感じ取られるのが、イエスの信じる神だと気がつくようになるのでした。
 こうしてイエスは、農夫なら誰もが熟知する世界に自分も分け入りながら、自分の信じる神をもしっかり語っていたのでした。

ところで、4章には、26節から29節までの「成長する種のたとえ」という話がありました。そしてこの話にも土に種を蒔く男の話が出てきたのでした。
 さて、こちらの話の内容はもっと極端でした。なぜなら、男は、種蒔きのあとは、何もすることがなく一日中ぶらぶらしていたからです。朝が来ても起きるだけ、夜になったら寝るだけ。することなど他にはないという感じですが、それでも大丈夫! 麦のたねは自分で実を結ぶから。たしかに収穫の時は来るのですが、その時(終末!)まではぐうたらしていてよい。これが、彼の「教え」なのでした。

さて、この話に耳を傾けていたのも、現実には朝から夕方まで一生懸命働き続ける農夫たちでした。しかしイエスは彼らの現実から「人間の領域」を抜き取り、そのあとに残る「土」の部分だけをクローズアップしたのでした。そして言います。「土はひとりでに実を結ぶ」。
とかく人間は、自分にも神に協力できる部分があると思い込みがちです。しかしイエス自身は、自分は神への百パーセントの依存で生きるという人生観の持ち主でした。だからそれは、人間的には、ぐうたら人生のお勧めとなったのであります。
              (日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週 9月22日 聖霊降臨後第18主日
説教題:たとえ話 ロストシープ
説教者:白髭義牧師
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9月8日

2024-09-13 09:51:39 | 日記
24年9月8日:聖霊降臨後第16主日
イザヤ35:4~7a,ヤコブ2:1~10、マタイ10:40~42
「私にとっての神」
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 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが皆さま一堂の上にありますように。
さて私は、ここのところずっと体調を崩し、入院にもなって、退院出来たと思ったらその後の回復がはかばかしくなく、ご迷惑をおかけしてきました。その上説教の準備もはかどらなくて、本日も過去の原稿を使わせていただきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
なお本日の話の題は「私にとっての神」にしました。一年前のものですが、同じルーテル教会の内藤新吾という牧師の生き方と考え方を紹介したものです。
さて、内藤新吾牧師は、今は千葉県の教会の牧師ですが、兵庫県の出身で1961年生まれです。ところが、3歳の時に母親を、8歳の時には父親を亡くしました。母親の死後父に嫁いだ女性に育てられることになりましたが、この継母から大変な虐待を受け続けました。さいわい、自分よりずっと年上だった兄が別居していて、弟の窮状を知り家にやって来て、その女性を手厳しく叱りつけてくれたおかげで助かったという体験をしました。
 さて、その後新吾少年は大きくなって東京の神学校に入り、卒業後は名古屋にあるルーテル教会の牧師になりました。ところがその時期あの阪神淡路大震災が起き、自分の生まれ故郷でもありますから、急きょボランティアとして神戸に戻り、がれきの山の中で救援活動を続けました。
それも一段落ついたので名古屋の教会に戻りましたが、名古屋といっても内藤牧師の活動の範囲は愛知県だけでなく静岡県にも及んでいました。その当時国内で問題になっていたのは東海沖地震のことでしたが彼の担当エリア内には、静岡県御前崎市も含まれていました。そして御前崎には浜岡原発という原子力発電所があったので、東海沖地震が起きればこの原発も危ないかもをいう地元住民の危機意識もあって、内藤牧師も他人事とは思えないのでした。
ところで、彼には教会内の仕事だけでなく、名古屋市一帯の日雇い労働者の支援活動にも従事していました。名古屋は大都会なので、野宿しながら職を求め歩く労働者たちが大勢いて、その人たちが集まって来る寄せ場という場所があり、彼もそこで救援活動をしていたのですが、そこで親しくなった一人の労働者との出会いが、内藤牧師のその後の人生を変えることになったのでした。
その人は中年の労働者でしたが、内藤牧師はその人をおじさん、おじさんと呼んでいました。おじさんは若い頃から、各地の原子力発電所で仕事をしてきた人で、そういう人は被爆労働者と呼ばれていました。そのおじさんから聞いた話は、原発という労働現場で人々が遭わされている余りにも悲惨な環境のものばかりでした。
たとえば、おじさんの話によると、原発を運営している会社は、そこに入所してくる労働者に、放射線バッジとアラームというものを渡すことが義務付けられていました。しかしにもかかわらず、どの労働者もそれをはずして働きました。なぜなら万が一アラームが鳴った労働者は、会社側の人間が来て、「お前は明日から来なくてよい」と言われるからでした。それでなくても、原発の中は高温多湿で、暑さに耐えかねてマスクもはずし、ゴーグルも外して働くという作業現場でした。のちにその現場に行かないようになっても、浴び続けた放射能でいつ発病するかわからず、もしガンになっても放射線との因果関係は証明してもらえず、労災も降りることはないというのでした。
しかも、この過酷な現場は、ピンハネが横行する世界でしたが、誰も文句が言えませんでした。おじさんは内藤牧師に言いました。原発内で働く被爆労働者は使い捨てのぼろ雑巾同然だ。下請けとか孫請けとか呼ばれている職場はましなほうで、さらにその下にはもっとひどい下請けもあって、そこで働く人間は命がけだ。
内藤牧師がおじさんからこの話を聞いたのは、東日本大震災が起きるよりずっと前のことでした。だから大震災と福島第一原発の事故が発生した時には、原発の危険性の情報が多数手に入っていて、その情報をもとに本を書く準備をしている最中にあの大事故が起きたのでした。
当時は、テレビのドキュメンタリーも放映されたくさんの本も書かれ、内藤牧師も用意していた本を出版しました。しかし、時間がたつにつれ、それらも忘れ去られようとしていたつい最近、東京電力福島原発でデプリという溶融核燃料の取り出し作業に重大なミスが起きていたことが発覚し、大きなニュースになりました。そのことを報道した新聞記事を読んで驚かされたことは、原発事故が起きた当時と今とでは原発内の労働環境が変わっていないということでした。
新聞によれば、今原発で働く労働者の現場は、下請け、孫請け、ひ孫請け、さらにその下にも何層かの下請けが働いているという、それは福島第一原発爆発事故が起きる以前に、おじさんが内藤牧師に語って聞かせた内部の実情と同じでした。つまり、この数十年間何も変わらなかったのがおじさんたちの働く現場なのでした。。
ところで内藤牧師はその本の中で、クリスチャン向けのメッセージも書いていました。というのも、東日本大震災に対する彼らの反応が気になっていたからです。こう書いています。「クリスチャンは大変なことがあると、それは神さまのみ心と結論付ける傾向がある。しかし、本当にそうだろうか」。悲しい出来事が次々と起きているが、それは神の意志では決してない。そうではなく、そのことで悲しむ人たちに寄り添おうとされるのが神だからである。共に悲しみ共に泣いてくれるのが、内藤牧師の信じる神なのでした。
だから、彼は、今も原発という悲惨な仕事場で働く人たちに寄り添う活動を続けているのです。それは継母から受けた虐待、がれきの山と化した故郷の神戸の町、野宿生活をする労働者たちとの出会いを通して神を考えてきた内藤新吾牧師の生きる証しとなり続けているのであります。
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)


次週 9月15日 聖霊降臨後第17主日
説教題:種を蒔く人
説教者:白髭義 牧師
※白髭牧師やっと体調が回復してきました。
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ゆるしについて

2024-09-07 10:40:55 | ブログ
聖霊降臨後第15主日
エゼキエル33:7~11,ロマ13;8~14、マタイ5:38~48
主の祈り/ゆるしについて
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 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがた一堂にありますように

わたしたちは現在、主の祈りのことを考えています。先週は「罪について」を考えましたが、本日は「ゆるしについて」という題で考えます。
 ところで、最新号の『るうてる9月号』には、大阪の秋山牧師が「人を赦すこと」という説教を書いています。それによると、人が自分で犯した罪を罪としてなかなか認めようとしないのは、相手に対する優越感を保ちたいからである。だがそのままにしておいたら、その人の人生は怒りや恨みに支配されたままになるであろうということでした。

 ところで、本日は観点を変えて、幼い子どもたちの世界では「ゆるし」はどうなっているのかを考えてみたいと思います。その子たちは、大人から「あやまりなさい」と言われて初めて「ごめんんなさい」が言えるようになるのか。この問題を、『キリスト教保育』という雑誌の記事から、さぐってみることにしたいと思います。
そこで最初は、関西学院大学の先生で幼児教育が専門の橋本祐子さんが書いているものを読みます。こんな事例を紹介していました。ある園の4歳児のクラスで起きた出来事です。ある朝の自由時間、泣いているA子とそばで何かを訴えようとしているB子がいました。先生が聞いてみると、A子は積み木で何かを作ろうとしていたが、足りないものがあってそれを取りに行っている隙にB子が来て、その積み木で遊び始めた。戻ってきたA子は、自分のものが壊されたと知って泣いていたのでした。

 担任の先生はこの問題に介入しないと心に決めました。すると、A子もB子も、床に座ったまま、何も言わずに見つめ合っていました。どちらもそこを動こうとしません。しばらくすると、B子がA子のひざの上に手を置きました。けれどもA子は無言でB子の顔を見つめています。まったく言葉はありませんでした。しかし、このとき2人の間には何かが通い始めているようでした。するとそこにC子が現れ、「何してんの?」という感じで二人をおちょくり始めました。二人はたまらず「ぷーっ」と吹き出した。そのあと3人で仲良く遊び始めたのだった。

 橋本先生は書いています。この子たちの口から「ごめんなさい」はなかった。けれども、子どもたちの世界では、「こめんなさい」抜きで もめごとが収まるケースはかなり多いのである。ところが大人が「ごめんなさい」を言わせたら、子どもは従うであろう。だが以後子どもは、不誠実な行動の選ぶ人間となってゆくであろう。
 次は、東京の霊南坂教会付属幼稚園のレポートです。長い夏休みも終わって、二学期が始まった9月のこと。年中クラスに健ちゃんという男の子がいました。健ちゃんは年少のときから、自分の失敗をどう受け止めどう向き合うかに関してかなり問題がありました。してはならないことをした時、ぼくはやってないと言い張るのが彼だったからです。
ある日健ちゃんは砂場で遊んでいました。園庭には子どもが上に登る遊具があり、彼の目はそれに目が行ってしまいます。そこで、シャベルを手にしたまま遊具に登ってしまいました。しかし園の約束事では、登る時は手に何も持たないことになっていました。でも年少の子たちはなかなか守れません。ところが、年中以上になるとほとんどの子が守れるようになっていました。ところが健ちゃんは年中なのに守らなかったのでした。
すると、それを見た先生が、「シャベルを持ったまま遊具には登らないのよね。一度それを片づけてらっしゃい」と言いました。ところがその先生が目を離した隙に、健ちゃんはシャベルを上から落としたのでした。そして自分も降りたかと思うと、シャベルには見向きもしないでお部屋に入ろうとしました。すると別の先生が見ていて、彼にかなりきつく注意したので、健ちゃんは泣き出し、泣きながらシャベルをもとに戻したあと、お部屋に入ってゆきました。

お部屋では年長のゆうたとえいじが遊んでいました。彼らが見ると、健ちゃんは泣いていました。わけをきくと「先生にしかられた」。そこでえいじが先生のところに行き、叱った理由を聞いた。聞き終わって戻って来ると、それをゆうたにも話した。それから二人は健ちゃんと向かい合い言った。「遊具に登る時は何か手に持ってたらいけないんだよね。落としたら下にいる子に当たってけがをさせるからね」。ところが、健ちゃんは黙ったままだった。するとゆうたが言った。「間違いは誰にもあるよ。ぼくも間違えるし、先生だって間違えるんだ。でもそんな時は、ごめんなさいって言えば大丈夫になるんだよ」。でも健ちゃんは、なおも黙っていた。ゆうたは再び言った。「先生にごめんなさいをしておいでよ」。けれども健ちゃんはためらっていた。そこで二人はこう言った。「一緒に行ってあげようか」。すると健ちゃんは細い声で「うん」と言った。
そこで3人は歩き出しました。するとゆうたが一足先に先生の所に行き「先生、ちょっと来て」と声をかけた。「えっ、どうしたの」「あのね、健ちゃんが謝りたいんだって」。「わかりました」。そこに、えいじに手をつながれた健ちゃんが現れた。こうして健ちゃんは、ついに謝ることが出来ました。先生が見ると、その時えいじはけんちゃんの手を思い切り強く握りしめていました。その心細さをよく察しているかのごとく。

ところで、聖書の世界では、人々は挨拶する際、シャロームという言葉を交わしました。このシャロームは、子どもたちの世界ではもっと広い意味で用いられていました。たとえば駆けっこで走って転んだ子が起き上がって最後まで走った時は「よくやった」の意味でシャロームの声がかかりました。あるいは、嫌いな野菜をついに食べた子どもには、母親がシャロームと言ってほめました。熱を出していた子どもが治った時は、家族一同でシャローム。そして、子ども同士でもめごとがあって、そのあと仲直りをする時、日本の子どもなら「ごめんね」と言い合うのと同じように、シャローム、シャロームと言い合いました。ゆるす、ゆるされる の関係もシャロームなのでした。
さて最後になりますが、神奈川県の鵠(くげ)沼(ぬま)ルーテル幼稚園の事例です。年長の子どもたちが、外遊びを終えてお片付けを初めていました。そして、おもちゃなどを洗うため、たらいに水が張られました。するとそこに年少の子が現れて、いきなりザブンと飛び込んで、ジャブジャブ水遊びを始めました。全員あっけにとられましたが、注意する子も、やかましく言う子もいませんでした。あたかも、自分だってこんなに水が張られていたら飛び込みたいに決まっているという思いでいるかのように、笑いながら見つめていました。するとその子は、見られていることなどおかまいなく、マイペースで楽しむと、さっと立ち上がってたらいから出て、どこかに行ってしまったのでした。この園は、こういうことが日常茶飯事で、こんな感じでも ほとんどうまくまわるのでした。
以上見たように、子どもの世界のゆるしは、自然体で行われてゆきます。この世界では、「わたしはあの人がゆるせない」という声は、聞くことが出来ないのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師白髭義) 

白髭牧師、退院後の回復が遅く以前のものを代議員さんが代読する。


次週 9月8日 聖霊降臨後第16主日
説教題:種を蒔く人
説教者:白髭義 牧師
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罪について

2024-08-31 14:53:24 | ブログ
聖霊降臨後第14主日
エレミヤ15:15~21,ロマ12;3~21、マタイ16:21~28

主の祈り/罪について
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 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがた一堂にありますように。

 さて、わたしたちは、これまで主の祈りについて考えてきましたが、もう少し続けたいと思います。そこで本日は「我らの罪を赦したまえ」を取り上げます。考えたいことは「罪とは何か」です。それは言うまでもないことかも知れませんが、イエスがどう考えていたかなのです。

 ところで、昨6月の17日、ルーテル神学校の鈴木浩先生が亡くなりました。神学者としての先生の業績はよく知られていますが、それとは別に、私には忘れられない話があります。先生は、日本ルーテル神学校を卒業したのち、再度アメリカの神学校に入学しました。その神学校で学んでいた時のことです。アメリカでも卒業論文は書かなければなりません。あるクラスメイトが質問しました。「ミスター・鈴木。あなたの論文のテーマは何ですか」。ミスター・鈴木は答えました。「わたしは罪について書きたいと思います」。それを聞いたクラスの全員が笑いました。「ミスター・鈴木、そのテーマは古い。時代遅れだよ」。
 なお、鈴木先生から聞いた話はここまででした。しかし私は興味深い話だと思っていました。なぜなら、鈴木先生がアメリカで学んでいたのも神学校ですから、クラスメイトは神学生で、やがて牧師にという人たちばかりです。しかし、そういう神学生たちが、罪をテーマに書こうとしていた彼のことを笑ったのです。しかしそれは、彼らがちゃらんぽらんな神学生だったからではなく、何か理由があると思ったのでした。

ところで、アメリカには、ウィリアム・ウィリモンという人がいます。牧師であり神学者である彼は『主の祈り』という題の本を書きました。その本で彼は、主の祈りの主語が二人称複数なのに注意をうながしました。たとえば、「われらの日ごとに糧」は「私の日ごとの糧」ではなく「われらの糧」である。「われらの罪」も「私の罪」ではなく「われらの罪」である。そこも大事なポイントだと言うのでした。
またこうも書いています。「わたしたちは罪を、個人の失敗みたいに、自分一人の事柄として理解しがちである。しかし主の祈りは、「私の罪」ではなく「われらの罪」と言う。つまり主の祈りが問題にするのは、共同で犯している罪なのである」。

さらに次のような実例で説明しています。「アメリカは、奴隷制度という実に深い傷を負い続けている国です。人種問題はいまだ未解決です。なぜなら、過去はもう変えることはできないし、その解決として白人たちが選べるのは、それを忘れてしまうことだけだからです。今までの差別があまりにも過ちに満ちていたため、もう正しいほうに向きを変えることが不可能になったほどの事態に直面している。私たちはいったい何ができると言うのでしょうか」。
ウィリモン牧師のこの考えは、罪の問題を決してあいまいにしないという姿勢の表れです。ここが、鈴木先生のクラスメイトとの大きな違いですが、ただ彼らもおそらく、子どもの時から教会で、罪についての教えは学んできたはずで、決して自分は罪びとではないと考えていなかったはずです。あえて考えるなら、ウィリモンほど突き詰めて考えてはいなかった、あるいは自分の罪はそんなに重大ではないと考えていたかな だと思うのです。

話は変わりますが、一昨日、1日は関東大震災が発生した日でした。1914年生まれの私の母は、当時9歳で、大阪の小学校に通っていました。当番だったのでしょう、授業後の教室の黒板をふき取り、その黒板にチョークを一本一本ずつ立てかけていた途中でした。そのチョークがいっせいに倒れてしまったのでした。あとで知ったのは、その日の午前11時58分に東京で起きた大地震の影響でした。
ところで、この地震発生の時に、在日の朝鮮人並びに中国人が虐殺されるという事件が起きました。地震が各地に火事を引き起こしたため、社会主義者か朝鮮人による放火のためというデマが飛びかい、そのため武装した民間人が自警団を結成し、朝鮮人たちを見つけ次第殺害しました。逆された者の数は、官庁の記録でさえ482人、歴史学者たちの調査では6644人と報告されています。
当時日本は朝鮮を日韓併合によって統治下に置いたため、朝鮮の民衆の反抗が激しく、当局は日本にいる朝鮮人にも警戒の目を光らせていました。日本の人たちも、朝鮮人はいつ暴動を起こすか分からないという恐怖心を抱いていました。なお、その中に中国人も含まれていたのです。だから、朝鮮人・中国人への差別意識が根強く、残虐な行為にもかかわらず、メディアは非難の声を上げませんでした。

それから百年。先週の9月1日の前後には、東京の文京区や千代田区で、朝鮮人・中国人大虐殺・キリスト者追悼集会というのがいくつか開かれました。けれども、集会の企画者にしても、参加者にしても、大震災発生の時には誰も生まれていなかったのでした。しかし、当時のキリスト教はその事件にほおかむりをしていました。朝鮮人をかくまったり、殺されそうなところを命がけで守ったキリスト者はいましたが、組織としてのキリスト教は沈黙を守り続けました。だから、百年後のキリスト者たちは、そのことと自分は無関係と思えなかったので、「我らの罪を赦したまえ」を祈る行動に出たのでした。

最後になりますが、主の祈りの原文は、マタイ6章9節以下にあります。同じ主の祈りなのですが、私たちがふだん唱えている主の祈りとは、一点だけ違いがあります。それは私たちが口にする「罪」が、マタイ福音書では「負い目」となっていることです。実はマタイのほうがイエスの教えた祈りの言葉に忠実なのです。
つまりイエスの本来の主の祈りは、「我らの負い目を赦したまえ」だったのでした。ウィリモン牧師によれば白人アメリカ人には黒人に対する多大な「負い目」があるのでした。だから、「我らの負い目を赦したまえ」と祈るべきである。これに近い思いが、大震災後百年のキリスト者にも生まれていたのだと思われるのです。
わたしたちは、「われらの罪を赦したまえ」と祈る時、まず自分個人の罪を思います。しかし、そこで終わらず、「われらの罪」という意味の広がりにも、心を向けたいと思うのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

※当日、白髭牧師入院中のため昨年の同じ主日のものを代議員さんに代読していただきました。
次週 9月1日 聖霊降臨後第15主日
説教題:種を蒔く人
説教者:白髭義 牧師
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