チョムリアップ・スオ~(こんにちは)
日本に住んでいると全く気が付かない「平和」という言葉
長い年月の内戦の傷跡は深刻です
こんなに重い言葉とは・・・初めて知ったかも。
埋められた地雷400万個~600万個ですって
市ノ瀬泰造「地雷を踏んだらさようなら」って映画見た?
わたしは彼の写真集しか見ていないのだけどDVD探して見なくちゃね
映画と言えば「キリング・フィールド」
シャンバーグ記者はこの報道でピュリツァー賞を受賞
さらに1980年にはシャンバーグと助手プランの体験がパットナム監督によって映画化
こちらも見なくては・・・・重いなぁ~
ま、ま、映画の話はさておいて入ってみましょう
アメリカ軍が落としていったミサイル
日本軍も、昔はカンボジアに侵攻していたんだよね
日本が負けて第2次大戦が終わったのに
インドシナ戦争でカンボジア、ラオス、ベトナムの地域は再び戦闘状態。
ベトナム戦争の和平交渉がはかどらず、アメリカのニクソン大統領は
一時カンボジアとラオスにまで戦闘を拡大(北爆再開)。
ポル=ポトの指揮する解放勢力と政府軍の間では内戦が続き
ポル=ポトは400年前に行われていたような、すべての人々が農業に従事するという
共産主義社会の建設を強行。
この社会制度を改革するためにクメール=ルージュは市民一人一人の仕事、家族構成、財産を調査。
さらにカレンダーをZero Year(0年)に戻す。
教育を受けた人は敵とみなされ、残酷な拷問を受け、カンボジアのあちこちにあるキリング・フィールドで処刑される。
カンボジア軍は新しい生活の保証と引き換えに武器と財産の返還を強制され
しかしそれは真っ赤な嘘で彼らはトラックでジャングルに連れて行かれ、
残忍な方法で殺されてしまう。
1975年から1979年の間に300万人以上の人々が殺されたとされ
やっと1998年にはポル=ポトの死亡が確認され、カンボジア政府が出した恩赦令に呼応して
ポル=ポトの右腕といわれたタモック氏が投降し、すべての内戦は終了したのです。
ヤレヤレ ┐(´-`)┌
ここの館長「あきら」は5才の時ポルポト軍に両親を殺され
10才のあきらはポルポト軍で銃や地雷の埋め方を習い
13才でベトナム軍に捕まり、今度はポルポト軍に銃口を向け
ベトナム軍撤退後はカンボジア軍の兵士になっていた
自分で埋めた地雷も1万個以上とか・・・・・
ふ~~~~~つらいねぇ~~~~
あきらが回収したミサイルの不発弾や地雷
世界に埋設されている地雷は、およそ一億個と見積もられている
対人地雷一個の原価は約5ドル
地雷除去のコストは、その10~30倍かかる
単純計算して50億ドルから150億ドル
世界が協力すれば、非現実的な数字ではないよね
だって1997年の対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)には、すでに世界144カ国が調印してるんだよ
でも
ここは政府があまり好ましく思っていなくて援助もないらしい
ちなみに「あきら」は日本人報道陣が付けたニックネームらしいです
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あ!中田君も来ていましたか