ハンドメイドlu-x(るっくす)

手作りアクセサリーショップlu-x(るっくす)の店主ホイミのつぶやきブログ
  ~他ブログよりお引っ越ししてきました~

避難訓練と危機意識

2016年11月22日 | 震災・原発関連


 こんにちわ~^0^

 今朝の福島沖の地震はビックリしましたね。
 震度5の後も頻繁に揺れが起きていて、強震モニターを7時半ぐらいまで見つめていました。
 東日本大震災の生々しい映像の記憶が脳裏を過ぎり、ぶるっnose4

 東北の皆さん、早く逃げて!と祈ってばかりいました。

 結果的に今回は被害が少なくてホッとしています。

 これが前震でなければ良いのですが。。

 前回の記事で少し触れましたが、先日、職場がある地域の避難訓練に参加しました。

 職場は、南海トラフが起きたら、3m前後の津波の被害が予想される地域(最新の想定は最大7mだって言われていたっけか。)

 歩いて1分もかからない所に地域指定の※津波避難ビルがある。 そこは、県の建物。
  

 地震が起きて揺れが収まるのに10分程度をやり過ごしたと想定して職場をスタートする。

 スタートしたが、外に出ると、周り近所の建物から誰も出ようとはしていない。
(避難訓練に不参加の様子。)

 警察官や消防員の姿は見られたが一般人の姿は皆無。

 折角なので、参加はするつもりだけれど、誰も行ってないのに、行くのはちょっと気が引ける、だから、更に5分待ってからスタートした。

 避難ビルとはさほど離れてはいないが、ルート上には古いビルも多く、電信柱や塀や移動可能な看板など様々。
 車通りもあり、震災を受けるとこれらがどのような動きをするのか。

 …想像してみる。

 震度7の激しい揺れに襲われて、古いビルの外壁面はポロポロと落ちてくるだろう、電柱は傾き車通りを遮り渋滞になっているかもしれない、事故が起きているかもしれない。

 液状化も起こるかもしれない、火災が発生しているかもしれない、塀も崩れて歩くのも難しいかもしれない、立て掛けられただけの看板は倒れていたりするだろう。

 倒れてきた塀に押しつぶされて動けず助けを求めている人が居るかもしれない。
 目の前に現実と認めたくない 恐ろしく残酷な地獄絵図が広がるのだろうな、、いゃだなぁ。。


 やがて避難ビルの1Fに到着したが、ビルに入ると直ぐに階段で6階まで上がるように指示される。

 しかし、階段は大渋滞で、列の後ろに並んでから、5分以上待って上がりだしたが、大渋滞のそのワケは 一目で判った。

 近くの保育園の園児達 十数人と保母さんが、一段一段 ヨイショ ヨイショと上がっているからだった。

 園児達だけじゃない、本番になれば、身体の不自由な人やお年寄りもこの中に入ってくるだろう。

 6階まで上りきるのにかなりの時間を費やす。

 避難待機に設けられた室内に入ると、一般人はワタシを含めてたったの5人。
(ぞろぞろ居た園児達は別の階に集められたようだ。)

 地震発生からもう既に40分は過ぎていた。園児達と大人がたった5人なのに。
 想定ではそろそろ津波が来る時刻。

 このあと集会があるので待てとの事だったが、暇だったので、ヘルメットをかぶった県の職員の男性をつかまえて、災害時用のグッズを保管している棚を見せてもらったりしていたが、食料の備蓄までは無かった。(あくまでココは一時避難所みたいだ)

 救急箱と水にカセットコンロ、毛布は別の棚にあるらしい。
 折りたたみ式の担架・・・(これだけ?・・足りなそうなんですけど;;一時避難場所だからOKなのか~?そうなのかぁ~~??)

 用意してくれている備蓄品にモンクを付けるつもりはないが・・・ええんか?ホンマに?

 たまたま近くに居た別の職員の男性に、『今回の避難訓練で判った事がたくさんありそうですね、問題点が浮き上がり、それに対し改善策が早急に必要ですね』と声をかけた。

 すると、男性は、ワタシに『訓練をしてどのように感じましたか?』と聞く。


 南海トラフは十数分の長い揺れが起きると想定されているが、おそらく一度の揺れが収まっても繰り返し断続的な揺れが続く、どのタイミングで飛び出せば良いのかタイミングがわからない。
 
 職場では日頃の危機意識が薄い人が多く、早く避難しましょう!と声をかけても腰を直ぐに上げる人は少ないと思う。[逃げたいのに逃げられない問題]

 一人だけ、『ワタシ、避難しまぁ~す!じゃっ((((((〃 ̄▽ ̄)ノ 』

・・・なんて言い出し辛いんです。。トホホ(。・´_`・。)

 今回の避難訓練に参加した人の少なさがその意識の表れだと思います。
 各自、危機意識を持ってもらうために、日頃から地道に防災対策が必要だと提案しているのですが・・これが なかなか難しいものでして。。

 避難開始するタイミングも判らないし、避難開始したとして、外に出たら、色々な物が散らばり飛んだり倒れたりしている中、助けを求められたり救助したりしながら、いくら近いと言えど避難ビルに近づく間に事故に巻き込まれそうだと感じました。

”津波てんでんこ”と言われても助けを求める手を振り切る事もワタシには出来そうにない。

 避難ビルに到着したらしたで、避難者の集中による階段の渋滞。

 子供・お年寄り・障害を持った人、6階まで上がる体力が無い人も居るだろう。

 体力のある男性が子供を一人ずつ抱えて上がるのもアリかもしれないが、断続的に起きる大きな揺れで階段では人の雪崩が起きるのも想定出来る、

 よって、階段の幅が狭すぎる、手すりが片方しかないのは大きな問題かと思う。
 はぐれた家族の行方を探して階段を逆戻りする人も出るかもしれない。

 想像よりも遙かに多くの人が押し寄せるハズだが対応出来る室内スペースが不足しているように見える。

 準備してくれている防災用品も一時避難用としての機能しか果たせないと見受けられるが・・想定外の強烈な地震の場合、何日も揺れと水が引かない事も有り得るのではないだろうか。(津波避難ビル※はあくまで一時しのぎの避難所だから仕方がないのだろうけれど。。)

 南海トラフだけでなく、同時に九州~関東までの太平洋ベルト地帯全域に及ぶ連動型地震に発展していたなら、救済・救援は都市部に集中し、我が徳島は後回しにされるだろう、救援物資が届くまで、一時避難重視では二次的災害に対応しきれないように感じた。


 と、思いの丈を男性にぶちまけていました。

 男性は、しばらく『う~~む。。』と考え込んでいましたが、大きな課題が浮き彫りになって、何らかの改善策を検討したいと思うと言って下さいました。

 けれど、ワタシは、その男性が一人 大きな声を上げたところでどうにもならないのでは?と思ったのです。

 しかし、後の集会で、その男性は、避難対策本部のトップの人だった事を知りました(汗)

 ワタシなんかが思いの丈をぶちまけてしまって良かったんだろうか。。と、後悔しました。

 けれど、その男性なら、何かひとつでも問題点を声に出して その対策にあたって下さるように思いました。
 男性の実行力を期待をしています。

 集会で、地震対策の専門家によるお話の中で、

「よく聞かれる質問ですが、南海トラフはいつ来ますか?とよく問われます。
 その質問に対し、私は、その質問は、あなたはいつ死にますか?と同じ質問だと思います。
 あなたは、必ずいつかは死ぬ。しかし、いつ死ぬかは誰にも判らない。南海トラフも必ず起きる。しかし、いつ起きるのかは誰にも判らない。
 ただ、近い将来、必ず訪れるのだから、備えをしなければならない。」


 確かにそのとおり、、
 やっぱ来るんですね。絶対に、来るんですね・・・(¬д¬。) グスン 


 ありとあらゆる幸運と偶然の相乗効果の中でワタシ達は今を生きている。

 幸運と偶然に頼ってばかりはいられない。

 いざという時は、自分で決断を下さなければならない、自分の命の責任は自分で取れるように備える事こそ生死を分けると感じたのでした。


※指定避難ビルは『津波避難ビル』と『災害避難ビル』の2種類あります。

 注意して頂きたい点は、地震が起きると、まず震源がどこなのかをまず知る事がとても重要です。

『直下型地震』なら『災害避難ビル』へ避難する事。
『海溝型地震』なら『津波避難ビル』へ避難する事。

★海溝型地震は震源が海底なので、津波を引き起こすと考えてください。
 マグニチュード8~9クラスなら20~40mの津波が起きると言われています。
 
『災害避難ビル』では、津波には太刀打ち出来ません。

 見分け方はビルの入り口に『津波避難ビル』というパネルが張られてあります。

 ご自分の生活域周辺の『避難ビル』がどちらに該当するかをチェックしておきましょう。


 今日の地震と、避難訓練で知った事などを元に、意識を高めてもらうべく上司の一人と話し合いました。
 何よりも避難をいち早く開始するようにしないとまた例の園児達に巻き込まれる事になる。
 という結論に至り、ワタシがずっと抱えていた[逃げたいのに逃げられない問題]は解消できそうです^w^

 避難訓練の経験で、ひとつワタシの抱えていた不安が解消されました(u_u*)


 少し前に内閣府が公開したシミュレーション動画をリンクしておきます
 南海トラフ巨大地震編

 首都直下地震編



 徳島県海部郡美波町 田井ノ浜

 震度7の地震発生から12分で24mの津波が到達する予測です

 高知県土佐清水市 竜串

 震度7の地震発生から4分で34mの津波が到達する予測です


 そして

 地震から半年以上経った熊本城

 地震の凄まじい破壊力の傷跡が生々しく残っていました。