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手作りアクセサリーショップlu-x(るっくす)の店主ホイミのつぶやきブログ
  ~他ブログよりお引っ越ししてきました~

ぷち旅~京都・奈良編*7* 古都奈良へ

2011年02月19日 | ぷち旅
こんにちわ~^0^

ぷち旅~京都・奈良編*7 でぇす♪

次は奈良へ行くと決めて、八坂神社からトコトコと預けている愛車君の方向へ歩き出したのですが、

途中、おお~!祇園だぁ~~っ!!
たくさんの観光客ですね。


”お茶屋さん”って言うんでしょうか芸姑さん遊びが出来るお店。。
そういうのが軒を並べているんでしょうな。
ぱっと見、よくわかりませんでしたけど^^;

※祇園の料亭は自ら料理を作らず仕出屋から料理を取ります。
 だから祇園の料亭は 、料亭ではなく、お茶屋と呼ばれるんですって。



祇園のほんの入り口付近(?)を通っただけでしたけれど、
夜だったらまた風景も変わるのでしょうねぇ^^

愛車君をピックし、奈良へと目的地をセットし走り出したのは良いのですが、四条→九条へと進めた頃、既に夕暮れ時になっていました。
す~ごい渋滞で、四条→九条の短い距離に2時間かかるなんて。。
ほんっとに渋滞だらけなのよ京都って><

渋滞を進んでいると、東寺(とうじ)の五重塔が見えてきました。

木造塔では日本一高い54.8m。ライトアップされていますね。

東寺は世界遺産として登録されており、創建から1200年、平安遷都とともに建設されたものです。(過去4回焼失しているようですが) 
弘法大師(空海)が唐の国で学び、持ち帰った新しい仏教(密教・真言)の寺院として、当時の天皇・嵯峨天皇により、国立の建物として初めて建てられた寺院なのだそうです。(塔が完成した時にはもう空海は天上へと旅立った後だったそうですが)

この五重塔には唐から持ち帰った数々の仏様アイテム・金剛界四仏像と八大菩薩像が安置されており、初重内部の壁や柱には両界曼荼羅や真言八祖像が描かれているのだそうです。

九条を過ぎたら渋滞は無くなり、イッキに奈良へ。
奈良公園の鹿でも見ようかと真っ暗になった奈良公園にやってきたものの、駐車場が無くてウロウロ。。 疲れてきて、もうホテルで休みたい。
また明日、奈良は観光しましょう~
あらかじめケータイで予約しておいたホテルに宿泊。

次の日、朝から、ホテルの朝食バイキングをたらふく食べて、いざっ出動よっ!

ホテルの近くに平城宮跡がある。 
近くだからと、歩き出したが、やはりナビ君の距離感は徒歩では遠い。

20分ほど早足で歩き、やっと到着。

遷都1300年祭が終わって、すっかり観光客もまばら。
(前回、奈良に来た時は、夜、通りかかっただけだったので、あまりちゃんと見られなかったから^^リベンジね^^)

今度は徒歩で来ているから、駐車場無くてもヘイキよ!

敷地内に入ると。。。あらら;;;駐車場は、広大にあり、ガラ空きゞ(_△_;〃ピクピク
こんな事なら、車で来れば良かったな。。と大後悔。

まず、朱雀門がある。


朱雀は南を守る火の鳥ですね。

平城宮はやたら広い。(約120ヘクタール)

ここにかつて立派な建物が整然と立ち並び、政治が行われていたんだなぁ。。

ご存知のとおり、古都奈良の平城京は、京都の平安京の原型であり、東西南北を碁盤の様に綺麗に作られた計画都市です。

そして、この平城宮は北端に置かれ、天皇の住まいである内裏即ち内廷と、儀式を行う朝堂院、役人が執務を行う官衙の所謂外朝から成ります。

周囲は5メートル程度の大垣が張り巡らされ、朱雀門を始め豪族の姓氏に因んだ12の門が設置され、役人等はそれらの門より出入りしたとの事。

南の朱雀門から入り、左右にこんもりと盛り上げられた縦長の敷地↓

朝堂院と呼ばれる建物の跡で、いくつもの部に分かれた仕官(役人)が働く建物が建てられていたようです。遠くに見えるのが大極殿です。
 東京都庁とか県庁みたいなお役所って感じでしょうか^^


やっと大極殿に到着。朱雀門から真北に位置します。
 
復元されているのは第1次大極殿。↑

実は平城宮は2つの大極殿と2つの朝堂院があったようです。
今、ご紹介した敷地と全く同じものが東側にそっくりあるのです。
これには驚きましたが、現在復元中で、まだ柱の跡しか見られません。
なぜ2つ同じものを作ったのか??

第一次大極殿を建ててから約40年で、老朽化したので、丸ごと隣に建てちゃったって事なんですって^^

その第二次大極殿の跡地は次回ご紹介しますね。

今日はここまでです(=^エ^=)w