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6月17日(金)梅干

2011-06-17 13:19:00 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)


東北地方はまだ梅雨入りしない。じめじめした期間が短いのは歓迎するところだが、適当に雨が降ってくれないと真夏に水不足になることもある。日本の雨季に梅雨の字を当てるようになったのはいつごろか知らないけれども、梅の実が熟すころと関係があるのは間違いないだろう。

スーパーの店頭に黄熟した梅の実と赤シソが並ぶようになった。仙台近辺ではまだ梅の実は熟さないから、紀伊半島あたりで採れたウメかもしれない。仙台で梅干を作るのはもっと後だったような気がする。7月に入って梅雨明けが近づいたころだったように思う。

自分で作った経験がないので詳しいことは分からないけれども、母が毎年作っていたころの記憶では、茶色の地に黒い釉薬が流れた模様がついた甕にウメを漬け込んでいた。落し蓋をして重石を載せた塩漬けのウメから出てきた塩水を沸騰させて冷ましてから甕に戻していたように思う。あれは腐敗を防ぐためだったろうか。

赤シソで色をつけるのはその後だったような気がする。洗ったシソを塩で揉み、搾ってアクを抜き、再度塩揉みしたものにウメを漬けた汁を加えて発色させたものを、甕のウメのうえに隙間なく敷きつめ、落し蓋にひたひたの塩水かかぶるほどの重石をして梅雨明けを待つ。

梅干を干すのはカッと太陽が照りつける夏の土用を待ってからだった。下からも風が通るように使い古したすだれを利用していたように思うが、そのうえに甕から出したウメと赤シソをくっつかないように並べるのを手伝った記憶がある。夕立が来て慌てて取り込んだこともあったっけ。

このごろは梅干を作る家庭は少なくなったようだ。家族構成が少人数になって、完成品を買った方が安上がりになったからだろう。まあ梅干を通じての母親との思い出はなくなっても、今の子どもにも別の思い出がたくさん残るのだからいいようなものだが、小生は今ごろの季節になると決まって梅干のことを思い出すのだ。

6月16日(木)クローバー

2011-06-17 08:07:24 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
6月16日(木)クローバー

庭に片隅に生えていたクローバーがいつの間にかなくなった。珍しい草でもないから、なくなってもどうと言うことはないが、四葉が出る頻度が高い株だったので大事にしていたものだった。四葉はクローバーにとっては奇形だから弱い固体だったのかもしれない。

クローバーはもともと日本にはなかった帰化植物である。それが日本に持ち込まれたのは、江戸時代にオランダから医療器具などを輸入した際、干してクッションの役目をする詰め物としてだった。そのことからツメクサの別名で呼ばれるようになった。

クローバーが積極的に導入されるようになったのは、明治時代に入って酪農の牧草としてだった。茎葉が栄養に富み根粒菌が空気中の窒素を固定する働きもするので、休耕農地にも植えられて瞬く間に広がり今では各地で野生化している。

欧米では四葉のクローバーは幸運を招くといわれるが、その理由ははっきりしない。単に珍しいと言うだけなら他にもたくさんあるはずである。ただ四葉の形がマルタ十字の形に似ているのでキリスト教社会で珍重されたことはあり得る。

それよりも普通の三つ葉の方がキリスト教の三位一体のシンボルとしてしばしば用いられた。一つの葉柄についている三枚の葉を示して、父・子・聖霊が三にして一であるという難解な教義を民衆に教える際の例えにしたのである。