東北地方はまだ梅雨入りしない。じめじめした期間が短いのは歓迎するところだが、適当に雨が降ってくれないと真夏に水不足になることもある。日本の雨季に梅雨の字を当てるようになったのはいつごろか知らないけれども、梅の実が熟すころと関係があるのは間違いないだろう。
スーパーの店頭に黄熟した梅の実と赤シソが並ぶようになった。仙台近辺ではまだ梅の実は熟さないから、紀伊半島あたりで採れたウメかもしれない。仙台で梅干を作るのはもっと後だったような気がする。7月に入って梅雨明けが近づいたころだったように思う。
自分で作った経験がないので詳しいことは分からないけれども、母が毎年作っていたころの記憶では、茶色の地に黒い釉薬が流れた模様がついた甕にウメを漬け込んでいた。落し蓋をして重石を載せた塩漬けのウメから出てきた塩水を沸騰させて冷ましてから甕に戻していたように思う。あれは腐敗を防ぐためだったろうか。
赤シソで色をつけるのはその後だったような気がする。洗ったシソを塩で揉み、搾ってアクを抜き、再度塩揉みしたものにウメを漬けた汁を加えて発色させたものを、甕のウメのうえに隙間なく敷きつめ、落し蓋にひたひたの塩水かかぶるほどの重石をして梅雨明けを待つ。
梅干を干すのはカッと太陽が照りつける夏の土用を待ってからだった。下からも風が通るように使い古したすだれを利用していたように思うが、そのうえに甕から出したウメと赤シソをくっつかないように並べるのを手伝った記憶がある。夕立が来て慌てて取り込んだこともあったっけ。
このごろは梅干を作る家庭は少なくなったようだ。家族構成が少人数になって、完成品を買った方が安上がりになったからだろう。まあ梅干を通じての母親との思い出はなくなっても、今の子どもにも別の思い出がたくさん残るのだからいいようなものだが、小生は今ごろの季節になると決まって梅干のことを思い出すのだ。