6月12日(日)食べごろ
小さな菜園に植えているサヤエンドウをこのところ毎日摘んでいる。新鮮なサヤエンドウは甘みがあっておいしい。しゃきっとした歯ざわり、醤油を少し垂らしたりマヨネーズでもうまい。煮物の彩にもうってつけの食材である。
でも惜しいことに畑を占領している期間が長い割には収穫時期が短い。種まきしたのは去年の11月上旬だったような気がする。収穫が始まったのが先月下旬から、そして今週中には終わってしまいそうである。それでも毎年植えるのは、店から買ってきたものでは味わえない旨さに惹かれてのことである。
ジャガイモ、サツマイモといった根菜類やカボチャのような貯蔵がきく野菜を除けば、大部分の野菜は採りがけでなければ本当の味はしない。反対に採りがけはおいしくないもの、そして食べごろを見分かるのが非常に難しいものがある。
その最たるものはアボカドだろう。国産品はなく全部輸入品であるが、ワニの皮のような鎧を着ていて中の状態が分からない。ちょうど食べごろのものに当たれば、皮に接している部分が緑で中が黄色い柔らかい果肉はバターのように淡白で、ワサビ醤油で食べるとマグロのトロに似た味がする。
触った感覚を頼りに選んで買ってくるが当たり外れが大きい。触ってみただけで食べごろかどうかを判別できるようになるには、かなりの修練を積む必要がありそうだ。
アボカドはクスノキ科の常緑熱帯高木の実である。原産地はコロンビアからエクアドル、メキシコ南部にかけての一帯である。現在最も盛んに栽培されているのはアメリカ南部で、日本で売られているものの大多数はアメリカ産だろう。
小さな菜園に植えているサヤエンドウをこのところ毎日摘んでいる。新鮮なサヤエンドウは甘みがあっておいしい。しゃきっとした歯ざわり、醤油を少し垂らしたりマヨネーズでもうまい。煮物の彩にもうってつけの食材である。
でも惜しいことに畑を占領している期間が長い割には収穫時期が短い。種まきしたのは去年の11月上旬だったような気がする。収穫が始まったのが先月下旬から、そして今週中には終わってしまいそうである。それでも毎年植えるのは、店から買ってきたものでは味わえない旨さに惹かれてのことである。
ジャガイモ、サツマイモといった根菜類やカボチャのような貯蔵がきく野菜を除けば、大部分の野菜は採りがけでなければ本当の味はしない。反対に採りがけはおいしくないもの、そして食べごろを見分かるのが非常に難しいものがある。
その最たるものはアボカドだろう。国産品はなく全部輸入品であるが、ワニの皮のような鎧を着ていて中の状態が分からない。ちょうど食べごろのものに当たれば、皮に接している部分が緑で中が黄色い柔らかい果肉はバターのように淡白で、ワサビ醤油で食べるとマグロのトロに似た味がする。
触った感覚を頼りに選んで買ってくるが当たり外れが大きい。触ってみただけで食べごろかどうかを判別できるようになるには、かなりの修練を積む必要がありそうだ。
アボカドはクスノキ科の常緑熱帯高木の実である。原産地はコロンビアからエクアドル、メキシコ南部にかけての一帯である。現在最も盛んに栽培されているのはアメリカ南部で、日本で売られているものの大多数はアメリカ産だろう。
6月11日(土)大震災から三ヶ月
大震災から今日で三ヶ月経った。あっという間の三ヶ月とも思えるが、避難生活を余儀なくさせられている被災者にとっては長い長い三ヶ月だったろう。そして家と生業を失い働き口がなくなって、この先どうして暮らしていけばいいのか、見通しさえ立てられない多くの人がいる。瓦礫の片付けはどうにか進んでいるようであるが、津波で大被害を受けた地域の復興はまだ手付かずのままである。
仙台市西郊の丘陵地に住んでいた友人は地震で地盤が崩れ、家が傾いて住めなくなった。仙台市の斡旋で近くの市営住宅に移り住んだが、2年の期限付きなので、その間に将来の生活を立て直すめどをつけなければならない。
酒好きの彼が震災以来ずっと断酒しているという。最近来たはがきには転居先の知らせのほかに「アルコール断ち三ヶ月。そろそろ解禁と思っています」と添え書きしてあった。これまでは好きな酒も口にする気になれなかったのだろう。それだけ大きな精神的打撃を受けたに違いない。被害らしい被害もなく震災後も週に一度は街へ飲みに出かけている小生は、何か罰当たりなことをしてきたように思う。
今朝のテレビで被災地で働くボランティアの姿が紹介されていた。重油とヘドロが混じった粘っこい土砂で埋まった排水溝をスコップで掘り起こして水が流れるようにする作業に汗を流していた。床板をはがして床下に流れ込んだ泥やゴミを運び出すのも重労働だろう。
小生のように足腰が弱った老人にできるお手伝いは何だろう。結局は何にでも使えるお金を僅かでも役立ててもらうことしか考えつかない。毎年ユニセフに送金している分を今年は被災地に向けようと思っている。
大震災から今日で三ヶ月経った。あっという間の三ヶ月とも思えるが、避難生活を余儀なくさせられている被災者にとっては長い長い三ヶ月だったろう。そして家と生業を失い働き口がなくなって、この先どうして暮らしていけばいいのか、見通しさえ立てられない多くの人がいる。瓦礫の片付けはどうにか進んでいるようであるが、津波で大被害を受けた地域の復興はまだ手付かずのままである。
仙台市西郊の丘陵地に住んでいた友人は地震で地盤が崩れ、家が傾いて住めなくなった。仙台市の斡旋で近くの市営住宅に移り住んだが、2年の期限付きなので、その間に将来の生活を立て直すめどをつけなければならない。
酒好きの彼が震災以来ずっと断酒しているという。最近来たはがきには転居先の知らせのほかに「アルコール断ち三ヶ月。そろそろ解禁と思っています」と添え書きしてあった。これまでは好きな酒も口にする気になれなかったのだろう。それだけ大きな精神的打撃を受けたに違いない。被害らしい被害もなく震災後も週に一度は街へ飲みに出かけている小生は、何か罰当たりなことをしてきたように思う。
今朝のテレビで被災地で働くボランティアの姿が紹介されていた。重油とヘドロが混じった粘っこい土砂で埋まった排水溝をスコップで掘り起こして水が流れるようにする作業に汗を流していた。床板をはがして床下に流れ込んだ泥やゴミを運び出すのも重労働だろう。
小生のように足腰が弱った老人にできるお手伝いは何だろう。結局は何にでも使えるお金を僅かでも役立ててもらうことしか考えつかない。毎年ユニセフに送金している分を今年は被災地に向けようと思っている。