私は「NO,99 なすびの花」で「なす」が好きなことを書いたが、ほかにも好きなものがある。それは「うり」だ。それも「ゆ」の字の付く「うり」が大好きだ。「ゆ」の字の「うり」は食べられないが、私の心に栄養を注ぎ込んでくれる。もうお解りかと思うが、「ゆうゆうワイド」の大沢悠里さんのことだ。大沢さんは毎日4時間半の生放送でご多忙にも拘わらず、節目・節目で電話を掛けてきて励ましてくれる。5月27日も夕方6時半頃携帯のベルが鳴った。「大竹君、いつも送ってくれてありがとうね!なかなか文章がおもしろいねえ。家で落ち着いたとき、寝っころがって読むのに丁度良いんだ」・・・電話の中で、「ゆうゆうワイド」が今年7千回を迎えたことも話題になった。それも27年かけてだ。7千回といえば、毎回一人のゲストを呼んだとしても、既に7千人が搭乗している。その内訳は、作家・政治(評論)家・文化人・冒険家・スポーツ選手・俳優・歌手・芸人、中には90歳になる浅草の芸者さんなどもいて多種多様だが、その道の一角の人物が多く含まれている。それだけに、大沢さんの人を見る目はかなりハイレベルだ。一流人との付き合いが多い人に私のような人間の文章を送っても返って有難迷惑ではなかろうかと躊躇しながら、最後はいつもエイヤーで投函してしまう。そんな大沢さんから「大竹君は文章が上手いねえ!なかなか面白いよ!」というお褒めの言葉をいただくと、天にも昇る気分になる。電話の結びに「今は何をやっているの?」と聞かれた。「相変わらず、介護の仕事をやっています」「そう!介護か、偉いねえ。頑張ってね!そして、また送ってね!」といわれ電話を切った。そこでふと気付いた。「そういえば最近介護の話をあまり書いていないなあ!」だからという訳ではないが、このところ介護の仕事をしていて、気になる人がいる。そうだ、S子さんのことを書いてみよう。
S子さんは私より4歳年上だが、この歳になるとほぼ同年代といっても差支えないだろう。介護タクシーを利用するようになってかなり経つ。「No.34 ものは言い様」でちょっとだけ紹介したことがあるが、それを書いたのが2009年だからもう4年以上にはなるだろう。その当時は月1回、国立千葉医療センターに行っていたのだが、その後腎臓が悪化し、今では週3回の透析を余儀なくされている。そのほかにも腰が痛いとか、足が痛いとかで、まさに満身創痍の状態だ。私たち介護タクシーのドライバーは、利用者ひとりひとりの立ち入った問題を聞くことはないが、打ち解けてくると自ずと利用者の方から話し始めるようになる。
世の中には不幸に不幸が重なることを表すのに「泣きっ面に蜂」とか「弱り目に祟り目」などの言葉があるが、その程度では収まらない不幸があるものだと、S子さんを通して知った。S子さん夫婦はお互いに病気持で、二人で支え合い老々介護をしながら公営住宅に住んでいた。S子さんには一人息子がおり、既に結婚して二人の子供に恵まれ、幸せな暮らしをしていた。息子夫婦は学校の同級生同士で、休日など二人でよく出掛けることがあった。バイク好きの息子は、会社の通勤もバイクでしていた。不幸が起きたのは三年ほど前のことだ。朝の通勤時、渋滞していた車の列を縫うようにバイクを走らせ、会社に向かっていた。ところが、前を走っていた車が後方確認せずウィンカーも出さずにいきなり右折したのである。そこにバイクが突っ込み、息子は即死してしまった。家族の悲しみようは大変なものだったが、ことのほか息子の奥さんの落ち込みは酷かった。たまに思い出したように、二人で出掛けた想い出の場所に行ったりしていたが、そのうち不眠症となり、薬に頼るようになった。しかし、立ち直ることが出来ず、とうとう一年半後、あとを追うように無くなった。不憫なのは残された二人の孫だ。中学に通う娘と小学生の息子がいた。S子さん夫婦は公営住宅を引き払い、息子の家に移ってきて孫と同居することにした。ある面、子育てが終わり、老夫婦二人での静かな生活を楽しむところが、再び子育ての始まりとなったのである。それも多感な年ごろを迎え、子育ての中でも一番難しい時期に。幸い孫娘の方は志望した学校に合格し、この4月から高校に通うようになった。孫息子の方は中学二年になり、毎日野球部の練習で疲れて帰ってくる。
私がS子さんの家庭事情を知ったのは、孫娘が高校を不登校するようになってからだ。浮かない顔をしているS子さんに「どうかしたのですか?」と聞いてみた。そこで堰を切ったように今までの経緯を話してくれ、悩みを打ち明けてくれたのだ。私は昔、学生会館の館長をしていた頃、短期のカウンセラー講習を受けたことがあるが、それは素人に毛が生えた程度のものだった。ただひとつ、こちらから口を挟まず、黙って聞いてあげるだけで悩んでいる人の気持ちがかなり楽になる、と教わったのを覚えている。私は一言、「S子さんがいくら母親代わりになろうとしてもそれはできないことだから無理をせず、おばあちゃんの立場で彼女に接してあげたらどうですか」といった。彼女は憑き物が落ちたような表情になり、「私は孫娘の母親代わりをしようと思って焦っていたのかも知れませんねえ!孫娘にとって母親は一人だけ。これからはおばあちゃんとして接してみます」と答えてくれた。その次に会ったとき、S子さんはすっきりした表情をしていた。ただ、今度は孫息子が反抗期に入ったようだといっていた。
朝、自宅から透析の病院までは車で20分。その間、私はS子さんが好きそうなCDを掛けている。先日は世界の歌姫「サラ・ブライトマン」の「ジュピター」を掛けた。S子さんは車椅子に乗ったまま後方で、サラの透き通ったきれいな歌声にうっとりし、目を閉じてじっと聞き入っていた。曲が終わるとフッと息を吐き、「朝のこの時間が、私にとって身も心も一番リラックスできる時です。それにしても、素晴らしい音楽を聞くと、本当に心が癒されますね!」これから始まる4時間の透析を前にして、僅かな時間だがS子さんの気持ちを癒すことが出来たと含み笑いをして、私は次の仕事に向かった。
S子さんは私より4歳年上だが、この歳になるとほぼ同年代といっても差支えないだろう。介護タクシーを利用するようになってかなり経つ。「No.34 ものは言い様」でちょっとだけ紹介したことがあるが、それを書いたのが2009年だからもう4年以上にはなるだろう。その当時は月1回、国立千葉医療センターに行っていたのだが、その後腎臓が悪化し、今では週3回の透析を余儀なくされている。そのほかにも腰が痛いとか、足が痛いとかで、まさに満身創痍の状態だ。私たち介護タクシーのドライバーは、利用者ひとりひとりの立ち入った問題を聞くことはないが、打ち解けてくると自ずと利用者の方から話し始めるようになる。
世の中には不幸に不幸が重なることを表すのに「泣きっ面に蜂」とか「弱り目に祟り目」などの言葉があるが、その程度では収まらない不幸があるものだと、S子さんを通して知った。S子さん夫婦はお互いに病気持で、二人で支え合い老々介護をしながら公営住宅に住んでいた。S子さんには一人息子がおり、既に結婚して二人の子供に恵まれ、幸せな暮らしをしていた。息子夫婦は学校の同級生同士で、休日など二人でよく出掛けることがあった。バイク好きの息子は、会社の通勤もバイクでしていた。不幸が起きたのは三年ほど前のことだ。朝の通勤時、渋滞していた車の列を縫うようにバイクを走らせ、会社に向かっていた。ところが、前を走っていた車が後方確認せずウィンカーも出さずにいきなり右折したのである。そこにバイクが突っ込み、息子は即死してしまった。家族の悲しみようは大変なものだったが、ことのほか息子の奥さんの落ち込みは酷かった。たまに思い出したように、二人で出掛けた想い出の場所に行ったりしていたが、そのうち不眠症となり、薬に頼るようになった。しかし、立ち直ることが出来ず、とうとう一年半後、あとを追うように無くなった。不憫なのは残された二人の孫だ。中学に通う娘と小学生の息子がいた。S子さん夫婦は公営住宅を引き払い、息子の家に移ってきて孫と同居することにした。ある面、子育てが終わり、老夫婦二人での静かな生活を楽しむところが、再び子育ての始まりとなったのである。それも多感な年ごろを迎え、子育ての中でも一番難しい時期に。幸い孫娘の方は志望した学校に合格し、この4月から高校に通うようになった。孫息子の方は中学二年になり、毎日野球部の練習で疲れて帰ってくる。
私がS子さんの家庭事情を知ったのは、孫娘が高校を不登校するようになってからだ。浮かない顔をしているS子さんに「どうかしたのですか?」と聞いてみた。そこで堰を切ったように今までの経緯を話してくれ、悩みを打ち明けてくれたのだ。私は昔、学生会館の館長をしていた頃、短期のカウンセラー講習を受けたことがあるが、それは素人に毛が生えた程度のものだった。ただひとつ、こちらから口を挟まず、黙って聞いてあげるだけで悩んでいる人の気持ちがかなり楽になる、と教わったのを覚えている。私は一言、「S子さんがいくら母親代わりになろうとしてもそれはできないことだから無理をせず、おばあちゃんの立場で彼女に接してあげたらどうですか」といった。彼女は憑き物が落ちたような表情になり、「私は孫娘の母親代わりをしようと思って焦っていたのかも知れませんねえ!孫娘にとって母親は一人だけ。これからはおばあちゃんとして接してみます」と答えてくれた。その次に会ったとき、S子さんはすっきりした表情をしていた。ただ、今度は孫息子が反抗期に入ったようだといっていた。
朝、自宅から透析の病院までは車で20分。その間、私はS子さんが好きそうなCDを掛けている。先日は世界の歌姫「サラ・ブライトマン」の「ジュピター」を掛けた。S子さんは車椅子に乗ったまま後方で、サラの透き通ったきれいな歌声にうっとりし、目を閉じてじっと聞き入っていた。曲が終わるとフッと息を吐き、「朝のこの時間が、私にとって身も心も一番リラックスできる時です。それにしても、素晴らしい音楽を聞くと、本当に心が癒されますね!」これから始まる4時間の透析を前にして、僅かな時間だがS子さんの気持ちを癒すことが出来たと含み笑いをして、私は次の仕事に向かった。