かなたんの更年期を楽しむブログ♪

ただいま 更年期真っ最中のアラフィフ女デス
自分のこだわり・思うコトなど
独断と偏見で言いたい放題綴ってマス 

病院ギライ

2019年05月30日 07時04分14秒 | 思い出話

先日 お医者さんについて語りましたが

あれから もう少し思い出しまして

腕の脱臼(というか肩関節が外れた)が治せなかったくせに 

6000円も請求された病院もありました

腕を動かせないのに服を脱いで

レントゲン撮ってこいとか言うだけで 

診もしないし触りもしない( ゚Д゚)

やっとのおもいでレントゲンから帰ってきたら

「まだ治らないの?」

これには 開いた口が ホントにホントに塞がりませんでした

町医者さんは 

ホントにマチマチ(☜ちょっとダジャレ)で こわいデス

といっても 大病院には紹介状がなければ行くことは

出来ません

紹介状ナシ初診料はどんどん増額する一方だし・・・

大病院がいいというわけではありませんが

1人の先生の見解で治療方針が決まるわけではない

という所が 町医者より信頼度が上がるかなぁ・・

と思ったりします

論文発表のための研究材料になっていたり 

その病院の派閥とか 大病院なりの特長もありますが

そうそう 本屋で売ってる「町の名医さん」とかいう読本

あれも怪しい(-_-メ) お金払えば載せてもらえるんじゃないの?

と、ちょっとブラックかなたんは思ってます

ついでに もうひとつ

ワタクシが病院ギライになった理由に含まれる

恐ろしかった出来事を綴りたいと思いますです(-_-メ)

あれは忘れもしない平成5年の1月・・

雪がちらつく寒い土曜日でした

ワタシは初めてのお産を控えた臨月の妊婦・・・

予定日を2日前にして 午後15時を回った頃から

「あれ・・なんか ちょっとお腹が痛いかも・・」

という違和感を感じ始めたのでした

なにしろ初めての経験なので よく分からないものの

しばらくすると 先ほどよりも強く長いキューッ・・・とした

腹痛が・・・ 時間にして10秒くらい・・

でもその間、息も出来ないくらい痛い・・・( ゚Д゚)

これは・・ 陣痛では・・と悟り病院に電話をしました

初産婦だったので 病院側は

「もう少し様子みて」といった回答でしたが

やっぱりキューッッとした息も出来ない痛さが

10分後にこみあげ・・・ 

17時半頃に荷物を持って病院に入ることとなりました

ワタシが通院していた産婦人科は

母親教室でも 呼吸法の練習とかは まず皆無でして

赤ちゃんが勝手に出てくるのを待ちなさい という教えでした

だからお産が近づいても赤ちゃんが時を選んで生まれてくるので

絶対に 安静にしていなさい。お産を進めようとして

歩いたりしてはダメ!という方針を貫いておりました

なぜ、ここを選んだかというと 

ズバリ ワタシが生まれた病院だったから・・

その頃は 先生もまだ若くエネルギッシュだったと思うのですが

ワタシ自身が出産を迎えるころには かなりの御高齢になっており

もちろん土曜の夜なんて いるわけもなく(平日夜もいないと思います)

当直にバイトの先生を頼んでいたようでした

ワタシは病院2階の新生児室のお向かいにある陣痛室に入れられ

そこのベッドで寝かされました

今じゃ考えられませんけど

ダンナ様は陣痛室に入りもせず

さっさと帰ってしまいました(土曜日なのに)

立ち合い分娩などがメジャーになりつつある頃でしたが

なんといっても昭和30年代(それも前半)感が 

そのまま残っているかのようなこの病院・・

「ご主人もご一緒に」・・なんて声をかける気の利いたスタッフは

おりませんでした(-_-メ)

先生が内診をしてくれるものとばかり思っていたのに

一向に現れず・・・ 

なんだかイヤな予感・・・

助産師さんらしい人物もいないし・・・

いるのは不愛想の60歳は余裕で超えていると思われる

看護師さんが3人ほど・・・

初産だから早くても明日の朝でしょ とたかをくくられたのか

様子も見に来てくれません・・・

痛みはどんどん間隔を狭めていき

キュ~という痛みはどんどん長くなっていきました

(我が家は家系的にお産が早いんです!)

この陣痛室 なんと時計もないときてまして

たった1人で時計のない部屋で・・・ 

ワタクシ初めてのお産に怯えながら

いつまでこの部屋にいたらいいの・・・(。´・ω・)?

一体 ワタシのお産は どれくらい進んでいるの?

頭の中は「?」「?」だらけ・・

やっと1人の看護師さんが ようやくやってきたので

「か・・かなり痛いんですけど・・・」と言うと

その看護師さんは 呆れた顔をして首を左右に振り

「あなたの顔には余裕があります!」

と、言い放ち出て行きました( ゚Д゚)

顔の表情じゃなくて

産道の具合などを見ては頂けないものでしょうか・・・

と、思いましたが

「だらしない」みたいに言われた事が ちょっと悲しくて

そうか・・・もっと我慢しないといけないのか・・

なにしろ初めてなので 何も分かりませんから

まだまだなのね・・・と

ひたすら1人で我慢しつづけました

誰も来てくれない 先生も看護師さんも・・・

どれくらい経ったでしょうか・・

のけぞるほどの痛みが ものすごく長くなり 

少し落ち着いたかと思うや否や 間髪入れずに 次の痛みが

襲ってきて これはもうだめだ!と

ここでやっと ワタシはナースコールを押したのです

「・・・・」

誰も来ません( ゚Д゚) 

てか鳴らない?

これは大変だッ!と思い

隣りのベッドのナースコールを押そうと手を伸ばすものの

痛みの緩急の間隔がほぼ無いので

隣りのベッドが果てしなく遠い(/・ω・)/

やっとの思いで 隣りのベッドに乗り移り 

ブザーを力の限り何度も押しました

「・・・・・」

まさかの応答ナシ!!( ゚Д゚) ブザー切れてます!(/・ω・)/

これはアカーン!!

「誰か!誰か来てくださいーーーッ!!」

声の限りに叫びまくったものの

お向かいの新生児室の赤ちゃん達の泣き声が

ギャーギャーやかましく

痛みを堪えて絞り出すワタシの金切り声は

かき消されていくばかり・・

と、突然! お腹の底で ゾンビのようなもの(☜娘)が

私の骨盤をギギギギィーっと押し開き 

さらには背骨から尾てい骨をギュムムムムーーーッと強烈に押しながら

這い出てくるような感覚が!!

「やばい!!出てくる!!」

と思った瞬間

「うるさーいッ!!」

と怒鳴りながら看護師さんが現れました

ワタシは

「生まれちゃう!生まれちゃう!」と叫びながら

ズボンとパンツを自分で下ろしました

「なにやってんの!アンタはー!」

と怒った看護師さんに

ワタシは必死に

「出ちゃう出ちゃう!!」と叫びまくりました

パンッ と何かがはじけたかと思うと

何かが産道から流れ出るのが分かりました

看護師さんが

「あっ!破水だわ!!」

そこで やっと事態を飲みこんで

ワタシ以上に慌てはじめ

「なんで 

もっと早く呼ばないのツ!」

     は?( ゚Д゚)

ブザーの

スイッチ切ってて言います?ソレ・・

と、思う余裕もないワタシ

とにかく この人にすがるしかありません!!

看護師さんは 

「分娩台に行くわよ!」

破水も終わって もう子供が旋回を始めてるのに

ワタクシ 立てるハズがありません!

「立てません!」

「キィー!!だらしない!

 歩くったら歩くのよッ!!」

と、担ぎ起こされ 約5メートル先の分娩室へむりくり歩かされ

「しっかりしなさいよ!母親になるんでしょッ!!」

と、さんざん怒鳴られながら分娩室に入ると 

分娩台は高すぎて

「乗れません!」

「キィーッッ! 

 乗りなさいィィィ!」

と、ものすごい勢いで分娩台の上に転がされました

「先生先生先生は

  まだなのぉ?!!!」

2,3人の看護師さんがバタバタと走り回って

ワタシは もう何が何だか ただただ怖くて

出したくないのに勝手に悲鳴が出る状態・・

やっと当直の見たこともない先生がやってきて

「なんでもっと早く呼ばないの?」

・・だから

  呼びましたから!!( ゚Д゚)

「あーあーあーあー

 この人 へんにイキんじゃったねェ 中がビリビリだ」

 👆いや・・歩かされたからでは・・・

恐ろしい体験後の興奮とパニックで 悲鳴を上げてしまうワタシに

「うるさい人だねぇ」

「だらしないねぇ」とさんざん怒られ

「すみません」「すみません」をなぜか連発するワタシ・・

分娩台にのって わずか数分で娘は無事に生まれました

が・・その後、ビリビリになった産道を縫うのに約1時間以上かかり

その間ワタシは先生にずっと怒られまくり・・・

「次、叫んだら もうやめるからな!!」

痛いから叫んでるんじゃないんですよ ホントに

恐怖を味わった後って パニクってしまうものなんですよ・・・

勝手に声が出てしまうんですよ・・・

前代未聞のだらしない妊婦というレッテルを貼られ

ワタシの初産は終わりました

これ・・

ワタシが悪いと思います?( ゚Д゚)

 

2年後、ワタシがここではない病院

長男を出産したことは言うまでもありません・・・

それはそれは 手厚いサポートをして頂き

「ヒーヒーフーよ」「そうそうその調子!」と

先生が来るまで助産師さんがずっとそばで待機してくれました

お腹に赤ちゃんの心音が聴ける装置までつけてくれて・・当たり前?

見事なまでのスムーズなお産をさせて頂くことが出来た上

その場にいた看護師さん助産師さん全員の拍手まで頂き

(夕方の交代時で2倍の数の看護師さん達がいました)

とっても幸せな気持ちで

ワタシは息子と対面できたのでした


娘の出産を思い返すたび 

なんで あの時ワタシは謝り続けたんだろう・・

と、 今でも釈然としない気持ちがこみあげますが

ワタシの産道がビリビリになったとしても

娘自身は何事もなく生まれてこれたので(☜ここが一番大事)

まあ 今となっては いいネタ話(。´・ω・)?

てか 

今の時代だったら

 アウトでしょ!この病院

  (もうありません・・)