( 8½ )(5)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2020-07-30 | バーチャルリアリティ解説
第五回 映画とは何か = VRの映像表現について
                          【( 8½ )総目次 
 第三、四回では、IVRCの作品を解説しました。IVRC作品からの事例紹介は、今後も続けるつもりです。

 ところで、第五回は、映画とは何か について考えてみます。
 「体感劇場 = ハリウッド・クオリティの「映画」+「搖動装置」 と考えたときの「映画」について です。
 さて、皆さんは「映画を観ている時、何をしていますか?」

 「白い壁に向かって、座って、じっとしている」が 私の答えです。達磨大師の公案では ありませんが。

 そして、観客が その映画について記憶している事柄は、作品に描かれたバーチャルな世界の内容です。残念ながら、VR作品を体験している最中に「HMDのメーカーはどこだろう」と考えたり、映画館で「この劇場のプロジェクターは、どこ製だろう」といった 投影機材(表示装置)のことを意識している人は、ほとんどいないと思います。そのことを覚えておいて下さい。ちなみに、私は「その業界」の人ですから、投影機材は いつも気にしています。『アバター』(2009年)公開直後の3D方式シネコン急増時には、画面の輝度を異なった方式で比較するために、同じ3D映画を 「海浜幕張」「川崎」「横浜みなとみらい」の映画館まで観に行きました。

 さて、観客が その映画について記憶しているのは、作品に描かれたバーチャルな世界の内容だ というのは、こういうことです。俳優ラミ・マレック演じる フレディ・マーキュリーら「クイーン」が、英国 ウェンブリー・スタジアムのチャリティーコンサート「LIVE AID」で、1985年に どんな演奏を繰り広げたかを、観客は映画のコンテンツ(「バーチャルな世界」に描かれた中身)を観て、その光景を記憶しています。映画 『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)を観て、映画館から出てきた観客が、「今日の映画の照明は最高だった」と言ったり 「ここのスクリーンの反射率は、エンボス加工が上等なので とても良かった」などの会話をすることは、まず ありません。私たちは投影機材(表示装置)の性能を測るためではなく、「黒澤明作品のような面白い映画コンテンツが観たいから」と期待して、映画館に何度も足を運びます。
 例えば、
   ハンフリー・ボガートが 『カサブランカ』(1942年)で見せた「過去ある男」の姿を観るために、・・・
私たちは午前十時に、映画館に出かけるのです。

 画像借用元:https://warnerbros.co.jp/home_entertainment/detail.php?title_id=3349
 【ワーナー公式】映画(DVD)カサブランカ


 酒場の歌手のドーリー・ウィルソン ”サム” が ヒロインの イングリッド・バーグマン ”イルザ” のリクエストで 昔のように 「アズ・タイム・ゴーズ・バイを弾き始めると、ボガート ”リック” が血相を変えて 「その曲は弾くな と言ったはずだ」と注意しに近づいて来ました。そのときに、うるんだ瞳 のバーグマンと眼があいます。これが映画です。画面のカット割りの効果で、映画『カサブランカ』を観ている観客は、「過去に愛し合っていた二人の再会シーンだ」と、そのとき直ぐに気が付きます。
 しかし、同じ脚本が もし舞台で公演されたという場合には、(映画のように) カメラのアップでイルザの表情を強調する演出方法が使えません。
 「ピアノを弾き、歌い始めるサム。過去を思い出すように、サムに背中を向けるイルザ。舞台下手から 近づき、イルザに気付いて固まるリック。元カレに思いがけず会って、感動するイルザ。あわてて上手に引っ込むサム。強い照明二人を浮かび上がらせます。」 ・・・ 翌日に、映画のバーグマンの演技と舞台の女優を比較して「演技が大げさだ」と酷評した劇評が新聞に載り、舞台女優は 「分かっていないわね。この人」 と この劇評家が新聞のコラム欄から外される近い将来を想像しているかも知れません。
 そして、もしも リヒャルト・ワーグナーが この場面をオペラにしたら、サムが二人の過去の いきさつを 全て歌い上げるのです。「このことだけは、決して忘れない方がいい。どんなに時が移り、時代がどれほど変わろうとも、接吻は接吻である。ため息は ため息なのだ。根本的な二人の感情には、思い違いなどありえない。この先に 二人が再び出会う未来は もう無いことが予想されても、恋人たちは 『あなたを愛しています』と語り続けることだろう。」 そして、伴奏のオーケストラが高まり、二人がパリで どれだけ幸せだったか、急に イルザに去られたリックが、どれだけパリの街で傷ついていたかを饒舌に観客に訴えます。サムとイルザの立つ舞台に、ゆっくり リックが登場して、この二人の元恋人の行く末を観客が気をもむ中で 第2幕の幕が静かに閉じられます。映画 『カサブランカ』の同じ場面では、イルザと リックの過去が、サムの歌、そして、カメラの「切り替えし」、イルザのアップと うるんだ瞳で描かれていました。

 そういう訳で、私たちは(表示装置や表現技法などではなくて)、映画などの作品世界コンテンツの内容だけを、普段は記憶しています。

 しかし、ヌーベルバーグの フランソワ トリュフォー監督が 『映画術 ヒッチコック / トリュフォー』(邦訳 晶文社 1981年、原著1966年)を出版して以降、映画監督の仕事への評価は大きく変わりました。第2次世界大戦が終わって 新しい映画表現を模索していたフランスの若い監督たちは、昔のハリウッドの 「単なる娯楽」「プログラム・ピクチャー」だと蔑まれた作品の中に、自分たちの規範になる新しい映画技法が 既に完成していたことに気が付いて驚きました。特に、アルフレッド・ヒッチコック監督や ハワード・ホークス監督らの遺した絶妙な名作は、例えば、新進の才能ある監督が「全く同じ脚本」と現在の名優を使って お金を掛けてリメイクした場合であっても、オリジナルのあの面白さは全く消し飛んでしまい 「ああ、観なきゃ良かった」「監督が気の毒なので、忙しくて観ていないと言ってあげよう」という作品にしか仕上がりません。

 『映画術』を読んだことがきっかけで、映画監督を志す人や VR作家になる人が、今後も数多く出て来るでしょう。そこには、映画製作の内幕が全て 書かれています。例えば、映画監督と原作小説との出会いについて。映画製作の経費管理を(後の)ヒッチコック夫人が担当したところ、出演女優が勝手に高級ホテルに移ってしまって所持金が ぎりぎりになり、スタッフの電車賃を心配しながらロケから戻ったという撮影現場の話。そして、『サイコ』(1960年)では、テレビ製作のスタッフに映画本編を撮って貰って 人件費が安く済んだのだ、という話。(映画関係者のユニオンと人件費が違ったためでしょう。しかし、技術のあるスタッフはテレビ業界にも大勢いました。) 『北北西に進路を取れ』(1959年)の最後の場面は列車がトンネルに入る事が性的な隠喩になっていて、ヒッチコックの全作品中で一番わいせつな場面である、というヒッチ監督お得意の冗談など。・・・ なーるほど。

 この『映画術』を読むことで、どうすれば映画が撮れるのかが、私には とても良く分かりました。

 このように、『映画術』では、先輩のヒッチコック監督(63歳)が若いトリュフォー監督(30歳)に、映画製作の現場の そこにいた人にしか分からない出来事を伝えました。そして、ヒッチ監督の全作品について、監督本人の言葉でコメントが述べられているのです。『映画術』は、私には 大変に面白くて一気に読みました。『映画術』を読めば、何をどう撮れば映画になるか、が分かるからです。
 2015年には 『映画術』に基づいた『ヒッチコック/トリュフォー』という映画が公開されています。書籍では 写真と「あの場面は ・・・」という言葉による説明だけでしたが、話題に取り上げられた映画の場面が丁寧にインサートされているので、DVDを探す手間が省けて便利です。ただし、有名な場面ばかりなのが 少々 残念でした。

 なお、この本を読まれる方は、次の映画を必ず観て下さい。『バルカン超特急』(1938年) 『レベッカ』(1940年) 『海外特派員』(1940年) 『汚名』(1946年) 『裏窓』(1954年) 『めまい』(1958年) 『北北西に進路を取れ』(1959年)、それから、大変良くできた ヒッチコック・パロディの 『メル・ブルックス / 新サイコ』(1978年)も 私には 参考になりました。
 メル・ブルックス作品は とても「下らない」のですけれど、ヒッチ監督作品の分析が秀逸です。


 画像借用元:https://www.brightwalldarkroom.com/2018/07/20/how-to-read-a-fire-on-hitchcocks-rebecca/
 How to Read a Fire: On Hitchcock’s Rebecca
 ジョーン・フォンテイン(わたし)に、自殺を強く勧める家政婦長のジュディス・アンダーソン。『レベッカ』の名場面です。『映画術』によれば、イギリスの大邸宅「マンダレイ館」に嫁いだアメリカ娘の 頼れる人のいない孤独感・絶望感は、この名画がアメリカで撮影されたので、より強調されたとヒッチコック監督は言いました。「マンダレイ館」の周辺の街からの孤絶感が増したからです。必ず 大画面で 観て下さい。

 それから、ハワード・ホークス監督の映画は、どの作品も 傑出しています。中でも、『赤ちゃん教育』(1938年) 『ヒズ・ガール・フライデー』(1940年) 『モンキー・ビジネス』(1952年)の 3本は、それを観ないうちに間違って事故などで死んでは いけません。絶対に損だからです。ほかに、『紳士は金髪がお好き』(1953年) 『リオ・ブラボー』(1959年) 『ハタリ!』(1961年)・・・などなど。
 上のホークス監督のリストを読んで、あんなに面白い作品が抜けていると言う人が、必ずいるでしょう。その通りです。その人の薦める作品も見て下さい。絶対に面白い筈です。私は、上の他のホークス作品も 何度も観ていますが、観るたびに本当に面白いのです。なお、(後で触れますが) Webの無料動画を観るときも、視聴する表示装置は できるだけ「大きくて鮮明な画面」を選んで観て下さい。視野の3分の2以上 の大きさがあれば、大丈夫です。

 【予告】めまい:https://www.youtube.com/watch?v=8eZrOVQENi4
 Bringing Up Baby (1938) Official Trailer - Katharine Hepburn, Cary Grant Movie HD 『赤ちゃん教育』:
 Diamonds are a girl's best friend ~ Marilyn Monroe (Gentlemen prefere blondes, 1953) 『紳士は…』: 

 そして、何より重要なことは、私が「映画とはこうです」と この場所に書いていても、皆さんがそれを鵜呑みにする必要は ないということです。例えば、『映画術』を読んで、映画とは こういうものだと 皆さんが得心すること、自分で映画製作の感触を掴むことが大切だ、と私は思っています。

 『映画術 ヒッチコック』 は、調布市立図書館、千代田区立図書館などの大きな図書館には、必ず開架されています。図書検索してから、出かけて下さい。 特に、IVRC(国際学生対抗VRコンテスト)の作者(学生)たちは、国際学会の技術展示を目指していますから、映画の人物や筋だけを「面白かった」と記憶するのでなく、どんな撮影技術・表示方法が 映画のリアリティを高めるために使われているのか を意識して欲しいと思います。

 観客が映画館の座席からスクリーンを見上げると、そこには俳優の姿が映り、ストーリーが展開しています。

 その映像が CGでなければ、撮影用カメラで写した映像です。ですから、スクリーンの映画を見れば、
 ・ 背景( 舞台設定 ) / 音楽 / 音声、
 ・ 登場人物( キャラクター )の動き、
 ・ 物語( シナリオ ) / 演出 / 編集、
そして、
 ・ カメラアングル / 照明、 などが、(それを意識して観ている) 観客には把握できるはずなのです。

 ※ 上の「映画の構成要素」も 私のオリジナルです。 『映画術』を読む ずっと以前から、私の社外講演で紹介してきました。

 照明は(ほとんど意識されませんが)、大変に 重要なので、後で触れます。

 ちなみに、ハリウッドクオリティの映画モーションデザインで、「体感劇場」が出来上がります。発明者のダグラス・トランブル氏は、Simulation Ride、あるいは Movie Rideと呼んでおられました。過去最高のテーマパーク・ライドは、ユニバーサルスタジオの 『Back to the Future the Ride』(BFTR、1991年)です。

 さて、私たちは、映画の作品世界(コンテンツ)の内容だけを 普段 記憶していますから、モーションデザインの変更や 触覚ディスプレイの素材の改良などは、どうせ「観客の意識に残らない」ので、IVRC作品の開発でも「手抜き」ができるだろう と勘違いしている人が いるかも知れません。
 しかし、代々木競技場の敷地内広場で開催された「LIVE UFO '94」というフジテレビのお祭りで、約2万4千人の搭乗者を集めた 『米米MUSIC RIDE』(1994年)では、担当の土居秀顕さんが大変 苦心したモーションデザインの変更が感性のするどい観客に評価されました。土居さんは、会期中に毎日の細かな修正と一回の大きな揺動の改変をしていたのですが、その改変の日の 朝と夜に 2度乗ったファンの方から「ずっと良くなった」という お褒めの言葉を頂いたそうです。注意している観客には、分かるのです。
 ちなみに、『米米MUSIC RIDE』のコンテンツは、こういうものでした。ライドに乗り込むと、200インチ・ハイビジョンプロジェクターで投影された目の前のスクリーンに、米米CLUB ファンには良く知られているジェームス小野田さんの脳内世界のCG映像や、カールスモーキー石井さんが横浜アリーナで歌いながら石井さんの視点で観客席を眺めた実写映像などの、とても興味深い映像が眼前に流れます。そして 映像に重なるように、『ア・ブラ・カダ・ブラ』の音楽が観客を包みました。このライドは、最長6時間待ちの記録を作り、「マルチメディアグランプリ ’94 」で 部門奨励賞を受賞しました。
 (「バーチャルリアリティ奥儀皆伝(4)」 に、製作当時の話を書いておきました。)

 米米CLUB ア・ブラ・カダ・ブラ 歌詞&動画視聴 - 歌ネット ) https://www.uta-net.com/movie/5073/

 映画の照明というのも、観客の記憶に残りにくい表示技術です。しかし、YOUTUBEなどに投稿したことのある方は、照明が変わると被写体の見え方が変わることに気が付かれたと思います。テレビ局の生放送ニュース番組などでは、顔の下方からの間接照明を当てて出演者の表情を際立たせています。
 ところで、VRの諸流派の一つに、Mixed Relity (MR、複合現実 )という 「現実の風景を借景にしてCG画像や情報を現実世界にスーパーインポーズするリアリティ技術」があります。映画『ターミネーター』第一作 1984年 には、シュワちゃん目線で環境を分析して危険回避の情報を表示するシーンがありました。 例えば、この映画のような MRのシーンで、「現実の風景」の部分を、照明やカメラアングルで違った視点から強調することを 試してみても良いかも知れません。雰囲気が いろいろに変えられます。


 画像借用元:http://regimentals.jugem.jp/?eid=3765
 映画と銃「The Terminator」 _ Chicago Blog


 これは、ビデオデッキやプロジェクターを開発してこられた大手映像機器会社の技術者の方から伺った話ですが、映像機器は通常、家庭用 → プロ仕様の順に開発されているそうで、家庭用の機器から機能を削って機器全体の信頼性を上げ、故障を少なくしたものがプロ用だそうです。ですから、テレビ局のスタジオ用機材とIVRCのVR作品製作に使われる機材の大きな違いは、高額なカメラレンズが使われているかどうか、や、細密にコントロールされた照明設備があるかどうかといったことだけ かも知れません。
 ですから、私たちが 映画を観て、記憶しているのは「バーチャルな世界」の内容ばかり(登場人物の動きと運命)ですが、ただ しかし、その映画を一緒に観に行った相手が IVRCのチームの仲間でしたら、照明とか カメラアングルについて、気が付いたことを話し合うのも面白いかも知れません。

 タイムマシンが ついに開発された暁には、レイ・ハリーハウゼンさんに HD仕様の特撮機材を届けてあげたいと、私は つねづね考えています。1963年の『アルゴ探検隊の大冒険』では、模型とスローモーションだけの場面なのに「あぜん」とするような重量感に溢れる特撮場面が見られました。照明設計の勝利だ、と思います。HDの機材を提供してあげた見返りに、ハリーハウゼンさんのスタジオに入れて貰い 照明機材の配置を記憶して帰りたいところです。 (『アルゴ探検隊の大冒険』 Jason and the Argonauts 1963 : https://www.youtube.com/watch?v=44qgS6MoPJM )

 ここで、VR技術の諸流派で使われてきた映像について、表現技術を ひとわたり整理しておきましょう。

 1990年代の最初の「VR元年」では、ARは、まだ Artificial Reality(人工現実感)でした。この言葉の命名者、マイロン・クルーガー氏が1983年に書いた 『人工現実』(邦訳 トッパン、1991年)の中で説明していますが、ARというのは、大きな壁にプロジェクターで映像を映し、その上に来場した観客の輪郭線映像を(アナログのビデオ映像処理で)スーパーインポーズして、観客の主体的な動作を誘発してアートが完成する、というインタラクティブ・アート作品でした。観客は、プロジェクターで壁面(スクリーン)に投影されたバーチャルな世界と、自分の動作の通りに動く輪郭線を重ねて、これまでに感じた事のない没入感に興じました。
 1987年の SCIENTIFIC AMERICAN (October号)には James D. Foley 氏が、HMDやDataGlobeなどについて「現在、NASAのエイムズ研究所で研究されている Artificial Reality 人工現実です」と呼んで、当時 最新のコンピュータ・インタフェース技術を「ARである」と紹介しました。1987年のVRは、ARのことでした。
 1989年に 起業家のジャロン・ラニアー氏が、HMDやDataGlobeを装着してバーチャルなCG世界を「操作する」技術を(新しく考案した)VRという名称で呼びました。おそらく当時のNASAで 写真電送した火星の風景などのデータを Virtual Environment に可視化、展開していたことで、そこから連想された名前として、Virtual Realityと名付けたものでしょう。しかし、私のVRの構成要素図を見て頂ければ、VRとARは同じものであることが分かります。ですから、VRの日本語訳も 「人工現実(感)」で良いのではないでしょうか。


 ここには、1995年の「電気・情報関連学会連合大会」(京都大学)での講演「アミューズメントの画像処理」で使用した挿図を転載しました。字の汚いところと、そして、その後に表現を変えた個所(「入力装置」と「表示装置」)を活字で訂正しています。ここで、「コンテンツ = 作品内容」については、Virtual World、Cyberspaceと書くこともできます。全部、同じものの別の表現です。

 この図の上半分は、「観客」 「表示装置」 ← 「コンテンツ(世界観に矛盾がないバーチャルな世界)」ですので「映画」と同じです。

 「表示装置」に「搖動装置」が含まれる場合は、「映画+搖動装置」ですから「体感劇場」になります。しかし、「体感劇場」の観客は、主導権を持ってバーチャルな世界に干渉することができません。体感劇場には、バーチャルな世界の 「背景」「キャラクター」「ストーリー展開」「カメラアングル」などに関して 直接操作できる機能が 用意されていないからです。

 ところで、現在では AR(Artificial Reality 人工現実)という言葉は、ほとんど使われなくなってしまいました。「AR」という略語が、Augmented Relity(拡張現実)のことを指すようになってしまったからでした。Augmented Relity(拡張現実)が有名になったのは、家具販売の IKEAが、「スマホや特殊なメガネ越しに自分の部屋を見ると、今度 購入者が IKEAで買う予定の家具が設置場所にうまく収まるか、などの確認ができるアプリ」を開発して「AR = 拡張現実」という略語で呼び始めたからでした。IKEAの家具の購入者を通して、「AR = 拡張現実」は定着したと見るべきでしょう。

 しかし、私の「VRの構成要素図」では、ARもVRと同じになります。
   視野の 3分の2以上のスクリーンの映像 = ディズニーランドで裸眼で360°の周囲を観たときの光景
であることを、ダグラス・トランブル氏が 体感劇場で 証明しています(後述します)ので、この二つは同じものです。

 信号が赤であれば、車が来てなくても立ち止まろうね、と、さだまさしさんが仰っています。私も賛成です。ここで、私や さださんは、「都市」や「法律」というバーチャルリアリティを現実の空間にスーパーインポーズして、赤信号のときに立ち止まっているのです。一方で、(小澤征爾さんによれば) 指揮者のレナード・バーンスタインさんは赤信号でも走っている車の間を器用にすりぬけて ニューヨークの広い道路を渡って見せたそうです。しかし、すべてのニューヨーカーが そうしている訳ではないので、バーンスタインさんの場合は(作曲家でもあるので)「都市」の空間も自分なりの独自の規則が与えられる場所だ、と考えていたのかも知れません。ただし、これは私個人の考えです。赤信号で立ち止まることは、イコール、ディズニーランドで出会ったミッキーは「ぬいぐるみ」ではなく本物のミッキーマウスだったと納得できること、ではないかと私は思っています。
 つまり、ARで見えている自分の部屋も、現実の部屋 そのものではないのです。その部屋は、ARのアプリを立ち上げたとき「家具が置けるバーチャルな舞台」だと観客が認識している空間です。カントも「現実世界の物自体は人には認識できない。感覚を通してバーチャルな印象が脳に与えられるだけだ」(意訳)と言っています。赤信号のときに立ち止まっている私は、日生劇場まで出かけて行って ギリシャ悲劇の『オイディプス王』の舞台を観ているとき、舞台上が紀元前のテーバイの地だと思って観ている私と「正確に同じ」人物です。という事で、繰り返しになりますが、
   視野の3分の2以上のスクリーンの映像 = ディズニーランドで裸眼で360°の周囲を観たときの光景
なのですから、VR(人工現実) = AR(拡張現実)なのです。


 画像借用元:https://www.oupjapan.co.jp/ja/products/search?combine=Antigone%2C+Oedipus+the+King%2C+Electra&combine_1=All
 ※ 説明が長くなりましたので、大画面のスクリーンと HMDの視野が等価だ、という詳しい説明は、また今度にさせて下さい。

 また、2016年4月から7月までの「サザエさんのオープニング映像」には、サザエさんが VRゴーグル(サナリス社の「VRボックス」)を掛けて 佐賀県の「三重津海軍所跡」を眺めている様子が描かれました。サザエさんは VRゴーグルを通して、現在の景色の位置に置き換わった 昔の佐賀藩の船の管理・教育施設の様子を観ていたのです。このように現実の周囲の360°の光景を別の映像で置き換えるのが、SR( Substitutional Reality、代替現実)だそうです。このとき サザエさんは、現実の光景を記憶に留め、「もしも、過去の景色が ここから見られたとしたら、こんな風に見えた筈だ」と思われる景色を眺めていました。 2016年の VR業界には、こうした出来事がいくつかあったので、(2度目の)「VR元年」と呼ばれました。


画像借用元:https://twitter.com/sumarebi/status/719111076382507008?lang=pl

 この SRというリアリティ技術は、なかなか優れた方法で、東京の日本橋などでも観光に活用されたと聞いています。首都高の無い日本橋の空だったら、観てみたいですね。ですから、
 良く考えれば、SR(代替現実)も、VR(人工現実)の応用技術だったのです。

 ところで、
   視野の3分の2以上のスクリーンの映像 = ディズニーランドで裸眼で360°の周囲を観たときの光景
であることを ダグラス・トランブル氏が証明した、というのは、こういうことでした。


 「体感劇場」(ハリウッドクオリティの映像揺動)という上演装置を、ダグラス・トランブル氏(「映像の魔術師」)が初公開したのは、1976年のことでした。IAAPAという国際パークアトラクションの展示会で、ベスト・ニューアイデア賞を受賞しています。トランブル氏は、『未知との遭遇』(1977年)『ブレードランナー』(1982年)などの視覚効果で世界的に有名な特撮監督です。彼は、この「体感劇場」を開発する過程で、スクリーンサイズが観客の視野の3分の2以上あれば、観客は「スクリーン上の映像に没入して、それを実際に見える世界と同じように感じている」という映像のマジックを見つけました。観客の身体に微弱な電流を通して、うそ発見器と同じ原理で見つけたのだそうです。大画面は、彼の「体感劇場」の特許の一部になりました。この「大画面でリアリティ = 臨場感が増す」という視覚の特性については、映画館の業界で、1950年代のテレビの台頭による入場者の減少を映画の大画面化によって乗り切った出来事も思い出されます。シネマスコープ映画(1953年の『聖衣』など)の登場によってです。ですから、トランブル氏は、そのときの映画館業界の対応が観客のリアリティを高める方法として非常に正しかった ということを、後から証明したことになります。

 ということで、成功したVR作品では視覚的に、
   視野の3分の2以上の大画面、か、あるいは、
   HMDの使用か、あるいは、
   ディズニーランドのように視野に見える全てを 映画のシーンと同じような景観で埋め尽くす、
そのいずれか、が用意されていたことになります。

 VR作品の観客は、仮想と現実を取り違えることは ありません。大きなスクリーンに映像が見えている間だけ、映画館にいるときと同じ没入感を 作品に対して感じています。(繰り返しますが、ネット動画も なるべく大きな画面で観るほうが良いと思います。) また、観客が ディズニーランドの塀の内側にいる間だけ、「自分は夢の国にいる」と感じているのです。「演出された空間」の実例が、ディズニーランドです。HMDについての説明は、ここでは略させて下さい。
 そして、Augmented Relity(拡張現実)などでは、自室の家具を置く予定の「実物の空間」を(ディズニーランドと同じような)演出された空間だと「見立てて」、VR作品の借景に利用しています。ということで、
   「大画面の映画」+「多感覚」+「インタラクティブにバーチャルな世界が操作できること」
が揃って バーチャルリアリティが完成する、というときの、
   VRにおける構成要素としての「大画面の映画」
について、ここまで長々と解説をしました。少しだけ分かって頂けたでしょうか。

 これで ようやく
   VR作品を解説することが、どうして テーマパークVRの理解に役立つのか、
の片りんが見えてきました。

 ※ しかし、ヒッチコック監督やホークス監督と比較しても、AS-1『スクランブル・トレーニング』や『VR-1』のシナリオは、VR作品として傑出していました。このお話は、改めて書いて行きたいと思います。

 VR奥儀皆伝( 8½ )『謎解き・テーマパークVR』(4)「IVRCに見る VRと 体感劇場(後半)」はこちら。→ こちら
 ( 8½ )「暫定総目次
 『バーチャルリアリティ奥儀皆伝( 8½ )』 (6)に続きます。 → こちら