( 8½ )(4)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2020-07-17 | バーチャルリアリティ解説
第四回 IVRC作品に見るVR と体感劇場 (後半)
                          【( 8½ )総目次 
 前回(第三回)に述べた IVRC2008作品の 『人間椅子』は、「体感劇場」でした。VR作品ではありません。( 『人間椅子』 IVRCアーカイブ: http://ivrc.net/archive/%E4%BA%BA%E9%96%93%E6%A4%85%E5%AD%90-2008/ ) そして、今回ご紹介する 『虫HOW?』は 明らかにVR作品です。



 最初に、「体感劇場」と「VR」の違いを理解しておきましょう。VR奥儀皆伝(8)を一部、再掲します。

 「VRが道具である、ということを、東大名誉教授の舘暲(たち すすむ)先生は強調されています。『バーチャルリアリティ学』( コロナ社、2010年 ) p.10に、舘先生は、道具としてのバーチャルリアリティ として、
   創造のための道具、制御のための道具、通信のための道具、
   解明のための道具、教育のための道具、娯楽のための道具、

という VRの特徴を列挙されました。道具である限りは、操作者の自発性によって始動され、改善の提案も操作者だけから聞くことができます。」

 あなたがセガの70インチ大画面の通信プレイ型レースゲーム 『バーチャフォーミュラ』(1993年)の座席に腰を下ろしたところだ、と考えてみて下さい。これは、VR(「娯楽のための道具」)です。ここで、プレイヤーである あなたがバーチャルな世界に何かの働きかけをしなくては、ゲームは始動しません。
   フォーミュラカーの アクセルを踏む。ハンドルを回す。などなど。
   プレイヤーが 「入力装置」を操作し、「道具」を働かせて (初めて)
   このVRゲームは前に進みます。( 家庭用ゲームも、同様です。)

 逆に言えば、
   観客が入力装置を操作するまで、バーチャルな世界に変化は生じない、
のです。(業務用ゲーム機も、100円を入れるまでは映像の繰り返しです。)

 ですから、その作品が「VR」なのか「体感劇場」かを判別するポイントは明確です。『虫HOW?』は、観客 = 体験者が手袋をはめた手をスクリーンに触れるとアリたちが寄ってきました。しかし、ここでは、『人間椅子』を短く復習して、「体感劇場」とは何かを 改めて整理しておきましょう。


 『人間椅子』の場合は、最初に観客の膝の上に座布団が固定されました。もし仮に、私が、「どうしてもこの体感劇場型作品をVRに変えたい」と強く願っていた場合には、プレイヤーが主導権を持って入力装置を操作することがシステムの始動につながるような改変を行なっただろうと思います。そうすれば VRです。

 例えば、隣の椅子にあった「人の太ももの動きを感知するマット」(入力装置としての座布団)を、観客(プレイヤー)のお尻の下に移動します。そして、太ももの動きが (仮に) 20秒遅れで観客の膝の上の座布団(表示装置としての座布団)に伝わるようになっていれば、この装置は「VR」です。しかし、

 それは、小説『人間椅子』の世界観に無関係な VRシステムです。

 ですから、私は VRじゃないからだめだと言っているのでは無いのです。

 もし、『人間椅子』が 「椅子のぬいぐるみ」に観客(体験者)が包まれる、という仕様で作られていたら、「外の映像が見えない」不安感と緊張感から、この作品は体験者の膝に圧倒的な現実感を与えていたのでは ないでしょうか。
   観客は、目隠しをされているのと同じ状態で、
   膝の上の座布団には、隣の椅子に座った他人の太ももの思いもかけない動きが伝わります。
   「女を神聖で怖いものとして、顔を見ることも遠慮していた私が、薄いなめし皮一枚を隔てて
   (女性と)密着している。」

   それは「驚天動地の大事件」なのではないでしょうか。

 ※ そうでした。椅子のぬいぐるみでなく、「目隠し」でも良かったのですね。今、これを書いていて気が付きました。

 ともあれ、それが、小説『人間椅子』という触覚提示装置の文学的表現を「リアリティを持って」実装するための工学的演出でした。しかし、IVRC2008の『人間椅子』には目隠しも無く、大変残念なことに世界観の演出が不徹底だったのです。そして、この作品の場合は 「体感劇場」であることが必須でした。

 演出の不徹底は、もう一つありました。閨秀作家の 佳子についてです。

 実は、IVRC2008で これを体験してから、ずっと 「何かが足りない」と考えていました。佳子の存在でした。彼女は手紙を読んで、 「オオ、気味の悪い」と感じたのではなかったでしょうか。しかし、展示中の隣の椅子の人物は、まったく気持ち悪そうでは ありません。
 彼女は、気付かない状態で太もものデータを提供しているのだから、あれで構わない。と、そういう考え方もあると思います。しかし、それで十分でしょうか。これは私の思い付きですが、マネキン人形の廃棄されたものを貰ってきて、隣の椅子の人はその壊れた人形の膝に腰かける演出でも良かったのかも知れません。

 これは、展示作品『人間椅子』のブースの世界観を どう造るか、という演出プランの話です。

 要は、その作品展示で観客に何を感じて貰えれば成功かを、深く深く考えることが必要なのですが、

   ここまでで言いたかった事は、
   VRと体感劇場の違いを理解した上で、
   「これは 体感劇場です」と開き直る演出も場合によっては必要だ、ということでした。

 ところで、『人間椅子』の演出に、「マネキン人形」が必要だったかどうかについて、少し本筋から脱線します。IVRC2008で優勝したチームは、「YOTARO」でした。( 『YOTARO』 IVRCアーカイブ: http://ivrc.net/archive/yotaro-2008/ )筑波大学、チームおたまじゃくしの作品です。
 予選のYOTAROは、シリコンの薄い膜に背面投射で赤ちゃんの顔を映して、顔を撫でたり、突っついたりしてコミュニケーションを取るという(だけの)作品でした。しかし彼らは、予選 → 決勝戦の間に、「その作品展示で観客に何を感じて貰えれば成功かを、深く深く考え」たようでした。
 記録ビデオの映像を見て頂ければ分かるのですが、メンバーはエプロンを着けました。展示コーナーにはカーテンが用意され、ベビーベッドが持ち込まれました。YOTAROには身体が用意され、四肢も1/fゆらぎアクチュエーターで動かして、より現実の赤ちゃんに近づけました。顔のシリコン膜も3㎜から2㎜に減らして、ぷにぷに感を増やしました。表情も、「寝ぼけ→ごきげん→うとうと→ねむり」という4ステップの循環型感情モデルを導入したそうです。顔を撫でるだけでなく、ガラガラで与太郎をあやすこともできるようになりました。審査員は背面投影の機構を覗きたがるので、バックステージツアーの見学順路も決めました。私が驚いたのは子供部屋の演出で、細かく内装が施され、詳細に手書きされた「育児日記」がベッドサイドに置かれていました。「YOTARO」は文句なしの総合優勝と、Laval Virtual賞を受賞しています。



 全チームにそれだけの完成度を要請するつもりは ありませんし、例えば、目隠しして演出が向上する作品であれば、内装には あまり凝る必要も無くなります。しかし、「YOTARO」が、その作品展示で観客に何を感じて貰えれば成功かを深く深く考えたことについては、参考にして欲しいと思いました。

 それで、佳子の椅子には マネキン人形を置いて、その膝の上にデータ取得のマットを置くのは どうだろう、と考えたのです。観客で、佳子の席に座って頂いた女性にとっては、機械越しに太ももに触られる(だけ)というハプティクス感も何もない「物足りない」(?)展示でした。せっかく展示に協力して下さったというのに、「居心地の悪さ」には欠けました。せめて、壊れたマネキンの上に座るという「異様な体験」で、この作品は長く記憶に残ったのではないでしょうか。そもそも、乱歩作品のコーナーに「マネキン人形」が置いてあれば、礼儀としてだけでも観客は中に死体が入っていないかどうかを確認するのではないでしょうか。

 すいません。江戸川乱歩が長くなりました。「体感劇場」の説明は、ここまでです。

 さて、今回 ご紹介するVR作品は 『虫HOW?』というタイトルで、IVRC2007の総合優勝に輝きました。Laval Virtualの招待作品にも選ばれ、SIGGRAPHにも出展しました。大変に良くできたバーチャルな触覚のリアリティを感じさせる作品です。
 最終的な作品の仕様は、観客が手袋をつけてモニター画面に触れると 「大量のアリ」やゴキブリが腕を這い上がってくる、という「触覚系ホラーVR」の体裁にまとめられました。しかし、電気通信大学、チームたまごちゃんリーダーの松尾さん(着想者)は、草原で寝っ転がっている時に洋服の袖からアリが這いあがってくるところを妄想して、なぜか「気持ちがいい」と感じたそうです。それで、ゴールとしては 『気持ち悪いけど、気持ちいい』を目指したのだそうです。
 作品仕様 : https://kaji-lab.jp/ja/index.php?plugin=attach&pcmd=open&file=mushi-oukan2011.pdf&refer=publications


 ( 『虫HOW?』 IVRCアーカイブ: http://ivrc.net/archive/%E8%99%AB-how-2007/
 画像借用元: https://news.livedoor.com/article/detail/3989991/   Livedoor Newsによる取材記事
 写真は、チームたまごちゃん提供


 この作品は、VR作品として、とても理解しやすいと思います。
 観客は手袋をつけます。モニター画面には、アリが動いています。
 観客が、手をモニタ画面に当てます。
 すると、
 ざわざわざわ。
 手袋の内側の多数の小型モーターに取り付けられたテグスが、皮膚をカリカリ、一斉に弾きます。Laval Virtualや SIGGRAPHで、ごきぶりを腕に感じた屈強な外人男性が「ギャーッ!」と悲鳴を上げて、バーチャルなゴキブリを腕から振り落とそうと飛び跳ね始めたそうです。(梶本裕之先生から伺いました。)

 このVR作品は、重要なことを いろいろ教えてくれています。

 先ず、テグスという素材を見つけたことは、大変優れた着眼点でした。「VR作品の製作」というのは、作業の過半が「調整」です。もし、金属系の素材で、観客に触覚を与えようと計画していたら、完成までに多量の血液が失われていたことでしょう。(金属による触覚を試みた別のチームの作品開発では、みみず腫れが絶えなかった、と伺いました。)昔は、IVRCは「学生対抗手作りVRコンテスト」でした。「国際」が入ったことで字面が長くなり、「手作り」を やむなく外しましたが、なぜ「手作り」だったのかというと秋葉原の部品屋さんには必要な部品が無く、自作していたからでした。

 最先端のテクノロジーは、試作機を「手作り」する必要があるのです。

 セガ・エンタープライゼスの AM5研というのは、AM4研から分離独立したテーマパーク・アトラクション開発の専門部署としてスタートしましたが、メカトロニクスを自作できるのが強みでした。AM4研からは、UFOキャッチャーや プリント倶楽部が誕生しています。AS-1は、AM5研が中山社長に稟議書を持って行って開発許可を頂いた作品で、AM5研の倉庫(工作室)で開発しましたが、筐体デザインをしてくれたのは AM4研から移籍したデザイナーの Yさんでした。AM5研の倉庫では、リュック・ベッソン監督を AS-1に乗せてあげたことがあります。(後で後悔しました。映画 『フィフスエレメント』に、ある場面を まるごとコピーされたからです。)その少し前(1990年)には、AM4研の倉庫で R360が開発中でした。あるとき私は「感想を聞きたいので是非乗って欲しい」と言われて R360の試作機をプレイしたのですが、私が感想を言う前に、開発者が「ポケットの物は何も無くなっていませんね。良く筐体の底に落ちるんです。あっ」と言って、底から取り出したのは開発者自身の時計で、失くしたと思って探していたそうです。あの頃のセガのメカトロニクスの倉庫は、夢の国でした。誰かの言葉をもじって言うと、世界は R360の素晴らしさを体験した人と、していない人の 2種類に分けられるのかも知れません。R360を出展した米国の国際パークアトラクション展示会 IAAPAでは、ディズニー・イマジニアリング社の副社長ら大勢が駆けつけて来られて、「この作品の全世界の興行権をディズニーに譲って欲しい」と真剣に頼まれたほどでした。ちなみに、AM4研は ポップコーンの自販機も作っていたので、深夜作業でおなかがすくと、全員がポップコーンを食べていた時期があったそうです。

 何が言いたいのかというと、最先端のテクノロジーを創造したいと思ったら、「手を動かしなさい」ということです。IVRCの伝説の触覚インタフェース、田植えの長靴の泥の感触を感じさせる 『おこめっち』(1997年)では、安藤英由樹先生たちのチーム Biomechは自分たちの必要なモーターを「手作り」で自作しました。適当なサイズの部品が見つからなかった、というより、未来創造作品の部品が、たまたま秋葉原の部品屋さんにあるのは余程の幸運です。J-Stageに仕様が公開されています。https://ci.nii.ac.jp/naid/110008746626  IVRCーカイブ

 ですから必要なメカトロニクスを開発できる能力が、最先端という言葉の意味なのです。

 『虫HOW?』に、話を戻しましょう。

 感覚に結びついた人間の記憶(過去の体験)は、無意識に肉体的反応を引き起こします。

 ユニバーサル・スタジオの 『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』(BTFR、1991年)では、おそらく観客は過去の地震や よろけた体験を思い出したのではないでしょうか。揺動の刺激に、観客は思わず足をふんばって、そして「ふんばったこと」で画面の向こうの世界に臨場感をもって没入してしまったのではないでしょうか。観客は、試作機のデロリアンに乗って、ビフを追跡していました。前を行く盗まれたデロリアンは、空中で揺れていました。ちなみに、開発者のダグラス・トランブル氏は、没入感を immersion feeling と言っておられました。realistic feeling という意味です。

 そして、アリやゴキブリの感触(触覚)も、同じように過去の肉体的記憶と結びついています。

 しかし、「ギャーッ!」という反応は、アリさんやゴキブリさんに対して失礼では ないでしょうか。
 現在、USAでは、過去のアフリカ系アメリカ人や先住民、そして女性に対するハラスメントの歴史を誤りだったとして、企業の役員から排斥しています。同じロジックで言えば、アリは1億年前から、ゴキブリは3億年前からの地球の先住民でした。人間の化石なんて、せいぜい20万年です。
 必要になるのは、生態的な棲み分けと 出会った際の礼節ある交流ではないでしょうか。

 そもそも、ゴキブリが出たのは、台所のゴミを寝る前に片づけなかった自分のせいです。

 「ギャーッ!」という悲鳴ではなく、呼び出すべきは自らの「理性」で、ゴキブリのいる理由の分析と対策を考えるべきでしょう。もしかすると、懐いているのかも知れません。自分(ゴキブリ)をペットにするために台所のゴミをエサとして人間が用意してくれた、と考えたのかも知れません。それなのに丸めた新聞紙で叩かれたら、卑怯な仕打ちだと思いませんか。相手に敵意のないことを、思念や言葉で伝えましょう。こうした状況に冷静に対処するための訓練装置として 『虫HOW?』を捉えてみれば、優れた「教育のための道具」ではないかと思います。ともあれ、小型モーターの製作と実装は、本当に根気のいる手作業だったことでしょう。

 それで、ここからは、参加学生にとっての企画案の範疇になりますが、

 『人間椅子』は、膝の上の他人の体重と その太ももの形状(触覚による推測)を数理モデルに変換して、モーターとベルトで再現する「体感劇場」型のリアリティ装置でした。『虫HOW?』では、皮膚を虫の這う触感の数理モデルが、モーターとテグスで再現されました。
 どちらも、
   触覚 → 触覚を推測させる数理モデル → バーチャルな触覚
 「バーチャルな世界」におけるコンテンツとして構築されています。

 でも、例えば、原子力発電所のお掃除ロボットなどは、自分の周囲の高い温度を「そのまま」遠隔地に送って再現するのでは ありません。温度 → 指数関数的な数理モデル → 温度、と低い温度表示に変えて表示する場合がありますし、同時に、点滅するライト「視覚」や警告音「聴覚」に測定温度を変換して伝送することもできます。つまり、VRでは、いったん数理モデルを経由することで、1対1ではなく多感覚の混在が作品世界にできるのです。例えば、SF小説の古典、アルフレッド・べスターの『虎よ、虎よ!』(1956年)では、時間ジョウントした主人公の視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触角は複雑に入れ替わりました。

 音が「見え」たり、手触りが「味覚」に変わったり。工学的な言い方をすると、「感覚刺激の時間の経過」は、文法的な構造に変換されることで「数理モデル」としての多感覚の統合が可能になったことになります。上等のプリンに醤油をかけると「ウニ」の味がしますし、キュウリに蜂蜜で「メロン」、ゆで卵の黄身に蜂蜜で「栗」になります。これと同じことで、モーターとベルトは「異性のふともも」の感触に変わりました。モーターとテグスは、「アリ」や「ゴキブリ」に変えられたのです。

 ※ 『虎よ、虎よ!』の雑誌掲載時の題名は The Stars My Destinationです。活字によって「多感覚の遷移」を試みたことは見事でした。

 デカルトの生きていた17世紀には、ガリレオのように天体の運行を地動説などという珍奇な「数理モデル」に変換して民心を惑わすことは「魔術」だ、とされていました。違法ドラッグだ とか(そんなものはありませんが)違法RPGゲームだ、使用を禁止する、ということです。ガリレオが検邪聖省から言われたのは、「お前は地動説を唱えてジョルダーノ・ブルーノのように火あぶりにされるか、それとも、地球は動きませんという誓約書に署名して一生自宅で謹慎しているか、どっちが良いか?」という二択の質問です。ガリレオは迷わず、後者を選ぶことにしました。それを聞いて、デカルトは計画していた自著の出版を取りやめてしまったのです。本を書いて火あぶりにされては、割に合いません。しかし、21世紀のテクノロジーは、(魔法みたいに)多感覚を相互に入れ替えてSF小説を現実化できるまでになりました。「数理モデル」で Society 5.0を構築するという計画は、F・ベーコン、ガリレオの時代だったら禁止されていたことでしょう。そして、学生の IVRC作品が工学的に具象化することについての固定した概念を境界侵犯してくれることで、人類にとって有益な魔法が、まだ数多く残っていた、ことが明らかになりつつあるのです。だから、『人間椅子』は猥雑性を招き寄せるパンドラの箱であったのと同時に、人類社会に残された「希望」でもありました。私がマネキンの足にこだわった理由が、分かっていただけるでしょうか。

 ちなみに、IVRCというイベントは、舘暲先生が(日本VR学会の設立される3年前の)1993年に世界で初めて発足させた 学生の「手作りVR」作品コンテストです。当初は 日経BP社の後援で、第1回は天王洲アイルのスフィアメックスで展示されました。 http://ivrc.net/archive/year/1993/ 2020年からIVRCの新実行委員長をされている稲見昌彦先生は第1回の総合優勝チームです。作品応募受付、会場設営、審査などは 前田太郎先生が担当されましたが、あまりに膨大な作業量なので、運営を学生たちに任せるという方針を決めて「学生の 学生による 学生のための」IVRCという基本スタイルが この時できたようです。OBが後輩の面倒を見ることは、IVRCの誇らしい伝統です。実行委員は、ほぼ全員がOBか優勝チームの研究室代表者ですので、参加学生は、例えば 今後の国際学会応募のためのシステムの改善なども遠慮せずに相談して下さい。

 昔のIVRCの展示では、会場で いきなりバックアップも取らずにソフトの上書きを始める学生が多く、公開初日には3分の1くらいが「調整中」になっているというのが普通でした。しかし、NTTドコモの 福本雅朗 実行委員が、「一般的に言って、国際学会の展示会にメカトロニクス系展示の企業が持っていくデモシステムは、出国直前に一度研究室で動いたものを全部ばらばらにして、再度組み上げ、動けば問題ないと判断して持って行く」 という企業出展者の慣行を公開して下さったことなどから、最近は故障による「調整中」が減りました。また、明和電機の土佐信道さん(審査員)が、作品の創り上げた「世界観」への観客のバーチャルな没入を削ぐことになるので 展示時の「ガムテープ禁止」を謳ったことなどから、見栄えが良い作品も増えています。というか、観客にバーチャルな世界に没入して貰おうと普通に考えたら、そうなりますね。

 1997年から2008年までの決勝戦の舞台は、岐阜県VRテクノセンターでした。岐阜県の梶原拓知事(当時)には長きに亙って、IVRCは本当にお世話になりました。この時代に、IVRCに何が必要なのかが見えてきました。国際会議への採択も常連になり、Laval Virtualとの交流が始まったことも、また機会を見てお話ししましょう。
 小泉直也先生がIVRCアーカイブ 
http://ivrc.net/archive/ を本当に努力して完成させて下さいましたので、この頁を参照して下さい。10周年の時に白井暁彦さんたち映像記録メンバーが苦心して まとめて下さった記録もありますから、IVRCは入賞作品の歴史が大変調べやすくなっています。当時主流だったデバイスの確認も一目で できますから、VR技術の歴史資料として非常に便利 かつ貴重です。

VR奥儀皆伝( 8½ )『謎解き・テーマパークVR』(3)「IVRCに見る VRと 体感劇場(前半)」はこちら。→ こちら

『バーチャルリアリティ奥儀皆伝( 8½ )』 (5)に続きます。 → こちら