舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

大冒険譚

2007-03-19 23:02:28 | ぼくはこんな本を読んできた
「ライラの冒険シリーズ」
第一巻『黄金の羅針盤』 ("Northern Lights/ The Golden Compass")
フィリップ・プルマン 著
新潮社、1999


ついに私が世界で最も好きな本のご紹介です。

幼稚園に上がるより前から本を読み出して、字はすべて本で覚えたほどの活字中毒の私にとって「世界一好きな本」とは、よくよくのことなんですよ。
今までいろんな作品を読んできましたが、とにかくこれがダントツに好きです。

そんな重要な本を今になってようやくご紹介するのは、この作品が映画化されるタイミングを待っていたからですね。
とはいえ日本での公開は2009年なので、「待ってた」とか偉そうに言えるほど待てなかったわけですが(笑)。
撮影は進んでいるらしく、最近映画雑誌の片隅に写真などが載るようになってきました。

この作品は厚さにして最近のハリーポッター3冊分くらいある上、字の大きさがハリポタより遥かに小さいので、そうとうな大長編です。
しかし読み出したら最後、長いことなどものともしないほどの面白さです。「ページを繰る手がもどかしい」とは、まさにこのこと。
しかも1巻→2巻→3巻と読み進むにつれ、物語の舞台がどんどん広がってゆく壮大な作品でもあります。
私は現実世界でも狭い範囲内で生きていけないタイプなので、いわんや本の世界をや。

1巻ではまず、ヒロイン「ライラ」の冒険が描かれます。
ライラはオックスフォードのジョーダン学寮で育った勝ち気な女の子。
ここで注目すべきは、オックスフォードといってもライラのそれは我々の世界のオックスフォードではないということです。
いわゆるパラレルワールドですね。

たとえば「第三次世界大戦があった地球」みたいに、現実とはちょっと違う実在の場所を描いた作品は数多いですが、「ライラ」シリーズにおけるパラレルワールドにはもうひとつユニークな設定があります。
それがダイモンの存在です。

ダイモンは「守護精霊」といわれ、人間一人に一匹ずつ存在します。
ライラのダイモンは「パンタライモン」という名前で、どんなダイモンも名前を持っています。
ダイモンは人間にとってかけがえのない存在で、ダイモンと離れれば息苦しさを覚え、もしむりやり引き離されれば人間は命を落としてしまいます。また、他人のダイモンに触れることはもっとも無礼であるとされています。
人間が子供の間、ダイモンは自在に姿形をかえますが、大人になるにつれてあまり変身しなくなり、やがて姿が定まります。

面白いのは、こうして定まったダイモンの姿が人間の本質ともいうべきものをあらわしているということです。
魔女(この世界にはほうきで空を飛ぶ魔女が存在します)のダイモンは鳥であったり、船乗りのダイモンはイルカになってしまうことも。忠実な人間のダイモンはイヌです。
つまりダイモンを見ればだいたいの人となりが分かるのですね。
それはまだダイモンの姿が定まらない子供の頃でも同じで、人間同士の諍いはダイモンが決着をつけたりします。

主人公であるライラの性格がこれまた凄い。なんたって、ガキ大将で嘘つきの天才なんですぜ(笑)。そんな主人公めったにいません。
おまけにそうとう短気で直情的、屋根には登るしお墓で悪戯までするジャジャ馬娘なんですがその反面、とても意志が強くて必ず筋を通すタイプです。
得意の嘘をつくのだって、いつも彼女なりの信念に基づいているのです。それは誰か大切な人を守るためだったり、自分の定めた使命を果たすためだったりします。

1巻ではライラが生まれ育ったオックスフォードを出て大冒険の末に北極までたどり着くところまでが描かれ、2巻はダイモンをもたない人間の世界=私たちの世界に舞台を移し、3巻ではさらに多くの世界を股にかけて物語が展開されます。

その過程でライラが出会う人々がまた個性的。
船で旅して暮らすジプシャン(たぶんジプシーのこと)に助けられ、優秀な戦士にして職人でもあるクマの王イオレク・バーニソンと盟友になり,テキサスの勇敢な気球乗りのリー・スコーズビーや魔女の一族に助けられながら、ライラの冒険は続きます。
もちろん中には敵も現れますし、ライラのたった二人の肉親は敵か味方か最後まで分かりません。
そのうちの一人・アスリエル卿は、壮大な野心を持った冒険家ですが、この作品中一番私のタイプなのはこの人です(笑)。
野望の実現のためなら人の命を犠牲にすることもいとわず、神にすら反逆する困ったオジサンですが、ライラの肉親なだけあってこの人も自分の信念がめっぽう強く、それを曲げることを潔しとしないタイプです。それが高じ過ぎてとんだ野心家になっちゃったのねえ。
それはそれで困った人ですが、私も人の言いなりになったり、周りに流されて自分の意見を曲げるのが許せない性格なので、それをトコトン貫くアスリエル卿にはうっかり惹かれてしまいます。

あいにくライラの好みは私と違いまして、彼女は2巻でウィル・パリーという運命の男(by道明寺くん)と出会います。
ライラとウィルはあたかも陽と陰、動と静です。つまり、嘘をついたり行動を起こすことによって目的を達しようとするライラに対し、ウィルはきょくりょく周囲に溶け込み、目立たないように振る舞う「演技」をすることで生き抜いてきた少年なのです。
方法は違えど、二人の本質はまったく同じ。まさに運命の相手です。

どうも作者(訳者?)が感情移入し過ぎるきらいがあるようで、おもに終盤でしばしば「神の視点」になりきれてない箇所が見受けられますが、とにかく物語の面白さ、そして登場人物の魅力がそれを補って余りあるほど秀逸です。

3巻では雰囲気ががらりと変わり、哲学や宗教色が濃くなります。教会の描き方など、キリスト教国でそんなこと書いちゃっていいのかと思うくらい。
でもそのあたりの描写も作者の示唆に富んでいて、キリスト教的一神論への批判や提言としても十分に読みごたえがあります。

もちろんそんなこと考えず、ライラの冒険譚に快哉を叫ぶのも一興です。
こんなふうにいろんな角度から味わえるのが、この作品を名作たらしめている所以だと思いますね。

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