
とうとう私も本性を現しつつあります。私は中世ジジイなのです。迫り方はイマイチ地力がないけど、心の中はとことん中世ジジイなのです。
できたら、生活もしゃべりも、住まいも、生活スタイルも、すべて中世的にやりたいのだけれど、中世の何たるかをイマイチ理解できてないので、気分だけの中世ジジイです。
まあいいや、せいぜい頑張ります。それと中国の歴史とどう関係があるんでしょうね。
【天莫空勾践 時非無范蠡】……我慢して待っていると、必ず救いの神が現れる、という意味に近いでしょうか。これは何と読みますか?

南北朝の時代に、児島高徳という人が突然出てきます。「児島」というくらいだから、岡山県の南の備前国児島郡の豪族だったことになっています。実在した人かも疑われています。
元弘2年(1332年)、後醍醐天皇は、元弘の変に敗れて隠岐の島へ遠流となりました。この時に高徳さんは、播磨・備前国境の船坂山において、一族郎党二百余騎で佐々木道誉(どうよ バサラ大名でおなじみ!)さんら率いる五百騎の天皇護送団を強襲して、後醍醐天皇の奪還作戦を画策しますが、もちろん失敗します。あまり力はなかったのかもしれない。
護送団は美作(みまさか)と伯耆(ほうき)の境目くらいの山の中に来ていました。とても天皇を助けることは叶わず、仕方がないので、宿舎の木に次の文字を彫りつけます。何だか若者のポップアートみたいだけど、わりと真面目にコツコツ刻んだでしょうか。見えなかったらどうなるんだろう。そして、天皇以外の人に見つかったらどうなったんだろう。とにかく願いを込めたメッセージでした。

「天莫空勾践 時非無范蠡」(天は春秋時代の越王・勾践に対するように、決して帝をお見捨てにはなりません。きっと范蠡の如き忠臣が現れ、必ずや帝をお助けすることでしょう)という十文字を刻みました。これは何?
朝になり桜の木の文字を発見したのは護送団の兵士でした。でも意味がわかりません。外でみんなが騒いでいるのを漏れ聞いた後醍醐天皇だけが意味が理解できた、ということになっています。とてもドラマチックな場面です。というのか、少しできすぎだし、『太平記』による演出だったのかもしれない。
元弘3年(1333年)、後醍醐天皇さまは隠岐の島を脱出します。すぐに伯耆の国の船上山の戦いにおいて幕府軍に対し勝利を収めます。リベンジ戦だから景気よく、しかも計画的に作戦をねっていたのかもしれません。ここでズッコケたら、すべてがダメになりますからね。
サポートの名和長年さんたち中国地方周辺の勤皇派諸将が集結して京都への帰還が始まります。京都に戻ったら、短期政権の建武の親政が行われ、二年で高氏さんが反乱を起こして、政権は吉野へ逃げていくことになりました。南北朝の始まりです。
児島高徳さんは、新田義貞とともに足利方の赤松円心を攻めたり、義貞や宗良親王とともに北陸や東国を転戦、後に故郷において再起を図るも失敗し、吉野の後村上天皇のもとへ逃れるなど、ほんの一時スポットライトは当たるのですが、あとはずっと負け続けとなったようです。そして、いつの間にか歴史の表舞台からは消えていった。
一番輝いていたのは、後醍醐天皇脱出を助ける時のほんの少しの間だったようです。そういう人生もありますね。武将としては……。

★ 答え 「天勾践を空しうすること莫れ(てんこうせんむなしうすることなかれ)、時に范蠡の無きにしも非ず(ときにはんれいなきにしもあらず)」
勾践(こうせん)さんは、呉(ご)にやられ続けていた越(えつ)の王様で、ずっと屈辱的な思いを味わってきました。范蠡(はんれい)さんは勾践(こうせん)さんを助けた参謀で、見事に呉を滅ぼすことに成功させます。
こうしたブレインがついてくれたら、冷酷な王様でも天下を取れるらしい。トランプさん、プーチンさん、習近平さん、日本のAさん、みんな冷酷な王様たちですけど、ブレインがいいんでしょうね。
★ ブレインという言い方、世界中共通かな。その通りなんだけど、あまりにそのままという感じです。それよりは参謀とか、知恵袋とかの方がいいかな。どっちにしろ、考える係という意味なんだけど……。
サンダーバードのスタッフ・ブレインズさんは、やはり同じ流れの中のネーミングかな。