甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

北の空、淡いヒカリ、南果歩さん

2019年03月12日 23時09分48秒 | はすっぱ好き?

 今、李 恢成(り・かいせい イ・フェソン)さんの「サハリンへの旅」(1983)というのを読んでいます。突然に読み始めました。本を買ったのは5年前で、本そのものは1989年に出ています。30年前の本を今ごろ読んでいるわけですね。もちろん、古本です。

 最近、本屋さんでふつうの本を買ったことがありません。去年の秋に、梨木香歩さんの「丹生都比売」を買ってから、全く本を買ってないです。CDは買ったけれど、本は古本しか買わない。

 もうコテコテの、古びたオッサンですね。若い人の話には全くついていけないし、そういう人たちとは違う次元で生きています。それでいいのだと思っていたけれど、オッサン同士で、もっと楽しい世界もあるよとか、それはダメなんじゃないのとか、教え合えてないから、オッサンとしても失格です。

 オツサンにもなれていない。若い人の世界は知らない。私はいったい何なんだろう。

 すぐ話がそれていきますね。

 どうしてイ・フェソンさんかというのを書かなくてはいけないのに!

 それは、どうしてだかわかりません。でも、たぶん、私は父たちの世代のみなさんのことには興味があるようです。同世代の人たちがどんなふうにして生きてきたのか、父と同じだったのか、そのころはどんな世界が広がっていたのか、それを知りたいという気持ちがあります。

 でも、どうしてわざわざ「サハリンの旅」なのか?

 それは、いろいろと理由があるような気がします。でも、自分でもわかりません。

 フェソンさん原作の「伽倻子のために」という映画も見ました。監督は寡作の映像作家・小栗康平さんで、2作目にあたります。1984年の作品で、大阪でフラフラしていたころ、毎日ホールというところで、その年のベストテンに選ばれた日本と外国の映画会に参加して見たと思われます。

 南果歩ちゃんがとてもかわいかった。ネットによると、母方のお祖父さんが在日の方で、彼女はクオーターになるのかもしれません。その彼女が、サハリンで男の子と出会い、別れるみたいな、淡い恋の物語みたいな作品でした。

 よくはわからないのに、果歩ちゃんがキュートで、このあとしばらく芸能界から遠ざかり、もう辞めたのかと思ってたら、しばらくしたらバンバンに出ていき、やがては渡辺謙さんと出会うやら、いろいろな人生を歩んでいるようです。ネットによると、私よりも若いなんて、知らなかった。


 そんなことはどうでもいいことでした。

 どうして、サハリンなのか? でしたね。

 北の土地に対するあこがれなんだろうか。だから、宮沢賢治さんの詩だって、樺太への旅シリーズの詩が気になったものでした。

 知らない土地への興味なのだろうか? まあ、私自身がわからないのに、だれもわからないですね。申し訳ありません。

 とにかく、北の大地というものにあこがれています。

 それと、イ・フェソンさんたちが実際に、一家が日本人の帰還者に紛れてこっそり日本へ渡ろうとしたこと、その幼い日の記憶から、ずっとフェソンさんの自分探しが続いていて、作家になってようやく34年ぶりにふるさとに帰り、親族と出会うところを今読んでますが、長いブランクの後で、ようやく自分とふたたび向き合える体験をフェソンさんと一緒にさせてもらいながら、家族とは何か、人はどうして引き裂かれて生きてしまうことになるのか、あれこれを考えさせられながら、手探りのまま読んでいます。

 34年ぶりに出会えたお祖母さんは、わりとタフな方みたいで、いい発言をしているので、とりあえずメモしておこうかな。

 アイゴ(韓国の人たちの「ああ」かな?)、ヨンカム(亡くなった夫への敬称)! 

 フェソンイ(フェソンさんはお孫さんだから、フェソンめ、という感じかな?)のいたずらっ子がやってきたよ。フェソンイがいつもわるさばかりするからと、いつも胸を痛めていたあなた。

 フェソンイがあなたのもとへやってきたよ! 女房と息子をつれてやってきたよ!

  歳月の恵みだよ、フェソンイ夫婦がやってきたんだ! よく見てくれ、フェソンイがきたよ!

 おばあさんはリズムをとりながら、夫の墓前で歌をうたったそうです。こういう文化を持っている人々なんだよな、と感心しながら昨日読みました。

 また、今からつづきを読みますかね。どうしてサハリンなんだろう?


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。