甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

あこがれ(阿部 昭)1987

2018年10月03日 21時45分34秒 | 本と文学と人と

 講談社文芸文庫で出ていたのを、ようやく手に入れたのはいつのことだったかな……。

 昔は恋い焦がれて本を買いました。やっと手に入れたという満足感やら、中身を読まないのに、本を書棚から出し入れしたり、そんなつまらないことをしてウキウキ気分だけを味わっていた。

 今は、そんなことはしません。本も買わないし、新刊なんて絶対買わない。本は、あこがれのものではなくなった。おそらく、音楽もそんなものになってしまった気がする。オマケつきでCDを売るアイドルビジネスもつい何年か前まではあったけれど、もう今の若い人には通用しないかな。

 若い人には、本も音楽も、スマホという機械の中で手に入れるものになってしまいました。昔は、本も音楽も、手に入れたり、所有したりする楽しみがありました。つまらない楽しみだったけれど、それが1つの目的になっていました。

 今は、そんなモノにこだわる物欲や欲望は、捨て去られてしまった。もう、若い人たちは、そんなに欲しいものなんてなくなって、スマホの中で、見たり聞いたり、その中に取り込んだり、すべて集約している。ものすごく便利だけれど、ものすごく味気なくなりました。

 本もCDも、1つの総合芸術でしたが、そんなものは何の価値もなくなってしまった。



 この「あこがれ」は、モノが何もなくて、みんな貧しくて、みんな何も持っていないし、みんな何かを探していた時代のお話でした。

 少年は中学生、あこがれの女の子は、東京から疎開してきた子で、年上の高校生、でも、お父さんは戦争で亡くしています。少年は、江ノ電が走っているどこかに住んでいて、近所の女の子と通学の時、お互い別々のホームにいるのを見ていました。どこかで何となく知り合えたのか、会話をすることもアルみたいだし、朝、駅までの道を同じように急ぐこともあったようです。さあ、少年は家を出ました。今朝は、女の子でに出会えるのでしょうか。



 その朝、彼女がちょうど門から出てきたところへ少年が行った。少年の心はおどった。まだ二十メートルもはなれていた。その二十メートルを彼はうつむいて歩いた。
 彼女は門のそばの石垣にもたれるようにしていた。――頭をかしげて、年上らしい落ち着いた目をして。

 「おはよう。」
 彼女のほうから大きな声でいった。
 少年はもっと近づいてから、それも小さな声でしかいえなかった。彼は何かいわれてもただおどおどするだけだった。そしてひどく急ぎ足になった。
 彼女は小走りしながら腕時計を見た。
 「何分の電車に乗るの? おくれそう?」
 「さあ、どうかな。」
 彼は逃げるようにして、わき目もふらずにとっとと歩いた。
 「じゃあ走れば。いっしょに走ってあげる。」
 そこで彼は走りだした。これはおかしなことになったと思いながら。



 彼女も走ったけれど、たちまち少年にひきはなされた。彼はかまわず走りつづけた。走りながらやっぱりどうしても彼女が好きなのがわかった。好きだ。彼はうしろも見ずに走った。
 彼女は途中でのびてしまっていた。少年がふりかえると、手で小さなバイバイをして先に行けといった。
 「おくれるといけないわ。」
 で、彼はまた走らなければならなかった。




★ 女の子って、たいして好きでもないけど、とりあえず近しい人には優しい態度を取ります。それが愛なのか、ただの女の子のたしなみなのか、ただの興味本位か、それとも挑発か、女の子本人もわからない時だってあるでしよう。意識してする時もあるでしょう。

 そして、男の子は、その女の子のためなら、どんなことをしてもいいし、その女の子と一緒にいられる時を求めようとする。それがお互いに良かったなら、それでいいけれど、あまりいいものを生み出せないなら、女の子から遠ざかるということもありでしょう。

 かくして、男と女のいろいろなドラマが生まれるわけですね。私はあまり関係ありませんでした。

 でも、その不思議さを、人様で見ていきたい気はしています。自分は、もう体力・気力ともにありません、残念ながら……。



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