中国の歴史とことばで触れた人たちなんですけど、『徒然草』で兼好さんも書いてるから、つれづれなる人々というところにも書いておきます。 唐土(もろこし)に許由(きょゆう)といひける人は、さらに、身にしたがへる貯(たくわ)へもなくて、水をも手して捧(ささ)げて飲みけるを見て、なりひさこといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝にかけたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また手に . . . 本文を読む
かなり昔、春秋時代の呉の国のことばを取り上げました。まだまだ抜け落ちているところはあるものの、とりあえず通っておこうと、そのまま越の国に行きました。 今、昔の原稿をまとめて再構成しようとし始めたところなんですが、その前に相変らず、あちらこちらに手を出すので、「許由巣父(きょゆうそうほ)」……世の中から超然として生きていく隠者。この二人の隠者がいたところが、「箕山(きざ . . . 本文を読む
たまたま「徒然草」をめくっていたら、こんなエピソードを見つけました。前に読んだ時は、ことばを探していましたので、変な話なんかは通り過ごしていたのかもしれません。 今改めて読んでみて、今の目で見れば確かにひどいんですけど、今もそんなに変わらないなと、本当に兼好さんじゃないけれど、「あやしうこそものぐるほしけれ」という気分になってきます。 お坊さんだから殺生しないというわけではないし、警察官だから犯 . . . 本文を読む
紀元前307年、秦の武王さんが急逝したそうです。力持ちの男と力比べをして、失敗して腰の骨を痛めて死んでしまったんだとか……。王様なのに力自慢だったのが災いしたのか。無理しなかったらよかったのに、そんなのあとの祭りですね。 王様はそんなことをしてはいけない。鍛えたければ、一人でやればいいのであって、みんなに自らの力を見せびらかすものではなかった。たまに一瞬だけ、その片鱗 . . . 本文を読む
例によって、思い付きで書きますので、チャランポランのことばかりになると思われます。 だから、最初にコンサイス外国人名事典を写しておきます。 蘇秦 ?~前317、中国、戦国時代の策士。字は季子。洛陽(河南省)の人。張儀とともに鬼谷子に師事。合従策を唱え、連衡策をとる張儀とあわせ諸子百家の中で縦横家と呼ばれた。最初、秦の恵王に説いたが用いられず、のち燕の文侯に用いられ、趙・韓・魏・斉・楚などの東方諸 . . . 本文を読む
「宋桀」と言われた人がいたそうです。「桀」というのは、夏の国を滅ぼしてしまう桀王のことですね。それくらいムチャクチャな王様の代名詞になっていて、宋という小さな国で「桀王」みたいな国を滅ぼした王様ということで取り上げられたそうです。なかなか不名誉なことではありますが、本人としては納得してたでしょうか。 康王(BC329年からBC286年まで在位)さんは、中国の戦国時代の宋の第34代で最後の国君です . . . 本文を読む
もう手当たり次第、おもしろいと思ったら、そこを取り上げることにします。あとで順番を入れ替えたらいいから、もう思いつくままにやります! さて、中山(ちゅうざん)という国があったんです!(「戦国策」明治書院の新書版の一番最後です) 河北省中南部、今でいうとどのあたりなんだろう。お話に楚が出て来るから、南の方かなと思ったんですが、河北省だし、燕や趙という国がお話に出て来るし、位置が確定しません。北京の . . . 本文を読む