甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

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隗より始めよ 中歴80

2021年09月20日 16時29分31秒 | 中国の歴史とことば

 秋ですから、中国のことばを探そうと思いました。『戦国策』の「燕策」、または『十八史略』にあるお話です。たぶん、私は高校の時、『十八史略』で読(まされた)んだのかなと思います。高校の先生も、前から順番に読んでいこうとされたんだろうけど、ここにどれだけの新しさを見つけていくのか、これはなかなか難しい作業だったでしょうね。高校生にいかにして興味を抱かせるのか、難しいですね。

 中身はすぐに忘れたはずです。でも、この変てこな理屈は頭のどこかに引っかかったのかもしれません。とにかく、一番手近なところから始めよう! そうすると、思いもよらない効果があるよ、だなんて、不思議な理屈というか、よくわからないけれど、今の私たちも同じように動かされている気がします。

 今の北京あたりに、燕(エン)という小さな国がありました。

 燕人(えんひと)太子・平(たいし・へい)を立てて君と為す。これを昭王(しょうおう)と為す。死を弔ひ生を問ひ、辞を卑(ひくく)し幣(へい)を厚くして、以つて賢者を招く。

 燕の国の人々は太子の平を立てて王としました。これが昭王になります。戦死者をとむらい、生存者を見舞い、へりくだった言葉遣いをして、多くの礼物を用意して、賢者を招聘(しょうへい)しようとしたのです。



 郭隗(かくかい)に問ひて曰はく(いわく)、「斉(せい)は孤の国の乱るるに因りて、襲ひて燕を破る。孤極めて燕の小にして以つて報ずるに足らざるを知る。誠に賢士を得て与(とも)に国を共(とも)にし、以つて先王の恥を雪(すす)がんことは、孤の願ひなり。先生可なる者を視(しめ)せ。身之に事(つかふ)ることを得ん。」と。

 国を盛り立てようとする昭王は、学者の郭隗にたずねて言いました。

 「斉はわが国の混乱につけこんで、燕を攻め破りました。私は燕が小国で、報復できないことをよく承知しています。そこで、ぜひとも賢者を味方に得て、その人物と共に政治を行い、先代の王の恥をすすぐことが、私の願いです。先生、それにふさわしい人物を推薦していただきたいのです。私自身その人物を師としてお仕えしたいです」と。

 郭隗さんはどんな風に答えるんでしょう?

 隗曰はく、「古(いにしえ)の君に千金(せんきん)を以つて涓人(けんじん)をして千里の馬を求めしむる者あり。死馬の骨を五百金に買ひて返る。君怒る。

 郭隗は次のように言いました。
 「昔の王様で、涓人(けんじん……王の左右にいて清掃をつかさどる)に千金を持たせて、一日に千里を走る名馬を買いに行かせた方がおられました。

 ところが、その使用人は死んだ馬の骨を五百金で買って帰って来ました。当然のことながら、王は怒りました。



 涓人曰はく、『死馬すら且つ之を買ふ。況(いわん)や生ける者をや。馬今に至らん)』と。
 期年(きねん)ならずして、千里の馬至る者三有り。

 涓人は言いました。『死んだ馬の骨でさえ大金を出して買ったのでございす。まして生きている馬だったらなおさら高く買うに違いないと世間の人は思うことでしょう。千里の馬はすぐにやって来ます』と。
 一年もたたないうちに、千里の馬が三頭もやって来ました。

 あれ、何となく現代中国にもありそうな話ですね。習近平さんのまわりで、いろんな涓人が死馬を持ち込んで、独自の理論を繰り広げているような気がします。何しろ習近平さんは、国が安定すること、経済が日々発展すること、そのための方策が欲しくて欲しくてたまらないんですから。

 いろんな意見渦巻く中国政府の内部、それが人々の方向に向いてたらいいんだけど、自分たちの権力の存続だけしか見ていなかったら、たくさんの死んだ馬のホネがあふれかえりますよ。

 習近平さんもわかっているんだろうけど、ついつい中国共産党の不滅のためには、いろいろと耳をふさぎ、目の前にあることをないものにしてしまうような気がするんです。



 今、王必ず士を致さんと欲せば、先ず隗より始めよ。況んや隗より賢なる者、豈に千里を遠しとせんや。」と。

 今、王がぜひとも賢者を招き寄せたいとお考えでしたら、まずこの隗からお始めください。そうすれば、私より賢い者たちは、どうして千里の道を遠いと思いましょうか。いやいや、遠いと思わずにやって来るはずでございます。」と。

 ね、ないものをある、白を黒、そういう議論で王様を説得すること、今も続いています。いや、そういうウソから現実の政策が生まれているような気がします。

 エネルギー政策のためには原発、北朝鮮対策にはミサイル迎撃、経済政策にはGoToとか、信じられないような政策がどんどん続いているでしょう。

 日本の地面の下は、すべて断層でできていて、地震は必ず起こるし、人は必ずコントロールミスをしてしまうのです。

 目には目を、とばかり言うけれど、そのミサイルは必要ないのだと相手を諭す努力を怠っている。もちろん、相手は聞かないフリをしているように見える。でも、実は隠した右手は握手したくてたまらないはずなのです。

 コロナで困っているのは観光業・飲食業だけではありません。根本のコロナ対策は、抑え込むことと、ワクチンと、人々の移動を抑制することのはずではなかったですか。ゴートウ政策をまだやり続ける気持ちがあるとは、最近ニュースで聞いたけれど、信じられませんでした。

 もっともっと、ウソから出た政策はあるでしょう。信じられないけれど、それが現実なんですね。

 さて、昭王さんはどうされますか? もちろん、隗さんの意見は採用されるはずです。



 是(ここ)に於いて昭王(しょうおう)隗の為に改めて宮(きゅう)を築き、之(これ=郭隗)に師事(しじ)す。是に於いて士争ひて燕に趨(おもむ)く。

 そこで、昭王は郭隗のために新たに邸宅を造って郭隗に師事することにしました。そういうウワサは広がっていき、結果としては、賢者たちは先を争って燕に駆けつけることになりました。

 というわけで、ことばです。

【[    ]従隗始(〇〇かいよりはじめよ)】……隗から始めましょう!

 「隗より始めよ」は、「私からまず使ってください」という自薦の言葉でしたが、意味が変化して「物事にとりかかろうとする時は、まずは、なるべく身近な課題から解決しなさい。」「まずは言い出した本人から、始めなさい。」というような意味で使われることになりました。



★ 「死んだ馬」といっても、どんな馬の骨でもいいというのではなくて、名馬のホネだから、死んでも価値があり、まして生きた名馬ならもっと価値がある、という理屈になっているそうです。

 まあ、私たちにしてみれば、同じことかなという気もするんですけど、いろんなことでだまされ、かつがれ、踊らされることって、あるような気がします。

 郭隗さんは、いくらか謙遜したつもりで、自分は、名馬が死んだあとのホネみたいなものだ、という少し卑屈な自己推薦をしたというわけなんでしょうか。自己アピールになれば、何だっていいということなのかな。まあ、おぼれる者だった王様は、目の前のワラである郭隗さんにすがったわけで、それから、いい結果はやってきました。

★ 千里の馬……古来より中国では、最高の名馬は一日に千里走るとされたそうです。当時の中国の1里は540mで、ということは千里で100km以上ということですか、無理ではないけど、しんどいのはしんどいなあ。

★ 郭隗さんのアイデアは大当たりして、後に戦国時代の名将とされる楽毅(がくき)さんが燕にやって来ます。そして昭王の望んだとおりに燕は斉に逆襲して、斉の70あまりの城を奪ったということです。発展を呼び込むことばだったということです。

 気になるのは、それほどまでに輝いた燕という国も、しばらくしたらやがては滅びていくことになりますから、輝きは一時だけです。そんなに喜んでいられないわけです。たくさんのお城を奪還するよりも、もっと別のアイデアはなかったのかなあ、なんて私は思います。

 でも、戦国時代の王様に、食うか食われるかの瀬戸際にいる人たちに、お城より大切なことがあるだろうなんていう理屈は通用しません。それはわかってるんですけど、でも、ついそっちに行ってしまう私です。

★ [  ]には「先ず」が入ります。歴史的仮名遣いは「まづ」です!

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