京都の歳時記

東福寺、伏見稲荷大社等の神社仏閣と祇園の舞妓、芸妓を中心に黒柴の小ざさが京都の美しい四季を紹介する 京都の歳時記

●『都の象徴 東寺』♪

2007-02-28 20:25:12 | まち歩き

《1180年前から京の都のシンボルは『東寺』です。》

_1_p1010035

東寺の五重塔はテレビドラマでも映画の場面でも京都を

象徴する絵としては、必ず登場します。

五重塔が建立されたのが、天長三年(826年)ですから、

今から1180年前から高さ55mの威光を誇っているの

です。

五重塔は元来 釈尊の遺骨を奉安するためのものであり

四方からでも、遠くからでも崇めることができるようにと、

四方同形、できる限り高くと造られた。

日本一高い五重塔(55m)は現在では、東寺周辺でしか

崇められなくなってしまったが、どのように見えるか観て

ください。

_1_p1010008

九条通り
鴨川の橋
上から。

_1_p1010019

大宮通りから
みる。

_1_p1010036

九条通りから
みる。

東寺 五重塔が特別公開しておりましたので、

めったに観れない初層内部を見てきました。

_1_p1010032

Img_0001_3

Img_0002_3

初層内部
パンフレット
より。

P1010034

_1_p1010024

_1_p1010025

_1_p1010027

《地震に強い五重塔》

東寺の塔は創建以来、四度の焼失を経ているが、

地震で倒壊したと言うきろくは見当たらない。

これは五重塔の塔身が各層ごとに、軸部、組物、軒

を組上げこれを最上層まで繰り返す積上げ構造に

なっているからだそうです。

1596年の慶長地震では伏見城が崩壊したが、五重塔

は無傷であったという。慶長地震は阪神大震災に匹敵

する規模だそうです。(慶長地震マグニチュード7.0~7.8、阪神大震災

マグニチュード7.2)

昔の人の知恵というのは なんと すばらしいことか。


□『伏見稲荷大社と東寺』♪

2007-02-27 17:24:01 | 伏見稲荷大社

《伏見稲荷大社と東寺は関連が深い…。》

伏見稲荷の『福参り』も残りわずか…。

稲荷山のふもと、仲恭天皇陵のあたりから眺める

風景は西の山が一望で、まず飛び込んでくるのは

ひときは高い京都タワーと京都駅の壁、目を少し

南(左の方向)へ移すとかすかに見えるのは、創建

以来1200年京の都のシンボルである『東寺の五重塔』

である。   わかりますかねえー。

_2_p1010005

左の大木の下右
に茶色のマンション
がありますが、2棟
ある境のところに
かすかに、見える
のが解りますか?

_2_p1010006


少し拡大しましたが、
こちらの方が少しは
ましかなあ。




京都タワー 131m
京都駅ビル  60m 横幅460m
東寺 五重塔 55m

の違いが京都の景観争議を生み出している。

この日本で一番高い五重塔から西へ200m行ったところ

に「伏見稲荷大社」の御旅所がある。

東寺と伏見稲荷大社は直線距離で3000mも離れているのに

_2_p1010013

御旅所(伏見稲荷)
からみえる東寺の
五重塔。

_2_p1010015

御旅所から見える
東寺の五重塔

東寺の五重塔は平安京遷都(794年)からまもない826年

空海によって建立されたが、この主要材が稲荷山から伐り

出されたのである。

昔の文書によれば、延べ3430人の人を動員し運搬するの

に10日間ですませたという記録が残っている。

もともと、五重塔は仏様の仏舎利塔でいわば、仏様のお墓

のようなもので、四方からでも崇められるように、そして遠く

からでも崇められるようにと高く、建立されている。

たまたま、特別公開で、初層内部を公開しておりました、その

説明に」よると、初層には、四体の如来像、八体の菩薩像が

安置され、その中心の心柱を阿弥陀如来像にみたてているため、

稲荷山の御神木が必要だったと思われる。

_2_p1010018

それにしても、京都を示す時に必ずといって映される

「東寺の五重塔」…1200年のながきに渡り京都の

象徴として存在してきた、五重塔の材木は、稲荷山の

御神木とは、…このように、伏見稲荷大社と東寺は

密接な関係にあったとは、…

そして、「伏見稲荷大社」と「東福寺」は花の乱と称して

長きに渡り争い事があったとは、この辺はまた時間の

ある時にふれたいと思います。

東寺の五重塔(日本一高い五重塔H=55m)は今まで

は京都の建築には「東寺の塔の高さを超えない」という

暗黙のルールがあったはずだったのが。


●「京都の雛祭り」♪

2007-02-26 11:46:14 | アート・文化

《もうすぐ『ひなまつり』♪》

灯りをつけましょ ぼんぼりに、お花をあげましょ 桃のはな ♪

三月三日は ひなまつり。

京都の旧家では一ヶ月遅れの四月三日にひな祭りを飾る

ところも少なくないです。新暦との季節感のずれを感じる

ところですが、「ひなまつり」は『桃の節句』とも言われます。

京都では新暦の四月に桃の花は咲きます。ある意味では

桃の花が咲く、四月三日の方が似合う「ひなまつり」です。

_4_p1010214

京都の雛祭りは男雛、女雛を飾る位置は関東などの、

一般的な飾り方とは、逆になっていると思います。

女雛を向かって左、男雛は向かって右に飾ります。

P1010038 これは、御所の紫宸殿の向き

と関係していて、紫宸殿に座された

親王からみて左、日の登る東側が

位の高い場所とされたためです。

このため、親王からみて左に左大臣

(向かって右)、右に右大臣(向かって

左)とされました。

このため、男雛を向かって右に飾ります。

京都ではこれが一般的な飾り方になっています。

ちなみに京都の右京、左京も同じような理由で

紫宸殿からみた位置で左京、右京となっています。

地図では北を上にしてみる機会が多いのですが、

右側が左京区、左側が右京区です。


■「祇をん 歳時記」♪♪

2007-02-22 19:43:54 | 祇をん

《「都をどり」に向けて♪》

「都をどり」まであと 一ヶ月 ちょっとですねえ。

3月からは をどり のお稽古もはじまります。

Img_0018

千社札」です。
舞妓さん、芸妓さん
の名刺のようなもの
です。
やめたひとのも
ありますね。

今回は「舞妓」さん と 「芸妓」さんの違いを少し紹介

します。

(二十歳をすぎてお姉さんになると「芸妓」になる。)

まあそのようなことですが…。今日は外観で異なる

ところ それは、髪型です。

「舞妓」さんは、自毛(自分の毛)で色々な髪型を結

いますが、髪型だけでも「われしのぶ」「おふく」「勝山」「奴島田」

そして舞妓最後の「先笄」(さっこう)と行事と着物によって替えます。

「芸妓」さんは 鬘(かつら)です。

P1010025

「豆福」さんと
「小亜希」さん姉さん

このとき、「豆福」さんは舞妓。最後の「先笄」(さっこう)

の髪型です。横の「小亜希」さん姉さんは鬘(かつら)

です。

Img_0014 P1010066

この写真は「衿替え」を終え「芸妓」になった「豆福」さん

です。鬘も似合っていますね。

ただし、都をどりの時は鬘ではなく自毛で髪型を結います。

_1_p1010083

都をどりのお点前を
する。芸妓の「豆福」
さん。自毛ですね。
ひかえは舞妓の「寿々
葉」さん。今は芸妓さん
です。

都をどり(4月1日~4月30日)-花街 祇園甲部

よろしゅう おたのもうします。





■『冬の東福寺』♪♪♪♪

2007-02-21 22:49:43 | 東福寺

《東福寺 方丈庭園-「八相庭」》

今まで多くの作庭家「重森三玲」氏の庭を観てきましたが、

私の一番好きな「重森ワールドの庭」は前回もご紹介しま

したが、「八相庭」です。

_1_p2020204_1

好きな訳は 「シンプル さ そして 鎌倉時代の質実剛健な

風格を基本とし、現代芸術の抽象的構成をとりいれた

モダン さ 」である。そして現代風潮にマッチした廃物利用

の「環境へのやさしさ」である。

上の「小市松」は敷石と苔の市松模様であるが、モンドリアン
のデザインに似たところがありませんか。そして「敷石」は
境内で不要になった敷石を利用したものです。

以下に東福寺方丈庭園を紹介します。

P2020208_1

「方丈南庭」(前庭)
四仙島と八海 五山
豪健な配石と荒海
の砂紋

P2020211_1

左から「瀛洲」「蓬莱」
「壷梁」の四仙島を
現す。『方丈南庭』

P2020209

「壷梁(こりょう)」
の四仙島
『方丈南庭』

_1_p2020198

「方丈」の四仙島
『方丈南庭』

_1_p2020201

「井田市松」の
『方丈西庭』
さつきの刈りこみ
と砂地が大きく
市松模様
四季の色彩的
効果が意図
_1_p2020205_2

「小市松」の
『方丈北庭』
敷石と苔の
市松模様
奥の人影は
「通天台」

_1_p2020206

「敷石」と苔の
市松模様
なんとモダン!
敷石の廃物
利用


_1_p2020195_1

「北斗七星」の
『方丈東庭』
中央から右側に
伸びる生垣は
天の川を現す。
七つの柱石も
廃物利用。
「北斗七星」はなぜだか解りませんが、この七つ

の柱石 東司を改築した時の余材を利用。

この精神すばらしいですね。

以上で方丈の四周に庭園を配し、「蓬莱」

「瀛洲」「壷梁」「方丈」の四仙島と「八海」

「五山」「井田市松」「北斗七星」の八相の

表現を八相成道に因み「八相の庭」と命名

される。

_1_p2020202

「通天台」から観た
「通天橋」  柱の間
に下流側の「臥雲橋」
が小さく見えるが解り

ますかね。

東福寺は「紅葉の通天」で歌に読まれるほど

有名ですが、秋の紅葉のシーズンには人人人

人人人…で足の踏み場もない状況の人出です。

この通天橋も黒山の人だかりです。

こんなわけで『冬の東福寺』はお薦めです。

『重森ワールド』もずいぶん観てきましたが、今までの中では
ここ「東福寺 方丈庭園-八相の庭」が一番すきです。
これから、「光明院」「芬陀院」もありますが、どうですかね?