《伏見稲荷大社と東寺は関連が深い…。》
伏見稲荷の『福参り』も残りわずか…。
稲荷山のふもと、仲恭天皇陵のあたりから眺める
風景は西の山が一望で、まず飛び込んでくるのは
ひときは高い京都タワーと京都駅の壁、目を少し
南(左の方向)へ移すとかすかに見えるのは、創建
以来1200年京の都のシンボルである『東寺の五重塔』
である。 わかりますかねえー。
左の大木の下右
に茶色のマンション
がありますが、2棟
ある境のところに
かすかに、見える
のが解りますか?
少し拡大しましたが、
こちらの方が少しは
ましかなあ。
京都タワー 131m
京都駅ビル 60m 横幅460m
東寺 五重塔 55m
の違いが京都の景観争議を生み出している。
この日本で一番高い五重塔から西へ200m行ったところ
に「伏見稲荷大社」の御旅所がある。
東寺と伏見稲荷大社は直線距離で3000mも離れているのに
御旅所(伏見稲荷)
からみえる東寺の
五重塔。
御旅所から見える
東寺の五重塔
東寺の五重塔は平安京遷都(794年)からまもない826年
空海によって建立されたが、この主要材が稲荷山から伐り
出されたのである。
昔の文書によれば、延べ3430人の人を動員し運搬するの
に10日間ですませたという記録が残っている。
もともと、五重塔は仏様の仏舎利塔でいわば、仏様のお墓
のようなもので、四方からでも崇められるように、そして遠く
からでも崇められるようにと高く、建立されている。
たまたま、特別公開で、初層内部を公開しておりました、その
説明に」よると、初層には、四体の如来像、八体の菩薩像が
安置され、その中心の心柱を阿弥陀如来像にみたてているため、
稲荷山の御神木が必要だったと思われる。
それにしても、京都を示す時に必ずといって映される
「東寺の五重塔」…1200年のながきに渡り京都の
象徴として存在してきた、五重塔の材木は、稲荷山の
御神木とは、…このように、伏見稲荷大社と東寺は
密接な関係にあったとは、…
そして、「伏見稲荷大社」と「東福寺」は花の乱と称して
長きに渡り争い事があったとは、この辺はまた時間の
ある時にふれたいと思います。
東寺の五重塔(日本一高い五重塔H=55m)は今まで
は京都の建築には「東寺の塔の高さを超えない」という
暗黙のルールがあったはずだったのが。
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