京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

花は我をいかが見るらむ

2021年03月22日 | こんなところ訪ねて
蝋梅が咲いていた。種種の椿と桜のコラボ。馬酔木が咲き、蘇芳も花をつけ、境内隅から隅まで、足元には名前を記した札が添えられて若い花木が育つ。
訪れたことがなく、これほどまでの“花の神社”だったとは知らなかった。

自転車が通る哲学の道を、少しばかり東に入ったところにある大豊神社。宇多天皇の内侍藤原淑子の発願になる神社だという。



     いにしへに変わらざりけり山桜
       花は我をいかが見るらむ            出家姿の自らを藤原基長が歌う。


昨日一日降り続いた雨後に、ちらほらどころか満開の感。

大阪市に生まれた小松左京は京大で終生の友となった高橋和巳と知り合い、文学を読み漁った。その一方で、共産党に入り無謀な武装闘争路線の下で活動していた。
「まだ学生だったころ、今よりもっと腹をすかし、明日の飯代をどうしよう、とか、なぜもっと早く革命が起こらないのだろうか、とか、自分にはいったい何ができるのだろう、とか、そんな考えで頭をいっぱいにしながら、その道を歩いたものだった」と著書『哲学者の小径フィロソファーズ・レーン』で書いた。私小説のような色合いのある短編小説だ。
過去は苦々しかったが否定はできない。「現在は、過去からいきなり宗旨がえすることによって、飛び移るものではなく、過去の結果だから」とも。

3/1の哲学の道。

知人と会って点訳の問題を解決。その後、ここまで同行してもらうことになった。
コメント (8)
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