京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「…水によろこぶ」

2014年03月24日 | こんなところ訪ねて
琵琶湖の水を京都市に供給する琵琶湖疎水。
その第一疎水が完成して124年です。琵琶湖から京都への水運構想は江戸時代からあったようです。東京遷都があって衰退した京都に活力を呼び戻そうと推進された一大事業は、当時の最先端の土木技術を駆使して3年半をかけて貫通。説明板には、当時のお金で60万円ほどだった当初の予算は2倍以上に膨れ上がったと書かれてありました。その後、第二疎水も完成。水力発電で路面電車を走らせることにも貢献してきました。

春の陽気に誘われて、山科疎水べりを下流に向かって歩いてみました。
地下鉄東西線を利用して山科駅で下車。毘沙門堂へ向かう道を安朱橋を渡らずに左に折れて散策道へ。蛇行して流れる幅は広く水量も豊かで流れも速い。途中、日蓮宗本國寺と栄興寺に立ち寄りながらの二時間あまり、もってこいの散策になりました。新緑の季節もさぞや美しいことでしょう。

 疏水はここから第二トンネルに入って蹴上のインクラインへと続くのです。花見でごった返す南禅寺から哲学の道へと、北に向かって流れるのです。


トンネル入り口上部にある扁額「仁以山悦智為水歡」は、時の明治の元勲・井上馨によって書かれた文字で、「仁者は動かない山によろこび、智者は流れゆく水によろこぶ」の意だと説明されてます。
さてまたこの意はどんな意?と頭をひねってみていたら、論語「蕹也第六」にある孔子の言葉に出会いました。
「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむとあり。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのち)ながし」
吉川幸次郎氏曰く、「有名な条であり、含蓄に富む条である。安易な解釈を加えることを、さしひかえる」(『論語 上』朝日新聞社)

わかるはずもなく、それでもなんとなく考えていました。浮かびました!「水は高きより低きに流れ」「上善如水」ってことばが。ところが、「たまって淀めば腐る」などと言う人があって、前に進まないこの堂々巡りのような頭の体操は、もうちっとも面白くなくなってしまいました。費やした時間はなんだったのか。

余談になりますが、明治になってこの疎水に年間百人を超す身投げ者があったそうです。そうした五十人以上の人々を救った主人公・老婆の物語が『身投げ救助業』(菊池寛)です。玄侑宗久氏の著書で教えられ青空文庫で読んだことがあります。





コメント (4)
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