京医ボート部ブログ

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言葉

2016-01-23 12:34:56 | 日記
さっきのせつめい
わからなかったけど
だまっておこう

いや、ダメですよ。世間ではセンター試験も終わり受験シーズン真っ只中ですが、分からないところはちゃんと質問しましょう。1回生の澤田です。

受験シーズンと言えば、あれからまだ一年も経っていないんですね。大学に入って、あの頃が遠い昔のように思われます。最初のあいうえお作文に書いたことについて、当時の高校教師が、質問するときはどこまでわかっていてどこからわからないのかを明確にするように、とおっしゃっていたことが思い出されます。また、誰も知らないことを研究するとき、自分がわかっていることから新しいことを導く、ということを考えると、自分がわかっていることをハッキリさせることの重要性が、実感はありませんが頭ではわかります。しかし、これは研究に限ったことではありません。ボートに関しても、まだどのような漕ぎ方が良いのか悪いのかあまりよくわかっていないことも多いので、同じようなことが言えるでしょう。

それではどうすれば自分がわかっていることを明確にできるのでしょうか。ひとつには言葉があると考えています。それは言葉は考えを固定化することができるからです。中国禅では不立文字というものがあり、「文字(で書かれたもの)は解釈いかんではどのようにも変わってしまうので、そこに真実の仏法はない。したがって、悟りのためにはあえて文字を立てない」(wikipedia)のです。これは、悟りに余計なものまで含んだ考えを言葉によって固定化してしまうことを避けるためのものだと解釈しています。このように言葉には固定化の働きがあると考えています。

しかし、どうも我々が普段使っている日常語には曖昧なところが多いように感じられます。禅が不立文字として戒めているのには、ここにも理由があるように考えられます。ここで、最近お世話になっている教授がおっしゃっていたことなのですが、他言語(自然言語やコンピュータ言語も含む)を使うとよいそうです。ボートにおいて、例えば僕はこれは物理的にいうとどのようなことかを考えることがありますが、これが自然言語で考えることだと考えています。

また、ときどきCOXのコールを聞き流してしまうことがあります。普段聞きなれていてそのコールについて深く考えることができていないのでしょう。この事に対して、僕はいま自分で自分にコールをかけることを実践しています。日常語であっても自分発信のものであれば、それについてより深く考えることができるでしょう。

受験のことからとりとめもなく書いてきましたが、冬シーズンの目標は自分の漕ぎを見つめて、考えて漕ぐことなので、これからも色々と試行錯誤して、上達していきます。

ではこの辺で、失礼します。