沖縄の街角(旧名:北京の街角)

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日本国紀に見た近代史のIF

2018-12-31 15:30:30 | 読書


発売前からなぜか異常に人気があった百田尚樹氏の力作、「日本国紀」を読んだ。
通史という物語として読むと、各所に著者の意見が入っていて大変面白かった。
現代史の部分は上島嘉郎氏の本で前知識はあったが、それでも読んでいて暗澹とさせられた。
左巻きの日本人が、今でも日本国を貶めている現実を再認識させられ、民主主義の限界を感じた。

それでも、巻末の「未来へ」の項を読んで、我々の年代では克服は無理かもしれないが、今の若年層がWGIPの洗脳から抜け出して、
偉大な日本国を再建してくれるだろうと期待するに至った。

著作者が解説する近代史のIFに係わる人物と、「かもしれない」内容について、ついでに下記しておこう。

1)小村寿太郎
ポーツマス講和会議の2か月後、アメリカ鉄道王のエドワードハリマンと桂太郎首相が、満鉄を日米共同で経営する覚書に同意した。
これを、外遊から帰国した小村寿太郎が、大反対し結局覚書は破棄された。
日米共同経営にしていれば、アメリカのセオドア ルーズベルト大統領は、日本敵対路線を採っていなかったかもしれない。

2)幣原喜重郎
1921年のワシントン会議で、アメリカの甘言(日英同盟を破棄して、日英米仏四カ国条約を結ぼう)を信じて、20年も続いた日英同盟を破棄してしまった。
日英同盟を存続させていれば、ブロック経済で孤立して、大東亜戦争に突入することもなかったかもしれない。

1927年3月に南京事件と呼ばれる中華民国の軍人と民衆による、外国領事館と居留民に対する、襲撃事件が発生した。
これに対し、イギリスとアメリカは直ちに南京砲撃をしたが、幣原喜重郎は中華民国への協調路線を採り、何の反撃もしなかった。
これにより、中国民衆は日本軍は弱腰と判断し、以後日本人に対するテロが激増した。
相次ぐテロにもかかわらず、協調路線のため、日本政府はもとより日本警察も動かなかった。
これが、以後日本居留民が、関東軍に治安を頼る原因になった。そして日本政府は、関東軍をコントロールできなくなってゆく。

3)犬養毅・鳩山一郎 (当時野党)
1930年海軍軍縮会議で、各国の補助艦の保有トン数が決定され、日本の保有トン数はアメリカの7割になった。
この時、野党の二人は統帥権干犯との理由で、トン数削減に同意した政府を攻撃した。本来は、天皇の編制大権を政府が輔弼しただけだが、
天皇の編制権の独立を侵害したと言いがかりをつけて、政府を攻撃した。現代のモリカケにも似ている構造。
この結果、軍部が「天皇の統帥権」を言い訳に、政治に口を出してくる足がかりを作った。

上記はいずれも、現代から過去をみて判断した結果論にすぎないが、小村寿太郎が反対してなかったら、アメリカと敵対することはなかったのでは。。。
幣原喜重郎が日英同盟を破棄していなければ、真珠湾攻撃をしていなかったのでは。。。
幣原喜重郎が毅然と日本国民を保護して反撃していたら、上海事変が起こらなかったのでは。。。
もっとも最後の犬養毅や鳩山一郎などは、野党のブーメランが現代だけではないことがわかって面白い。
野党の存在感を見せるために、詭弁を弄して政府に反対し、それが軍部のメンツを立てる事になったが、
2.26で軍人テロで殺されたり重傷を負わされたりしたのだから。