沖縄の街角(旧名:北京の街角)

沖縄と天津でIT関係の会社を経営しながら、仕事を通して考えたことを発信する。

垂乳根

2010-02-07 13:14:32 | コーヒータイム
タイトルの漢字は「たらちね」と読み、母に対する枕詞である。

春節の休みを利用して、大阪に一時帰国している。
毎回帰国したときは、養老院にいる母に必ず会いに行く。
母は現在87歳。6年前に左膝関節を、人工関節に入れ替えた。
でも経過は思わしくなく、今は一人では歩行困難な状態。
更に2年くらい前から、発声が困難になっている。
意思の疎通が図れないことほど、フラストレーションが溜まることはない。
周りの人もさることながら、母本人のフラストレーションは大変なものだろう。
私は海外生活が長いので、言葉が通じないために、言いたいことが言えない時の
フラストレーションは良く理解できる。
最近の母を見ていると、それ自体を諦観したようにも思える。

たらちねの、母を背負いてそのあまり
軽さに泣きて三歩歩まず。

と詠んで、石川啄木は、母をどんどん老化させる
無情な時間を嘆いている。私も将に同じ心境だ。

脳の老化も深化しているようで、喜怒哀楽の表情の変化が乏しくなってきている。
嗚呼、老化は生物の宿命にして、抗せざることむべなるかな。

祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の華の色、盛者必衰の理を表す。

私が、今の母に対してできることは、母が家族にとって如何に大事な存在であるかを説き、
母に生き続けようとするモチベーションを保たせることだろう。
しかし、これって私の単なる我儘だけではないだろうか。

なぜなら、自分がもし母の立場だったら、生き続けたいと本当に思うだろうか。。。