タイトルの漢字は「たらちね」と読み、母に対する枕詞である。
春節の休みを利用して、大阪に一時帰国している。
毎回帰国したときは、養老院にいる母に必ず会いに行く。
母は現在87歳。6年前に左膝関節を、人工関節に入れ替えた。
でも経過は思わしくなく、今は一人では歩行困難な状態。
更に2年くらい前から、発声が困難になっている。
意思の疎通が図れないことほど、フラストレーションが溜まることはない。
周りの人もさることながら、母本人のフラストレーションは大変なものだろう。
私は海外生活が長いので、言葉が通じないために、言いたいことが言えない時の
フラストレーションは良く理解できる。
最近の母を見ていると、それ自体を諦観したようにも思える。
たらちねの、母を背負いてそのあまり
軽さに泣きて三歩歩まず。
と詠んで、石川啄木は、母をどんどん老化させる
無情な時間を嘆いている。私も将に同じ心境だ。
脳の老化も深化しているようで、喜怒哀楽の表情の変化が乏しくなってきている。
嗚呼、老化は生物の宿命にして、抗せざることむべなるかな。
祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の華の色、盛者必衰の理を表す。
私が、今の母に対してできることは、母が家族にとって如何に大事な存在であるかを説き、
母に生き続けようとするモチベーションを保たせることだろう。
しかし、これって私の単なる我儘だけではないだろうか。
なぜなら、自分がもし母の立場だったら、生き続けたいと本当に思うだろうか。。。
春節の休みを利用して、大阪に一時帰国している。
毎回帰国したときは、養老院にいる母に必ず会いに行く。
母は現在87歳。6年前に左膝関節を、人工関節に入れ替えた。
でも経過は思わしくなく、今は一人では歩行困難な状態。
更に2年くらい前から、発声が困難になっている。
意思の疎通が図れないことほど、フラストレーションが溜まることはない。
周りの人もさることながら、母本人のフラストレーションは大変なものだろう。
私は海外生活が長いので、言葉が通じないために、言いたいことが言えない時の
フラストレーションは良く理解できる。
最近の母を見ていると、それ自体を諦観したようにも思える。
たらちねの、母を背負いてそのあまり
軽さに泣きて三歩歩まず。
と詠んで、石川啄木は、母をどんどん老化させる
無情な時間を嘆いている。私も将に同じ心境だ。
脳の老化も深化しているようで、喜怒哀楽の表情の変化が乏しくなってきている。
嗚呼、老化は生物の宿命にして、抗せざることむべなるかな。
祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の華の色、盛者必衰の理を表す。
私が、今の母に対してできることは、母が家族にとって如何に大事な存在であるかを説き、
母に生き続けようとするモチベーションを保たせることだろう。
しかし、これって私の単なる我儘だけではないだろうか。
なぜなら、自分がもし母の立場だったら、生き続けたいと本当に思うだろうか。。。