黒部信一のブログ

病気の話、ワクチンの話、病気の予防の話など。ワクチンに批判的な立場です。現代医療にも批判的で、他の医師と違った見解です。

人はなぜ病気になるのか――病原環境論または適応説 2

2021-01-10 11:17:12 | 病原環境論
大混乱の時代―2

信頼できる考えは何か――私の考え

「人はなぜ病気になるのか」(病原環境論または適応説)
                            2021.1.               
はじめに 
私は小児科医になって以来、理論より実践を重視し、「とにかく治れば良い」という実践的医療をつらぬき、実証的なアメリカ医学(最近は変貌したが)を水先案内人にしてきた。     
現代医学には理論に合わないことも多いし、未熟児・新生児の黄疸への光線療法のように実践が先行し、理論が後から作られたものも少なくない。私は医学教育や医療制度も含めて日本の現代医学を批判し、新しい医療の考え方を求めて模索して、「現代日本の医療批判」(「現代科学技術と社会変革」れんが書房新社、絶版)を書いた。
現代日本の医療の問題点は、その構造にある。それは公的な医療費の徴収支払い体制と私的な医療供給体制にある。私的な医療のために、医療内容が標準化されていず、出来高払いと医師の自由裁量制になっていることにある。だが、批判だけで今後の医学の目指す方向が見えなかった。
 ところが1984年に科学史研究の故中山茂先生(元神奈川大教授)と出会い、医学を中心に科学史の勉強を始め、「医学は社会科学であり、病気は社会によっておきる。医学は社会が病気と闘うための道具の1つに過ぎない」と言う医学史家シゲリストや、人間の環境への適応と病気との関係を示し、「生体論的で環境的な医学」を提唱するロックフェラー大環境医学教授ルネ・デュボスを知り、私の目が開かれ、新しい医療の方向性が見つかった。私はそれを臨床的に判り易くする為いくつかに分けて述べるが、これらすべてを統合したものが私の病因論(病原環境論または適応説)であり、私の医療の実践である。
 それを以前の職場の吹上共立診療所で実践し、病気を治し、確信を得た。

[1] 人はなぜ病気になるのか。
 私は、人間を「こころと身体を持つ、社会的な存在である」ととらえ、その人間のかかった病気を治すために、生体論的で環境的で、人道的なそして全体的に人間をとらえる医学を目指す。そこから、いろいろな生物学上の事実や医学上の事実を説明できるようになった。現在進行している遺伝子、ゲノムの研究は、私の考えを支持する結果を出している。
 
①複数の原因が重なって病気が起きる。--複数病因論、多因子説
 現代医学は、特定病因説または一疾病一病因説と呼ばれ、例えば、コレラは、コレラ菌によって起きる病気であり、結核は結核菌による病気であるという考え方である。
これに対し、複数病因説は、2つ以上の原因がそろった時に病気になる、という説である。コッホがコレラ菌を発見した当時から、これに反対していた医師たちがいた。ドイツのミュンヘン大衛生学教授ペッテンコファーは、「急性感染症は、何か特別な健康上の問題が先行していない場合には成立しない」と述べ、食細胞説を唱えたロシアのメチニコフらと、別々の場所で、公衆の面前で培養コレラ菌を飲んで見せて発病しないことを実証した。またパスツールも「細菌が問題なのではなく、その環境がすべてである。」と述べている。ドイツの病理学者、衛生学教授、政治家(進歩党)のウィルヒョウも、病気を自然病と人工病にわけ、人工病は誤った文化や社会的構造が生み出した貧困によるとした。ドイツ・シュレジア地方の発疹チフスの流行を調査し、その対策として貧民に対するデモクラシー、教育、自由、繁栄を与えよとの勧告を出した。
しかし、細菌学の高揚の中で、特定病因説が近代医学として残っていき、他の説はかき消されていった。
 私は複数病因説をとる。1996年堺市の小学校で発生した病原大腸菌O-157の事件では、同じ給食を食べているにもかかわらず、発症者0人の学校があったし、教職員の発病者は2.2%で、小学生の発病率も学校により大きく異なり、多くても50%を超えず、地区別では最高が南地区で27%であった。市全体で対象者4万5千人のうち、発病者は6500人で発病率は約15%、重症者は102名0.2%、発病者の0.5%が死亡した。この時堺市の健康な市民の検便で、9152人中206人(2.3%)からO-157が検出された(健康保菌者)。同じ細菌であるにもかかわらず、体内に入っても、発病する場合もしない場合もある。発病しても下痢だけで済む人も、血便が出た人も、重症化し溶血性尿毒症症候群になり、死亡者も出ている。その違いは何か。
現代医学では、インフルエンザ・ウィルスが入るとインフルエンザにかかると説明しているが、家庭でも学校でも病院でも、インフルエンザが流行しているのにかからない人がいる。
インフルエンザウィルス研究者は、感染した人が発病するのは50%以下という。しかも実際には、インフルエンザの大流行の年でも国民の10~20%しかかからないのが過去のデータである。厚生労働省も通常の流行で15%、大流行で25%と予測している。
昔、ある中学の女性教師の担任クラスで、半分近くが風疹にかかった。本人は今までに風疹にかからず、その時かかると思っていたがかからず、私の病院へ検査を希望してやってきたが、風疹抗体は陰性だった。ウイルスが充満した教室という密室の中で、感染していず、抗体も形成されなかった。
 故ルネ・デュボスはロックフェラー研究所の結核研究室長であったが、結核菌の研究で、同じ疑問を持ち、重症者と軽症者の結核菌をいろいろな方法で調べたが、結局違いが見つからなかった。それで、発病や重症化するのは、病原体に違いがあるのではなく、かかった人間の側に違いがあると考えた。そこから病原環境説または適応説が発想された。
複数病因説では、感染症は宿主である人間の身体の抵抗力が落ちた時、ウィルスや細菌に感染すると発病する。同じ細菌やウィルスにかかっても、抵抗力が大きく低下していると重症になり、それほど低下していなければ軽症か不顕性感染(かかるが発病しないで治るので抗体はできる)になり、全くの健康であれば、かからないし、抗体もできない。抵抗力を低下させるのは、人間が環境に適応できない時であると考える。
かからないのは人体の最先端である粘膜細胞とウイルスや細菌との闘いで勝ったのであり、その免疫が細胞免疫なのであるが、細胞免疫は測定できず、数値化できないのである。
細胞免疫は、唯一ツベルクリン反応で測定できるが、これは結核菌に対してだけである。

②人が環境に適応できない時に病気になる。--病原環境説または適応説
 人間は、地球という環境に生まれ、人間によって地球上の自然環境を変え、変化した自然環境によって人間自身も社会も変化し、環境と相互に影響しあって発達してきた。しかし人間は、自分の住む自然環境や社会環境にうまく適応できないと病気になった。人間は種としては、地球上のすべての場所で生存でき、かつごく一部(南極、北極、砂漠などで、研究者や探検隊を除く)を除いて、住み着いて住民として暮らしている。世界で一番数が多い生物すなわち昆虫を除いては、これだけ地球に適応している生物はいない。しかも、昆虫は、同じ生物(種)が、住み着いているわけではないが、人間はほとんど違いの少ない種である。しかも、同じ人間が、地球上の大抵の場所に住むことができるのである。つまり、適応力が強い生物だから、繁栄しているのである。環境に適応できない生物が絶滅してしまうのは、自然の法則であり、それを止めることはできない。人間もこのまま、地球環境を変え続けると、人間もそれに適応して変わっていくであろう。それには膨大な時間がかかる。記録に残された時代以後の人間は、生物学的に殆ど変化していないから、3千年くらいは変わっていない。我々の祖先と推定されるモンゴロイドがベーリング海峡を渡り、チリの先端の島に辿りつくまでにほぼ1万5千年かかったと推定されている。1万年くらい前に渡ったボリビアの高地に住む人は、紫外線によって老化が早く、シワも年齢に反して多いし、まだ褐色である。人間の発生の地のアフリカ原住民は真っ黒でシワもよらず、紫外線を防御している。
アフリカでの原人の出現は、300万年前とも600万年前とも言われている。アメリカ大陸の先住民は、その間少し環境に適応して変わっているが、アフリカ大陸の原住民ほどには紫外線への適応は進んでいないから、環境の変化に適応して変化するのはどのくらいの時間がかかるのであろうか。今地球環境の変化が問題となっている。しかし、元に戻すことは不可能に近いから、人間も地球と共に変化していくであろう。今後数万年後の頃の人間は、どうなっているのであろうか。
猿から人間への変化は、樹上では必要な餌が手に入らない環境の変化があって、平地へ降りたのではないかとの説もある。一説にはアフリカの地形の変動からとも言う。

 ヒポクラテスの説を現代風に換えて言えば、「自然環境の変化、不適正な食事、不適当な社会環境によって病気が引き起こされる。だからまずその原因を除くことが治療の第一である。原因さえ除かれれば、病気は自然に回復する。」となり、これを支持したロックフェラー大学環境医学教授で、国連環境委員会のアドバイザー委員長であった故ルネ・デュボスの説はヒポクラテスの再評価であると言えよう。しかし、これだけ高名な医学者であるにもかかわらず、基礎医学者であったためか、この説を支持する医師は基礎医学と精神科に多く、一般の臨床医師にはほとんどいない。私の説も、同期の医師では精神科と衛生学者しか支持してくれていない。
 環境への人間の適応には、個人および社会(集団)の適応があり、また自然環境と言っても土地や気候だけではなく、そこに住む動物や、寄生虫、細菌、ウィルスや他の微生物などの人間に寄生したり、共生したりする生物との適応も必要である。衣食住と言われるものは、自然環境に分類されるだろう。
 例えばパプア・ニューギニア高地人は、いも類を主食とする極端な低蛋白食でも、腸内細菌がアミノ酸を合成しているため健康である。しかし、年一度のお祭りに豚肉を食べるという。ところが、そのために腸内細菌が変化して、その後腸内でアミノ酸を合成できなくなり死亡する人が出てくる。これは20世紀初めまでの話で、現代では多分食生活が変わって蛋白質をとるようになったと思うが、私は検証していない。
また成長を促進するために、牛に蛋白質を食べさせたということによって、狂牛病が発生したのである。早く大きく育てて、市場価値を高めることが、新しい病気を生んだのである。社会が変化すると、病気も変化する一つの例である。
 個々人の社会(または集団)への、適応関係(免疫、感受性)によっても病気にかかるかどうかが決まる。

◇ 伝染病の歴史を調べると、まさに人間がどのように病気に出会い、そしてその病気に適応してきたかの歴史で、ペスト、コレラ、発疹チフス、梅毒、結核など皆そうである。
 例えば、北米先住民(インディアン)を滅ぼしたのは、白人移住者が持ち込んだ疫病のためであり、特に結核の影響が大きい。カナダのクァペル峡谷先住民保護地では、家族の半分以上が三世代の間に失われ、残存している家族も死亡の20%は結核によるものであったという。ここでは結核の流行に悩まされた最初の世代と第二世代は結核性髄膜炎、粟粒結核と骨関節結核が多く、全身結核が主であったが、第三世代は、病気は肺に限局する傾向が強くなり、慢性の経過を示した。第四世代にリンパ腺組織に現れたのは1%以下であったという。これは北米先住民が結核菌と初めて出会い、そして第四世代にようやく結核菌と適応関係ができあがったためである。モヒカン族も結核によって滅ぼされたのである。
中南米で少数の白人の軍隊に多数のメキシコ軍や先住民(インディオ)たちが負けたのは、天然痘と発疹チフスだったという。アラスカやカナダのイヌイット(エスキモー)たちが、白人に負けたのも結核であった。それで中南米の先住民たちは、自分たちを護ってくれなかった祖先伝来の信仰を捨てて、病気に強かった白人の神、キリスト教に改宗するようになった。
 環境には、自然環境と社会環境とがあり、どちらに適応できなくても、ストレス状態となり、病気となる。1936年に発表されたセリエの全身適応症侯群は、特定の病気だけではなく、すべての病気にあてはまると考えられるようになった。ストレスによって人間のこころや身体のコントロール・センターである大脳皮質の働きが乱され、その結果その支配下にある身体の機能のどこかに異常を生じ、病気となる。ストレス状態に置かれると、免疫系の働きが落ちるから、細菌やウィルスによる病気や、癌にかかりやすくなる。免疫系だけではなく、中枢神経系も、自律神経系も、内分泌系も変化して病気になる。(精神神経内分泌免疫学)どこに生じるかは一人一人異なり、その人の身体の言わば弱い所に病気が現われる。
 だからすべての人間が同じ環境に置かれても、全く同じ病気になることもない。それは、その人の弱点に病気がでてくるからである。

その人の弱点は、
1) 両親のどちらかから受け継いだ家族的傾向(染色体、遺伝子、ゲノム、HLA抗原など)と、
2) 母親の胎内から現在までの、生まれた順番、育ち方や友人、幼稚園や学校の先生、生活習慣(酒、タバコ、食事を含む)、かかった病気などに左右される先天的および後天的なもの、の両方から構成される。
1)の例としては、劣性遺伝子は普通の人で20以上存在すると推定されているし、ある外科医は、親子で胃潰瘍になると70%は同じ場所にできると言う。成人型の糖尿病は、糖尿病になる遺伝的素質のある人が、体重を必要以上に増加させた時に発病する。
最近のヒトゲノムの研究では、遺伝子によるという。しかし、遺伝子は遺伝するが、病気は遺伝しない。病気は、遺伝子をもっていて、それを発現させる環境に入ると、病気になるのであり、遺伝子はスイッチがあってオンになると発病し、オフであると発病しない。オンにするのが、環境であると考える。環境が2)である。

 2)の例としては、幼児から学童の時期に、具合が悪くなると吐くことを繰り返していたこどもが、成長すると、胃炎や胃潰瘍になることが多い。子どもの先天性の病気は、母親の精神身体状況によって左右されている疑いがある。身体的な病気はまだ確かでないが、精神的な面は明らかで、胎児期や乳児期に母親が精神的なパニックに陥ると、その子どもは臆病になるという。
 ノーベル賞受賞の利根川進博士の理論は、「個体発生の過程で遺伝子も変化する」というもので、抗体を作る免疫グロブリンの遺伝子が、遺伝子を構成する部品セットから次々と選択され、組み立てられることを高等動物で証明した。その抗体の数は億単位になると推定されている。だから初めてかかった病気の病原体に対して、免疫グロブリンを組み立て、それによって抗体が作られる。それが出来なかった人が死に、できた人が生き残った。そして生き残った人の子に、その遺伝子が遺伝していき、世代が進むに従って、抗体形成が迅速になり、発病率が減っていく。それがこのことは免疫グロブリンだけではなく、他の遺伝子にもあてはまると考えられる。こうして遺伝子が変化して、環境にうまく適応した人が生き残ると考えるのが私のとる環境説である。免疫の働きは、液性免疫である血液中の抗体と、細胞性免疫がある。残念ながら、現代医学では、細胞性免疫はツベルクリン反応でしか測定できない。
例えば、黒人に鎌状赤血球症貧血という遺伝性の貧血があるが、その遺伝子を有していると、マラリアへの抵抗性を増大させる。マラリアの多発しているアフリカでは、生存に有利なので今でも続いている病気である。遺伝子を2つもつと発病するが、1つもっていると発病しないが、マラリアに抵抗性をもつ。地中海性貧血もなんらかの病気に対応して生じたものと思われる。
しかし、免疫のシステムを抑制もしくは働かせない要因があり、その一つとして現代ではストレスがある。

③ こころと身体は、常に相互に関連している。―― 心身一体論
 最近になって心療内科が一般に認知され、身体の病気にこころが関与していることが認められるようになった。でもまだ一部の病気だけしか認められていない。ところが、心療内科で診療を長く続けていると、すべての病気がこころで起きることが分かってくる。病気は、人間がなるもので、人間はこころと身体が切り離せない(メタルの裏表である)から、どんな病気でも必ずこころが関与していることになる。心と身体は一体なのである。残念ながら、今日本で心療内科を名乗るのは多くは精神科医であり、内科の診療ができない。心の面からの内科診療をするのが心療内科であるが、精神科にかかりたくない人のために、心療内科を名乗っているに過ぎない。
 心療内科医は、アレルギー疾患を治せるし、膠原病すら治すことが不可能ではないが、膠原病専門医との併診が必要で、しかも大変な仕事なのに報酬が少ないのでしなくなってしまった。
 その点では、アナフィラキシーショックやサイトカイン・ストームなどは、精神的要因が大きく、心療内科医にとっては予防できるのだが、臨床医からはずされていて、それができていないのが現実である。ちっとも恐ろしくは無いのに、恐怖をあおっているとしか私には思えない。
 
 ドイツの精神科医ミッチャーリッヒによれば、「臨床でみられる古典的な病像の多く(胃潰瘍、甲状腺機能亢進、心臓循環器系障害 、喘息等)は、ある精神状態-体験状態-が原因となっており、その際それがしばしば決定的役割を果していることがますますはっきりと証明されるのである。・・患者をとりまく直接の社会環境が、患者をして神経症におちいらしめる上に非常な意味をもっているということは、すでに明らかとなっている。・・近年、医療を求める患者の30%から50%が、いわゆる機能的障害を示すものであるということは、殆ど一致した意見となっている。こういった形の病気の出現に力を貸しているのは、一次的には物質的条件ではなく精神的破綻なのである。」という。慢性疾患には、その人の人生が反映されている。
だから元東大精神科講師の森山公男医師が、精神病は治るには和解が必要と説いているのと同様に、身体疾患にも和解が必要である。
 心筋梗塞や狭心症の発作が明け方に起きることがよくあるが、その一部は明らかに夢を見ることで起きていると心療内科医は言う。私が成人の気管支喘息の患者さんから聞いた話では、会社や仕事の夢を見ている時に喘息発作が起きたと言う。膠原病は、自己免疫疾患と言われているが、自分の身体の成分に対して抗体ができて生じる病気であるが、心療内科的には、自分の歩んだ過去のことを、自分が悪かったためだと解釈して、自分を責めることによって生じてくる。代表的なものはリウマチ様関節炎である。過去との和解によって進行は止まり、軽減されるが、器質的障害が起きてしまっている場合には、それは回復することはない。
 ストレスによって病気が誘起されると考えてきた私にとって1つの難問があった。赤ちゃんのストレスは何なのだろうか。苦労の結果やっと到達したのは、赤ちゃんを用もないのにさわることだった。まちがったスキンシップ論が横行し、母親たちは一生懸命赤ちゃんをさわり、逆に病気を生んでいる。アトピー性皮膚炎の赤ちゃんが第一子の場合は、赤ちゃんが要求しない限りさわらないように母親に話すと、ほぼ2~3週間で皮膚がきれいになる。しかし、第二子、第三子の場合は、上の子が退屈すると赤ちゃんをおもちゃにして、さわっているので、これを止めさせることは難しいからなかなか治らない。乳幼児の喘息様気管支炎も、ストレスで起きる。ある子は、保育所へ行き始めてから急に始まったので、調べたら「はいはいをしなければ立ってはいけない」という保育所の方針で、立とうとするのを足を押さえて立たせないようにされていた。それを止めてもらったら、ゼーゼーしなくなった。別の子は、母親が祖母の病気入院の付添に行き、叔母に預けられた所、ゼーゼー始まった。じっとがまんしている様子で、母親が帰ってくるとゼーゼーしなくなるが、また叔母に預けられるとゼーゼーする。一般的に子どもの病気は、保育所、幼稚園、学校に入ってしばらくの間や、行事の前後に多い。これが私の考える心身医療である。

④ こころは社会的に作られ、影響をうける。--病気は社会によって生ずる。
 ドイツの病理学者のウィルヒョウは、病原菌よりも社会的条件を重視していた。病気を自然病と人工病にわけ、人工病(チフス、結核、壊血病、精神病など)は誤った文化や社会的構造が生み出した貧困によるとしていた。例えばシレジア地方の、チフスの流行の際に調査にあたり、「貧困地区にチフス患者が続発し、より強力となり、さらに上流階級をも侵すことになった。飢餓はまた感染の素地を高めたが、・・それに対処するには社会改革、・・民主主義教育それに・・自由と繁栄が必要だ」と言った。社会的な原因を限られた病気にしか見ないという欠点はあったが、病気の原因の1つに社会や文化を含めている点では先駆的であった。しかし、彼の業績は病理学の面だけが残り、社会的な面はかき消されていった。

 14世紀から19世紀にかけて、インドやヨーロッパで見つかった野生児の記録から明らかになったことは、人間は生まれながらに人間のこころや知能をもっているのではなく、家庭を最小単位とする人間社会によって形成されて行くことであった。乳児早期に狼の世界に入った子どもは、連れ戻されても狼のままで人間に戻れないで死んでしまう。つまり人間は人間の社会の中で育てられて、人間になり、こころは社会的に形成されている。家庭によって、教育によって、仕事によって、人間のこころは左右される。
 だから私は、発達障害は遺伝的素質と親の育て方によって生じると考えている。統合失調症やうつ病も同じである。精神科医の多くは、妊娠してからの33か月を見ていないから、原因がわからないと言うが、私は発達障害と同じと考えている。

 だから、人間は、こころと身体を持つ社会的な存在であり、その人間がなる病気の治療は、身体の治療だけではなく、こころと社会的関係への治療が必要である。病める人間のこころを理解すべきと言われて久しいが、病める人間の社会的関係にまで立ち入らないと、真の意味での病気の治療にたどり着けない。WHOの健康の定義は1948年から、「健康とは単に病気でないとか、虚弱でないというだけではなくて、身体的にも精神的にも社会的にも完全に良好な状態をいう。」となっているが、人が社会的にも健康である必要性が理解
されていかなかった。
 社会が環境を変え、環境が変わることによって病気も変わって行く例をあげよう。今マラリアが、東南アジアやアフリカで蔓延している。中世には、ヨーロッパでもマラリアが蔓延していたが、湿地の排水をして農地に変えることが進んで、マラリアがなくなった。戦後、石垣島でも、環境対策でマラリアの撲滅に成功したが、同時に日本脳炎もなくなった。今マラリアが蔓延しているのは、焼畑農業とか、木材の輸出のためなどで、根こそぎ木を切ってしまったためである。森林に住む蚊は、猿につくが、草原をすみかとする蚊は人間につく。森林を切り開くことによって人間につく草原の蚊が繁殖し、マラリアを媒介している。南部アフリカの眠り病も同じで、森林を切り開くことで、媒介するツエツエ蝿が増えてしまったためである。
 ロシア、ウクライナなど旧ソ連諸国で、麻疹、百日咳、ジフテリア、結核など子どもの病気が体制が変わった直後に急増した。チェルノヴイリ原発事故による被曝の影響もあるが、主に社会的経済的混乱が生活環境の悪化を招き、子どもの感染症を増加させ、医療サービスの低下がそれに拍車をかけている。
 日本でも、現代社会の病理がストレスを生じ病気を生んでいる。だから死亡率は減少して、平均余命は延びているが、花粉症をはじめ病気は増えているし、過労死を中心に中年男性の死亡が増加し、男性の平均余命は低下した。この40代、50代の男性の死亡率の増加現象は、イリッチが「アメリカで始まり、1970年代に西ヨーロッパに上陸した」と指摘したが、日本に上陸したのは1980年で、その後男性の平均余命が低下した年が数回ある。
この40代、50代の男性の死亡率の増加現象は、労働や生活の環境が改善されない限り、今後も続くであろう。
 最近は、中高年男性の自殺が増加している事も、現代社会の病理から来ている。自殺は通常の精神状態ではできない。精神的に抑うつ状態にあるか、または一時的にせよ、心因反応としてのうつ反応を生じて、その結果自殺したのである。もちろん、倒産、失業、リストラ、離婚、家庭の崩壊などが原因またはきっかけであろう。

[2] 病気はなぜ治るのか。
 なぜ病気になるのかを補強するため、なぜ病気が治るかを考えてみたい。
①  病気が治るのは、こころである。
 西洋医学でも、漢方医学でも、回教医学でも、カイロプラクティックでも、チベット医学でも、インド医学でも、民間療法でも、信仰でも、それぞれの治療法で病気が治る人がいるのは、人間のもっている自然治癒力を引き出すのにこころが大きく関係しているからである。しかしどの医学も宗教も、病気の人を100%治すことはできない。治らない種類の病気もあれば、同じ病気でも治る人と治らない人がいる。このことは、こころだけでも、医療技術だけでもなく、こころと医療技術を組み合わせることが大切であることを示している。アメリカでは、先住民のもつ医学の研究が大学でなされているし、ホメオパシー(同類療法とでも言えるか?)や心理療法による癌や難病の治療が行われている。これらも、100%ではないが、治る人が出ている。特にホメオパシーはドイツでは、医療費の5%を占めるに到っているという。キリストが奇跡を起こし、病気を治したと言われているが、あながち嘘とは言い切れない。こころが、病気に対する自然治癒力を回復させたものと考えられる。

② 自然治癒力
 元東大薬学部の名取俊二教授(微生物学)によれば、昆虫は体内で抗細菌、抗真菌の蛋白質を作っていて、抗ウィルス性や抗ガン性の蛋白質も作っていると見られるという。人間は昆虫より進化しているので、本来、人間にも同じか、またはそれ以上の生体防御機構があると考えられるという。そこから「人間には元々病気を治す力(自然治癒力)が備っていて、その力が発揮されない時に病気になる。」と考えると自然であり、癌の自然治癒の存在といった現代医学における不思議なことがうまく説明がつくが、まだ実証されてはいない。
 だから人が病気になった時、自らに備っている、その自然治癒力をうまく働かせることで病気が治っている。医師の役割はその自然治癒力を引き出すことにある。だから医者にかからなくたって、治ることも少なくない。しかし腕の良い医者にかからなかったために、重症化したり、落命することもある。現実に、遺伝子や免疫の仕組みが次々と明らかになり、ストレスによって免疫の働きが低下することも明らかになった。人間のもつ精巧な免疫の仕組みが、人間のこころや神経、内分泌と密接に関連していて、自然治癒力の一部を形成していることも明らかになってきているが、まだ身体全体とこころの関係は不明なことが多い。デュボスは、パブロフの条件反射の発見後、高次神経系の研究に進まずに、人間がある環境に置かれたらどんな反応をするかという研究を進めるべきであったと述べている。現代医学は人間を細かく臓器ごとに分解して研究を進めてきたが、今後は人間総体としてどういう反応をしているかを大いに研究すべきで、それがこころと身体の関係を新たな視点から明らかにしていくだろう。その研究は、精神神経免疫学や精神神経内分泌免疫学などと言われ、1980年代のアメリカで、実証的な研究が始まっているが、臨床免疫学者からは、無視されてきたが、近年日本でも動物実験では実証されている。しかし、その臨床への応用は進んでいない。

③ プラセーボ効果
 プラセーボ(偽くすり)効果は、こころが関係しているから現代医学の薬理理論で説明できない。どんな薬でも3割前後はプラセーボ効果があるという。中には1回飲んだら良くなってしまったという人もいる。私の師匠で自分も気管支喘息だった先生が、生前に言うには「不思議だね。飲んでも薬理効果が出てくるのには30分はかかるはずなのに、喘息が始まって薬を飲むとすぐに喘息がおさまってくるんだよ」という。医者でも同じで、この薬を飲めば治ると思っていると病気がよくなる心理的効果である。
 ロンドン大学精神科講師だったM.バリントは「医者くすりは、最もよく用いられる薬である。」と言っている。医者は患者のそばにいるだけでその役割を果たすことがあるし、また医者に診てもらうだけでよくなる患者がいる。医者が薬の役をする。これも一種のプラセーボ効果で、心理的なものである。しかし、医者も患者も一人一人違うから、その患者にあった医者を薬として処方するとよいという。腕の良い医者は自分を患者に合わせるが、すべての人に合わせられる医者はいない。だから、ある人にとって良い医師でも、他の人にとってはそうではないことがある。このことは、病気が治る仕組みに、こころが大きく関与していることを示している。
 私の患者さんで不整脈のおばあちゃんは、診察している時に不整脈があったのに、心電図を取る時には消えてしまった。気管支喘息の子どもたちは、診療所に入ると発作が静まってきて、苦しくなくなってくる。あんなにお腹を痛がっていた子どもが、診療所に来たら元気になってしまう。先生の顔を見たらよくなったから、薬だけでいいですと、帰ってしまう心身症の人もいる。
[3] 病気を嫌わないで
◇病気は、なにも外から入り込んできたものではなく、自分自身の身体の変調である。
 熱が出るのも、頭が痛いのも、喘息で息が苦しいのも、湿疹でかゆいのも、身体が変調してうまく機能しなくなったためである。だから「どうしてこんな嫌な病気になったんだろう」と病気を嫌うことは、自分のこころが、病気になっている身体を、即ち自分自身を嫌うことになり、潜在意識の中で葛藤を起こして、病気が良くならない。それどころか、悪くなることもある。病気すなわち病気になっている自分の身体を受け入れて、仲良くつきあい、良くなるようになだめよう。
 気管支喘息や花粉症、リウマチ様関節炎などの慢性疾患の人たちは、病気を受け入れることで、治らないにせよ、しのぎやすくなる。急性の病気が長引く場合、大抵病気を嫌っているか、ストレスの多い仕事をしていることが多い。気管支喘息で、夜間の発作がひどく、救急病院で治療を受けるような人には、予め、喘息という病気の話と、人はなぜ病気になるか、病気を嫌わないでという話をすると、発作が起きても夜中に病院にかかなくて済むようになる。
◇痛みは身体の注意信号である。痛がっているのは、あなたの頭や歯や身体である。痛みを嫌わないで、受け入れよう。嫌えば嫌う程、痛みは強くなり、苦しく我慢できなくなる。
 痛みは身体の病気のこともあれば、こころの病気の表現であることもある。楽しいことで痛いのは我慢できるが、いやなことでは我慢できない。
例えば、出産の時の痛みは、お産を誰もがする当然のことと受け入れ、待ち望んだこどもが生まれる時と思っている人は、痛みは感じても苦痛ではない。しかし、お産を怖がったり、お産を嫌ったり、こどもが欲しくなかったりすると、我慢できない苦痛となる。神経痛はしばしば、我慢の出来ないことをかかえている人に見られる。例えば、あるおばあちゃんは毎日四肢の神経痛のため、整形外科で神経ブロック注射してもらったり、大学病院麻酔科ペイン・クリニックでも神経痛はよくならなかった。そこで私が、ぐちを聞き、抗うつ剤と精神安定剤を出し、時々末の娘さんにぐちをきいてもらうようにしたら、注射しなくても、鎮痛剤だけでおさまるようになった。その後、糖尿病になったり、膝関節症になって入院している間は、痛みは全くない。しかし、家に戻るとまた痛んだ。原因は家族関係にあったのである。
[4] 不安になると、病気が悪くなる
 病気は不安になると悪くなる。病気に対する不安が強く、もっと悪くなるのではないか、死んでしまうのではないかと不安になり、不安を自分で打ち消せないと病気は悪化する。 悪くなるという自己暗示によってあなたの身体はあなたの暗示の通りになる。不安が起きたら、「だいじょうぶ、よくなる」と自分で不安を打ち消すか、身近な人に不安を打ち消してもらうか、抗不安剤を飲んで不安を抑えるしかない。子どもは、母親がなだめると、不安が消えて良くなる。だから小児科で母親に充分お子さんの病気の話をしておくと、夜の救急患者が半減する。今晩熱が出るかもしれませんよと言っておくと、熱が出ても母親は先生の言った通りだと思って不安にならない。言わない場合は、熱が出ると母親が不安になり、すると子どもも不安になってよくならない。
 心臓がドキドキした時に、心臓が止まってしまうのではないか、死ぬのではないかという不安が湧いてきて、心臓の鼓動がますます早くなり、さらに不安になり、パニックになる。ところが、医者の「大丈夫だよ」の一言で安心し、心臓の動悸もおさまっていく。気管支喘息の発作の時も同じで、喘息患者の死亡の多くは、パニックになったために、自分で「呼吸が苦しい、息ができない、死んでしまう。」自己暗示をし、呼吸が止まり死んでしまうという専門家もいる。それを裏付けるように乳児を除き、小児の気管支喘息の突然死は、年齢が高くなるに従って増えていき、大人が最高である。子どもの場合は、親がパニックになると、子どももパニックになる。だから親が「大丈夫。薬を飲んだから(吸入したから)だんだんよくなるよ。」というと、おさまっていくことが多いし、おさまらなくともパニックにならないから死ぬことはない。もちろん思春期以後は自分でもパニックになるから、親がなだめても効果は無い。お年寄りが「もう死にたい、死にたい」と言い出すと、もう先は長くない。生きる意欲を失った人は、遠からず死んでいく。
おわりに
 環境に適応できないと病気になり、うまく適応して生きていくと病気にならない。しかし、最大の病気の原因は戦争であるが、平和になればなったで別の病気がでてくる。結局人はそれぞれ、自然治癒力をもってはいるが、それにも限界があり、ある時期になれば病気になって死ぬのである。ただ、その種類が違うだけに過ぎない。
しかしながら、現在の日本では、医学教育や医療を含めた社会全体で、この自然治癒力が軽視されていることが大きな問題である。



人はなぜ病気になるのか―――病原環境論または適応説

2021-01-10 10:18:15 | 病原環境論
        大混乱の時代

     何を信頼したらよいか

     人はなぜ病気になるのか――病原環境論または適応説



  

   「人はなぜ病気になるのか」
          -実践的医療をこころがけてきて思うこと-           
はじめに 
私は小児科医になって以来、理論より実践を重視し、「とにかく治れば良い」という実践的医療をつらぬき、実証的なアメリカ医学を水先案内人にしてきた。現代医学には理論に合わないことも多いし、未熟児黄疸への光線療法のように実践が先行し、理論が後から作られたものもある。私は医学教育や医療制度も含めて日本の現代医学を批判し、新しい医療の考え方を求めて模索してきた。
 9年前ある科学史研究者と出会って、医学を中心に科学史の勉強を始めたところ、幸運にも「医学は社会科学であり、病気は社会によっておきる。医学は社会が病気と闘うための道具の1つに過ぎない」と言うシゲリストや、人間の環境への適応と病気との関係を示し、「生体論的で環境的な医学」を提唱するルネ・デュボスを知り、私の目が開かれ、新しい医療の考え方が見つかった。それを判りやすくする為いくつかに分けて述べるが、これらすべてを統合したものが私の病因論である。
[1] 人はなぜ病気になるのか。
 私は、人間を「こころと身体を持つ、社会的な存在である」ととらえ、その人間のかかった病気を治すために、生体論的で環境的で、人道的なそして全体的に人間をとらえる医学を目指している。このような考えをもつことにより、いろいろな生物学上の事実や医学上の事実をうまく説明できるようになった。
①複数の原因が重なって病気が起きる。--複数病因論
 現代医学は、特定病因説または一疾病一病因説と呼ばれ、例えば、コレラは、コレラ菌によって起きる病気であり、結核は結核菌による病気であるという考え方である。ところが、コッホがコレラ菌を発見した当時から、これに反対していた医師たちがいた。ドイツのペッテンコファーは、「急性感染症は、何か特別な健康上の問題が先行していない場合には成立しない」と述べ、ロシアのメチニコフらと、別々の場所で、公衆の面前で培養コレラ菌を飲んで見せて発病しないことを実証した。またパスツールも「細菌が問題なのではなく、その環境がすべてである。」と述べている。ドイツのウィルヒョウも、病気を自然病と人工病にわけ、人工病は誤った文化や社会的構造が生み出した貧困によるとした。しかし、細菌学の高揚の中で、特定病因説が近代医学として残っていき、他の説はかき消されていった。
 これに対し私のとる複数病因説は、2つ以上の原因がそろった時に、初めて病気となるというものである。例えば、現代医学ではインフルエンザ・ウィルスが入るとインフルエンザにかかると説明しているが、家庭でも学校でも病院でも、インフルエンザが流行しているのにかからない人がいることを説明できない。昔、ある中学の女性教師の担任クラスで、半分近くが風疹にかかった。本人は今までに風疹にかからず、その時かかると思っていたが、かからず、私の病院へ検査を希望してやってきた。その結果は風疹抗体は陰性だった。複数病因説では、感染症は宿主である人間の身体の抵抗力が落ちた時、ウィルスや細菌に感染すると発病する。同じ細菌やウィルスにかかっても、抵抗力が大きく低下していると重症になり、それほど低下していなければ軽症、全くの健康であれば、かからないし、抗体もできない。抵抗力を低下させるのは環境に適応できない時である。
②人が環境に適応できない時に病気になる。--(病原)環境説または適応説
 人間は、地球という環境に生まれ、人間によって地球上の自然環境を変え、変化した自然環境によって人間自身も社会も変化し、環境と相互に影響しあって発達してきた。しかし人間は、自分の住む自然環境や社会環境にうまく適応できないと病気になった。
 ヒポクラテスの説を現代風に換えて言えば、「自然環境の変化、不適正な食事、不適当な社会環境によって病気が引き起こされる。だからまずその原因を除くことが治療の第一である。原因さえ除かれれば、病気は自然に回復する。」となり、これを支持したルネ・デュボスの説はヒポクラテスの再評価であると言えよう。
 環境への人間の適応には、個人および社会(集団)の適応があり、また自然環境と言っても土地や気候だけではなく、そこに住む動物や、寄生虫、細菌、ウィルスや他の微生物などの人間に寄生したり、共生したりする生物との適応も必要である。
 例えばパプア・ニューギニア高地人は、いも類を主食とする極端な低蛋白食でも、腸内細菌がアミノ酸を合成しているため健康である。
 個々人の社会(または集団)への、適応関係(免疫、感受性)によっても病気にかかるかどうかが決まる。
◇ 伝染病の歴史を調べると、まさに人間がどのように病気に出会い、そしてその病気に適応してきたかの歴史で、ペスト、コレラ、発疹チフス、梅毒、結核など皆そうである。
 例えば、北米先住民(インディアン)を滅ぼしたのは、白人移住者が持ち込んだ疫病のためであり、特に結核の影響が大きい。カナダのクァペル峡谷インディアン保護地では、家族の半分以上が三世代の間に失われ、残存している家族も死亡の20%は結核によるものであったという。ここでは結核の流行に悩まされた最初の世代と第二世代は結核性髄膜炎、粟粒結核と骨関節結核が多く、全身結核が主であったが、第三世代は病気は肺に限局する傾向が強くなり、慢性の経過を示した。第四世代にリンパ腺組織に現れたのは1%以下であったという。これは北米先住民が結核菌と初めて出会い、そして第四世代にようやく結核菌と適応関係ができあがったためである。中南米で少数の白人の軍隊に多数のメキシコ軍やインディオたちが負けたのは、天然痘と発疹チフスだったという。
 環境には、自然環境と社会環境とあり、どちらに適応できなくても、ストレス状態となり、病気となる。1936年に発表されたセリエの全身適応症侯群は、特定の病気だけではなく、すべての病気にあてはまると考えられるようになった。ストレスによって人間のこころや身体のコントロール・センターである大脳皮質の働きが乱され、その結果その支配下にある身体の機能のどこかに異常を生じ、病気となる。ストレス状態に置かれると、免疫系の働きが落ちるから、細菌やウィルスによる病気や、癌にかかりやすくなる。免疫系だけではなく、中枢神経系も、自律神経系も、内分泌系も変化して病気になる。どこに生じるかは一人一人異なり、その人の身体の言わば弱い所に病気が現われる。
 だからすべての人間が同じ環境に置かれても、全く同じ病気になることもない。それは、その人の弱点に病気がでてくるからである。
その人の弱点は、
1) 両親のどちらかから受け継いだ家族的傾向(染色体、遺伝子、HLA抗原など)と、
2) 母親の胎内から現在までの、生まれた順番、育ち方や友人、幼稚園や学校の先生、生活習慣(酒、タバコ、食事を含む)、かかった病気などに左右される先天的および後天的なもの、の両方から構成される。
1)の例としては、劣性遺伝子は普通の人で20前後存在すると推定されているし、ある外科医は、親子で胃潰瘍になると70%は同じ場所にできるとも言う。成人型の糖尿病は、糖尿病になる遺伝的素質のある人が、体重を必要以上に増加させた時に発病する。
 2)の例としては、幼児から学童の時期に、具合が悪くなると吐くことを繰り返していたこどもが、成長すると、胃炎や胃潰瘍になることが多い。子どもの先天性の病気は、母親の精神身体状況によって左右されている疑いがある。身体的な病気はまだ確かでないが、精神的な面は明らかで、胎児期や乳児期に母親が精神的なパニックに陥ると、その子どもは臆病になるという。
 ノーベル賞受賞の利根川進博士の理論は、「個体発生の過程で遺伝子も変化する」というもので、抗体を作る免疫グロブリンの遺伝子が、遺伝子を構成する部品セットから次々と選択され、組み立てられることを高等動物で証明した。このことは免疫グロブリンだけではなく、他の遺伝子にもあてはまると考えられる。こうして遺伝子が変化して、環境にうまく適応した人が生き残ると考えるのが私のとる環境説である。例えば、黒人に鎌状赤血球症貧血という遺伝性の貧血があるが、その遺伝子を有していると、マラリアへの抵抗性を増大させる。マラリアの多発しているアフリカでは、生存に有利なので今でも続いている病気である。
③ こころと身体は、常に相互に関連している。--心身一体論
 最近になって心療内科が一般に認知され、身体の病気にこころが関与していることが認められるようになった。でもまだ一部の病気だけしか認められていない。ところが、心療内科で診療を長く続けていると、すべての病気がこころで起きることが分かってくる。病気は、人間がなるもので、人間はこころと身体が切り離せないから、どんな病気でも必ずこころが関与していることになる。心と身体は一体なのである。
 ドイツの精神科医ミッチャーリッヒによれば、「臨床でみられる古典的な病像の多く(胃潰瘍、甲状腺機能亢進、心臓循環器系障害 、喘息等)は、ある精神状態-体験状態-が原因となっており、その際それがしばしば決定的役割を果していることがますますはっきりと証明されるのである。
・・患者をとりまく直接の社会環境が、患者をして神経症におちいらしめる上に非常な意味をもっているということは、すでに明らかとなっている。・・近年、医療を求める患者の30%から50%が、いわゆる機能的障害を示すものであるということは、殆ど一致した意見となっている。こういった形の病気の出現に力を貸しているのは、一次的には物質的条件ではなく精神的破綻なのである。」という。慢性疾患には、その人の人生が反映されている。だから元東大精神科講師の森山公男医師が、精神病は治るには和解が必要と説いているのと同様に、身体疾患にも和解が必要である。 心筋梗塞や狭心症の発作が明け方に起きることがよくあるが、その一部は明らかに夢を見ることで起きていると言う。私が成人の気管支喘息の患者さんから聞いた話では、会社や仕事の夢を見てる時に喘息発作が起きたと言う。
 ストレスによって病気が誘起されると考えてきた私にとって1つの難問があった。赤ちゃんのストレスは何なのだろうか。苦労の結果やっと到達したのは、赤ちゃんを用もないのにさわることだった。まちがったスキンシップ論が横行し、母親たちは一生懸命赤ちゃんをさわり、逆に病気を生んでいる。アトピー性皮膚炎の赤ちゃんが第一子の場合は、赤ちゃんが要求しない限りさわらないように母親に話すと、ほぼ2~3週間で皮膚がきれいになる。しかし、第二子、第三子の場合は、上の子が退屈すると赤ちゃんをおもちゃにして、さわっているので、これを止めさせることは難しいからなかなか治らない。乳幼児の喘息様気管支炎も、ストレスで起きる。ある子は、保育所へ行き始めてから急に始まったので、調べたら「はいはいをしなければ立ってはいけない」という保育所の方針で、立とうとするのを足を押さえて立たせないようにされていた。それを止めてもらったら、ゼーゼーしなくなった。別の子は、母親が祖母の病気入院の付添に行き、叔母に預けられた所、ゼーゼー始まった。じっとがまんしている様子で、母親が帰ってくるとゼーゼーしなくなるが、また叔母に預けられるとゼーゼーする。一般的に子どもの病気は、保育所、幼稚園、学校に入ってしばらくの間や、行事の前後に多い。これが私の考える心身医療である。
④ こころは社会的に作られ、影響をうける。--病気は社会によって生ずる。
 病理学者でドイツ進歩党員のウィルヒョウは、病原菌よりも社会的条件を重視していた。病気を自然病と人工病にわけ、人工病(チフス、結核、壊血病、精神病など)は誤った文化や社会的構造が生み出した貧困によるとしていた。例えばシレジア地方のチフスの流行の際に調査にあたり、「貧困地区にチフス患者が続発し、より強力となり、さらに上流階級をも侵すことになった。飢餓はまた感染の素地を高めたが、・・それに対処するには社会改革、・・民主主義教育それに・・自由と繁栄が必要だ」と言った。社会的な原因を限られた病気にしか見ないという欠点はあったが、病気の原因の1つに社会や文化を含めている点では先駆的であった。しかし、彼の業績は病理学の面だけが残り、社会的な面はかき消されていった。 14世紀から19世紀にかけて、インドやヨーロッパで見つかった野生児の記録から明らかになったことは、人間は生まれながらに人間のこころや知能をもっているのではなく、家庭を最小単位とする人間社会によって形成されて行くことであった。
乳児早期に狼の世界に入った子どもは、連れ戻されても狼のままで人間に戻れないで死んでしまう。つまり人間は人間の社会の中で育てられて、人間になり、こころは社会的に形成されている。家庭によって、教育によって、仕事によって、人間のこころは左右される。
 だから、人間は、こころと身体を持つ社会的な存在であり、その人間がなる病気の治療は、身体の治療だけではなく、こころと社会的関係への治療が必要である。病める人間のこころを理解すべきと言われて久しいが、病める人間の社会的関係にまで立ち入らないと、真の意味での病気の治療にたどり着けない。WHOの健康の定義は1948年から、「健康とは単に病気でないとか、虚弱でないというだけではなくて、身体的にも精神的にも社会的にも完全に良好な状態をいう。」となっているが、人が社会的にも健康である必要性が理解
されていなかった。
 社会が環境を変え、環境が変わることによって病気も変わって行く例をあげよう。今マラリアが、東南アジアやアフリカで蔓延している。中世には、ヨーロッパでもマラリアが蔓延していたが、湿地の排水をして農地に変えることが進んで、マラリアがなくなった。戦後、石垣島でも、環境対策でマラリアの撲滅に成功したが、同時に日本脳炎もなくなった。今マラリアが蔓延しているのは、焼畑農業とか、木材の輸出のためなどで、根こそぎ木を切ってしまったためである。森林に住む蚊は、猿につくが、草原をすみかとする蚊は人間につく。森林を切り開くことによって人間につく草原の蚊が繁殖し、マラリアを媒介している。南部アフリカの眠り病も同じで、森林を切り開くことで、媒介するツエツエ蝿が増えてしまったためである。
 最近ロシア、ウクライナなど旧ソ連諸国で、麻疹、百日咳、結核など子どもの病気が急増している。チェルノヴイリ原発事故による被曝の影響もあるが、主に社会的経済的混乱が生活環境の悪化を招き、子どもの感染症を増加させ、医療サービスの低下がそれに拍車をかけている。
 日本でも、現代社会の病理がストレスを生じ病気を生んでいる。だから死亡率は減少して、平均余命は延びているが、花粉症をはじめ病気は増えているし、過労死を中心に中年男性の死亡が増加し、男性の平均余命は低下した。この40代、50代の男性の死亡率の増加現象は、イリッチが「アメリカで始まり、1970年代に西ヨーロッパに上陸した」と指摘したが、日本に上陸したのは1980年で、その後男性の平均余命が低下した年が数回ある。
この40代、50代の男性の死亡率の増加現象は、労働や生活の環境が改善されない限り、今後も続くであろう。
[2] 病気はなぜ治るのか。
 なぜ病気になるのかを補強するため、なぜ病気が治るかを考えてみたい。
① 病気が治るのは、こころである。
 西洋医学でも、漢方医学でも、回教医学でも、カイロプラクティックでも、チベット医学でも、インド医学でも、民間療法でも、信仰でも、それぞれの治療法で病気が治る人がいるのは、人間のもっている自然治癒力を引き出すのにこころが大きく関係しているからである。しかしどの医学も宗教も、病気の人を 100%治すことはできない。治らない種類の病気もあれば、同じ病気でも治る人と治らない人がいる。このことは、こころだけでも、医療技術だけでもなく、こころと医療技術を組み合わせることが大切であることを示している。
② 自然治癒力
 東大薬学部の名取俊二教授(微生物学)によれば、昆虫は体内で抗細菌、抗真菌の蛋白質を作っていて、抗ウィルス性や抗ガン性の蛋白質も作っていると見られる。人間は昆虫より進化しているので、本来、人間にも同じかまたはそれ以上の生体防御機構があると考えられるという。そこから「人間には元々病気を治す力(自然治癒力)が備っていて、その力が発揮されない時に病気になる。」と考えると自然であり、癌の自然治癒の存在といった現代医学における不思議なことがうまく説明がつくが、まだ実証されてはいない。
 だから人が病気になった時、自らに備っている、その自然治癒力をうまく働かせることで病気が治っている。医師の役割はその自然治癒力を引き出すことにある。だから医者にかからなくたって、治ることも少なくない。しかし腕の良い医者にかからなかったために、重症化したり、落命することもある。現実に、遺伝子や免疫の仕組みが次々と明らかになり、ストレスによって免疫の働きが低下することも明らかになった。人間のもつ精巧な免疫の仕組みが、人間のこころや神経、内分泌と密接に関連していて、自然治癒力の一部を形成していることも明らかになってきているが、まだ身体全体とこころの関係は不明なことが多い。デュボスは、パブロフの条件反射の発見後、高次神経系の研究に進まずに、人間がある環境に置かれたらどんな反応をするかという研究を進めるべきであったと述べている。現代医学は人間を細かく臓器ごとに分解して研究を進めてきたが、今後は人間総体としてどういう反応をしているかを大いに研究すべきで、それがこころと身体の関係を新たな視点から明らかにしていくだろう。
③ プラセーボ効果
 プラセーボ(偽くすり)効果は、こころが関係しているから現代医学の薬理理論で説明できない。どんな薬でも3割前後はプラセーボ効果があるという。中には1回飲んだら良くなってしまったという人もいる。私の師匠で自分も気管支喘息の老先生がいうには「不思議だね。飲んでも薬理効果が出てくるのには30分はかかるはずなのに、喘息が始まって薬を飲むとすぐに喘息がおさまってくるんだよ」という。医者でも同じで、この薬を飲めば治ると思っていると病気がよくなる心理的効果である。
 ロンドン大学精神科講師だったM.バリントは「医者くすりは最もよく用いられる薬である。」と言っている。医者は患者のそばにいるだけでその役割を果たすことがあるし、また医者に診てもらうだけでよくなる患者がいる。医者が薬の役をする。これも一種のプラセーボ効果で、心理的なものである。しかし、医者も患者も一人一人違うから、その患者にあった医者を薬として処方するとよいという。腕の良い医者は自分を患者に合わせるが、すべての人に合わせられる医者はいない。だから、ある人にとって良い医師でも、他の人にとってはそうではないことがある。このことは、病気が治る仕組みに、こころが大きく関与していることを示している。
 私の患者さんで不整脈のおばあちゃんは、診察している時に不整脈があったのに、心電図を取る時には消えてしまった。気管支喘息の子どもたちは、診療所に入ると発作が静まってきて、苦しくなくなってくる。あんなにお腹を痛がっていた子どもが、診療所に来たら元気になってしまう。先生の顔を見たらよくなったから、薬だけでいいですと、帰ってしまう心身症の人もいる。
[3] 病気を嫌わないで
◇病気は、なにも外から入り込んできたものではなく、自分自身の身体の変調である。
 熱が出るのも、頭が痛いのも、喘息で息が苦しいのも、湿疹でかゆいのも、身体が変調してうまく機能しなくなったためである。だから「どうしてこんな嫌な病気になったんだろう」と病気を嫌うことは、自分のこころが、病気になっている身体を、即ち自分自身を嫌うことになり、潜在意識の中で葛藤を起こして、病気が良くならない。それどころか、悪くなることもある。病気すなわち病気になっている自分の身体を受け入れて、仲良くつきあい、良くなるようになだめよう。
 気管支喘息や花粉症、リウマチ様関節炎などの慢性疾患の人たちは、病気を受け入れることで、治らないにせよ、しのぎやすくなる。急性の病気が長引く場合、大抵病気を嫌っているか、ストレスの多い仕事をしていることが多い。気管支喘息で、夜間の発作がひどく、救急病院で治療を受けるような人には、予め、喘息という病気の話と、人はなぜ病気になるか、病気を嫌わないでという話をすると、発作が起きても夜中に病院にかかなくて済むようになる。
◇痛みは身体の注意信号である。痛がっているのは、あなたの頭や歯や身体である。痛みを嫌わないで、受け入れよう。嫌えば嫌う程、痛みは強くなり、苦しく我慢できなくなる。
 痛みは身体の病気のこともあれば、こころの病気の表現であることもある。楽しいことで痛いのは我慢できるが、いやなことでは我慢できない。
例えば、出産の時の痛みは、お産を誰もがする当然のことと受け入れ、待ち望んだこどもが生まれる時と思っている人は、痛みは感じても苦痛ではない。しかし、お産を怖がったり、お産を嫌ったり、こどもが欲しくなかったりすると、我慢できない苦痛となる。神経痛はしばしば、我慢の出来ないことをかかえている人に見られる。例えば、あるおばあちゃんは毎日四肢の神経痛のため、整形外科で神経ブロック注射してもらったり、大学病院麻酔科ペイン・クリニックでも神経痛はよくならなかった。そこで私が、ぐちを聞き、抗うつ剤と精神安定剤を出し、時々末の娘さんにぐちをきいてもらうようにしたら、注射しなくても、鎮痛剤だけでおさまるようになった。その後、糖尿病になったり、膝関節症になって入院している間は、痛みは全くない。しかし、家に戻るとまた痛んだ。原因は家族関係にあったのである。
[4] 不安になると、病気が悪くなる
 病気は不安になると悪くなる。病気に対する不安が強く、もっと悪くなるのではないか、死んでしまうのではないかと不安になり、不安を自分で打ち消せないと病気は悪化する。 悪くなるという自己暗示によってあなたの身体はあなたの暗示の通りになる。不安が起きたら、「だいじょうぶ、よくなる」と自分で不安を打ち消すか、身近な人に不安を打ち消してもらうか、抗不安剤を飲んで不安を抑えるしかない。子どもは、母親がなだめると、不安が消えて良くなる。だから小児科で母親に充分お子さんの病気の話をしておくと、夜の救急患者が半減する。今晩熱が出るかもしれませんよと言っておくと、熱が出ても母親は先生の言った通りだと思って不安にならない。言わない場合は、熱が出ると母親が不安になり、すると子どもも不安になってよくならない。
 心臓がドキドキした時に、心臓が止まってしまうのではないか、死ぬのではないかという不安が湧いてきて、心臓の鼓動がますます早くなり、さらに不安になり、パニックになる。ところが、医者の「大丈夫だよ」の一言で安心し、心臓の動悸もおさまっていく。気管支喘息の発作の時も同じで、喘息患者の死亡の多くは、パニックになったためという専門家もいる。お年寄りがもう死にたい死にたいと言い出すと、もう先は長くない。生きる意欲を失った人は、遠からず死んでいく。
おわりに
 環境に適応できないと病気になり、うまく適応して生きていくと病気にならない。しかし、最大の病気の原因は戦争であるが、平和になればなったで別の病気がでてくる。結局人はそれぞれ、自然治癒力をもってはいるが、それにも限界があり、ある時期になれば病気になって死ぬのである。ただ、その種類が違うだけに過ぎない。
しかしながら、現在の日本では、医学教育や医療を含めた社会全体で、この自然治癒力が軽視されていることが大きな問題である。


参考文献;
① B.ディクソン「近代医学の壁」岩波現代選書、1981.
② マクニール「疫病と世界史」新潮社、1985.
③ ハンス・ジンサー「シラミ、ノミ、文明」みすず書房、1966.
④ ルネ・デュボス「人間と適応」みすず書房、1970.
⑤ 池見酉次郎「心療内科」中公新書、1963.
⑥ ミッチャーリッヒ「葛藤としての病」法政大学出版局、1973.
⑦ 森山公夫「和解と精神医学」筑摩書房、1989.
⑧ シゲリスト「病気と文明」岩波新書、1973.
⑨ バリント「プライマリケアにおける心身医学」診断と治療社、1967.
その他多数