幕末の、木曽路馬籠宿。本陣をあずかる庄屋の長男として生まれた青山半蔵は、父のあとを継ぎ、家業を切り盛りする毎日。物語のはじめ、まず江戸時代の民俗風習をおさらいするかのような書き出しから入り、幕府の瓦解、戊辰の役、そして新しい明治の世へと連なっていく。この小説は、200年以上もずっと続いてきた幕藩体制が次第にほころびはじめる様子を、市井の、しかも木曽の山中に暮らす人々の視線で . . . 本文を読む
映画「風立ちぬ」を観終えてから、実際の、真実に近い「零戦」を知りたくなった。妙な恋愛ストーリーなどでごまかしていない、「零戦」から話が逸脱しない、当時の記録に則したものを知りたかった。その希望に格好の、信頼に足る作家・吉村昭の記した書があった。それが、この『零式戦闘機』。話は、名古屋にある三菱重工業の工場から飛行場のある各務原までの48kmの道程を、牛車に揺られて航空機の機体を運ぶ光景から始まる。 . . . 本文を読む
数ヶ月の新婚生活を過ごしただけで、夫につまらない女だと離婚を突きつけられた佐和子。そんな佐和子の祖父・祐介はかつて、単身欧州にわたり、ジャムや紅茶の独占販売権の獲得に奔走し、今の「田沼商事」の基礎となった。佐和子を名指しして残した祖父の日記をたよりに、パリへ赴き、「マリー」の生存をさぐる物語。読み終えて、さあ困った。何の感想もわいてこない。読み終わった気がしないのだ。解決した気がしない、といったほ . . . 本文を読む
本著の、芥川賞授賞式で、この作家が「もらって当然」と不遜なことを言って話題になった。授賞式のインタビューでは終始不機嫌そうに応対していたが、本当はうれしいんだろ?と思ってみてた。口にする台詞が本心ならば、ノミネートさえも拒否すりゃいいのに。この姿が演技だったとしても、世の中を斜にしか見れず、擦れている。生意気というよりは、淋しい人だと思った。このときの選考委員の石原慎太郎の「バカみたいな作品ばかり . . . 本文を読む
話は、江戸時代の茅島藩。フィクションである。作物の育ちにくい土地柄、武士の気質、剣豪同士の丁々発止、藩内の権力抗争。およそ、藤沢周平の海坂藩を思わせる設定。冒頭、微禄の下士から筆頭家老にまで上り詰めた、名倉彰蔵の回想からはじまる。零落し、朽ちるように命が果てたという磯貝彦四郎とは何者なのか。二人にはどうゆういきさつがあったのか。そもそも、彰蔵はいかにして筆頭家老まで出世することができたのか。百田尚 . . . 本文を読む
いうまでもなく、瀬戸内寂聴の私小説。夫と子供を捨て、若い男と駆け落ちすることも、ふたりの男と同時に恋愛関係になることも、この小説の中の知子は、およそ寂聴自身。主人公・知子は、染色家として経済的にも自立している。その知子の家に通う、売れない小説家・小杉は、妻子持ち。自分の家と知子の家を一週間を半分ずつにして行き来しだして、8年になる。そこに、昔の駆け落ちの相手・涼太が現れる。知子が小杉の女であること . . . 本文を読む
僕は、さだまさしの歌の世界観が好きだ。「風に立つライオン」や「償い」なんて、もう立派な物語になっていて、感動をおぼえる。だけど、小説となるとどんなもんかと、およそ説教くさい文章なんではないかと、ちょっと遠慮していたのが正直のところだった。この夏。思い立って、季節に合わせて読み出したのが短編集「解夏」だった。表題作に始まり、ほか3編。読みだした当初は、どうしてもさだまさしの声と顔が脳裏から離れない。 . . . 本文を読む
先日、わが祖母が冥土に旅立った。97の高齢なので、悲しむよりもお疲れさんおめでとうと言ってやりたい気分だった。本人は、ひと月前くらいに、もうじゅうぶん生きたと言っていたくらいで、その言葉どおり、思い残すこともないような優しい死に顔だった。その顔を見ながら、ふと、井上靖の短編に、南方浄土の補陀落へ生きながら小船で旅立つ「補陀落渡海」の話があることを思い出した。身内の死に接し、いにしえの高僧の捨身行の . . . 本文を読む
いいのか、これで。かつて『火怨』を読んで、心躍らせた読者がこれで納得できるのか。僕は、『火怨』のなかで、天鈴が「嶋足、名を語るのも憚られる男」という回想をしていたのを憶えている。その嶋足が、最後の烈心篇でほとんど出てこないじゃないか。アザ麻呂にしたって、広純と大楯を討つ理由が、その程度の描写でいいのか。ふたりを討ったあと、多賀城の焼き討ちに触れないなんてありえるのか。天鈴なんて、結局口ばっかじゃな . . . 本文を読む
破滅へ向かうふたりのはずなのに、なぜ笑みがでるのか。いつ死のうか思いつめているはずなのに、なぜ穏やかな顔でいれるのか。未来などなく行きずりの暮らしのはずなのに、なぜ暢気にいちゃついていれるのか。簡単に死んでもらっては気がすまない相手なのに、なぜ抱かれるのか。死んでも死にきれず、その原因を作った相手なのに、なぜ自分から求めるのか。読んでいて、かなこが、いや夏美が、とても狂おしい。他人からみれば、ごく . . . 本文を読む
「姨捨山って月の名所だというから、老人はそこへ棄てられても、案外悦んでいたかも知れませんよ。 今でも老人が捨てられるというお触れがあるなら、私は悦んで出掛けて行きますよ。」と、井上の母が言う。自虐的にも聞こえながら、どこか快活さをともなっている台詞に、僕も面食らってたじろいだ。表題作『姨捨』は、井上と兄弟と母の話だ。姨捨の話題から、家族の心理をあぶりだす。わがままというか、孤高というか、井上兄弟は . . . 本文を読む
姨捨の満月を観た後日。関連の本を探しに本屋に立ち寄ったときに、タイトルに惹かれて、つい手にしたこの小説。月を観てきたんだから、ちょっとは恋の話でも読んでみようかと。まあ、ひとことで言えば、ずいぶんとスカしていて参った。主人公の蓮介も、作者の文章も。(僕の好みでないだけなので、あくまで一個人の意見)バブルの幻影を追いかけているようなストーリーに、どうもどこかで同じものを?と感じて思い返した。そうだ、 . . . 本文を読む
幼い頃の僕にとって、「楢山節考」は「八つ墓村」などと同じ『怖い話』であった。深い深い山の中へ、息子は嫌々老婆を背負い分け入って行く姿。今でもかすかに脳裏に残る、その淋しげな映像かチラシの残像が、いつしか嫌悪感へと変化して、TVとか何かの機会があっても避けていた。夜中にひとりでトイレに行くのも怖がったヘタレな子供だったので、たぶん、夢に出てくるという程度ではなく、もしかしたら自分もどこかに棄てられし . . . 本文を読む
1997年5月2日。戦没画学生慰霊美術館「無言館」が開館した。この趣旨の特異な美術館の開館にあたり奔走した、洋画家の野見山暁治氏と、窪島誠一郎氏。この本は、開館13年がたった今(2010年)、そのふたりが当時のいきさつを語り合った対談集。
ふたりにはたいへん申し訳ないが、当時のふたり、なにも知らぬ人間からみれば相当に胡散臭く見えるのは確かだ。野見山氏が画学生の学友だったために故人の生前を知ってい . . . 本文を読む
橋下発言が波紋を呼んでいる。「当時は必要だった」という慰安婦に対する意見を述べたことで、各メディアからこぞって非難の嵐。「全女性の敵」とも言われ、同じ認識のはずの首相からも突き放された。四面楚歌どころか、身内からも匙を投げられている状況。しかし、あえて言うが、彼の発言の趣旨をよくよく聞き返してみればわかるが、間違ったことは言っていないと思う。確かに発言の後半の、米軍に買春を斡旋するかのような発言は . . . 本文を読む